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S176 川の上流で

すいません。今回もコメディに出来ませんでした(汗。


デクスターは今日こそは言ってやると息巻きながらハロルドの所へと向かった。デクスターは川の下流に住んでるのだが、ちょっと前に上流にハロルドが住み着いた。まあ1人くらい住み着いても問題ないかと思っていたら面倒事ばかり起こる様になり、このままではデクスターの生活は無茶苦茶だと考えたからだ。ハロルドはどうもマッドサイエンティストらしく彼の起こす騒動がデクスターの想像する事態を軽く上回るのだ。


「おい、ハロルド!」


「やあ、デクスター。どうしたんだい?また何か言いに来たのかい?」


「ああ、そうだ。ハロルド。お前のお陰でオレの生活は無茶苦茶だ。」


「何を言ってるんだい。僕も君も距離を取って互いの生活を尊重してるじゃないか。僕の生活が立てる音かなにかが君の安眠の邪魔でもしたかい?」


「いいや。してないね。」


「なら良いじゃないか。これだけ距離を取っていれば互いが何かしても迷惑にならないよね?」


「いいや、なるね。チョーなる。」


「なんでだよ。偶に大きな笑い声を上げたりしてるけど聞こえないでしょ?あ、こないだキイチゴを多めに取った事とか?ごめんね、ちょっとお客さんが来ててね。奮発したかったんだ。」


「いいや、違うね。そんな事じゃない。」


「ならなんだい?あ、あれか。ちょっと狩りに失敗して猪が暴走しちゃったやつ?その後大変だったんだけど、もしかして君んとこにも行っちゃった?」


「いいや、違うね。そんな事もしてたのかと思わなくもないが違うね。」


「あ、じゃあもしかして、溜め池に勝手に魚を放流して飼ってるのとかバレちゃった?いやあ、ちょっと質の良い魚が食べたくて養殖しようかなーなんて。」


「あれもお前かよ!なんか見た事ない魚がいるなぁと。あ、それもあるが言いたい事はそれだけじゃない。」


そこでデクスターはコホン、と咳払いをしてからハロルドを睨み付けこう言った。


「お前、川になんか流してるだろ。」


するとハロルドが驚いた後に、キョロキョロと視線を泳がせながら答える。


「え?し、知らないなぁ。なんの事?僕はそんな事してないよ?」


「そんな分かりやすい態度を取ってしらばっくれててもダメだ。ほら、汗もかいてるじゃないか。」


「だから僕は知らないって。証拠はあるの?」


「それがあればとっくにお前を衛兵に突き出してるよ!まぁ、おんなじ下流にある村でも異変があるそうだからお前の事、伝えておいたから直に奴らも来るだろうよ。」


その一言に増々慌てたハロルドはそれでも頑なに否定しつつ、どうなっているのか知ろうと尋ねる。


「へ、へぇ、そう。それで、どうなってるのかな?」


「ああ、最近な。下流の川沿いがな。やけに花が咲いてるんだよ。あからさまに。」


その一言に挙動不審になりながらもハロルドは平然な態度を取ろうとして言い返す。


「たまたま、気候が良かったんじゃないかな?ほら、最近過ごしやすかっただろう?きっとそうだよ。」


「そう思うだろう?でもな?気候が良いからって1mも背丈がある花が咲くかよ!」


「・・・、あれ失敗してなかったんだ(ボソ)」


「ん?なんか今言わなかったか?」


「イイヤァ?ベツニィ?そ、そんな事もあるんだなぁ・・・。ハハハ」


「それだけじゃない。」


「他にも?」


「さっき溜め池の魚もお前のせいだって言ってたよな?なんであんなにデカイんだよ!お前ちょっとため池が大きいからって湖じゃねぇんだぞ!?なんかヌシが居るって村の奴ら騒いでるじゃないか!そもそもお前の放った魚がでか過ぎんだよ。」


「え?でかいって?確かにあのため池には30cmくらいのをでかいやつはいなかったけどさ。」


「何言ってるんだよ。1mだよ、1m。あまりに大きいから溜池のあちこちに見えんだよ。そんなでかい餌があるからヌシの奴もくいっぱぐれないで悠々自適に暮らせてんだろうから居なくならねぇ。もっとも逆に餌がなくなったらどうなるのかあまり知りたくねぇよ。」


