S189 ゴールは分かっているんだ、気楽にいこう
ヴィヴィアンは今回受注出来たテーマパークのイメージ図を見ながら今までの苦労を思い起こしながら一つ嘆息すると、さぁここからは私達のやり方でやっていけると心を入れ替え後ろを振り返る。そこには今日のこの時まで協力してくれた仲間達が居た。ヴィヴィアンはヴィヴィアンを見てほほ笑む仲間達に向けてこう言った。
「ゴールは分かっているんだ、気楽にいこう。」
実際、ヴィヴィアンにしてもここまで来るのは苦労した。何度も提案を持ち込んでは却下され、その度に頭を抱え、仲間の意見を取り入れ改善してきた。その苦労に比べればここからは皆と協力するだけなのだ。楽なものだ。
そうヴィヴィアンは思い、皆の顔を見る。
アルマはようやくここまで来たと思った。ヴィヴィアンと一緒に居れば何か良い事が起きそうだから苦労しながらもつきあってきて良かったとアルマは思う。ここからは回収だ。受注は出来たのだ。後は取り分を決めるだけ。見積を作る事が多かったから皆より苦労したつもりだ。ならその分はきっちり回収しないとね。あの業者とあの業者には良い価格で交渉に応じて貰ったから多めに取引して、あっちの業者はサービスしてくれたからあの部分の設備を丸ごと渡して・・・。
ベティは『やった』と喜んだ。色々な所に話をつけたのだ。うまくいったらウチに来て。あなたのとこから人材引き受けるからちょっと応援して。うまくいけば今雇っているとこで人増やすからこっちの雇用費安くして。ベティはベティなりにかなり頑張ったのだ。その分の約束を守らないといけないし、自分の分もしっかり確保しとかないとこの目まぐるしく動く世の中から置いて行かれる。だからちょっとくらいずうずうしく動いたっておおめに見て貰おう。
ジャニスは『うまくいった』とほくそ笑んだ。あちこちスポンサーを集めて駆けずり回ったのだ。その時にスポンサーと空約束して内心うまくいかなかったらどうしようかと思ったがどうにかなった。うまくいかなかったら逃げるつもりだったがどうやら幸運の女神に見放されてはいなかった様だ。自分がこのチームに選ばれるのもチームがクライアントに選ばれるのも空約束でどうにか乗り切った。後はそれに肉付けをしていくだけだ。その程度は許してくれるだろう。なにせ、もう受注はしたのだから今更それを止める様な事もしないだろう。なら多少は目を瞑ってくれる。
コーディは『準備は整った』と思った。この話がうまくいけば知り合いも働けるし家族もそうだ。どこか良い所があれば紹介してくれとも言われてたし、あいつらのおかげでこの仕事に打ち込めた。なら次はオレの番だな。
キャスリンは『お、それで良いんだ』と思った。『気楽にいこう』、この言葉では前のチームの連中にうまく出し抜かれたがそういう事ならとも思ったのを思い出した。ならもっと早く言ってくれたらよいのにとも思うが、それはまあ良い。許可が出たんだから。他の奴が知っているかどうかは分からないけど、これは先にやった事がある者の特権みたいなものだ。知らなくても今回経験すれば良いだけの事。なら私は権利を使うだけ。
ヴィヴィアンを見ながらそう考えた皆はこう答えた。
「気楽にいこう」
「というような事は起きるのじゃろうか?」
「なるほど。目標に到達する為に越えなければならない要因を越えたと思っても場合により内部に抱えた問題が複合的に作用して計画した目標に影響を与えるという事ですね。」
「概ねそう。」
