S127 エンドレステスト
オリバーは一族の希望だと言われていた。オリバー程の才能を持った者はここ最近生まれておらず、そして運良くオリバーは優秀な成績を示し検査員の資格が得られそうだった。学力試験は自己採点でほぼ問題なし、後は実技だけだった。
実技試験は1週間に及ぶ。その間に実際にサンプルを検査して評価し、合格後に行なう作業に何の問題もないかを検査され評価されるのだ。
同じ様に試験を受ける者達と共に指導教官から指示でいくつかの試験を受け持ち作業した。恐らくはその際の行動や態度を見ているのだろうがオリバーは今までの訓練で問題なく作業出来ていたので何も心配せずに作業を続けた。そうして皆と話をしながら1週間が過ぎた。
いよいよ合格発表の日になるがオリバーはあまり心配していなかった。別段目覚ましい成果を出せと言われているのではないのだ。極普通に検査を済ませられるかそれだけであって、オリバーにとっても別段難しい事ではない。
そう。難しい事ではない。はずだったのだが。
試験の結果、オリバーは追試になった。何が悪かったかと教官に尋ねても要領を得ず、こう答えを返してきた。
「本当に問題がないかもう一度調べる。いいな?」
これ以上質問しても心証が悪くなるだけだと思ったオリバーは仕方なく追試を受け入れた。追試には何人か参加しており、この人達もかと思いながら以前より慎重に作業を行い1週間が経った。
そうして迎えた追試結果の発表だが、またもやオリバーは追試を受ける事になった。
その理由をまた聞いてもどうにも容量を得ない。このサンプルのデータ取りでデータに少しブレがある、だとか、あの作業における行動をもう少し観察したい、などと今までの試験で充分ではないのかと言った事しか言わず、そして最後はまた、
「本当に問題がないかもう一度調べる。いいな?」
で終える。しかし指導教官に逆らった所で合否を出すのは教官だ。評価基準がどうなのかを聞こうとすれば「それは教えられない」の一言で済まされる始末。納得がいかなくとも納得するしかない、とオリバーは仕方なく追試を受け入れる。
オリバーが去った後、指導教官はオリバーの背中を見ながら、こう呟いた。
「許せ。お前が我らの一族の者じゃないのが悪いんだ。」
「というような事は起きるのじゃろうか?」
「なるほど。既得権益を守る為に結果ありきで評価を行い、さも正当に評価をしているかの様に装う事ですね?」
「概ねそう。」
「私達は行為します。行動に付随させた概念は目に見えず、概念を一意に定義する為に行動を取り決めますが、私達が不完全であり完全に定義出来ない為にどうしても曖昧な部分が残ります。また、知性の高い者の行動を知性の低い者に理解させる事は難しく、信用という形で"なんだか良く分からない"ものとして無条件に受け入れさせる事になります。これは私達が社会の中で争わない為に行われる措置ですが、そこに悪用出来る瑕疵が存在します。無条件に受け入れさせるという事は、実質がどうであろうと判定をすり抜けるという事です。合否判定なら常に合、成否判定なら常に成、と出来るならどの様な厳しい条件も問題なくなります。
信用を用いた部分はそれ以上の細分化がされず、明確に物事が判別されない事になり、能動的に行動する者の自由な裁量に任される事になり、つまりは利権の介入する余地が発生します。行為する為に概念を扱い、目に見えない条件が存在してしまい、それを明確に形にしても、個々人から全ての条件が見える状態に出来る事はまずありません。
例えばあるサンプルを試験するとして、そのサンプルを試験する方法が高度になればなる程に条件は厳しくなります。扱う道具や環境状態などの定義が細かくなり、それらの全てを個人で把握するのは難しくなっていきます。役割分担する為に道具を作る者と扱う者が別になれば、その道具が充分な機能を有しているか、瑕疵を持たないかはその道具を作る者の信用が前提になります。つまり、その信用を悪用すれば、さも見た目はまともな道具であるかの様に見えてもバランスが悪いだとか他より重いだとか不利益を与える条件を追加出来ます。また、壊れやすくする事でも使用者が失敗しやすい状況を作り出す事が出来ます。これらはお互いが役割分担をする際に取り決めた必要最低限のルールすら忘れる事で行え、また、その初期の頃には役割に従事していなかった為にそもそも知らない事に加え知性も低い為に知ろうともしなかった事が要因になるでしょう。
誰かに与えらたルールや定義で行動し、しかし知性が低い為にそのルールや行動が成立する根拠部分を知ろうとはせずに、知らない為に出来る自由度を悪用して利益を得、しかし定義通りの行動は出来ていると錯覚し、他者から見える行動部分には違いがほとんどない事を理由に正当化する方法は多用されます。
