S175 別に昨日今日始まったわけじゃなし
ダンカンは見てしまった。アルマが脅されているのを。さて大事だ。脅しているのは普段からいけ好かないガスと取り巻きだ。何かにつけて騒動を起こすあいつらがまさか隠れてアルマを脅しているなどいかにもあいつらのやりそうな事だ。だがガスは地元の有力者の息子でエベ族の出身だ。エベ族には権力を握っていてダンカン達イデ族は少数民族で立場が弱い。だからといって日頃から非道な事が行われているのを見過ごすわけにも行かない。だが1人ではダメだ。返り討ちに会う。それにどうやらすぐにアルマは解放されて足早に立ち去ったのでとりあえずは皆に知らせてすぐにでも対策を取らなければ。
そうダンカンは考えて急いで住んでいる場所にまで戻って知り合いのガナンに話しかけた。
「ガナン!大変だ!」
「おい。落ち着け。また何か落としたか?」
「そんなんじゃない。大変なんだよ!」
「だから落ち着けって言ってるだろ?とりあえず何があったか話してみろ。」
「ああ。ガスの奴らがやらかしやがった。」
「なんだ。いつもの事じゃないか。どうせまた自分達でやるって言って何か壊したんだろう?」
「そうじゃない!あいつら・・・・あいつらアルマに。」
その言葉にガナンも表情を変え真剣な表情になり聞き返した。
「アルマに、なんだ?何があった?」
「ああ、あいつらアルマを脅してやがったんだ。何やらすごくアルマが怖がっていて、すぐに話は終わったみたいでアルマはそこから逃げ出したんだが、あいつら、あんなあくどい事をやっていたなんて!許せないだろ!」
「ならアルマに怪我はなかったんだな?」
「ああ。って違うだろ!なんでそんなに落ち着いているんだ。あいつら、放っておいたらあちこちでやりだすぞ!」
「アルマに怪我がなかったんならそれでいい。」
「だからなんでそんなに落ち着いているんだ!」
ダンカンの今すぐにどうにかしないとという物腰にガナンは溜息を付きつつ答えた。
「あのなぁ。お前、前も言ったけど、別に昨日今日始まったわけじゃなし。」
「え?」
ガナンの一言にダンカンは思わずそう呟いた。呆気にとられた表情をするダンカンを見てガナンがふと何かを思い出したように話し出す。
「あ、すまん。それ言ったのはお前の親父にだわ。親子揃ってなんというか忘れっぽいと言うか色々見落とすと言うか・・・。」
「え、それってどういう事だよ?親父がなんで関係あるんだよ。」
「だから。別に昨日今日始まったわけじゃなし。」
「だからそれ何なんだよ。」
「だから。お前たち親子は忘れっぽいよなぁ。エベ族がここを武力で占領してから大分と経ったけど、だからと言ってエベ族が侵略しなかった事になるわけでもないし、あいつらが俺たちに酷い仕打ちをしなくなったわけでもない。あいつらがいよいよもって俺たちを襲い始めたのならともかく、そうでないならじっと耐えて時機を待つって話し合ったろう?ああ、そうかお前の親父のジムのやつぁ、忘れっぽかったもんなぁ。世の中色々と落ち着いてきたから目に見える所であまり行われなくなってあいつ、お前に話すの忘れたんだろうなぁ。
そのガナンの一言に、驚きながらもダンカンは、更に言おうとする。
「いや、でも、だから、アルマが。」
「だから。アルマに怪我はなかったんだろう?ならまだ時機じゃない。待て。俺はこの後アルマに会いに行く。」
「あ!じゃあ、俺も。」
そう言ってダンカンとガナンは歩いて行った。
「というような事は起きるのじゃろうか?」
「なるほど。過去に不法行為が行われて現状が作り出されて未だにその不法行為が継続している場合には、普段の日常生活をしている状況でも実際にはその不法行為の影響下にあるという事ですね?」
「概ねそう。」
「私達は過去を積み重ねて未来への可能性を作り出していきます。かつて出来なかった事は、過去においてその物事に挑戦し続け、経験を積み重ね状況を判断し、対象とするものが何であるかを分析し、対象とするものを明確に把握してその要素を一つずつ達成しながら最終的には出来る様に実現してきたものです。それはつまり、過去の出来事が現在に影響を与えていると言えます。しかしその過去の出来事がどうであろうと、私達は生きるために生活をしなくてはなりません。物を食べ、排泄し、食べる物を得るために働き、自身を次世代に活かすために子を成し、未来へと繋げていきます。その際に、仮に不法行為が行われて正せなかったとしても、私達はその状態に問題があると分かっていても、生きるために生活しなければなりません。すると不法行為が行われている状況で、さも不法行為が行われていない時に行われる行動を取る可能性が出てきます。
例えば、強盗が建物を占拠して人質を取ったとします。そこで人質が不法行為に対して抵抗して殺される結果を受け入れられないとすれば抵抗せずに状況を見守るかも知れません。しかし人質も生きており、自身の生命活動は続けなければなりません。人質になっていても物を食べ、排泄します。しかしそれは不法行為が行われていないから日常の行動をしているのではありません。しかしもしその部分だけを見るとさも日常生活を送っているかの様に見えます。興奮しているわけでもなく恐怖でパニックになっているわけでもないからです。しかし実際にはじっと逃げ出す機会を待っているのか悪人を倒す機会を待っているのかも知れませんが、態度に表れなければ日常生活での行動と同じになり、詳しく見ないと判別出来ませんし、場合により表面には表さない為に見分けがつかないかも知れません。この時、もしそれが食事であれば、食事を取っているという部分には違いがありませんが、そこに付随する要素が変わっている事になります。何の問題もない日常であれば、その状況を自身で受け入れているから食事をしていると言えるかも知れませんが、不法行為を受けている状況ではその状況を他者から受け入れさせられて食事をしているのかも知れません。