「私達は同じ状況に居て同じ言葉を聞いたとしてもその受け取り方は個々によって変わります。それぞれがそれぞれの環境で生活をしているからです。それぞれの違う環境で似たような状況は発生する可能性があり、そこに付随する要素が違うにも関わらず同じ様な対処をする事があり、主要因は同じなのかも知れませんが副要因が違い、しかしそれらを明確に分析出来ず、漠然とした対応をしている現状が似た状況を錯覚させます。私達は行動する際に主要因を分析してそれらに設定した条件を達成する事で行為を達成したと考えます。しかし私達は全知ではなく、また、偏った情報の中で生活している為に全ての情報を知っておらず、不確かな状態を自身のそれまでに蓄積した経験若しくは歴史から得た知識で分析し状況判断して対処します。その為、自身が知り得た情報でのみ行為が選択出来、把握できなかった情報を含めた場合の妥当な行為を行えているかどうかは分かりません。しかしそれでも行為を選択出来、より多くの情報を得た結果として実際に正しいかどうかとは別として、より間違っていない行為を選択している事実があり、行為した人物が結果から得られる情報により成功したかどうかを判断する為、実際には間違っているとされる行為でも「成功した」と判断して錯覚する可能性があります。そして間違っていないと判断出来ても適切ではないとされる可能性もあります。
ここではその「適切ではない」とされる行為を行うが皆から批判されないが為に、あえてそれよりも適切な方法を知っていても選択しないという悪事については割愛します。
皆が個々人の経験を共有して活動しているのであれば同じ状況での判断はその経験や知識から似たものになりますが、環境が違えば違うほどに主要因以外の要因の違いにより判断にも違いが生じ、しかしそれを明確に分析出来ないのであれば、以前とは環境が変わった場所で同じ状況が起きても、違いがあるかどうかを判断出来ず、自身に判断出来る部分だけを見て行為し、その差が与える違いにより争いになる可能性があります。
例えば公共の場に共有の物品があったとして、ある環境で育ったものはそれを借りて使った後に整備してから返すかも知れません。別の環境で育った者は借りても整備せずに返すかも知れません。また別の環境に育った者は借りて返さないかも知れません。それが当然だとそれぞれが思っていれば同じ状況に対して同じ行為を前提にしてもそれぞれが違った行動を取る事があります。そして誰かに指摘されなければ気づかない場合が多く、そして気づかれないなら改善しなくて良いと考える者も現れます。
私達は効率よく行為する為に前提条件として基盤を作り上げ、そこに付随する情報は普段は省いて行為します。しかしそれを明確に定義出来ず、また、互いの認識を擦り合わせて同じ価値観を形成出来ていなければ、次第にぼやけ多様な判断が出来る様になっていきます。そうすると先日も言いました様に「適当」という言葉に見られる意味が複数存在するのと似た状況になり、互いが互いの持つ価値観で解釈して行動し後になり問題を発生させます。
その際に問題になるのが、互いが互いの価値観で行動した結果、元々計画されていた目標を達成出来なくなる可能性がある事です。私達は行為を一意に表す為に行為を段階的に分け手続きとして定義して行動します。より高度な概念程その傾向を示し、段階が進むにつれ実現の可能性が高くなっていきます。そうするとその過程において成功した場合の結果を既に知っているが為に現在の行動をその結果に合わせて最適化しようとしてしまい、結果的に目標の実現度を下げてしまう場合があります。これはその最適化の方法がより利己的な利益を優先する場合に起こり、しかしもし結果が「成功」であるならその結果から得られる配分における自身の取り分が増加する結果にもなり、何も問題がない上に自身も利益が増えるという結果になります。
しかし、その選択をする際に自身は全ての情報を持っているわけではなく、自身から見た世界での価値観で行為行動を選択する事になります。そしてもし自身以外がその様な利己的な判断をしないという理想的な条件で考えるのなら利益が増え目標も達成出来るという結果が得られたとしても、実際には皆が同じ様に利己的に行動を最適化すれば目標を達成出来なくなる可能性が高くなり失敗する可能性が出てきます。最適化する行動を判断する時に、自身の持つ情報以外の部分と情報を構成する要素の不明確な部分が他者の行動によって変動する事を考慮しないのであれば容易に現状と認識とのズレが生じます。するとそれぞれがそれぞれの思い描いたイメージの中で自身に都合の良い状況を思い描く事になり、それぞれの持つ価値観にそれぞれの行動を合わせると不整合がある事に気づけません。それぞれが得られると予測した利益を互いが主張している事に気づかず、状況が進むにつれ衝突し、その争いがコストを生み目標の実現可能性を下げ、そして、既に得た利益を手放さないと目標の達成が難しいという状況になっても自身の分は手放さずに済まそうとして争い、更に実現可能性を下げます。