今回の話であれば、試験を行い試験に合格した者に資格を与えるというルールが存在していますが、既得権益というのは限りがあり、利害の一致しない者が資格を持てばそれだけ自身は相対的に不利になる可能性が生じます。例えばある肉屋が居たとして、その店に買いに来る会社員がいたとしましょう。もしその会社員が別の会社員に競争で負け職を失った場合には客が1人減ります。すると競争に勝った会社員がその肉屋を利用するのであれば客は減らないので問題ないですがそうでなければ客が減り減収となります。もしこの肉屋がこの2人の会社員の競争に関与出来るとすればその肉屋はどうするでしょうか。もし知性が高く社会の一員としての自覚があるのなら、純粋な競争をさせる為に関与はしないでしょう。しかしその結果として一方が負ければ自身の利益が失われます。もし社会の状況が悪く不況などであるなら客の減少は自身の生活ひいては生死に関わります。その際に関与せずにいられるでしょうか。
本来なら、弱者である自身が社会のルールを守る事で集団に受け入れられ生き残って来れたという前提で、社会を潰してまで生き残ろうとしないのが正しい見解でしょう。しかし全ての者がそう判断出来るだけの知性を持っている状況でなければ、関与して生き残ろうとした者が有利になり生き残っていき、状態は劣化した基準になります。しかし社会そのものがセーフティーネットを用意していなかったり不正を行う者程利益が得られる状態になっていれば正しい見解とされる行動は悪人にばかり有利に働く為にその様な行動を取る事が出来なくなっていきます。
こうして私達は定義されたルールや概念の明文化されていない、全てを定義しきれない部分を悪用して自身の利益を確保する方法を覚えます。概念定義は詳細に定義するならその状態遷移を含む必要があり、その細かいルールを全て適用出来るだけの能力とその違いを判別する方法が確立されなければどこまでも曖昧な部分を残し、信用に頼る事になります。
例えば、肉屋が2人の会社員の競争に関与出来た結果が発生したなら、利害関係が一致する会社員が負けた状態と勝った状態の違いの結果から生じる利益の変化がある為にその肉屋の行動がどちらの場合でも同じになる様にしなければ社会活動として正当な行為である保証が出来ません。その為の定義としてその時点から何かの対策をするのは難しく、それ以前のシステム作りから行う必要があります。その1つだけを見れば対策は可能でしょう。その肉屋が利害関係の一致する者に対して支援をしつつもう一方へ妨害を仕掛けるのを監視して判断すれば良いだけです。しかし社会の全ての構成員は同時に行動しており、その全てを監視出来るはずがなく、その為に計画的に作られたシステムが必要になります。
社会の属する構成員の性質が悪いか能力が低ければ低い程にルールは厳しくなり制限を大きくする必要があり、逆に性質が良く能力が高いほどにルールは緩く出来ます。性質が良いか能力が高いかのどちらかでは駄目で両方が必要になり、そこに高度な社会と未熟な社会での錯覚が生まれます。善良であっても能力がなければルールで制限しなければ間違いをし、能力が低ければルールを守れません。当然悪質であればルールで厳しく制限する事になり、能力が高くなってもそれに変わりはなく、能力が低い時より更に制限を厳しくする必要が出てきます。能力が低ければ出来ない事も能力が高くなれば出来てしまい、管理する側との能力差が縮まるか管理する側より能力が高くなればなる程に不正行為は気づかれにくくなり不正が起きるより先にルールで制限を掛けて対処する事になります。
未熟な社会では求められる基準が低い為に能力が低くてもそれほど問題にならず、役割分担が高度に細分化されていない為に悪質であってもその悪質さは形や言動や態度に現れやすく他者から容易に判断出来ます。しかし経験を積み罰せられない方法を手に入れるか専門知識がなければ判別出来ない状況になってくれば不正行為を判別出来るだけの差がなくなり不正行為を見逃す可能性が高くなります。
私達個人が社会の中にあり無駄だと思ってしまうルールには実はそれを無駄だと思って制限を外した時の行動を皆が行えば問題が生じる為に制限としてルールを取り決めているものがあり、知性が低ければ気づけません。知性の低い状態と言うのが子供などの成長過程にあるものが間違った行動を取らない様にする為にあえて"信用"を使い、先に間違った行動をしない様にしてからその根拠を教えていくという方法が行われますが、この信用を使って悪事が出来ます。子供に躾けと称して"信用"を使ってルールを押し付け従わせるという事はその根拠が分からなくとも強制するという事です。そしてその為の主張として"あなたの為だ"、"いずれ分かる"といった言葉が使われます。そこに現状で行う行動がなぜその行動であるかの根拠はなく、つまりは先ほどの主張で受け入れさせる事が出来ればどの様な行動も受け入れさせる事が出来ます。