「へ?、・・・へぇぇ、そう、1mなんだ。僕そんなの放ったかなぁ、ハハハ。」


「とぼけても無駄だ。お前がここに住み着いてから起こってんだから。それにいつもなんか怪しい研究してるだろ?その際に出たごみとか流してんじゃねぇか?」


「ぼ、ぼ僕がそんな事するはずないじゃないか。」


「あからさまにキョドってんじゃねぇ!それにだ。」


「ま、まだあるのかい?」


「そう思いたくねぇが当たり前だろ。村の連中がな、どうも家畜や子供の育ち方がおかしいとか言い出してるんだが・・・」


そうデクスターが言い出した時に叫び声が聞こえた。


「デクスター!大変だ!ヌシが!ヌシが!それに花が!花が!あとイノシシの人が!」


そう叫び声を上げながら村に住むハンスが走ってきた。


「どうした?なにがあった?」


「いや。あのな。ここに来る途中、場所がはっきりしなかったんで川沿いに上がって来たんだ。そうしたら途中のため池でヌシが出たんだよ!」


「うん。それで?」


「おれはビックリして逃げ出したんだがヌシの奴!なんか足の様なヒレの様なので陸に上がって来たんだ。もうほんとうにビックリして腰が抜けて後ずさってたんだがその時にだ。イノシシの人が助けてくれたんだ。」


「イノシシの人?」


「ああ。イノシシの人。顔がすごくイノシシみたいでそれにも驚いたんだがオレを庇う様に立ってから、首で早く行けって感じで合図したらヌシに猛然と立ち向かっていったんだ。あれかな。イノシシみたいな人だから性格もそうなのかな?」


その話を聞いたハロルドが思わず聞いた。


「それ、イノシシじゃないの?」


「こいつ誰?」


「ああ、こいつが例のハロルドだ。」


「そうか、こいつか。でもな、普通イノシシは2本足で立たないだろ。なんか暖かくなってきた季節なのにまだ厚くて丈夫な毛皮を着込んでいたけど。それより!イノシシの人がヌシに向かっていった所に、川沿いのあの花が動き出してヌシに襲い掛かったんだよ!あれ、あんな怖い花なんだってさっき知ったよ!」


なにかとんでもない事態が起きているのが分かったデクスターとハロルドだったが二人ともそれを聞いて初めて知った事だらけだ。ハロルドはともかく、デクスターはこの辺りを良く歩き回るから大体の事は知っているつもりだったのだが、またわけの分からない事が増えたのに頭を抱えそうになる。

そんな2人を、何を悠長なという顔で見ているハンスが話す。


「それより、ほら!イノシシの人を助けに行かないと!俺の代わりに残ってくれたんだから!頼む!力を貸してくれ。」


「ぼ、僕は遠慮するよ。・・・会ってもしあのイノシシだったら(ボソ)」


「ん?なんか言ったか?」


「いや?別に?」


「ならお前も来るんだよ。早く準備しろ。行くぞ。」


渋るハロルドを引っ張りデクスターとハンスは怪獣大決戦の場に急いだのだった。




「というような事は起きるのじゃろうか?」


「なるほど。何事も上流で起きた事が拡散して下流へと広がるという事ですね?」


「概ねそう。」


「川の上流で何かの薬品を流せばそれは流れに乗り、その川の下流の全てに行き着く可能性があります。その川が大河であっても上流はそれほど大きな幅や深さはしていないでしょう。ですからそこに何かを混ぜる事は簡単になり、後は勝手に流れに乗り、全域に拡散します。ですので上流であればある程に取扱いが難しくなります。衛生管理の出来ていない場所では上流での生活排水が下流になるにしたがって増大されていき、最下流ではかなり汚れた水になり衛生状態が悪い状況も作り出されます。上流から起こる些細な量の蓄積も下流になればなるほどに無視できないものになっていきます。

その顕著な被害は生体濃縮です。たいした量ではないと考えたものも、蓄積した量を考えれば問題になる事があります。生体濃縮はその微量な量が、食物連鎖の下位にある生物の食生活により体内に溜まり、その生物を上位の生き物が食べる事で蓄積し、更に上位がその生物を食べて更に蓄積し、やがて無視出来ない量の蓄積が成されます。公害病などはわかりやすく、そして人災である点が特徴的です。私達が処理し損なった物質が食物連鎖の下位の生物に蓄積し、やがて上位である私達へと還元されてその影響を及ぼすものです。それが生物経由でなくとも起こり得、喘息なども粉塵が大気中に大量に浮遊する事になると発生しやすくなり、それがもし燃料を燃やしたり、何かを燃やしたりして発生したものであれば公害病と言えるでしょう。