この場合、先取特権的に利益を得たのは過去の成功体験に基づくものであり、互いがそう行動して了承済みであるならともかく、大抵においては自身の利益を得るために他者に説明しては利益を分配しなければならないから説明せずに行動し、互いが互いに自身が得られる利益だと思い込んで行動する為にその計画が狂う事で争いになり、本来の目標を実現不可能へと導く結果になります。
その為、ある目標を目指す集団は出来る限り明確に基準を設けてその基準を皆が守り、利益も損失も明白にして活動する必要がありますが、もしそこに他者に競争で勝つ利己益を見出すのであれば、出来る限り他者には知られない方法を選択して利益を得るために、そういった者が居れば居るほどに実現可能性は下がり、より明確に詳細に定義して管理コストを上げ利益を下げながら実現可能性を向上させる方法を模索するしかなくなります。
今回の話の様に、まだ目標を達成出来るか分からない状態であれば皆がまずその主要因となる条件を満たそうと努力しますが、その主要因の条件を達成してしまえば、後は過去の経験から予測出来る余裕を使って自身により有利な結果を得ようと行動しています。しかしそこには個人から見た視点だけで構成された価値観と世界観があり、他者が行動した結果を想定している事はあまりなく、しかし事前に説明すれば利益が減るか得られないかになる為に説明せずに行動し、実際に同じ様に行動した他者とだけ交渉して利益を分配する事で合意しようとします。しかしその合意は大抵において互いが得られると想定した利益に足らず、争いとして表面化するか不満を残す結果となり、それ以降の結果に影響を与え、実現可能性とその結果以降の在り方に影響を与えます。」
エールトヘンは締めくくる。
「私達は小さい社会では互いが同じ経験をし同じ環境で生活する為に価値観が似たようになり判断が同じになりやすく、例え明文化されていなくとも過去の経験から『してはならない』選択がある事を知り、お互いの選択がお互いの想定内に留める様に行動する可能性が高くなります。しかし社会が大きくなり環境も違う場合が多くなると同じ経験を共有しない事から互いの行動が互いの想定内に入る事が難しくなり、互いの行動を全て是正するのを諦めるか全て明確に定義するかのどちらかにしなければならない状況になり、互いが互いの行動にリスクを感じて行動する様になります。そして一部の能力があると思える比較的能力ある者が能力がないと思っている相手に、相手の実情がどうであろうと利己益を求めて行動し、自身が利益を得られるのは能力が優れているからだと考えて行動し出します。
お嬢様は貴族です。配下の者が最終的な状態となる定常状態を見ずに過渡状態だけを見て利益を判断すると目標そのものへの影響がある事を平然と実行し、その結果として計画を達成できなくなります。管理者というのは全体を見て目標が問題なく実現出来るかを把握しながら、配下の者が実現する為に必要な行動規則から外れないようにする必要があります。その根拠を明確にするにはより多くの結果を分析し、問題となる要因を明確にしてから得られる利益も詳細に定義して把握した上で利益の配分を出来る限り明白にして参加する皆が納得いく状態を作り上げるというプロセスが必要になります。そこには個人の利己的な考えでは到達出来ず、いかに集団としての効率を高めるかという考えが、より多くの結果を分析していかなる場合にも通用出来うる詳細な定義を作り上げ、配下がその実現に協力する様に、配下自身が自発的に行動する様に社会を作っていく必要があり、高い知性を必要とします。その為にもさぁ、頑張りましょう。」