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S114 ゲームによくあるストーリー

「悪者」と「悪人」を別の対象として扱っていますので読む時注意してください。一緒くたにするとわけがわからなくなります。


かつて世界はマナに満ち溢れていた。

人々はマナの恩恵により何不自由する事なく裕福に暮らし、平和を尊び、自由を謳歌した。

しかしそれはいつの頃からか徐々に失われていった。

魔力漏出(マナ・リーク)と呼ばれる現象はいつの頃から始まったのか誰にも分からない。気づいた時には既に起こっていた。始まりは土地の荒廃だった。徐々に作物は育たなくなり、辺境からその影響は押し寄せた。土地は荒れ、家畜は餌をやっても乳を出さなくなり、マナを失った水は濁り病気を蔓延させる事になった。やがて影響は天候へも拡大し、予期しない嵐や日照りにより更に作物は育たなくなり荒廃は加速した。


そうした混乱が続く中、いつしか子供の数が産まれなくなった。子供の数はどんどん減り始め、このままでは種族として人という存在は消えてしまうのではと危惧され始め、それを実証するかの様に子供を見かける事が少なくなっていった。


そんな世界の片隅の辺境にある小さな村。


物語はここから始まる。


そこは荒廃が進む世界にあっていまだ緑豊かな場所だった。清らかな水と豊かな大地に育まれた村人達は皆笑顔で暮らし、平穏な日々はいつまでも続くかと思われた。

しかしその期待は裏切られる事になる。

この辺境の地にあって幾多の国々の争いとも無縁と思われた村にも荒廃の影は忍び寄っていた。その兆候をいち早く察した長老デヴァンは村に居るただ一人の少年アランに告げる。


「世界が再び闇に飲まれようとしている。その原因を掴んでくるのだ。」


デヴァンから話を聞かされたアランは事の真相を確かめるべく、まずはアランの住む村のあるカディア王国首都エクスカディナを目指し旅立つのだった。


アランはまだその先にある予想だにしない運命を知りはしなかった。



「というような事は起きるのじゃろうか?」


「なるほど。ユグドラシルで行われる悪事の中で社会を崩壊させる大きな悪事を隠すための施策の一環ですね。」


「え、そうなの?」


「ええ。その話は魔力が存在しない世界で作られた架空の話なのでしょう?」


「そうなるのぅ。」


「そうならば原因の究明途中の状態で誰もまだ原因に辿り着いていない状況というものが生じさせる漠然とした内容のままに止めておけば、根本的な原因は追究されないままになります。そうすればその原因が悪人の行う悪事だったとすれば、悪事は露見せず罰せられないまま利益を稼ぐ事が出来る状況を作る事が出来ます。


まず私達の思考の在り方を考えます。対象とするものを世界から切り離して対象と対象以外という認識を行います。しかし対象となるものが何なのか分からない場合は漠然としたものとして定義します。今回の話では世界が荒廃していく原因が分からないという事ですが、土地や作物などから何かが失われていってやせ衰えていると過程しています。何かが満ち足りた状態だから豊潤な大地であり、それが失われたから大地はやせ衰え荒廃していっていると考えています。それに名前をつけなければ皆で扱えないのでマナと呼んでいます。

そしてなぜ土地が痩せ衰えていくのかの原因が分からず漠然とマナが失われて行っているのではないか、と考えている状況になります。

これは例えば食べ物の中で食べると力がつくものとつかないものがあり、何かが食べ物によって違っていると考えて、それをマナと仮称するというのと同じです。実際には『滋養』や『精のつく』といった言葉で代用され、そして技術が向上した後に凡その原因が分かり、それを『栄養』と呼ぶ様になります。この話はその途中段階の部分を切り出したものでしょう。


しかし私達はもうこういった様な、末端から、周辺から、辺境から起こる荒廃の原因を知ってしまっています。それはユグドラシルという木で表されるシステムが私達の不完全さから欠陥を生じさせる事を私達は知っています。封建制と同じ様に中枢に税という仕組みで資源を集めますが利権を扱う為にどうやっても必要悪が生まれ、その必要悪を見てそれが当然なのだと思い込み、利権を濫用する様になり末端に資源が行き渡らず搾取する形になり、奪われるだけの末端はやせ衰え、末端から徐々に衰え崩壊していく結果を知っています。

その際に、権力の中枢に居る者達がどの様な事をしているのかを民衆は知りません。そうするとその利権を扱う為に荒廃が起きているという実態を知る事はなく、原因は『何だか良く分からない』が不味い事が起きていると思います。

例えば温暖化や工業汚染や環境汚染が最初は『何だか良く分からないが不味い事』であったのと同じです。

利権を扱い環境を切り売りして社会を潰すが権力を用いて民衆には気づかれないか共犯者を仕立て上げて隠蔽して社会を疲弊させ崩壊へと導きながら効率よく利益を稼ぎます。しかしその事実を知らない者からすれば社会の、そして世界の荒廃は『何だか良く分からない』事が原因で起きている事になります。その結果として社会が崩壊してもその原因を知らない者というのは何か良くない闇の力が働いて社会を滅ぼしたのだという認識しか持てないでしょう。」


そこでエールトヘンはローレンシアに話の続きはあるのかと尋ね、ローレンシアはよくあるゲームの展開を話した。するとエールトヘンは少し考えた後に話し始める。


「そうですか。主人公の少年は少女と出会い、そして王国を潰そうとする悪者を倒す。国は一度崩壊するかその寸前まで壊れるが、悪者が居なくなってそこから再建するぞという所でハッピーエンドですか。

