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S129 今昔価値観話

ヘンリーは娘のミニーに昔話を聞かせていた。ちょっとしたサクセスストーリーで良い子にしていれば良い事あるかもと教えて、ミニーの行儀が良くなる事を期待した。


ヘンリーの話はこういうものだ。昔ある所にとある少女が居ました。少女は孤児で孤児院で暮らしていましたが、ある日彼女に目を留めたという匿名の男性が彼女に援助してくれる事になりました。少女が月に一回近況報告として手紙を書く事だけが条件で、そうすれば彼女が大学に通う為の費用を出してくれるという約束に少女は喜んで応じました。その後、彼女は大学に通い幸せに暮らしました。


そんな内容だ。例え孤児でハンデがあっても見ている人はちゃんと見ているだろうから普段から頑張ればいつかきっと報われるという話をヘンリーは娘に聞かせる事で、娘が習い事や勉強に積極的になってくれるのを期待した。


ヘンリーの話を聞いていたミニーは気になった事があったのかヘンリーに尋ねた。


「ねぇ、その子は援助して貰ってたの?」


その言葉にヘンリーは答える。


「ああ、そうだよ。ある男性と手紙で交際して援助して貰っていたんだよ。」


するとミニーがこう言った。


「援助交際してるなんてとってもワルイ子なんだね!」


その言葉にヘンリーは驚いた。




「というような事は起きるのじゃろうか?」


「なるほど。同じ言葉を使っていても世代間でその定義が異なる為に情報の受け取り方が違うという事ですね。」


「概ねそう。」


「私達はけものであった時はそのほとんどが環境から与えられたものに対して自身の能力の及ぶ範囲で能動的に、しかし環境を変えられない為に受動的にも行動していました。全てを自由に扱える様な存在ではありませんでした。しかし知性を得て概念を定義する事で自分から見た世界が表面だけを見て判断する状況からその形に見えるものを形作る要素を推測してより詳細に状況を認識出来る様になっていきます。その過程で多くの概念を定義して、物事をより詳細に認識出来る様にし、1つずつ物事を片付けていくようになります。その過程を例えるなら1枚の布地を待ち針で止めていき望む形にしていくと表現されます。しかし一度定義したものは共通認識として扱われ、その要素が知られる事になります。全てを完全に解明していない為に明文化されない部分がありその部分を用いて悪用する事も出来、悪用されなくなるまで私達は細分化を繰り返して望む状況を手に入れようとします。しかし細分化して出来た環境がある者からすれば不利益を被る状況であった場合、その状況を潰すか変化させてその者から見て望む状況へと変えてしまおうとする者が現れます。その者の性質が善良であれば更なる細分化もしくはより正しいとされる方向へと変化し改善と言える状況になりますが、性質が悪質なら改悪になります。

例えばもし今まで布地の新たな場所を待ち針で止める為に作業している時にそれまでに布を止めていた待ち針を動かされたとすればどうでしょうか。それに気づかずもしその布地を仕立てて欲しい形に、服などに仕立ててしまった場合、出来上がった服は望んだものにはならないでしょう。別の例えとしてある土地に建物を建てようとして測量して杭を打っていったとします。大きな建物を作ろうとして杭を打っていきますが、以前に打った杭を全て視野に収める事が出来ずに作業を続けて全ての杭を打ち終えたとしても誰かがその杭を動かしてしまった場合には出来上がる建物はその杭が動かされた距離や数の分だけ望んだ状態から離れるでしょう。

それと同じ様に私達が定義した概念も新たな概念や定義する時に、以前の概念は既に定義し終えたからといって状態維持を怠ると誰かが概念定義そのものを変えて状況を変えてしまう場合があります。そうして概念定義を変えられる事でその概念を根拠とする概念や知識もその要素を変えられる事になり、概念の性質そのものが変えられ求める結果が得られない様になる可能性があります。そして出来上がったものは容易には作る前には戻らず新たな素材を使うか出来る限りの修正をして使う事になります。


今回の話も同じで、男性が女性とは庇護するものだという認識がある環境において男女の交際は女性の立場を尊重した状態で行為します。勿論全ての者が悪質ではないわけではないので悪事を働くものは居るでしょうが、全体の共通認識としての価値観は女性の立場を尊重した状態になります。そうした環境においては女性が交際する事で将来的に損をしない様に交際方法が取り決められます。

