S145 おかし(菓子・瑕疵)の家
似たような後半になっているので後半はスルーでもどうぞ。
ヘンゼルはこの材料を持って行ってくれと言われて従っている最中にふと気づいた。これ、いくつかちょろまかしてもバレないんじゃね?と。
こういった量で取引している物はある程度の差は許されるらしい。送る側は不良品があったりして数が足りないかも知れないから少し多めに入れて送り出す。受け取る側は不良品があると思って少し多めに発注する。足りる足りないなどで言い争いになるだけお互いに無駄であり今後の付き合いに悪影響しか出ないのだからお互いに折り合いが出来る様に余裕を見て取引する。必要な量に対して供給される側は不良率を見て発注し、供給する側は不良率を見越して供給する。実際に発生した不良品による影響分は次回の取引に含めるか臨時で対応する事で円滑な運営を実現する。その際に、運搬というものはその境に位置し、丁度どちらの監視の目からも免れていると言える。なら、ちょろまかしてもバレやしない。
グレーテルは瓶詰作業で瓶にジュースを詰めている時にふと気づいた。これ、ちょろまかせるんじゃね?と。瓶に詰めたジュースを毎回売っていても余程チェックを厳しくしていないのなら多少の量が足りなくたって誤差として扱われる。ならバレない程度にほんの少しだけ少なく入れれば余った分はグレーテルのものにしても気づかれやしない。それにだ。いつもその量で売っていると客が思えば客からクレームなんて出やしないのだ。なら、ちょろまかしてもバレやしない。
ヘンゼルは気が付いた。この書類を申請する際に必要な条件の一つが先日出来た道具を使えば簡単に済むと。気づかれては事だ。気づかれない内に申請して受理されれば楽に許可が下りる。気づかれるまでにどれだけ出来るかがキーだ。急げオレ。今こそ稼ぎ時だ。
グレーテルは気が付いた。特別生活援助金の申請で資格者の証明が居るのだが、遠くの親戚に資格者が居て多少の土産物を持っていけば名義を貸してくれるだろうと。書類上では資格者がどの地域に居ても構わない様だから条件が変わらない内に早く申請してしまおう。土産なんてたいした額じゃない。それと親戚の善し見で生活が楽になるのだ。今こそ急げ。
ヘンゼルはふと思いついた。上からの指示を伝えないか遅らせれば、先に動いて利益が得られんじゃないかと。
グレーテルはふと思いついた。皆で決めた話を上司に伝えなければ今のグレーテルに都合の良い状況を引き延ばせるんじゃないかと。皆には伝えたと言っておいて上司には何も伝えない。皆に気づかれたら「忙しくて忘れてた」とでも言えば誤魔化せるだろうし、その期間が長ければ長い程良い。皆に気づかれそうになったら上司に話せば良いのだ。なら皆が上司に聞いた時に上司も「話は聞いた。」なんて答えるだろうから最初から疑ってかからない限り「いつ」なんて聞きはしない。
ヘンゼルは気が付いた。対外的な話し合いで決めた後に話の要点だけを皆に話せばそれ以外の部分はどうにでも誤魔化せると。不利な条件で交渉が終えても良い部分だけ伝えればあたかも成功したかの様に喜んでくれるのだ。その結果が分かる奴なんて極少数。そもそも専門的な話が分かる奴が少ない。なら分かる奴と利害で一致する様にして同意さえ得ておけば気づかれる事なんてないんだ。そのまま数年でも経てば皆忘れるし原因なんてどこにあったか分からない様になる。
グレーテルは気が付いた。ヘンゼルとは仲良く出来ると。ヘンゼルから幾ばくかの慰労金を貰って皆の相手をすればお互いにwin-winの関係になれるのだ。利点を強調して良く見せればそれだけで謝礼が貰え、そして実際の結果の責任は取らなくて良い。これほどリスクが少なく利益が大きいものはない。元手は口先だけ。誰が断るというのだろう。環境を整え材料を揃えて更にアイデアを出してなんてそんなリスクの高い事などせずに簡単に利益が手に入るのだ。しない奴はバカだ。
