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S144 ミステタナ

不快な話です。読む際には注意してください。

後半も無駄にコムツカシイです。


グレッグはヘマをしてしまった。調子に乗って敵へ斬り込んだが、気が付いてみればいつの間にか味方は押されてかなり後ろに退いていて、グレッグだけが取り残されていた。いくらグレッグでも多勢に無勢、周りを取り囲まれてはさすがに背中に目はついていないし腕も後ろに回らないので孤軍奮闘しても敵わなかった。打ちのめしに打ちのめしたが、疲労には勝てずよろめいた所を一斉に飛び掛かられ押し倒され捕縛された。

そうしてグレッグは牢に入れられ、いつ処刑されるか分からない状況になった。いつ殺されても悔いはないとグレッグが思っていると牢から連れ出され、大きな板の上に張り付けられた。

グレッグは変わった処刑方法だなと思いつつもこれが戦士への扱いかと憤慨しながら大人しく運ばれていると、どうやら戦いに向かう前だった様で周りは準備に忙しそうにしていた。どうやら戦闘前に戦意高揚する為の見せしめに石投げでもされるのかとグレッグは覚悟を決めたが、多少槍で小突かれるだけだった。

やがて行軍を開始した部隊に付き従う形で運ばれていき、着いた場所は以前にグレッグが戦った場所の近くだった。良く見ればかなり離れた向こう側に相手側の集団が居るのが見え、掲げている旗を見ればグレッグの居た軍なのが分かった。

そして互いに攻撃が届く距離になったところで、グレッグは板に張り付けられたまま最前線に押し出された。何の目的かと思っているとどうやら肉壁扱いの様だった。グレッグに矢が当たらない様に射つのは難しいので相手が躊躇すればそれだけ有利になると考えたらしかった。

グレッグを前に出した後に口上が始まった。


「お前たちはいずれこうなるのだ。その前に降参したらどうだ!」


グレッグを槍で小突きながらそんな口上を言った戦士への返答は矢だった。グレッグを狙って矢は降り注ぎほとんどは板に刺さったがグレッグの腕や足にも刺さった。グレッグは邪魔と思われたのか後ろに下げられ、痛みに呻きながらも遠くに喧噪を聞いていると、男がやってきてニヤニヤ笑いながらグレッグを煽り出した。


「ハハァ!見捨てられたな!お前は国の為に戦ったのになぁ!いやぁ!お前は国の為に戦ったのになぁ!クヤシイナァ!」


そう言いながら殴りつけてきた男をグレッグは睨み付けるが腕や足に刺さった矢の痛みで呻く事しか出来ない。そんなグレッグを面白そうに見て詰りながらも怪我の手当てをし出す男。グレッグは何の冗談だと思いながらも痛みが和らいだので黙ったまま男を睨みつけるが男はそんなグレッグを気にせず去っていった。


それからというもの、牢に再び戻されたグレッグをけなし詰り煽り貶めながら笑いものにする日々が続いた。


「仲間に見捨てられた可哀想な奴!」


「国の為に命を懸けたのになぁ!なのにこんなところで殴られてるんだよなぁ?不思議だなぁ?今頃連中は良い女抱いて気持ち良くなってるぜぇ?」


「連中がぬくぬくして良いもの食ってるのに、お前は家畜のエサだ。どうだ?美味いか?それが国の為に戦った褒美だ。」


「ほぉら。お前がここで寒さに凍えていてもだ。誰もお前を助けに来ないんだぜ?お前がどれだけ国の為に尽くしたかって事なんてあいつらには知ったことじゃない。一人バカを見たなぁ!」


「ほら?どうした?今の気分を言ってもみろよ?悔しいか?悔しいだろうなぁ!」


グレッグは毎日毎日敵の気分次第でいい様に殴られ碌なものも与えられず、何度も詰られ最悪な気分を味わった。寒さに凍え、不味い飯を食い、傷の痛みに呻きながらグレッグは耐えていたのだが、どんな時もあの時の映像が常にグレッグの頭に過っていた。