例えば、悪事として良く行われるアホウドリとカッコウに見られる托卵という悪事や美人局と呼ばれる悪事を避ける為に女性の処女性というのは重要視されます。容易く他者に身体を許す女性というのは将来のパートナーとしては疑問視せざるを得ず、いわば結婚に至るまでのその行動の在り方が結婚後の信用に繋がり、その結果として処女を保てなかった女性の立場は低くなり、その結果として結婚出来ない可能性が高くなりますます状況を悪化させます。口先だけで『あなただけが生涯のパートナー』や『愛』と囁いてもその行動が伴っていなければそこにあるべき価値は減じるでしょう。その結果を受けて、仮に結婚前に女性の純潔を奪ってしまった場合に責任を取るという意味で男性が結婚しなければならない取り決めがある場合もあります。同じ社会に居る者を支え合う前提があるとすれば、その女性が他の男性と結婚出来ずに生活出来なくなる恐れがありしかし誰かが支えなければならないとすれば、その原因を作った者に責任が発生するのは当然とも言えます。

このルールがない場合、女性の立場は不安定になり、そして不安定な状況では治安を維持出来ず社会の成長に限界が生じやすく争いを起こしやすいので、争いを失くす為にその原因を排除するためのルールになります。

しかしそのルールが一度取り決められてしまうとその状況を利用して悪事を成そうとする者が現れます。女性であれば強引にでも状況を作り出して結婚してしまおうとするでしょうし、男性なら相手の意思を無視して行為に及びルールを逆手に取り結婚しようとするでしょう。高度な社会になればなる程にルールは増え、細分化の結果として小さな違いや些細な事で例え差が小さくとも不利な状況が生まれ、ちょっとした行為行動がルールの根拠部分に抵触してルールを適用しなければならない状況に陥る可能性が高くなります。

例えば、権力者の伴侶となろうとする女性はスキャンダルを恐れてあまり男性と2人きりになろうとしないでしょう。その噂が立てばそれだけで他の女性との間に差が出来、不利な状況になるからです。それを逆手に取ると、女性が結婚したい男性と2人きりの状況をあえて作り出して男性を結婚しなければならない状況へと追い込む方法を行えます。また、同じ様に男性が女性を結婚しなければならない状況へと追い込む方法も行われます。外部から見て何が行われたか分からない状態、つまりはブラックボックスを作り出す事で推測する以外に方法がない状態を作り出し、そうすればリスクを避ける為にリスクを抱える者は選択の対象外か優先順位を下げる事になります。すると疑いを持たれた者はそれを意図した者以外を選ぶ選択肢を失くした結果として意図した者の望む結果になるしかないという状況が作り出されます。

この様な悪事が多く成される様になると、悪事を防止するためのルールが悪事を生み出す結果になる為にルールを廃止せざるを得ず、そうなると今度はなぜルールが必要だったかという部分でルールがない場合の問題を生じさせ、別の形で悪事が成される事になります。そしてルールで守っていた権利が失われた為に状況は悪化していると言え、しかしルールを適用すればまた同じ様に悪事が行われる為にルールを適用して権利を保護するという選択肢を取る事が難しくなります。

こうしてルールを悪用する事で、一時的に他者に勝ち有利な状況を作り出す事は出来ますが同時に自身がルールにより守られていた権利を手放す事になります。しかし手に入れた優位な状況により、その不都合は優位な状況が得られている間は感じる事は少なく、その方法で不利な状況に陥った者がまずその被害を受け更に差を広げさせる事になるのがほとんどになります。そして1度切りで済むもの、結婚や重要な試験の合否などは自らの悪事で環境を悪化させても自らには既に影響がない状況だと言え、この誘惑から逃れる事は難しくただ誰かに与えられたルールを守っているだけの者ではいつか誘惑に負けてしまう可能性が高いでしょう。


そうした間違いを未然に防ぐには知性を成長させる必要があり、ルールの根拠を知る事により、自身の行おうとしている行為が自身或いは自身の属する集団にとって悪影響を及ぼすかどうかを判断する事が出来る様になります。


