141 第七回お嬢様対策会議
そこは王都の一画。貴族達の住む場所ではあるがそれほど良い立地にあるわけでもない屋敷。
新緑はその瑞々しく初々しい若さを感じさせていた時期を過ぎ、いまだ壮健とも言えない頼りなさを見せつつも、溢れ出るエネルギーはこれからの可能性を見せ、例え太陽が酷く照り付けようともそれを糧に成長してやるという意欲を感じさせた。
自然が見せる風景にも意志が感じ取れる様に人工物の風景にも意志を感じさせるものがある。
玄関をくぐると王都でも類をみない程大きなシャンデリアが吊り下げられ、通路には等間隔に壷などが飾られていた。
壷は光沢を放ち、窓は磨き上げられ曇りなく、扉はきしむ事なく開き、ドアノブはくすんでいない。
そこに仕える者達の教育が行き届いている事もまた、その貴族の格というものを示している。
その屋敷の一室で、深刻な表情の面々が重い空気を漂わせながらテーブルを囲んでいた。
ある人物は肘を付き、手の甲で額を支えながらテーブルに視線を落としたまま顔を上げず。
ある人物はただハンカチで涙を拭いながら誰かが話し始めるのを待っていた。
「えー、では不肖、このマーカスが進行役を務めさせて頂きます。
それでは第七回お嬢様対策会議を始めたいと思います」
拍手などない。皆どこか真剣な表情で頷いた。
私の名はマーカス。
第二席の執事です。
夏ともなれば忙しく、除虫や食品管理から始まり、庭師は草刈りの手間が増え、管理する私の手間も増えます。メイドは洗濯の回数が増え、増えた分だけ労力がかかるのでまた洗濯の回数が増えるという悪循環。慌てればベッドメイクした後に汗を振りまきやり直し、普段は日光が当たらない場所に置いてある物が色褪せない様に気を使い、料理を冷ますのに冷風を当て、お客様を出迎えるにも一苦労。怪談話などなくとも暑さで集中力を欠きうっかりやらかしてしまいそうになるだけで肝が冷えそうになります。
変な表現にもなってしまいますがお嬢様が乳母車で率先して動き回る様になってからと言うもの、私も行動を変える事を余儀なくされました。さすがに屋敷外へとお出かけになるのであれば一声掛けて頂く必要があり、ローラが居るので付き添いまでは求められませんが屋敷からの見送りと予定帰宅時間に出迎えを欠かす事は出来ません。いくら行先が別邸でありすぐ傍でもこれはルールです。もっとも、お嬢様は興味のある物事に没頭する性格の様で、予定帰宅時間が守られる事があまりありません。お嬢様曰く「ツッコミどころが満載での。」と良くわからない事を言っているのをローラ経由で窺いましたがともかく予定を立てるのが難しくなり、しかしその辺りは主席執事のイアンも分かっているようでフォローをしてくれます。
そんな私も及ばずながら真摯に微力を尽くしお嬢様をお支えする日々を過ごしております。
本当に真摯に微力ながらお支えしております。
そこに嘘偽りはございませんとも。ええ、お支えしておりますとも。本当に微力ながら。
お嬢様に振り回されながらも皆さまのサポートもあってかお嬢様を支える事が出来、お仕えする毎日。
幸か不幸かお嬢様は本当に類稀なる才能の持ち主で、私もお仕え出来る事を誇りに思っています。
ええ。この気持ちに嘘はございません。
勿論ですとも。
ですが才能ある方にお仕えする悩みというのはどの貴族家にもあるようで、私もまた悩む事になったのです。
お嬢様は類稀なる才能をお持ちで、私では思いもつかない色々な事が出来てしまいます。
私にはどうやっているのかまではわかりません。
そんなお嬢様の類稀なる才能が、今日という会議の議題でもあります。
「お嬢様は私に何か恨みでもあるんですか!」
おっと、ミーナは守護霊様に会えなくてモチベーションが上がらないらしく会議に参加する意欲に欠けているのでシェリーが最初から来ましたね。どうやらお嬢様がお嬢様らしく立ち返ると自身の心配事が増える事にようやく気付いたようです。お嬢様も早速お嬢様らしく立ち回られて私の心配も杞憂に終わったようです。先日までは『人の成長は…………未熟な過去に打ち勝つことだとな…』などと人伝で仰られていたのを聞いた時は、未だにワインセラーで品質管理がてら一休憩する癖が抜けない自分が居るので何とも言えない気持ちになりました。勿論私だって向上心は持っています。しかしそんなものを遥かに超える向上心を見せられると些か心の平穏が失われます。私の平穏が失われない為にもお嬢様が元のお嬢様に戻られて本当にホッとしています。尤も、生まれてまだ数か月のお嬢様が過去と現在を語れるだけの年月があるのかどうかは甚だ疑わしいですが。ハッキリ言える事は、私の平穏を求めればシェリーの平穏が失われる様ですのでシェリーには刺激の多い日常を過ごして貰う事にしましょう。