あの、グレッグが居ても構わず降り注ぐ矢とその恐怖、そして刺さる痛み。


日々、頭に過るその映像がグレッグの心を徐々に蝕んでいた。俺はこんなところで苦しんでいるのにあいつらは良い女を抱いて旨いものを食っている。なぜだ。俺ほど勇敢に戦った奴は居ないのに。そのオレがここでクルシンデイルノニ。なぜだ、ナゼダ、なぜアイツラはワラッテイル・・・。ワカラナイ、ワカラナイ、ワカラナイ。


ナゼオレダケクルシンデイルンダ。



モーリス達はグレッグが無事に死んだ事を祈る。少し前の戦闘でグレッグが取り残され生死不明になっていた。モーリスもグレッグはさすがに死んだかと思っていたところに、敵に捕まり板に張り付けられ晒し者にされるグレッグの姿をモーリス達は見た。遠目からは良くわからないが粗末な服を着て髪もボサボサ、槍の石突きで小突かれている姿は何とも痛々しかった。

あいつらはグレッグをどうしたいのかモーリス達には判断がつかなかった。身代金を要求したいのかとそれとも見せしめか。どうであれ良くない事だけは確かだった。相手の出方を窺っていると相手の戦士がこう言った。


「お前たちはいずれこうなるのだ。その前に降参したらどうだ!」


どうやら見せしめにするらしい。このまま放置すればグレッグは抵抗出来ないままに嬲り殺しにされるだろう。今から救援に向かうなど不可能だ。そんな軽率な行動を取れば皆が同じ様にやられてしまう。だからモーリスに出来る事は、いやモーリス達に出来る事はなるべく安らかにグレッグに死んで貰う事だけだった。そう判断したモーリスは仲間に指示を出しグレッグが楽に死ねる様に矢を浴びせさせた。遠目からはグレッグがどうなったかは分かりづらくすぐに板ごと後ろに下げられたので確実に死んだかどうかは分からない。しかしあれだけの矢が降り注げばさすがに死ねるだろう。そう思いモーリスはせめて後になりグレッグの死体だけでも回収出来ないかと祈るのだった。



グレッグは今、戦場に立っていた。俺が苦しんでいる時に俺の事など気にせずに楽しんでたやつら、俺を見捨てた奴らに、その対価を払わせてやる。そう誓ったグレッグにはかつての面影などない。周りの事などもうどうでも良いのだ。味方だ敵だとそんな事はどうでも良い。ただあいつらに分からせる。見ていろ、お前たちの死神が今からお前達に会いに行く。


そしてグレッグは敵陣へと斬り込んでいった。




「というような事は起きるのじゃろうか?」


「なるほど。起きた出来事に対して意図的に間違った解釈を行う事で錯覚させて他者の判断を間違わせる事が出来ると言うことですね?」


「概ねそう。」


「私達の行う行動を一意に定義出来る事は少なく、完全なシステムを作り上げた場合のみ一意に行為と行動を結び付ける事が出来ますがその様な状況はそのシステムを運用する構成員の質がシステムが要求する基準よりも高くなければ成立できません。法則上可能な方法があったとしても、それを実行出来なければ現実的ではなく私達には運用出来ないシステムになり、強引に運用しようとすれば失敗を重ねる事になりその効果を期待出来なくなります。成功と失敗とは与えられた条件を満たして成果が出るかどうかの判断基準でしかなく、基準を上げれば当然失敗しやすく基準を下げれば成功しやすくなります。だからと言って基準を下げたのならそれだけ同時に成立させる事の出来る条件は減り、成果もそれだけ期待出来ません。或いは同時に成立させる条件に変わりはないにしてもその精度が下がり曖昧さを多く含み成功とは言えても期待した程の成果が出ない場合があります。

そういった中で、私達が状況に追い詰められれば追い詰められる程に取れる選択肢は減りそれでも目的を達成しようとすれば強引な手段に出たり、他の行為と錯覚されてでも目的を果たそうとします。その様な行動が入り混じる私達の生活において、すべてを完全に把握するには他者の心理状態を含めた全てを把握する必要が生じ現実的ではありません。その状況の全てを同時に把握しようとする行為を概念を用いて行おうとする事自体に矛盾があり、時間が止まっている状況の中で観測者が動けるのでなければ状況の全てを一意に決める事は出来ません。状況に含まれる概念の全てを抽出し、整合性を確かめ、そして抽出した概念を構成する要素が状況を含む環境のどの規模まで分析すれば要素の扱いが正しく、考慮しなかった要素や精度の限定が誤差と言える量になるかを一瞬で判断する事はほぼ出来ません。