また、温暖化や放射能汚染といったものも明確な因果関係が証明された害ではないのでいまだそれが人災であるとは断定されていませんが、起こっていないわけではありません。こういった問題はミクロの蓄積によるマクロ化である為に、誰が明確にしたという証拠はなく、そして個々人が自身の排出する量は極微量だからたいした問題にならないと思い込み発生します。誰もその微量が自然の循環サイクルの中で問題なく処理されると確かめなくともです。しかし確かめなくとも起きていないわけではなく、私達は私達の生活を新たな技術や知識で向上させていこうとすれば、同時に私達が排出しているものへも目を向けてトータルでバランスが取れているかを知る必要があり、解明していかなければなりません。そしてその過程で過去の教訓を活かして未来に起こる問題を未然に防止してよりよい結果を作り出していく必要があります。

例えば過去に起きた公害病を二度と再現しない為に法律で規制したり、小さなものでは自身のちょっとした失敗を戒めて忘れないようにしたり、その積み重ねで訪れる未来を数ある中から取捨選択していくのです。けっしてものを買う様に自由に選択できるのではありません。そしてものが買えるといっても資金がなければ制限がある様に、私達は取捨選択していくのです。望むべき未来がよりよいものであり価値があるなら私達はそれに見合っただけの支出が必要になり、誰かが作り出してくれるわけではありません。その支払う対価が用意出来なければわたしたちはそれだけわたしたちの望む未来を選択出来ません。


しかしです。ある時間ある場所に限定すれば富や資源を集中して実現する事が出来ます。その方法はより簡単で、しかし時間的にも空間的にもごく一部のメリットだけを考えたものになります。より大きくより長い時間を対象としてサイクルが成立する様にシステムを組もうとすれば、それだけ制限が多くなります。より多くの者の利害が一致しなければ達成出来ず、また、自身の一生だけを焦点に合わせた者が多ければ多いほどに達成出来ません。例えば80年だけ保てれば良いシステムだとするならその廃棄物が80年の間に問題にならなければその範囲内で自由に選択出来ます。また、極一部の場所だけで状態を維持すれば良いのであれば、そのシステムそのものが出せる収益の全てをその極一部に割り当てれば達成できます。しかし、それがもしより長くより大きな規模でのシステムの維持という目的に一致していなければそもそもが選択出来ないものになりますが、そうやって限定する事で、より良い快適な生活が送れるとすれば、私達は利己益を求めて実行してしまうのです。そしてその責任は、いまだ現状の問題点の実害が明確にそのシステムを構成する方法で生み出されたかの証拠がないという理由で無責任だと主張するのです。この場合の問題点はそうしてルールを守らないのであれば皆がルールを守らない基準に合わす必要が生じ、しかしこのチャレンジアンドレスポンスの結果が失敗した場合に取返しのつかない結果になったとすればどうにもならなくなり、私達は滅びるか失敗した結果の影響が消えるまで長い間不便な生活や苦しい生活を送る事になります。失敗出来ないものと失敗出来るものとでは対処が変わり、しかし利己益だけを見る者は他者に失敗を押し付けても構わないと思い、最悪は自身とは今代の自身だけであり世代継承する子孫の事などどうでも良いと考えます。そして自身の一生に焦点を当てて利己益を追求するのです。その姿は今まで世代継承してきた者達の積み重ねを潰して利益を稼ぐものとなり、社会の成り立ちと相反するものになります。しかし、私達はルールに従って生活する中で、誰かが考えたものを使うだけであるなら、その成り立ちもその労力も知る事なく使う事が出来、どうやって作られてきたかも忘れてしまい、より自身の生活に直接関係するものだけを見て利益を得ようとする様になります。


ですので、私達は生活する中で常に上を見ると例えられる生活をする必要があります。自身の生活に必要なルールがどうやってできたか、何が根拠であり、何と関連付いているかを知ろうとする性質が必要になるのです。ただ誰かの作ったルールを見て合法だからと行動する者は、社会の方向性を知る事なく自身の都合の良い様に解釈出来るのです。それはあたかもスナップショットを見るかの様になります。ボールが飛んでいる写真を見てそのボールがどちらに飛んでいるか判断出来るでしょうか。もし判断出来ないとして、そのボールがどちらに向かっているかを都合良く決めてよいか。もし決めてしまえば実際に起きた出来事ば変わるかと考えれば分かりやすくなります。