そんなシェリーが現状を訴えている様ですが、何があったのかと思い聞いてみる事にしました。
「シェリー。一体どうしたのです。最近はお嬢様の心配をされていたではないですか。」
「聞いてください!お嬢様がひどいんです!見てください!この格好!」
そう言ってシェリーは自身の服装を皆に良く見える様にした。なるほど。だから今日のシェリーはいつもの制服を着ていないのですか。見ればスカートの丈が短すぎますね。制服とは違いタイトスカートになっているのも特徴的ですね。頭にもつばのない小さな帽子を乗せているのも普段とは違います。色合いが地味なのは同じとしてどちらかと言えばスラリとした印象。いけませんね。メイドの服装とは体のラインを強調するものであってはいけません。業務中というのは殊更に性を強調して見せるものではなく、業務中にトラブルを誘発する様な服装は慎むべきだと私は思います。なんでしょう?そういうのはダンと2人切りの時にして貰いたいものです。いえ冗談です。話の流れでお嬢様の仕業だと言うのは私も理解出来ています。しかしなぜお嬢様はシェリーにこの様な服装をさせているのか。それを聞かない事には話になりません。
「シェリー。その服装がお嬢様の指示なのはわかりました。なぜその様な恰好を?」
「先日お嬢様は新しい遊びを覚えまして、おままごとの変わったものでしょうか。ともかくそのお付き合いをする事になりまして。なにやら"戦隊モノ"だとかいうおままごとの様でした。その中でオペレーターとかいう役割を貰ったのですが、いきなりこの服に着替えさせられたんです。何が起きるのかと思えばビルダー氏やヤマダさん、それにあの鎧も動くんですね・・・、ともかく彼ら?を使って、あれもお人形遊び?と言えるんでしょうか?、一方を敵役にして守って戦う遊びを考案された様なんです。その際にですね、シチュエーションというのが大事なんだそうです。ええ、大事らしいんですよ・・・。」
そこまで話しながらシェリーの声のトーンは下がり気味になっています。これは来ますね。世の中反動というものがあり、大きな引き波の後には大抵ビッグウェーブが来るものです。
私波乗りは苦手でしてもっと穏やかな浜辺でバカンスしたい派だったりするのですが、私の願望はどうやら叶えられそうにありません。ほら来ました。
「最初はまだ良かったんです!この服装をしたりセリフを、恥ずかしいセリフですけど話すだけで良かったんです!でも徐々にエスカレートして・・・。いつの間にかお嬢様の、えっと、あれは、人形?玩具?教材?部下?ともかくウルフさんに乗ってロデオさせられたりアーマーさんを着せられて代わりにセリフを言わされたりヤマダさんの硬い肌にビンタさせられたりビルダー氏と組手させられたり。組手ってあれですよ?演技指導だかなんだかで護身術をやらされるんですよ?ただでさえビルダー氏は大男なんですよ?まともにやって勝てるわけありませんよ!なのに『相手がどんな男でもやりようはある。勝てなくても負けなければ誰か助けに来てくれるかもしれんから体の動かし方を覚えよ』って言ってあのビルダー氏を投げさせようとしたり関節を極めさせようとするんです。いままでそんな事したことないのに無茶です!お嬢様は私に何か恨みでもあるんですか!」
内容はともかくシェリーが何か面倒な事に巻き込まれているのは分かりました。お嬢様の部屋が賑やかになってからはいろいろなものが増え、その中には自動するものが多々含まれる様でその事を少し忘れるとかなり驚く事になり、逆に慣れ過ぎてそれが日常なんだと思い込む様になるのも問題という困った状況です。わたしなんてお嬢様の部屋にある備品チェックに赴いた時にビルダー氏からチェック済みの書類を受け取る事に慣れてしまっています。最近ふとこれで良いのかと疑問に思う事もありますが今まで問題になっていないのですから大丈夫なんでしょう。私の事はさておいてシェリーには気の毒としか言えません。私がそう考えていたその時です。
「せいぞん、せんりゃくー」