話を戻しまして、時代が変わり、女性の立場を尊重した状態で交際しなくても良くなったとします。性のモラルがなぜ必要かという根拠を知らない為に、容易く性行為に及び、自身の気づいていない部分で自身のポテンシャルを下げている事に気づけない場合があります。私達の形質である身体とそこに宿る精神という性質は時代が変わってもその根本的な在り方は変わるわけではなく、物事を突き詰めていけば、結局は女性の立場を尊重した状態で交際した場合のルールが、社会全体の共通認識として適用されていなくとも必要になり、それは競争に勝つために必要なものとして無くて良いものにはなりません。仮に他の男の子供を育てる事になるのであれば、男性は自身の血統を継ぐ事にはならないので、その一代限りの生を謳歌する事だけを考えれば良い事になり、継続的な発展を考える必要はなくなります。同様に子を産まない女性も同じ考えで良くなります。

しかしだからと言って誰かが積み上げてきた実績を潰してよい理由にはならず、許容されるのは与えられた環境を壊さない範囲で自身に許される権利の行使となり、それを理解出来ない知性が問題になります。

仮にそれを理解したからと言って一代限りのスパンで行動を完結させようとすればそれだけ長期計画は行えず私達の生き残る為の競争に不利な影響を及ぼします。

今の自分と次世代の自分を同じ自分だと認識しない様になれば短い期間だけ状態が維持出来れば良いと思う様になりますが、私達は遺伝子により性質と形質を受け継ぎ、そもそもが今の自分と次の自分を同じ自分だと思えないのであれば、現状の社会の発展も行われていないという事に気づく必要があり、その認識により現状の自分の居る環境が維持されているのだと理解する必要があります。もしそれまでの世代継承において、常にその現世代の自分が今の自分のみが自身であると認識して今の自分の利益のみを求めて行動したとすればそれだけ社会は発展せず高度になれず、もし現状の社会が一代で作れる様な環境でなければそれだけ誰かが世代継承しながら環境を作って来た結果がそこにあります。その中で今の自分や過去の自分や次世代の自分がその環境を作って来た実績に関わらずに誰かの指示に従って生活してきた者はその遺伝子に世代継承という考え方そのものが必要な根拠を持たずに世代継承を繰り返した結果、今の自分が過去の自分や次世代の自分と同じ自分であるという認識を持つ必要のない実績を積み重ね、そしてその認識が必要な物事を考えずに、自らの周囲だけの小さな世界を基準に物事を考えて必要なルールを無くしていきます。

例えば欲望に流されるとして、"気持ち良い"ものを追求したとします。3大欲求と言われる性欲、食欲、睡眠欲は生きる事と直結し満たしたい欲望からの誘惑を私達の生活から切り離す事が出来ません。性行為は気持ちよく、旨いものは旨く気持ちよく、何の危険もなく心配せずに寝る事は気持ち良いものです。では一代限りでその行動を完結させた場合どうなるかと言えば、性行為は気持ちよく、自身を気持ちよくさせてくれる異性を求めはするが性行為の結果として生まれてくる子はどうでも良く教育や育児をする必要性を感じないでしょう。食欲に関しても自身に必要性がなければ貯蓄をする必要もなく気ままに食物を食べるでしょう。現状で生活出来ているなら必要以上に働く事なくきままに生活し惰眠を貪るでしょう。しかしそれでは飢饉などの自然災害や敵への対処が出来ておらず、それだけ自身の生活という小さな世界での出来事だけを見て対処していると言えます。その状況で自然災害にも敵にも生活を脅かされないのであれば、偶々運が良いか誰かがそうなる環境を整えてくれているからとなります。どちらにせよ自身からは制御不能であり依存する事になり、そして自身と同じ様な考え方の者が増えれば増える程に、誰も環境を整えようとする者は居なくなり、以前と同じ状況では居られなくなります。

元々が世代継承しながら発展させてきた社会の中にあり、その役割を他者に依存してただ従っている間に自らが行なう役割そのものが世代継承していくというルールを忘れ、自身に必要なものだけをルールとして守る様になり、しかし現状はそれだけで維持出来ていると錯覚出来ます。

そして利己益を求めて行動した結果、時間的にも空間的にも私達の生活する環境を安定させるためのルールを排除して環境を劣化させる事になります。ですので、自身が現世代の一代限りという考えで行動する事は義務を放棄する事でもあり、それだけ権利も主張出来ませんが、現状で既に手に入れた権利と環境は誰かが強制的に回収しない限り、自身の利益を手放す行為をする事はほとんどないので権利は保持して利益を求めるが義務を果たさない状況が続きます。