ルールというのは過去から未来に向けて達成すべき目標を達成する為に細分化されていきます。そこに方向性は確かにあり、その方向性を無視したルールの解釈は違反となります。なら全て明文化しろと、ルールに従って居たいだけの者はいうかも知れませんが、私達の中にこの宇宙の全てを解析して把握している存在などおらず、私達は常に未知と対峙しています。私達の起こす行動の結果がどの様な影響を与えそれがどの様なレスポンスとして返って来るかの全容を知り得ないのです。時空間上の全ての情報を瞬時に把握できるならともかく、それが出来るのは恐らく外部に存在する上位存在のみであり、私達ではありません。私達に出来るのは私達が与える影響を含めたレスポンスをあたかもある時空間上の点の個々において疑似的に分析解明したと仮定する事しか出来ません。ですので、ルールに従っていさえすれば良いという考えは間違いであり、達成すべき目標に焦点を当て、そこから導き出されるルールに従うというのが正しい方法であり、ルールに従っていれば良いと考えてルールに焦点を当てるのであれば少なくとも一つ下の次元を扱う事になり、その次元を含む上の次元での自由度が大きくなりそれだけ選択肢は増えますが、その選択肢は目標に沿っているかどうかは分からず、目標に合っていなければルール違反になります。しかし現状のルールには適合しており"合法"として扱う事が出来、この方向性を知らない者は実行し、そして他者が実行しないのは能力がないからであり自身の能力が高いから出来るのだと錯覚する可能性が出てきます。

これは例えるなら1点に収束させようとする過程の一時点で、過去の結果からの方向性を見なければその点から生じる選択肢を全て許容する事で1点に収束出来ない様にするのと同じです。それまでの過程においても多くの選択肢から取捨選択して、間違いではないものを集めてきたにも関わらず、その過去の過程を見ずに現在の明文化されたルールで行えるすべての可能性を許容するのであれば過去に切り捨てた可能性も実行出来、そこから逆に収束せずに広がる可能性もあり、それまで同じ方向に収束させていたものがそれぞれバラバラな方向を向くという結果になります。結果として目標に向かって収束せず、そして明文化されていない部分で方向性を気にせずに選択すれば争いの原因となります。元々が目標に向かって明文化出来る部分をルールとして定義して社会を作っているのであり、ルールさえ守っていれば無条件に目標を達成出来るという保証など誰もしていないのです。それを誰かに従っていれば自身は役割を果たしていると思い込んだ時から、目標を達成するにはどうすれば良いか考える事を止め、結果として方向性を見失い、ルールの明文化されている部分だけを守れば"合法"だから何をしても良いと錯覚する様になります。自由度が高ければ高い程に選択肢は増えそれだけ競争に有利になり、生き残り、そして生き残る為には誰もが自由度の高い選択をしようとする為に誰もルールを守らなくなり、そしてルールを守らないなりの基準でしか社会を作れずに劣化させ、劣化した社会では以前と同じだけの人員を生活させる事が出来ずに生き残りを賭けた競争が起き、競争に勝つためにルールの制限を緩和して、更に社会を劣化させまた更に生き残り競争をする、というのが私達の繰り返す誤解です。結果として緩和されたルールで行える全ての選択肢は"合法"だとみなされて、社会が劣化すればするほどになんでもありの状態に近づいていきます。


それは私達が求めた目標へ向かう方向性とは逆になり、逆向きで歩く、後ろに下がるなどと例えられる事があります。

ここでは、過去に切りすてた可能性の中にも細分化すれば目標に一致したものになる可能性もある事は割愛します。


社会というシステムは、効率が求められる為に上位から下位へと指示が出され、それに従う事でグローバルメリットを得て利益を出します。例えば荒れ狂う海の水では何かに利用しにくいとしても川の流れの様に同じ方向を向いていれば水車などの動力源に使用出来たりします。そうやってミクロでは成し得ない結果をマクロで求めるのが社会です。その為にはルールが必要になり、先ほどの水の例えでは水の性質を前提にそれを含めた環境としてのこの世界の法則により高低差を用いて一方向へと流れる様に囲いを付けて制限すればその力を利用出来る様になります。それは水分子ひとつひとつの性質と呼べるものではなく、あくまで水分子が進む方向を水分子を取り巻く環境を操作する事により作り出しているものです。もし水分子が一つ一つがその方向性に従わなければそれだけ動力源として使えない様になり効率が落ち、そこからの生産物に影響を与えます。どの方向かもわからない様に荒れている水面に水車を入れても回らず、そこからエネルギーは取り出せないのです。