その為に、一瞬で判断する為に必要な構成される要素を一意で判断出来る様に様式や手続きが決められますが、私達は私達の不完全さにより、私達自身の欲望や不完全さによる不注意からの失敗で、容易く一意に判断出来るシステムの枠組みから逸脱します。ある行動を取ればある行為を一意に判断出来るのであれば、ある状況を見た者はそこにある要素を知るだけで何が行われたかを知る事が出来ます。しかし、私達は相手を騙す事で不正に利益を得る事を知ってしまい、そして不正に利益を得る事が出来れば正規の方法よりも簡単に楽に多くの利益を得る事を知ってしまい、その旨味が忘れられずに同じ過ちを繰り返してしまいます。

そしてその不正行為は罰せられたくない為に間違った工夫が努力の結果として成果し、正規の方法と区別が付きにくいか監視の目を免れて行うかのいずれかになり、正規の方法と区別が付きにくいものをそれが行われた状況を見るだけでは判別出来ず、それ以前に遡り因果律を辿る事で、行為を一意に特定する事になります。

しかし私達の不完全さから全ての情報を明確に知る事が出来ず、限定された情報から事実を推測する事になります。つまり、私達は物事を判断する時には常に間違う可能性が存在します。

以前に言いましたがある臓器摘出手術が行われた状況を見てそれが一意に臓器摘出手術だと認める事が出来るかと言えばそうではありません。その実施者が例え医師資格を持っていても、私情で行われたものであるかも知れず、また、手術に見せかけた殺人かも知れません。また、それが正規の臓器摘出手術かどうかも疑わしく、臓器売買の為の手術かどうかはその状況だけでは判断出来ません。そして私達の心理状態や動機は目に見えず、他者からは他者の知る情報で動機を判断するしかない状況になります。

その際にある状況があったとして、その状況を判断する際に他者に間違った解釈を教え錯覚させて騙す方法が行われる事があります。私達が行う行動というのはそれを行った本人から見れば特定の行為から生じた表現になります。食事をしようと思えば食べ物を口に運び咀嚼して嚥下します。しかしそれはその行動を行おうとした本人だからこそ間違いなくそうと言えるのであってそれを見た他者からすれば自身の持つ情報でおよそそうだろうと判断する事になり、確実とは言えません。勿論食べるという行為の表現としての行動は分かりやすくほぼ間違いはないと言えるでしょう。しかし幼児に見られる様に、それが何かを確かめるための表現として口に入れるという行動を取るなど、状況が変われば一意にそうだとは言えなくなります。

そういった特定の状況を除いても私達はまだ行動を見て一意に行為を特定する事が出来ません。世界の中にある行動が複雑に絡まりあい、どういった動機で行われたかを把握する事が難しく、知り得た情報のみで判断するしかない為に真実と事実に違いが生じたり、ある行動から一意に行為を特定出来ない場合が生じます。社会が高度になるにつれ組み合わせは増し、新たな技術や新たな知識が増えればそれ以前には考えられなかった方法が実行され、その判別が要求される事になります。

例えば、手術というものを認めた社会があるとします。患者と医者が居て知人だとします。医者は患者が嫌いで早く死んでくれれば良いと思っていたとして、丁度患者は病気を患っており臓器摘出手術が必要かどうかのグレーゾーンに居たとします。その状況において医者はもしかすると正常な判断では手術が必要だと判断されない場合でも手術が必要だと判断するかも知れません。病気を患い体力が低下した状態で手術を行えば更に体力が低下して最悪は病気に勝てなくなり死に至るかも知れないからです。その際に問題になるのは手術が必要だったかどうかの判断が出来る第三者に判断材料を見られる事です。それさえクリアしてしまえば手術の要否に問題があったかを知られる事無く手術を行え、その際にも自身には何等かの罰が与えられない程度に稚拙な行動をすればより欲しい結果につながります。この時の動機を見れば分かる様に、手術をしてより健康な状態に戻そうとしているのではなく、手術をしてより悪化させようとしていますが、それを判断出来る情報が無ければあたかもその二つの動機から生じた行動は同じに見えてしまいます。