ヘンゼルとグレーテルは気が付いた。ルールを好きな様に変える事が出来れば楽出来るんじゃね?と。過去の事例から対処を真似て、しかしその時に行われた利益を出す方法を誰よりも先んじて行えば簡単に勝てる。だから利益が最も得やすい方法を過去の事例から対処方法として真似れば良く、こんな方法を思いつける俺達は頭が良い。なぜなら過去に同じことをやれた奴なんて一握りだろうから。そんな俺たちだからこそ巧くやり繰りして現状が維持出来ているんだ。やはり俺たちは優秀だ。
「というような事は起きるのじゃろうか?」
「なるほど。かつて自らにより良い環境を与えてくれた者達のルールを守っていた者も、その環境が与える快適さから世の中を見て学ぶ事を怠りルールがなぜそうなっていたかを忘れその忘れた部分に自身の考えが介入する余地が生じると言う事ですね?」
「概ねそう。」
「厳しいルール若しくは厳しい環境が行動を制限している限り、善人も悪人も同じ行動を取り、そこに不正行為と呼ばれるだけのものは発生しにくくなります。もしルールを破って不正行為をすれば何か取返しのつかない事態に陥るかも知れない、自身が重い怪我や損失を受けるかも知れない、或いは周囲の仲間が同じ様に怪我や損失を受けそこから不和へとつながり争いになるかも知れない、などのなぜそう定義されているかが分からないルールを破る事でどういった悪影響が生じるかを正確に知る事が出来ない為に、恐れからルールから外れた行動を取らず、取らない事で平穏な日常を過ごした実績からあえてルールを破って行動しない習慣が出来上がります。しかし、環境が整えられ簡単に命の危機に直面するなどのリスクが生じない様になるとそれだけルールを破った場合に起こり得る問題をイメージ出来なくなり軽視しがちになります。また、私達は何百何千と日常生活の中で繰り返す内に様々な状況の組み合わせに遭遇し、その状況に対してルールを実行しながら自身の考えを付け足す事でより利益を得る事が出来たり、ルールを破っても罰を受ける事のない行動を見つける事があります。
ルールを守り罰を受けず目的も果たせる。確かに何の問題もない様に思えますが、その行為を行う者の知性が高くなければ実際に問題を起こしていても気づけないままに行動している事になります。その行為を行う者の環境に対する思考の規模が自身の属する社会全体に及んでいなければ、なぜルールがそう決まっているかを正確に知る事が出来ません。そうすると自身から見た世界にある情報でルールがなぜそう定義されているかを考えた際に自身の知る情報でルールを理解しようとします。より大まかな部分から言えば、パパやママがそう言っていたから、皆がそう言っているから、社会のルールだから、法律で決まっているから、という様に、より知性が未熟な、言い換えれば子供の様な考え方から始まり、そこに知性を高めた事で得られる情報によりかつて誰かがルールを定義した際に考慮したはずの条件を知り、根拠を補強しながらかつての未熟な知性で用いていた根拠を入れ替えていきます。それは大まかなルールの根拠からより精密な根拠へと移行する事でもあり、知性の高さにより到達出来る精度が変わり、しかし実際に行動して悪いレスポンスが返って来ず何の悪影響も受けない状況であれば、知性の高さにかかわらず誰もが"成功"したと思い込めます。そしてルールやモラルの根拠というのはかつて能力があった者が争いを失くすにはどうすれば良いかを熟考した末に出したものです。考案した者と同じ能力を持たなくてもルールを守っていれば、ルールで構成される社会概念というシステムを壊さずに運用出来る様に作られ、そこにはいずれ同じだけの知性を持ち自身の能力で同じだけのシステムを構築出来る様になってもらうという意思が込められています。その能力のある者という存在もまた、能力の低い状態から経験や知識を積み重ねて能力があると言われる状態に至ります。システムを考えた者はそのシステムの中で生活する者にやがて自身と同じ能力を持っている状態にまで到達する事を期待します。もしそこに到達しないのであれば、厳格にルールを守る義務を与えて、その者の欲望でシステムを壊さない様に対策します。