皆がその方を見つめた。突然意味不明な事を言い出したのはそう、エールトヘン様です。いきなりの発言に決して皆『こいついきなり何いってるんだ』などとは思っているわけではありません。
少し間延びしたその発言に皆の頭の中にも「?」が浮かんでいるのではないかと思います。しかしそのまま誰も言わないのでは話も進まないのでとりあえず私が話しかける事になります。
「エールトヘン様。それは一体どういう事でしょうか。シェリーの悩みに関係あるのでしょうか?」
お嬢様の口調を真似たのか幼い口調だったのでエールトヘン様は少し恥ずかしそうにしています。ですが私の言葉に答えるために軽く咳払いした後に話し出しました。
「『きっと何者にもなれないお前たちに告げる。』とも仰っていたな。何かで大成功して大金持ちにでもならなければ立場的に弱い民衆のままだろうから、お嬢様は今後の社会では女性も力をつけていかなくてはならないと仰っていた。世の中の情勢が混乱すればする程比較的弱者になりやすい女性や子供は苦しむ事になる可能性が高くなりいざという時に身を守る術を手に入れる必要があるとも言っていた。恐らくその一環も兼ねているのでしょう。お嬢様は非常に繊細で身近な人物に何かあれば酷く心を痛められると思われ、その様な結果にならない為にまずはシェリーからと思ったのでしょう。勿論お嬢様の遊び心も入っているのはあるでしょう。日常の習慣の中に訓練を取り入れるというのは良くある事です。ですのでお嬢様はシェリーさんの今後の事を考えてしているのです。何かあってからでは遅い。そう思っているのでしょう。」
なるほど。確かに世の中の移り変わりは徐々に激しさを増している様に見受けられます。しかしそうまでする必要があるのかと言えば私では疑問を浮かべてしまいます。そんな私の考えを他所にシェリーが答えました。
「だからと言ってあんまりです!大体ウルフさんに乗ってロデオとかアーマーさんを着込んで動かされるなんて何の訓練ですか!そんな特殊な状況まず起きません!」
シェリーの健気な問いかけにエールトヘン様はハッとした表情の後、「違う。違うんだ」などと言い出し始めました。
何が違うのか分かりませんがどうやらエールトヘン様の返事を待った方が良さそうです。
シェリーに詰め寄られながらもなんとか宥めたエールトヘン様はおっしゃいました。
「いや、だから。遊びの一環だと。お嬢様が自発的に始めた事だ。将来の事を考えてどうか付き合ってくれないだろうか。誰かの作ったものや知識を使うだけでは誰かの作った枠組みの中で動く事しか出来なくなってしまう。自身で判断出来る様になるには自身で経験を積み、感じる全てのものに自身なりの見解を持つ必要がある。その為にもお嬢様の遊びというのは重要なのだ。その過程で細かな判断が出来る様になる。」
「いくらなんでも酷過ぎます!」
「まあ、それはなんだ。シェリーは図太いから少しくらいならいいか、などと言っていた」
「またですか!このままだと体が持ちません!」
「以外と楽しんでる様にも見えたんだが。」
「やけにならないとやってられませんよ!それにですね、ダンにこの話をしたら何て言われたと思います?『俺の愛も、君の罰も、すべて分け合うんだ』ですよ!?まるで私が何かやらかして罰としてやらされてる様に思われてるんです!もうその後大喧嘩ですよ!お嬢様は私に何か恨みでもあるんですか!」
「ああ、分かった。その誤解は後で解いておこう。後、いずれシェリーの体力が増して慣れるまでは辛い訓練はしない様にとお嬢様に言い含めておこう。だからお嬢様の今後を考えてもう少し付き合って貰えないだろうか。」
「・・・。本当に酷いのはやりませんよ?」
シェリーのその一言を聞いてエールトヘン様はホッとした表情で微笑みました。今回も私の所に飛び火してこなくて私もホッとしています。物事が円満に解決するのは実に良い事です。ですので今回もこの言葉で締めましょう。
「では今回の議題も片付きましたので終了とさせて頂きます。
アンジェラは書き留めた内容を整理して提出するように。では解散」
皆がそれぞれの持ち場に移動する中、私はエールトヘン様が立ち去る後ろ姿を眺めておりました。
シェリーを宥めながらもダンの所へ急ぐ姿からはその誠実さが滲み出ている様に思えます。
お嬢様が自由に行動出来る様にする為に尽力する姿はまさしく侍従の鑑と言えます。
分かっていらっしゃいますか?エールトヘン様。
奥様よりも乳母よりも、誰よりもお嬢様をフォローしようとしているのは貴方様なのです・・・