この様に足りない情報から推測する際に間違った判断をしてしまい、真実を知る事が出来ない場合があります。その足りない情報というものがある情報の有無だけではなくその量も関係する場合があります。簡単なものでは論点ずらしと言える方法です。私達が行動から行為を一意に識別出来ない為におよそそうだろうという判断を行う事になり、その判断を行う際にいくつかの候補を上げ、適切なものを選びます。その判断において判断に使用した要素があり、それぞれに重み付けがされて優先順位が決められます。先ほどの手術の話では、真実を知らずに判断したなら、患者をより健康な状態にしようとしたという情報が第一に挙げられるでしょうが、真実を知っているなら手術をする事で患者の体力を低下させて病気をより悪化させようとしたという情報が第一に挙げられるでしょう。この時、後者の要素が動機であるものをあたかも前者の様に見せかけて追求を免れようとしていると言えます。この様な関連する要素の重要度をあえて間違えて解釈してそれがさも正しいかの様に主張する事を論点ずらしなどと呼びます。

今回の話の様に、その方法は酷いものとは言え、もっと酷い目に会いそうな仲間を楽にする目的で行動したものも、その行為を知らなければ、そしてその行動にはその様な行為が含まれる事を知らなければ行為者の目的を判別出来ません。その状況で、あたかもそれを知っていたとしても、正しい事実を教える事が望む結果につながらないのであれば、別の要素を主軸にした主張を行い、あたかも行為者の目的がその主張の通りであるかの様に思わせる事が出来る可能性があります。この話では、捕らわれた者が拷問に会うなどして酷く苦しむ事なく死ねる様に仲間の手で死なそうとしています。しかし、その目的を知らない者がその行動を見て、更に周囲が間違った解釈をさもそれが正しいかの様に錯覚させる主張を行う事で判断を誤らせて、それ以降の判断を変えさせようとしています。行為者の行動は、楽に死なせる目的であったとしても、その行動を見れば他の動機も思いつき、邪魔になったから排除しようとしたなどの解釈も出来ます。ならその行動のどの部分により大きな重み付けするかは個々人の持つ情報による判断に左右され、仲間としての信用が影響を与えていたとしても、見捨てられたと思ってしまった事で仲間としての信用が失くなり、重み付けの仕方が以前と変わる事で以前と違う判断をする結果に辿り着き、より利己的な行為の表現として行動が行われたと判断してしまいます。もし邪魔になったから排除しようとした、用済みだから排除しようとしたなどの判断をしたとすれば、都合の良い時は散々利用して不都合になれば切り捨てたと更に判断する事が出来ます。すると考え方はその判断から拡がり、利用するだけ利用した者が居て利用されて使い捨てられたから苦しむ事になり、使い捨てた者が使い捨てる事で得た利益で楽していると思う様にもなればどんどんと相手に対する評価などに影響を与えていきます。この様にまず猜疑心を持たせ、更に間違った情報を与えて判断を誤らせる方法が存在します。


この様なものの他に日常で良く使われる論点ずらしがあります。ある商品で客観的に見れば欠点を含めて判断する必要があるものであえて欠点を教えず利点だけを教えて判断を間違わせるものがあります。欠点を知っていれば買わない可能性があり、欠点を知らなければ利点だけを見て買う可能性が高いものなら、欠点を教えない事で大きな利益を稼ぐ事が出来ます。その欠点が判明する時には充分時間が経った後や責任を取らなくても良い状況になっている様にして責任回避する方法とも言えます。また、相手の主張の要素で自身に都合の良い部分をあえて強調してあたかもその強調した要素が目的で相手が主張していると思わせようとする方法もあります。