しかし時間が経過し、システムを考えた者も居なくなり、忘れる事で根拠を失い、そして与えられた環境が以前ほど劣悪ではない為に、あえて知性を成長させる理由が見当たらず、積極的に機会を得ようとしなければ成長させるきっかけも見つけられず、能力はかつてそのシステムを構築した者達に及ばず、そして及ばなくてもルールさえ守っていれば何の問題も無く生活出来る為にそれ以上を求めない様になり、能力が足りないながらもルールの根拠を知ろうとしていた性質すら退化させ、ただ"ルールとして決まっているから"守るという状態にまで劣化します。普段から少しのルールの逸脱をしても他の機会に補填したり、そもそも逸脱したまま放置しても何の悪影響もレスポンスとして返って来ない為に、ルールの定義が見たままの結果だけを手に入れる為のものと錯覚し、自らの属する集団によって作られる環境で何の問題が無ければルール違反をしていないと思う様になります。そうなるとルールの根拠部分の中で守られるのはすぐにレスポンスが返ってくるものだけになり、更に強引にねじ伏せる事で多少のルール違反も肯定出来ると思う様になり、行動はより短絡的になっていきます。そうした中で、ルールを守りながら行動する際にふと考えを過らせる事があります。その考えとは自身が経験した結果として現在の状況からどういった結果が得られるかを推測する考えになり、そこには本人の性質ともいえるレスポンスの受け取り方が経験に付加されて影響を与えます。同じ経験をしても見ている部分の違いがその経験を次にどう活かすかの違いを生み出し、誰かにとっては失敗した結果があれば同じ過ちを繰り返さない様に意思を新たに持ち直すという考えに至る場合もあり、別の誰かにとってはああやって失敗すれば成功せずとも許されるのかなどという考えに至る場合もあります。
そういった違いにおいて、ルール通りに行動する時にルールを守りながら更に利益が得られる可能性を閃く時があります。しかしそれを熟考して結論付ける者というのは知性が高い者になり、大抵は自身の知っている情報だけを扱う程度に知性が低いからルール通りに行動しかつ更に利益が得られる方法があると錯覚してしまう事がほとんどです。そしてその考えを元に行動した結果というのは社会概念が高度な程に遅延がかかり後から影響を与えます。その行動1つだけであれば誤差としてやがて社会が用意している余裕に吸収されるかも知れません。しかしそうしてレスポンスに悪影響が生じず多くの利益が得られると思った者は同じ行動を繰り返し、その周囲の者も真似してほんの僅かな微差だとしてもグローバルデメリットにより大きな差として発生する様になり、その問題が表面化する頃には多くの負の蓄積が成されている状態になります。誰が始めたのかと明確に追求出来ず、かと言って全員がしたかと言えばそうではなく、裁かないなら悪事を働いた者が有利になり、しかしこういった者はルールとして明文化出来ない部分を用いて行われるので罰する為の証拠がなく罰する事なく対処して終わる事になり、その結果として罰せられる事無く利益を得られた者はそれを成功体験として受け入れ、1つは対策がされて使えなくなったが、他に同じ様な方法はないのかと模索する様になり、社会を潰し始めます。
社会というのは刑務所の様に誰かが監視管理をしてくれるものではなく、自身が自身に与えられた役割を自制して行動する事が前提になっています。それが出来ない者を、これも差別などと言われる事もありますが"奴隷"として扱う事で制限を与えて社会に悪影響を与える事なく参加させる方法が行われる事になります。勿論ここでは奴隷と言いましたが、より正確には身分制度における下位の立場の者です。下位に属する者は知性が低くとも社会に参加でき、或いは参加するしかない状況において、知性を成長させなくとも良い反面、足りない知性では間違う可能性が高い行為が出来ない様に制限されます。