もう一度話を戻しまして、時代が変わり、女性の立場を尊重した状態で交際しなくても良くなったとします。そうすると女性の立場を尊重した状態で交際していた時よりも争いが起きやすくなり、一時的にはルールを外した事でルールを適用する為に生じていたコスト部分を削減出来ますが、ルールを排除した結果に合わせてモラルが低下していきながら問題が蓄積しやがて表面化して逆に多くの管理コストが必要になります。例えパートナーであっても信用しきれず、経済的な負担を共有するだけのパートナーとして扱う様になり、互いを信頼するからこそ行う事が出来る行為は行えない様になり、それだけ計画の選択肢は減り、その影響は属する集団に波及します。集団のルールとして適用していたものを外して個々で対処する様にしたがためにグローバルメリットとして生じていた管理コストの削減は行われない様になり、全体のルールとして採用しないが個々人の大半がルールを守る様になれば個々人が負担する管理コストは大きくなり、全体の負担としてのしかかる様になり、最終的には全体にルールを適用していた方が効率が良いと言える状況になります。なぜなら生き残り競争において効率を求めるにはいずれ信用を用いてコストを削減するしかなく、生き残っていく者はお互いにその信用がなければ互いに生き残れなくなるからです。利益が増えずに限界を迎えたならコストを削減するしかなく、コストを削減するには互いの信用が必要になり、結局はルールを増やして制限を掛ける結果になり、ルールを排除した事自体が本末転倒になりますが、私達は自身の知性により、自身の扱える情報以上の時間上のスパンや空間上の範囲を計算に入れる事が出来ません。しかし一度制限を外した事で制限を掛けたままの他者より優位に立ちその状況を確立した後にもう一度制限を掛けた環境に戻せばかつての状況より優位に立つ事が出来、この方法は悪意をもって多用されます。

つまり、一度ルールを緩和しても問題ないと思わせてルールを緩和しつつそれを利用して優位を得た後にその優位さを保持したままのらりくらりと責任回避出来れば、やがて社会は環境の悪化からもう一度ルールを適用せざるを得なくなりルールを適用するがルールを緩和する前とはそこに属する構成員の立場や力関係を変える事が出来るという事です。この方法を許せば悪人ばかりが得をする結果になり、また、自身に不都合であれば何度でも同じやり方で社会を混乱させようとするのでこの方法を選択させてはなりません。


更にもう一度話を戻しまして、時代が変わり、女性の立場を尊重した状態で交際しなくても良くなったとします。その現状では「援助交際」というもので提示される条件が女性の立場を尊重しないものでも当然の様に行われる事になり、女性が金銭と引き換えに提示する条件は自分自身の性行為となりやすく、女性自身は物などの所有物を対価にせずとも金銭や物品や援助を受け取る事が出来るので損をせずに利益を得ているつもりになれますが、そこで失われているのは将来の可能性です。信用と衛生の面で特に疑われ、明確に性病と言えないまでも何等かの雑菌に感染する可能性は高く、それだけ不妊の原因を作りやすくもなり、また、生まれてくる子供が菌に感染しやすくもなります。また、容易に誰かと性行為に及ぶ者はその重要性を理解していないという証明にもなり、同レベルの信用に関わる物事にも疑いを持たれ、目を離せばどこで何をしているか分からないので信用度は低く、その様なリスクを背負う事が出来ないと思う者からは敬遠されます。


その状況で、かつてのリザルトセットにある結果を見たとすれば今回の話の様な事が起きます。例えばかつて女性の立場を尊重した環境で成長した年配の女性が『私も昔は援助交際して貰った事があるの』と話したとして、現状で性風俗が乱れている場合、その環境で育った若い者はその言葉を聞いて「そんな不良だったの?」と思うでしょう。お互いの使っている『援助交際』という言葉の定義に関わるルールが変わり、同じ言葉を使っていても明確な違いを持つ様になってしまっています。つまり、そうやって過去に行なわれた事をさも違う事実であるかの様に改ざんする事が出来ます。お互いがお互いに使っている言葉の定義が同じかどうかを確認せずにコミュニケーションを行うとこういった状況は起こりやすく、お互いの意図するところを正確に読み取るには長い年月でのコミュニケーションが必要になります。また、あえて誤解を生む解釈のままコミュニケーションを行い、想定される状況の差により利益を得ようとする者が現れます。相手が間違っても指摘せず、また、相手が錯覚して受け取っても指摘せずに、その錯覚が生じさせる利益を求めてあえて錯覚する様に誘導する悪事は多用されます。