例えば年配の者が若輩の者の行動を諫めようとして忠告をした際に、若輩者が年配者のその行動を『自分より目立つのが気に要らないのだ』などと思う場合があり、年配者の行動はその目的が若輩者の行動を諫める目的であったとしても、結果的に若輩者の行動を制限する事になり、若輩者が年配者より目立つのを抑えている様にも見える部分をあたかも強調して主張する事が出来ます。勿論、その逆もあります。かつて年配者が若輩者の行動を諫めようと忠告した結果として若輩者の行動が制限されて若輩者が年配者より目立つ行動を取らなくなった、という結果を見て、その結果が欲しいからあえて年配者が若輩者の行動を諫めようと忠告しているという行動を装う可能性があります。

その二者を判別しようとするならその状況における要素をより詳細に分析する必要があり、それでも分からなければそれ以前のその者の行動から判別出来る情報を得るしかなく、因果律を辿ってその根拠を探るしかなくなります。

論点ずらしは限定的には良い使われ方があります。ある目的は果たせなかったが副次的な成果で総合的に当初の目的の変わりになる場合に副次的な要素を論点として主張される場合があり、これは相手を騙そうとしているのではない為にまだ許容されます。しかし良くない使い方には、揉め事というのは当事者以外には関心が低くなる為に相手の主張の主要ではない部分を強調して反論しながら周囲を巻き込み相手の主張が求める結果を得させない様に出来る場合があります。

例えば以前に話しましたが、ある女性がとある行動について問い詰められた時に、その状況が不都合だから自身で自身の服を引き裂き悲鳴を上げて、あたかも問い詰めている側が問題行動を起こした様に見える状況を作り出し、元の不都合な状況を変えてしまおうとする場合があります。その際に問い詰める側は元々の主張を行いますが、女性側は話を聞いていたら突然襲い掛かってきたなどと主張する事で不都合な状況から逃れる事が出来ます。勿論、その女性が同じ行動を取った事実があればその方法で不都合な状況を逃れられる可能性は低くなります。

それが犯罪行為であるなら関心は高くなりますが、どちらかの利益が変化する程度であれば第三者には関心が低く論点ずらしを行った結果として、あたかも別の目的で主張していると反論して言い争いになった時に第三者にはどちらであってもほとんど関係なく当事者同士の言い争いだけになり不都合な結果を受け入れなくてよくなる場合があり、それを目的として不都合な結果を受け入れない為に論点ずらしをして責任回避する癖を身に付ける者が現れます。本来なら不都合な結果を受け入れてペナルティなどの不利益を被る可能性があるものが、ほんの少しの主張で"なかった"事に出来ると考える様になると言う事です。自身が主張するだけならコストはほぼ0で、うまくいけば不利益を失くせるので損失分の利益になります。ただしその場合失うものは信用であり、それは成功しても失敗しても支払ったコストとして失われます。」


エールトヘンは締めくくる。


「論点ずらしを行い泥仕合に持ち込み責任逃れしようとする方法は良く行われ、また、本来の目的を隠して論点をずらして主張する事で相手に受け入れ易くして騙して受け入れさせ目的を達成する方法も良く行われます。それを防ぐには相手の主張を分析して情報を得る必要があり、その為には知性が必要です。より多くの情報があれば自身の思考能力が低くとも知り得た情報で判断する事が出来、普段から知ろうとして行動する事が多くの情報を得る機会を生み出します。思考能力が高ければ経験としての知識や手に入れた情報が比較的少なくともそこから情報を補完出来ますが情報が足りなければ足りないほどに限界が早く訪れます。また、多くの情報を集めようとしても行動の限界があり集められる情報にも限界があります。ですので思考能力を高めつつ情報を集める工夫を行いながら生活していく必要があります。そういった知ろうとする性質、つまり知性を高める事が争いを失くす為には必要であり、その為にもさぁ、頑張りましょう。」