しかし管理されている側というのは管理する側が汗水流さず生活している状況に対して自らは汗水流して生活している事実に不満を持ちやすく、そして自らの行動で問題無く日々の糧が得られている事実も重なり、不当に搾取されているという考えを持つ事があります。勿論、もっともらしい理由をつけて実際に搾取している事実もあるでしょう。しかし本人の知性の低さと好ましい受け取り方をしたいという快感原則に則った選択により、実際に搾取と呼べるだけの状況がなくとも自身がより良い環境を手に入れる為に自身に都合の良い解釈をしてしまう可能性が出てきます。そうすると考え方は、かつて居た能力の高い誰かがルールを定義した為に知性の低い自身に分からない根拠があるから現状のルールになっていて自身が搾取されているとも感じられるものにも自身の生活の安定の為に必要な何かが付随しているのだと言う考え方から、単にルールを悪用して不当に搾取しているだけだと言う考え方へと移行します。そうなれば自身から見て不当に搾取する者への抵抗を行い始め、相手がルールを守らないのだから自身も自衛の為にルールを守らないという主張をし始めて、誰もルールを破っていない状況でルールを破り始めます。
勿論、ここでも下位の者の知性の低さを悪用して、かつて居た能力の高い誰かがルールを定義した為に知性の低い自身に分からない根拠があるから現状のルールになっていて自身が搾取されているとも感じられるものにも自身の生活の安定の為に必要な何かが付随しているのだと言う考え方をしているから多少の利己益を混ぜても気づかれる事は無いと考えて悪事を働く者も居ますがここでは割愛します。
これらの行動に至る考えは、ルールを守らないなら結果としてどういった状況になるのかというイメージを持てないから生じ、かつては実際に体験したからルールを守る重要性を知る事が出来たが、ルールが守られる様になるとルールを守らなければどうなるかという体験を得られなくなった為に、見たままの状況さえ成立してしまえば何の問題もないと考える様になる事から始まります。そのような考え方になると既存のルールは見たままの状況を作り出す為だけに存在すると考える様になり、厳密に行動する必要がなくなり、自由度が増しアレンジ出来る様になります。そうしてその新たに付加或いは変更した方法というものがより多くの利益を生み出す方法へと変えられますが、その状況を作っている個人や集団よりも大きな規模を維持する為に必要な条件を満たさなくなり行動している者達が気づけないままに自らの属する社会を潰していってしまいます。」
エールトヘンは締めくくる。
「知性がよほど高くなければ高度な社会のルールなどは正確に理解出来ません。それでも社会の中で生活させる為に盲目的とも言って良いやり方でルールに従わせますが、その結果として生じる利益を見たままの形を真似れば得られると錯覚して行動する様になった者は厳密なルールなど無くとも問題ないと思う様になります。その段階に至った者に高い知性がなければ、ルールの根拠やより大きな集団を維持する為に必要なルールなどを知ろうとしないままに自身から見た世界だけの情報で判断しようとしてしまいます。そうやってアレンジを加えたローカライゼーションが生まれ、大した悪影響もないままに残ったのであれば成功と言えますが、ほとんどは残らず、その様なチャレンジアンドレスポンスであえてリスクを背負ってまでする事かどうかが問題になり争いを起こします。その様な事態を避けるためにも知性を成長させる必要があります。チャレンジアンドレスポンスというものはどの様な時も、実際にはまずそれで問題ないかを考えた末に取返しのつかない事態にならないという前提が成立出来、元に戻せる想定で行われるものです。そうでなければそれはあえてチャレンジアンドレスポンスなどと呼ぶものではなく単なる行き当たりばったりや無計画や刹那主義と呼ばれるものにしかなりません。しかし自身に都合の良いものだけを見て行動するものはそういったものをチャレンジアンドレスポンスなどと呼び、自身を騙して錯覚させます。その様な性質を持たない為にも自制は必要とされ、自身に自制が出来ているかを判断する為にも判断基準になる情報は必要とされ、その情報を得るためにはより高い知性が必要になり、ここに元々の在り方が問われる状態になります。普段から物事を知ろうとする性質を身に付ける為にも、さぁ、頑張りましょう。」