しかし私達と水とで違う部分は、それは水を私達に例えて話しているだけのものが実際には私達自身を扱う事です。当然とも言える事ですが、これは自身がその対象とする系に含まれるかどうかの違いが重要になります。水を扱う様に私達を扱うのが同じになる事はなく、それが魔導学における"神の視点"と呼ばれるものの矛盾点です。私達は水をどう扱おうと水から批判を受けません。それは水にとって私達の取り扱い方がどうでも良いからかも知れず、水という存在にとっては高い所から低い所に落ちようと何かの汚れを落とすのに使われようと水自身には無関係な事だからかも知れません。しかし私達は違います。水を扱うのと同じ様に誰かが私達を扱えば被害して批判するかも知れません。ですので私達が私達を扱う際には、私達が互いの権利を侵害しない様な前提を作り上げてその条件に合致する状況を作り出さないと水などの様に私達の利害と無関係な存在と同じ様に扱う事は出来ません。そのルールを守る範囲においてのみ、無機物を扱う様に選択出来ます。

ここでもそれではグローバルメリットを活かす事が出来ない可能性がある事は割愛します。


しかし私達は間違う存在であり、忘れ、そして快感原則が与える欲望の誘惑に流されやすい為に、必ずしも自身が考えている様に行動出来ているかの保証がありません。知性が低ければ低い程に、欲望に流されやすい程に間違っていても気づかず、気づいていても改めずに実行してしまいます。そうした中で社会というシステムは上位から下位へと指示を出すシステムであり、上位がより知性が低ければ、欲望に流されやすければ指示の内容が本来あるべき指示からズレ、それだけ目標からズレた結果を出してしまいます。先ほどの例えでは水は外部から流れる方向と流れる根拠を与えてもらっていますが、私達は私達自身でそれと同じものを用意する必要があり、いわば流れる水自身が自らの流れる方向を決める為に囲いを作り、流れる原動力を作り出して目標となる地点まで流れる様にしていくのと同じになります。その方向性の決定などの判断基準は水分子そのものだけではなくその集合である水としても問題ないかが基準に追加されます。

ですから上位の間違いはその流れる方向を変え、目的地にある水車を回す為の水量を減じさせる可能性があり、そして、個々の水分子が同じ方向へと流れていこうとしなければ互いにぶつかり合って速度が出ずに、それだけ水車に与えるエネルギーも低下して効率が下がり、また、囲いそのものを壊してしまうかもしれません。

上位であればあるほどに、上流であればあるほどに流れる方向を間違えば目的となる下流の一地点へ到達する水量は減り水車を回す事が出来ずにエネルギーを効率良く得る事が出来ません。上流での1度のズレは下流での1度のズレと与える影響は同じではなく、川の長さが長くなるほどに影響が出ます。それは社会の規模が大きくなり技術が高度になる場合に上位の者が判断を誤った時の影響と同じだと言えます。

私達が社会を作りグローバルメリットを得て生活しているというのはここでの例えでは、水車を回したエネルギーで水自体をもう一度上流へと戻しているのと同じと言えるかも知れません。或いは水自体をろ過して不純物を取り除いて品質を向上させているのと同じかも知れず、また、その為に流れる水路を整備するエネルギーに変えているのかもしれません。しかし、もしエネルギーがそういったものに使われない様になったとするならどうなるかは分かりやすいと思いますが、水路が壊れれば水は別の所に流れてしまうでしょうし、また水路と言っても土で出来ていれば土砂を巻き上げて汚れて品質が低下するでしょう。ろ過もしなければ土砂毎上流へ運び汚れた水がまた流れて土砂を巻き上げまた品質を低下させる可能性も出てくるでしょう。そして常にそれ以上汚れない状況が維持されるのであれば一応はシステムとしては維持出来ていますが期待した成果は出ないでしょう。

私達は自らの知性を高めて知識を解明して技術力を高める過程において、自然が用意した循環システムから人工的な循環システムへと変えていっているとも言えます。水が下流で蒸発して大気中に昇り、雨としてまた上流へと還元するシステムを人工的に水をくみ上げて上流へと還元する方法を選択したとも言えます。それだけ効率的に運用出来ますが、同時にそれだけ維持運用が必要になり、そして循環システムとして成立する目標を達成していないのであれば目標を達成する様に行動する必要があります。その為には水路を整備し流れを制御し品質を上げる努力が必要になり、そこには方向性が生じます。