そういった間違いをしない為にも知性が必要になります。相手が信用出来るかどうか。自身が現状の環境とズレた解釈をしていないかなどを知る為にはより状況を詳細に知ろうとする性質が必要になります。逆に言えば、知性を成長させなければ容易く錯覚し、また、錯覚させる事が出来るという事になり、利己益のみを求める者はその状況を作り出そうとし、環境から変えていこうとします。知性を得させたくなければ知性を高める機会を与えなければ良く、機会を与えたくなければ知性を高める為の機会を得る事が出来る環境を与えなければ良く、そして社会の規模が大きくなれば低い知性ではその社会で行われている出来事の全てを知る事が出来ず、そこに存在する概念がなぜそうなっているかの判断が出来ない為に誰かによって意図的に改ざんされている事実を知る事が出来ません。しかし自身では間違っていない行動をしているつもりになれ、しかし実際は誰かの意図した結果になる様に改ざんされた概念やルールを用いて行動する為に悪事に加担している可能性があり、結果として犯罪集団の共犯になっている場合があります。」


エールトヘンは締めくくる。


「もし権力者が利己益を求めて行為する様になればそれだけ大きな影響力を持った者が社会を自身の都合で改悪していく様になります。その際に民衆は自身の支持する権力者若しくは従う権力者が間違った事をしていないかを判断出来る必要があります。お嬢様は貴族です。貴族は封建制で領地を支配し大きな権力を持ち領民を自由に扱えます。その際に自身の知性が足りなければ社会のルールを潰し利己益を求める様な行為をする可能性があります。また、利己益を求める者達に騙され社会のルールを潰す可能性もあります。全ての領民や領民以外の者達と関わる中で全ての悪事に完璧に対応する事は難しくなります。その時、自身に従う者達の知性が高ければ、悪事を見破り助言をしてくれる可能性が高くなります。そうしてセーフティーネットを設ける事でリスクを減らし、貴族は自身の生活と領地を守り、そしてその恩恵として領民は生活の安定を得られるというスパイラルアップが、生存競争を制御できなければ必要になってきます。また封建制でなくとも共和制でも民主主義でも社会主義でも全体主義でも、権力者が徐々に改悪しながら利己益を得ようとした際に、民衆の知性が高ければその悪事を指摘する事が出来、知性の低い者が少なければ少ないほど権力者の悪事に加担しない状況を作り出すことが出来ます。自らの知性も高め、自身に関係する者達の知性を高める為には普段からの習慣とそれを維持出来る環境が必要になります。その環境を整える為にも能力が必要になりますので、さぁ、今日も頑張りましょう。」


-->同じ社会に居る者を支え合う前提があるとすれば、その女性が他の男性と結婚出来ずに生活出来なくなる恐れがありしかし誰かが支えなければならないとすれば、その原因を作った者に責任が発生するのは当然とも言えます。

<--イスラムで女性の顔を布で覆っているのと似たようなものです。顔を隠していない女性を襲って奪う男達が居て、その男達への対策として布で顔を隠し、「身内でない者がその女性の顔を見たら妻にしなければならない」と言うルールを作って女性が奪い去られるのを防いだ、という根拠があります。


ちなみに私に娘は居ませんが、そこまで厳格に育てるかどうかと言えば悩みます。現状の社会の荒れ方から考えれば、厳しいルールを適用しようとすればするほどに生きにくく不利になります。どんなものも簡単に手っ取り早く改善出来るなんてことはなく、そんなものは子供の見る夢でしかありません。ですので程良くルールを適用し更にその先に続くだけのルールも教え込んで改善出来る様にする程度で留めるでしょう。その匙加減が難しいですが。現状をしっかり把握してそこから着実に改善させるしかなく、タナボタや玉の輿といった博打をさせる様な真似は子供を追い詰めているのと同じなので親のする事ではありません。親が失敗した時の責任を取るのであれば別ですが。


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