これらの悪用も、最初は集団の助け合いが基本としてあり、誰かが相手の為を思って始めた行為の表面だけを見た他者が、そう言えば騙せると思い真似る様になります。それらも"信用"を使って受け入れさせた結果として受け入れた者が何かの要因で損失を被った結果があり、"ラッキー"な結果として合法的に許された場合に、そこから更に騙されたと判断した者が仕返しとして行ったり、罰せられない方法を体験して真似る事になります。こうして意図的に信用を悪用する者が現れ、私達の行動は、"信用"を利用して教えようとする者と悪用して騙そうとする者の行動が同じになり混同され錯覚する可能性が出来ます。その結果として信用を利用して教えようとして成功した場合と失敗した場合、信用を悪用して騙して成功した場合と失敗した場合が生じます。
そして信用を利用して成功した場合は信用して受け入れた側にそれだけのメリットが生じるので問題になりません。失敗した場合は対象がルールとして教えた内容に従わないので従う事で生じるメリットが受けられないかルールに従うという事は制限を掛ける事なのでその影響で損失を被るかになります。騙そうとして成功した場合は対象ではなく信用を使った者がメリットを受けます。騙そうとして失敗した場合は信用を悪用した者が罰を受ける可能性があります。あくまで可能性です。
これを逆から見れば騙そうとして成功した場合は相手の行動から楽して利益を得る事が出来、失敗した場合はうまくやれば罰せられずに済み、信用を正しく利用する者との差を作りやすく有利に立てます。簡単に例えるならビジネスチャンスが多い者と少ない者のどちらが財産を得やすいかになります。
ここでの問題は信用を正しく利用しようとしたが、そこに瑕疵があり信用して受け入れた者が損失を被る場合です。その者の知性が低ければその損失は誰がどの様な意図を持って発生させたのかが分からず、信用を使って受け入れさせた者が行ったと錯覚する場合があり、間違った恨み方をする可能性が生じます。その際には信用して受け入れた者が居たとすればそれを悪用して利益を得ようとする者が現れ更なる混乱を起こします。そしてその結果として被害者が信用を使って受け入れさせようとした者が騙そうとしたと錯覚して追及し、受け入れさせようとした者にも瑕疵があった為に損失の一部若しくは全部を補填したという結果が生じたなら、状況がそのリザルトセットにある結果と類似すれば損失を押し付けるか、損失が発生した事にして補填という形で相手の資産を奪い取るかを試みる様になります。
信用して受け入れたのに損失を被ったのは実は騙したからだ、という主張を行う事が出来ます。実際にそうでなくとも信用を正しく利用しようとした行動と騙そうとした行動が混同されやすくそして例え一部でも補填させる事が出来ればそれは損失軽減若しくは利益になりますのでチャレンジアンドレスポンスをする価値が生じます。実際にどうであろうと判断出来なくとも実行出来、また、瑕疵があればそこに付け込む隙を見つける事が出来ます。
例えばある権力者がルールを厳しくしようとして追加したとします。それを良く思わない別の権力者が生じる結果の中での最悪な結果を意図的に発生させて失敗させ、その責任を追及するという方法も行えます。
この様にリザルトセットを悪用すれば過去にあった失敗事例から、新たに行なわれる行動をどうやれば失敗させる事が出来るかを予測する事が出来ます。例えば走るという行動をした場合に失敗させたければどうすれば良いかと考えれば、靴紐が緩んでいて転ぶ、石に躓いて転ぶ、誰かが足元にワイヤーを張って転ばせる、地面にくぼみがありそこに足をとられる、事前に怪我をさせて痛みに耐えきれずに転ぶようにする、事前に体調不良にして倒れさせる、など過去の結果から方法を見つける事が出来ます。