私達の社会でも同じ様に私達の目標に合った方向性が存在します。私達の種の生存と繁栄において、盗まない、奪わない、というルールを守る事で作られる環境があり、その環境をより高度にして利便性を高めていくという方向性が存在し、私達はそれに従います。しかし全てを明文化出来ず、明文化出来ない部分はそれまでの経験や知識の取得により自身で基準を構築します。しかしその明文化出来ていない部分の共通認識を得られていない人物にとっては明文化出来ていない部分は自由にして良いものだという認識であり、罰せられないなら"合法"という感覚で実行し、自身が目標を見て目標から生じたルールを正しく理解しているかを判断していない事に気づきません。

それはあたかも水路を壊し、水を別の場所へと誘導し、皆が共有している下流へと水は流さず、皆が共有している下流の水車から得られるエネルギーは共有しながら、別の場所に誘導した水から得られる水車のエネルギーは自分達だけで利用するのと同じ事になります。そして正しく還元されず、循環する水量は減り社会は劣化するという結果になります。」


エールトヘンは締めくくる。


「上層の腐敗はそれだけ末端まで影響を与えます。末端がいくつかの支流に分かれていても上層であればあるほどにそのどこにも影響を与えるからです。もしそれが菌の感染などの様に増殖するのであれば末端に辿り着く時間がかかればかかるほどに菌は増殖してしまいます。水であるなら水に含まれる不純物に付いた菌が繁殖する様なものです。それと同じ様に上層が腐敗して汚職するのであれば、それを見て真似る配下が出始め、菌が増殖する様に数を増やす可能性が出てきます。また、上層ではわずかな間違いであっても末端に至るまでに蓄積して明確な過ちになっている場合には末端の知性が低ければ上層が故意に悪用したなどと考え、末端が真似、そしてその末端を真似る様にその上位が真似、また更に上位が真似ると言った、菌が感染していく様に汚染が逆流していく可能性もあります。水に含まれる不純物に付いて繁殖する菌の繁殖していく速度が水の流れる速度より早ければ逆流も可能なのです。

お嬢様は貴族です。貴族であっても完璧に全てを実行する事は出来ません。その際の小さな過ちも末端へたどり着く時にはある程度の大きな過ちに見えてしまう事もあるでしょう。その際に末端の者があえてトップが故意に利己益を得るために不正をしたのだと思い込んで、それを真似る可能性があります。そうならない為には末端には自身の生活の中での役割だけでなく常に上位となる役割がどの様に行われるかを知ろうとする知性を持たせる必要があります。自身の役割がどういった取捨選択の結果として行ってよい行動で形作られているかを知ればそうする為の難しさと起こり得る過失によるイレギュラーを知って、自身が直面したエラーが故意なのか過失なのかを判断出来るかも知れません。トップはその末端の性質を改善出来なければ、些細なミスを理由に末端に反抗され、末端はそうやって反抗すれば自身の思い通りの結果が得られると慢心します。末端同士でお互いにそうやって優劣を付けようとするからです。それを難易度の違う物事にそのまま適用しようとし、しかし自身は普段通りの行動をして罰せられていないのでして良いと思い込みます。社会をより良い状態へと導くには民衆の性質の改善は不可欠であり、常に他者の付け込む隙を狙って明文化されていない部分を悪用しようとする者達ばかりであれば、その行動セットを許容できるだけの社会しか作れませんし、より高度な社会を作ろうとしてもどこかに歪みを生じさせます。そうならない為にもトップは配下の知性を高める必要があり、自らの望む状態が作り出せているかを判断する為にもさぁ、頑張りましょう。」


川の水が綺麗なのは循環しているからです。下流で蒸発して雨となり降り注ぐ循環が汚れを落としています。流れの遅い川や池を見れば分かる様に、滞留してしまうと菌の繁殖が起きてしまいます。一方で、一時期、風呂のシステムでお湯を自動で循環させる様なシステムがあったと思います。その際に問題になったレジオネラ菌の様に、ろ過するシステムに問題があればたとえ循環していても菌は残ったままになります。社会の中でも同じことが言え、腐敗した社会とはそういったものです。そうなると循環している事自体が問題になります。より早く全体に菌が繁殖する様になってしまうので。


薬も過ぎれば毒になると言われている様に、濃すぎてダメな時があります。植物に栄養剤を与える時には希釈するんですが、原液のままでは枯れてしまいます。すると失敗してしまうので何事も適量が必要です。


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