今回の話の後半はいままで書いてきたのと似たり寄ったり。これまでの話を読んで理解していれば応用して解釈できるようなものです。慣れないうちはうまく出来ないかも知れませんが慣れるとそれほど難しくありません。ただし、その場合の問題点は、より何も考えない者程行動が早くなり、考える者程行動が遅くなると言う事です。あまり難しく考えずに行動する場合の対処も考えておくべきでしょう。まずざっくりと大まかに取返しのつかない事態にならないか、大きな見落としがないかと考えて、そこで行動するか更に追求するかという様に精度を高める方法を確立しておいた方が良いでしょう。悪人は時間を急かして焦らせて失敗させようとしますので。
どこに書こうかと思いましたがここに書いておくことにします。
-->個人意訳 ヘンゼルとグレーテル
社会が不況の中、ヘンゼルとグレーテルという兄妹が暮らしていた。生活は貧しく何とか暮らせていたのだが、社会の不況は深刻になる一方でついに犯罪に手を染めないとやっていけない様になった。生きるために汚い事もやってのけた2人だがいつかまた真っ当な生活に戻るという考えを捨てず、出来る限り犯罪しないで良い方法を模索してやがて何とか元の生活が出来るまでになりました。
しかしです。それでもまだ社会は不況が深刻になり、またヘンゼルとグレーテルは犯罪に手を染めないと暮らしていけなくなりました。ヘンゼルとグレーテルは犯罪に手を染めながらも元の生活に戻れる方法を探したが、社会のルールや法律は捻じ曲げられて穴空きにされそこにたかる連中が台無しにしてしまっており、以前と同じ様にはいかず、元の生活に戻れないまま暮らしていました。
するとヘンゼルたちより悪い悪人に目を付けられ利用される様になりました。グレーテルはヘンゼルを騙して利益を奪い食い物にするかの様な犯罪に加担させられ嘆きました。何とか誤魔化してヘンゼルが搾取されすぎて死なない様にグレーテルは頑張りましたが、計画通りにいかない悪人達は多少の目減りは仕方ないと割り切ってさっさとヘンゼルから奪い取れるだけの利益を奪ってしまおうと考えグレーテルにヘンゼルを殺す手伝いをしろと言いました。グレーテルは悪人に逆らえないから仕方ないと嘆きながら行動しているとどうやら悪人はグレーテルも殺して奪い取れるだけ奪い取るつもりで居る事に気づきました。そこでグレーテルは悪人がヘンゼルを殺すために用意した罠に悪人を放り込み殺してしまいました。そうして悪人は居なくなり、ヘンゼルとグレーテルは助かりました。悪人が居なくなった後に、悪人が悪事を行って稼いでいた財産が残っていたのでその財産で新たな生活をする事にしました。
<--個人意訳 ヘンゼルとグレーテル
こういった話を抽象概念が理解しづらい、知性の未熟な者、例えば子供に分かりやすく教えるためにああやって書かれる、というのが童話です。ここでの解釈はあくまで私個人によるものですのでそこは理解しておいてください。他の解釈の仕方も個人的にしますが、その中でこう言った解釈はそうはしないと思われるものを一例にしました。
ヘンゼルとグレーテル->民衆のモデル
母ー>潰れかけの社会。環境
父ー>主義思想などの社会概念
家ー>社会。集団。
魔女の家ー>悪事が常習化した社会、集団。
鳩ー>頭が空っぽな民衆の比喩。どんな話でも良く使われます。それを行った結果どうなるか考えることが出来なずに安易に実行する者の例えになります。
「最後に母が病で無くなる」->社会が一度潰れる。