015 フレデク侯爵のささやかな願い
ボルジャイ・フォン・フレデク侯爵は悩んでいた。
自室を歩き回り思案するその姿は熊を思わせた。
(なぜ今ごろになってあのアーデルハイドの小倅はこんな真似を)
彼にはささやかな計画があり、それを邪魔する他の貴族が許せないのだ。
そう、ほんのささやかな計画。
第3王子サリュの婚約者に自身の娘を選ばせる。
王家が女子を作らないための苦肉の策でもあった。
王妃の第3子懐妊を聞きつけ多少の博打もありかと子供を作ったが見事に嵌まった。
それは良かったのだ。
まだ発表はないが生まれたのは男子だそうで、自身の子は娘だった。
同年の娘であるから会う機会も多く、それだけ機会に恵まれるだろう。
だがそこに邪魔が入った。
アーデルハイド子爵の子もまた娘だそうだ。
あの家は子爵家ながらも裕福で爵位では劣ってもその実績から婚約者に選ばれてもおかしくない。
他家の娘共々、彼にとっては邪魔でしかないが、王家が現在あえて婚姻を結んで利益と呼べる利益を出しそうな家となると数家であり、その一つがアーデルハイド家だった。
すでに血のつながりのある公爵家などより、かなり血が遠くなった家との新たなる結び付きは王家にとっては確固たる権力基盤を作る上で重要だった。
そこに食い込もうとしたフレデク侯爵の家にはまだ王家の血が入った事がない。
伝統ある家からすればまだ新参者であり、何度も煮え湯を飲まされてきた。
まだ早い、あの時の事も知らんのか、と何度嫌味を言われたか。
だが王家の血さえ手に入れてしまえばそんな言葉も聞こえなくなる。
我が孫に王家の血を。
それが彼のささやかな願いだった。
フレデク侯爵家の興りは単純明快だった。
ズールドア帝国との領地争いの激化により辺境に兵を差し向けた時に、突如として襲いかかった魔物の群れにトードルド伯爵領は蹂躙される事になった。
兵の大半をズールドア帝国との戦いに派遣した領地を襲う魔物の群れは領都すら破壊し、伯爵家のほとんどを殺し尽くした。
そして前線でその悲報を聞いたトードルド軍は慌てて引返すもその途中でズールドア軍の強襲に会い壊滅し、伯爵も行方不明になった。
領を統治する貴族がいなくなった領地の利権争いは苛烈を極めるが、その財力と従える私兵の数によりフレデク家が制した。
大商人であったフレデク家は私財を投じて領の復興を助け、男爵位を得た後も、王家への多額の寄付と政治活動により今や侯爵へと成り上がった。
その強引な政治手腕と私兵を使った暴力で旧トードルド伯爵領とその周辺で手に入れられる土地を手に入れた結果、侯爵と名乗る事が許される程の領土を持つ事が出来たフレデク家は'東部の蛇'と陰では呼ばれている。
王国は近年、ズールドア帝国との争いに注力しており、余力を他所に回せないがためにフレデク家を放置する事になり、フレデク家はその状勢を利用して成り上がる事が出来た。
軍事費を捻出する際に多額の寄付を行うフレデク家に、今は多少なりとも目を瞑っておく、というのが周囲の捉え方になっている。
そのフレデク家が望むものは王家の血。
商人から成り上がり、数代を擦り減らして侯爵へと成った今ならそれも手が届く所にある。
ボルジャイは手が届く所にありながらも決して触れる事が出来なかったそれを渇望し苛立ちを感じていた。
フレデク家がある東部とアーデルハイド家がある西部という地域としての距離。
商人を使っての交易ルートの閉鎖も西部独自の交易ルートで回避され対して効果がない。
小麦、塩、芋類などの主要な食糧の交易においてアーデルハイド子爵領へと向かう商人の流れを妨害し、他領を優先する事で差を作り力を削ぐのだが、距離がありすぎて効果がないばかりか、西部は西部で独自のルートを持っているからフレデク家の権力が効きにくい。
むしろ意趣返しに西部のゼクスヘリアやガッファールとの交易ルートを阻害されるために西部独特の産物や薬草、そして工芸品の流通が東部においてフレデク領のみ難しくなる事で子飼いの商人から不満が出る始末である。
王国の東はズールドア帝国のため、停戦がなされない限りはまともな交易品など入ってくるはずもなく、西部へ流通させているめぼしい物もない。
南東のマヴァールからの香辛料などは東部を抜けるルート以外もあるので西部にとっては何の問題もないのが頭痛の種となる。
東部であれば主要な食糧の流通を締め上げれば数年もあれば泣きついて来たものだが。
旧トードルド領は一度荒廃した領土。
荒れた土地からの復興は時間がかかり、東部辺境に駐留する軍の糧秣も莫大な負担となる。
自領での食糧自給も出来ぬ貴族など簡単に操れる。荷が盗賊に襲われれば領内に届かない。そしてルートが荒れれば当然護衛も増やす事になり、それは価格へと直結する。
後は煽ってやればよいだけだ。
商人はその領を避けて通ろうとし、その領主は自領を通過してもらうために商人への税を下げるか荷を高く買い取る事になる。
するとどうだ。数年もあれば貯蓄を切り崩してこちらの要求を飲む。
こちらは他領を攻撃などしていない。
あくまでその領に向かう商隊だけが不幸な出来事に頻繁に会う、ただそれだけだ。
西部の商人に賄賂を掴ませても効果が薄い。
領主に睨まれた商人はその領で商売は出来なくなる。
但し、大商人は別だ。小さな領の領主などそれ程恐れる事もない。
領主の強権の発動がなければ普段は強気に押せるのだ。
何かあれば領主は泣きついて来る。
飢饉で不足した食糧の調達や盗賊の襲撃で被害した村の復興資金。
多くの商人を従えるフレデク家が裏から手を回してやれば簡単に配下に入る。
しかし、この距離では同じ手があまり効果がない。
フレデク家の権力が届きにくい西部の商人は賄賂を受け取らない。
受け取るのは小さい商会などの貴族の御用聞きをしていない連中でたいした影響力もない。
食糧の流通を押さえて圧力をかけようにもほとんど効果がない。
何かつけ込む隙が出来なければこちらの資金が湯水のように消費されるだけになる。
まず示威行為としてあの子爵家を屈服させてから他の婚約者候補になり得る女子を持つ家と交渉しようとした事が不味い結果になった、とボルジャイは思うも目的の為に引くわけにもいかない。
だがこうも思う。まだこのレースは始まったばかりだと。
10年はあるのだ。
気長に待てば何かが起こり隙が出来るだろう。
場合によれば娘が事故で死ぬかも知れない。死ななくても婚約者候補にならなければよい。
そう、簡単な事だ。
ボルジャイ・フォン・フレデクのささやかな願いを叶えるための野望はまだ始まったばかりである。