食事をとっていればその人物に対して何も不法行為が行われていないとは言えないのです。例えばその人質は自身でいつ食事を取るかどの様な食事を取るかを決める事が出来ません。どの場所で食事を取るかも決める事が出来ません。しかしその様な選択出来る自由を奪われている状況でも形として見える行動は、生命活動を維持出来るだけの最小限を実現出来れば可能なのです。その一部一時の状況だけを見て決める事は出来ず、場所も自由に選択出来ず内容を決める事も出来ずいつ食べるかも決める事が出来ずに食事をとる事と、場所を自由に決める事が出来て内容も決める事が出来ていつ食べるかも決める事が出来て食事を取る事の違いはその個人の見た目の行動にはほとんど表れません。それをただ個人の目に見える行動だけを見て状況を判断するのであれば社会の中で行われている行為について正しく判断する事が出来ずに不法行為を見逃す事になります。
同じ様に侵略行為により占領された地域も同じ様になります。侵略は不法行為だとして、それを阻む事が出来ず占領された地域でも、いわば地域という囲いの中に囚われている状況でも人々は生きるために生活します。物を食べ、排泄し、食べる物を得るために働き、自身を次世代に活かすために子を成すでしょう。しかし、それがその侵略を何の不満もなく受け入れたのかと言えばそうではなく、しかし殺されない為、酷い仕打ちを受けない様にする為に態度で抵抗を表さなければ、さもそれが何の問題もない日常であり、その状況を受け入れているかの様に見えてしまいます。しかしだからと言って不満を抱いていないとは言えず、そして不法行為が行われなかった事にもならず、しかし不法行為が継続する状況を変える事が出来ずに、表面上は何の不満もない様に装って日常生活をする事になります。
そういった出来事は社会の中でどの規模でも起こり得、家族、地域社会、地方、国、世界において常に発生する可能性があります。それも物理的だけでなく、経済面などでも相手を加害出来る状況を阻害されずに確立出来る状態を作り出す事が出来るならどの様な場所でも発生します。権力を持ち相手の生活に重要な影響を与える事が出来るならその権力を用いて脅す事が出来、そしてその権力基盤から逃れる事が出来ないのであれば、不満を抱えたままでも従うしかなく、不満を表せば権力を用いられて生活が苦しくなったり生活出来なくなったりするなら不満を態度で表す事も出来ずに、さも日常生活に何の不満もないかの様に行動するしか出来なくなります。つまり、そうやって不満を表さずに従うしかない状況に追い込んでしまえばたとえ不正行為だろうとさも何も問題が起こっていないかの様に偽装する事が出来、日常的な行動の中で合法に不正行為を行う事が出来ます。
例えば、逆さ言葉を使って脅す事も出来ますし、それを誰かに告発されない様に脅している状態を作り出していれば、周囲に気づかれない可能性は高くなります。「するなよ、するなよ」と言いながらも実際は「しろ」と言う意味で使い、自身に都合の良い行動を取らないなら後で権力を用いて生活に不利益が出る様に、生活が苦しくなる様に合法の範囲でペナルティを与え続ければ、酷い生活をしたくないのであれば、死にたくないのであれば、その発言がされた時には周囲との合意の元に認識が共有されている言葉が与える意味ではなく相手が押し付ける都合の良い意味に従うしかないとやがて思うかも知れず、そうなれば公然と強制が出来、そしてもしその相手の言葉の裏に乗せられた意味に従い、何かの問題が生じたとしても、発言をした側は「なぜしたんだ?するなと言っただろう?」と発言して自身は無実だと主張出来ます。そして脅して従わせているのでそれを告発したり批判される事はほとんどなく、自身に都合の悪い事は他者に押し付ける事が出来ます。」
エールトヘンは締めくくる。
「問題が発生してすぐに解決しなければならないものはその対処方法も急いでいたりするのであわただしい対処方法を行う事が多く、行動も分かりやすいものになります。しかしその問題がすぐに解決出来ないのであれば、私達は日常生活をしていく必要があるので、緊急時の対応ばかりをしていられません。常に走り続ける事が出来ない様に、常にリソースを優先的に回し続ける事が出来ないのであれば、走らずに落ち着いて歩いていく様に、日常生活をしながら着実に目標を達成する方法をする事になります。そうなるとその表面上の行動は問題が発生していなかった時とほとんど変わりない可能性があり、その行動には違いがほとんどなく、見分ける事が出来るだけの認識能力がなければ、さも問題が起こっていないかのように錯覚してしまうでしょう。お嬢様は貴族です。民衆の中にはいまだ性質が改善されず、また、かつてお互いにしない様にルールの根拠を認識しあい暗黙のルールを定め、管理コストの増大を避けるために明文化しても法的拘束をしないルールを用意しても、知性が低い為にその根拠が理解出来ず、そして忘れてまた同じ過ちを繰り返す者が現れます。その繰り返しの中で民衆を教化して性悪説で語られるべき存在から性善説で語られるべき存在へと改善していく必要があります。そうしなければ、現在の行動がどれだけの概念を用いて定義されているかを知ろうとせず、見た目の行動だけを真似れば無条件に社会の中の取り決め事に適合すると錯覚して行動出来る様になってしまい、社会はまた一つ過去に存在した劣化した状態へと戻る事になるでしょう。その為には行われている行動がどの様な状態でどの様な結果を社会に対して生み出すのかをより正確に把握出来る様に知性を高める必要があります。それにはまずお嬢様が行動にはどういった概念が付随しているのかを知り行動する事で達成する行為のどの要素がどういった状態へと変化するのか認識出来る必要があります。その為にも、さぁ、頑張りましょう。」