そうして今回の話の様になります。既得権益を守る為にどうしても失格にさせなければならない者が居る。しかし定められたルールや手続きでは失格にさせる事が出来ない。ではどうすれば既得権益を奪われないで済むかと考えます。そうしてルールや手続きに記載されない部分を用いて欲しい結果を得ようとします。今回の話では何かと理由を付けて追試を行い時間稼ぎをしています。延々と続けていけば人間はどこかで何かしらの間違いをする可能性が高くなります。例えば試験を受けると1%の確率で間違って失敗する可能性があるとします。なら1回で失敗しないなら"失敗するまで"追試を受けさせればどこかで失敗し、"失敗したから失格"という判断が出来、欲しい結果を得る事が出来ます。では中々失敗しないと予測される場合はどうするでしょうか。ここでも信用が悪用出来ます。役割分担をする事で専門知識が深くなりその役割の者以外では全てを確認出来ない状況であるならそこに信用という前提が生じ、信用するしかない状況であれば容易く干渉出来ます。今回の話であれば使う道具の質が悪い若しくは足りない、装置に不具合が出やすい、サンプルの状態が他の者と比べて悪い、と言った要因を仕込む事が出来、それだけ失敗若しくは試験の内容を悪く出来、失格させやすく出来ます。
もしその者が合格しようとももっと大きな視点で統計を取ればシェアにおいては望む状況へと近づいていき、それまでに積み上げたノウハウで不都合な人物が失格する可能性を高めて排除する事が出来ます。試験の内で信用を用いている部分でバレない様に差別化し、試験の外で情報を漏らしてカンニングさせればそれだけ差別化出来ます。それらを役割分担から来る信用で隠蔽してしまえば罰せられずに既得権益を得る事が出来ます。
そして罰せられずに差をつけ欲しい結果を得る事が出来るという事は、利権を扱えるという事です。他の者より多くの譲歩をする者を有利にすればそれだけ本来得られない利益を得る事が出来、そして合格するには譲歩する事が必要不可欠にまでなれば競って多くの譲歩をしようとしてそれだけ利益に出来ます。
こうして利権を扱う権力者とそれに媚びる者達が既得権益層を形成する様になります。積み上げた負のノウハウとリザルトセットを用いて他者を貶め排除する事で、自身の能力が足りなくともその差を用いて利益を得ようとし保身しようとする者達が増えていきます。その状況として、確かに能力はあるがその能力は利権を扱う者に媚びるか不正を行う者と共犯して獲得した既得権益を用いて手に入れ、さもそれが自身が努力して得たものだと錯覚し、得られる不正利益は正当なものだと錯覚する様になります。不正行為により得られた差で手に入れた結果より生じた能力を用いる事で不正行為を正当化する事が可能になり、これを許せば不正行為はなくならずに誰も自身の努力で能力を得ようとせず、既に誰かが解明した知識や技術を媚びや賄賂で手に入れる方法を積極的に行う様になります。社会が高度になればなるほどにそれまでに蓄積した知識や技術は多くなり、その一部を不正に分け与えて貰える事が出来れば他者より有利に競争する事が出来、その結果として勝ち残り、得られた能力差で他者を排除して既得権益を縄張りとして守ります。
問題はあたかも自身の能力で競争して勝った様に見える部分にあり、やがてそれだけでは勝てなくなればまた他者に依存して知識を分け与えて貰うか奪うかするしか方法がなくなり、自身がかつて知識を得た時がそうであったからその方法でしか得る事が出来ずそれしか思いつかず、自身の能力と努力で新たに知識や技術を得ようとはしませんし、それまでに得た知識や技術を自身で得る為に必要な要素を自身の手で手に入れるまでは新たな知識や技術を解明出来るかは要素が足りない程に賭けになります。利権を扱ったり媚びや賄賂を使って何かを手に入れようとする者はそもそもの視点としていまだ誰かに依存したままです。利権を扱う事はそれまでに誰かが積み上げた実績と信用を切り崩して差を作りそこから利益を得ているとも言え、媚びや賄賂も誰かが作ってくれた環境や知識や技術を当てにしていると言えます。その様な者が既得権益を得てしまうと、新たな知識や技術の解明が本来あるべき状態と違う為に悪影響を受けます。既得権益を得る為に保身する者が権力者の指示に都合良く従ったり、媚びや賄賂で居場所を確保するなら誰もその与えられている役割そのものをみなくなり、ただ従っていれば良いと思う様になり、実際利益が欲しいだけであるからそれ以上の事はしようとせず自身の専門分野の健全性や更なる細分化を行おうとせず、利益を得る事を優先し、保身するのに不都合であれば健全性は求めず、そして更なる細分化も求めません。
こうして利益を得る為に真似るだけの"役割を果たす為に役割をする"、"作業の為に作業する"状態になり、本来の根拠や目的が失われた状態になり形骸化して不正の温床になります。」
エールトヘンは締めくくる。