というわけで、とある国がなぜ論点ずらしをするかを書いてみました。ただし、この場合は、ただ言い争いの泥仕合では相手の行動を変えさせることが出来ないので、周囲に自身の主張が正しいと思わせようとする工作が付随しています。複数の国にプロ市民を派遣して、そこで主張させます。口コミなどがなぜ有効かと言えば同じ生活圏に居る者は普段の付き合いから、遠くの他人よりも親近感が得やすく、"普段の行動が"善良に見えればそういった表面的な行動しかその者の性質を判断する材料がなく、善良な振りさえしていれば、親しい仲でもない限りはその深層をうかがい知れません。そうして自分達の主張が正しくて、相手側が相手に都合の良い主張を押し付けてくる、と思わせます。また、利己益が得られるなら嘘でも受け入れる者達も居ます。また、生活する為に主張を受け入れさせられるかも知れません。ここで必要なのは複数の国で行う事です。違う国の実情などほとんど知らないのが民衆です。

その状況で例えば、ある国で好条件を引き換えにしてその主張を受け入れた者達が居て、その主張を行う者達と共に活動したとします。その映像や情報を用いて他の国に見せるのです。すると、内実を知らない者からすれば主張が正しいから受け入れられ協力者が現れた様に見え錯覚する可能性が生じます。それをそれぞれの国でそれぞれ別の国の情報を見せるのです。一つではなく複数の情報を。するとこれだけの協力者が居るのだから"客観的に見て"主張は正しいのではないかという風潮が出来上がり、事実でない主張が優勢になります。極一部の行動をあたかも集団全体の行動だと錯覚させる方法の応用です。こうする事であたかもその協力者の居る国での主流の主張がその主張であるかの様に錯覚させる事が出来、実際に大半をそう思わせる事が出来れば成功です。後は数の論理で押すだけです。

そうして、極一部に利益を与える事で全体の印象操作をして欲しい結果を手に入れるという方法が行われます。この場合の問題点は当事者の内の正しい主張を行う者の能力が高くてもこの方法は有効だと言う事です。能力が高い低いではなく、悪人かそうでないかが判断基準ともいえ、10人居てある2人が言い争いをしてどちらかが正しいとします。その2人の内の1人が悪人で他の8人も悪人であり、利益が貰えるなら嘘でも受け入れるのであれば、利益次第では正しい主張を行ったとしても9対1で負ける事になります。

これは民主主義が成功しない原因でもあります。ほんのちょっとの嘘を受け入れる代わりに利益を貰う事で、他者の権利を侵害する可能性がある事実を自身の知性では理解できない可能性が高いからです。より高度な社会になればなるほどに少しの嘘でも大きな権利侵害になる可能性があります。芸術作品の政治利用や友人からせがまれて消極的に活動に参加した、というものでも他者の権利侵害につながっている可能性があり、相手が利益を与えてでもさせようとするものの大半は相手は同等かそれ以上の利益が得られる算段があると言うのが大半です。

しかしそうやって制限してしまえば不自由の中に生きる事になり何も出来なくなるので規制がされないだけであり、本人の自助努力で補完されるべきものです。ですから自身の行動に責任を持つなどの考え方が重視されます。安易に他者の思惑に乗らない、というのが犯罪に加担しない為の第一歩です。


こういった手法を自身の頭が良いからと勘違いをして行う者達が居ます。その手法は既に過去に行われ、争いを生み出すだけの不毛なもので社会を正常に運営出来ないから誰もしようとしないものです。それを思いつかない、気づけない、忘れたなどの理由で行う事が出来るのが問題になります。別のところで書くかも知れませんが、これらは天然痘の再来と同じです。かつて撲滅したはずの病気が何かの要因で再発するが撲滅したと思っているからそれに対するワクチンが無い為に猛威を振るう。大きな損害が出た後にワクチンが完成して対策が取れる。すると天然痘はまた撲滅出来ます。それと同じ事を繰り返してさも頭が良いかの様に錯覚する遺伝子の持ち主がこの世界には実に多いと言え、その間違いを修正出来るかどうかがこの種族の価値が問われる問題とも言えます。つまりこういった悪事を行えるものはその者が病気をばらまきさえしなければ猛威を振るわないものをあえてばらまいていると言えます。それを実行した者を根源まで辿り排除できなければ永遠に病気は再発します。


だからどこぞの国にこんなのがありましたよね。


「ウォー○ーを探せ」


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