「そうして作られた社会において権力者は監視者や管理者としての一側面で民衆を見た場合、定められたルールやモラルに則って民衆を評価しますが、全ての物事を正確に判断出来ない為にそこに付け込む隙が生まれ、既得権益層も含めた民衆の中に居る悪質な者が社会の中での信用を悪用して気づかれない様に不正行為を行おうとするのを知っておく必要があります。例え知性が低くとも、管理者側が大きなマトリクスを対象に分析している状況に対して民衆1人1人は自身に関係する小さなマトリクスだけを把握していれば良い状況であり、管理者側がそれ以上のリソースを割けない為に民衆1人1人の行動を完全に把握し管理出来ず、ルールに定義された行動をしながらも不正に利益を得る方法を模索する者をも管理する必要がある事を知る必要があります。お嬢様は貴族です。現状の状態がどの様に作られたかを知り、その要素を分析して新たな状況でも社会が適正に維持出来ているかを判断する能力が求められます。そのために過去の先達の教えや結果がありリザルトセットはその為にこそ存在します。間違った使い方をしない様にするには判断能力が必要になりそのためにはより高い知性が必要になります。高い知性を得る為にも、さぁ、頑張りましょう。」
ちなみに似たような事をされた事があります。こちらが失敗するまでテストを継続しようとしたので阿保らしいのでわざと失敗して終わりにしましたが。世の中、利己益を考える者はそういった事を平気でやらかします。どんな偉い立場になっても。そして周囲も同じ考え方だからしている事の重大さに気づかずに軽い気持ちで行います。自分の欲しい結果が常に手に入るのであればどんな計画も問題なくなります。その際に自身の判断を自身の求める結果ありきで行えばその部分の問題は自分の前からなくなります。こういった事を出来る人物と言うのはまだ考え方が個人などの弱者の考え方のまま行動します。譲歩すれば生活出来ないから何がなんでも受け入れられない、という行動をして、弱者だから許された結果を積み重ねて成功体験として蓄積しその結果でもって権力を得た後の行動を行う、というのが大半です。弱者であった時に許されていたのは正しいからではなく弱者を追い詰め過ぎない為に行なわれていた事を理解出来ないままだという事です。また、同時にその影響の範囲が小さく個人同士の付き合い方を少し変える程度の影響しかないものを問題ないと思って行動した結果を基にしているとも言えます。当然権力を得れば同じ行動は出来なくなりますが"罰せられない様に"結果を積み重ねた実績を伴い主観で行動しようとします。
-->ある権力者がルールを厳しくしようとして追加したとします。それを良く思わない別の権力者が生じる結果の中での最悪な結果を意図的に発生させて失敗させ、その責任を追及するという方法も行えます。
<--という様に不都合な事は潰して作られるのが現代社会です。利己益を求める者は容易くその手先になり、全体の利益を減じさせ、結果として自身の利益も減らしリスクを高めている事に気づけません。しかし命令する者の役に立っている間はメリットしか見えないので問題なく動けます。その元になる環境が潰れなければですが。
これはあまり書くとマズイかなという例です。実際にそうであるかは知りませんが1つの可能性として書いておきます。あるゲーム会社がこのゲームは「10年運営する」と言いました。もしその公式発言が嘘になればその会社は信用を失うでしょう。ではその発言を聞いてその会社を操れる、と思った者が居た場合どうなるか。大きな権力を持っていればその会社のゲームを一時的にでも不人気にさせて10年保たせる事が出来ない状況にして不利な状況を作り譲歩させて支援を取り付ける事が出来ます。簡単に言えば、経営不振の時には新たな何かをプラスするかコストカッターしないと状況は打破出来ないので、外部のデザイナーやアイデア持ちを仲介して利権を得ようと出来ます。A者とB者が互いに違うアイデアを持っていてどちらもそれだけでは不利なままであるとすれば両方にそのアイデアをトレードして別のアイデアを得る様に譲歩させる事が出来、その仲介料を得る事が出来たりもします。また、支援するのだから別の何かで返すのが当然だよね、という考え方も出来、支援の代わりに何人か人員を受け入れろなどと出来ます。ですので公式な発言というのは控えめな方が丁度良く、誰かに付け込まれる様な発言を避けますが、それでは都合が悪い為に民衆を煽って明確な発言を求める時があります。自身がそういった利権狙いの権力者に操られていないかをまず知る必要があります。
こうして相手の発言を悪用して本来そこにない利益を得ようとする「持たぬ者の錬金術」が生まれます。