やはり、悪事を隠すための方法の一つの可能性があります。

その主人公の少年の知性が足りないとすれば、やはり原因は『何だか良く分からない』ものです。その時、原因を知っている他者が王国の腐敗を知り荒廃の原因を知っているがために、腐敗の原因である者達を取り除こうとして反乱を起こしたと見る事も出来ます。すると反乱ですので表面上はその反乱している者が社会を荒らして潰している様に見えます。これは大抵において無条件に属する国などを正しいと錯覚する場合が多いから、その正しいものを壊そうとするのは悪人だという論法になります。実際には一方が悪いからと言ってもう一方が正しいわけもないのですが、未成熟な知性ならこの考え方をしてしまう可能性があります。そうするとこの主人公の少年は悪人を排除しようとする者達を悪者だと認識します。そうなると悪人である腐敗の原因である権力者とその共犯者は少年を都合良く操ろうと協力を申し出たり、少年に悪者を退治させようとするでしょう。そして実際には原因ではないのですが少年から見て『荒廃の原因である悪者』を排除すれば、世界の荒廃を止める事が出来ると信じて少年は正義感に駆られてかハニートラップに引っ掛かってか何か利益が得られるのかは分かりませんが悪者を倒そうとし、そのお話では成功してしまうという事になる様です。

そして争いで壊れた社会を再建しようとして少年は少女と一緒に生活を始める、という所でハッピーエンドになるなら、そこにも問題があります。

まずハッピーエンドの状況が荒廃を止める事が出来たのは、争いで多くが死んだからでしょう。その中には利権に縋る者達も居たでしょう。また、社会の荒廃の原因が中枢に巣くう権力者であるという事実を知った者がささやかな抵抗として精力的には働かないという行動を取っていたのならそれも荒廃の原因です。権力者に都合の良い強制された社会を早く潰してしまおうと行動していた彼らも争いで大半が死んでしまえば、怠惰である事で抵抗していた者達が消え、結果的に荒廃の原因が軽減された事になります。

そして一度潰れるか潰れかけた社会というのは関係の再構築を行う事になり、搾取されていた者達は搾取していた者達が死んで解放された状況になり、もう一度社会を元に戻しながら次は悪人に搾取されない様にやり直そうとするでしょう。また、何もかも作り直しになるというならそこには需要が生じ、人が大量に死んで供給が足りないなら誰でも働け、そして対価を手に入れる事が出来るなら、他者を搾取してでも薄利な利益を稼ごうとする方法を行うよりも実益が出るので過当競争における薄利を求める様な行動はされない為に資源が足りているなら皆が充分に正当な対価を貰い精力的に働く可能性があります。

その中で主人公の少年の様な、知性が足りない為に何が原因かも実際には分かっていないが悪人に騙されて原因を錯覚し、その原因を取り除こうとした者というのはその新しい社会において悪事に気づけないままに生活をするでしょう。そうなれば元々の原因である悪人にとっては好都合になります。なぜなら、もう一度悪人が楽して利益を稼げる状況を搾取される側が作ろうとしてくれているからです。悪人からすればカモがネギ背負ってやってくる様なものです。そして何が原因かは分からないままに悪人を偉い存在のまま扱ってくれるという者は実に好都合です。


これがその話のハッピーエンドの結末と言えます。ですのでこの話はユグドラシルというシステム上では悪人に都合の良い情報操作の為に広められる話になります。

私達は今まで思った事もない情報よりも今までに得た情報を基本として物事を考えます。積み木を組み合わせる様に、部品を合わせて組み立てる様にそこにあるもので構築しようとします。つまりは都合の悪い情報は隠し、都合の良い情報を与えたならその情報で偏向された可能性を模索してしまいます。ですのでこういった話を事前に与えておき、その者の知性が足りないなら同じ様な状況が起きれば、国の中枢を無条件に正しい、反乱を起こした者が悪い、という考え方をしやすい可能性があります。そしてそうなる様に仕組まれているという事です。


ではなぜそのハッピーエンドか、となると、その少年もやがて歳を取ります。すると徐々に経験と知識は蓄積し、やがて本当の原因を知るでしょう。そして、かつて社会を荒廃させた原因の一つである怠惰を示して権力者にとって都合良く操る事の出来る存在ではなくなるかも知れません。場合により、かつて自分がした事が間違いでありその罪の重さに耐えきれず悪人のままで居るかも知れません。どうせ償えないならいけるところまでいってしまえ、という考え方です。自暴自棄の一つですがそうなる可能性もあります。更に、原因を排除する為に反乱するかも知れません。ですがその主人公の少年の様な者達が多数居て、その者達の選択がやがて怠惰を示して反抗する状況になり、また、社会がある程度再建出来て簡単に利益を出す事が出来なくなるとまた今回の話の最初の様な状況になります。

するとまた反乱が起き、そして知性の足りない者が原因が分からないままに悪人に協力して表面上の解決をする、という繰り返しになるでしょう。場合により反乱が成功して権力者の入れ替えになりますが、腐敗の原因を切り離す事が出来なければまた同じ繰り返しになります。

ですので、そのハッピーエンドはまた同じ繰り返しの為のスタート地点ですからそこで区切りをつけるからそこがハッピーエンドになります。」


エールトヘンがそこで話を終えると、ローレンシアは別パターンを話してみる。


「なるほど。世界は一旦壊れほとんどの者が死に絶え、主人公とヒロインが生き残り新しい世界を始める、というハッピーエンドですか。それもほとんど先ほどと変わらない結末と言えます。大抵においてそういった時はほとんど絶滅したと言っても全滅したのではないなら生き残りが居ます。その生き残りの中に社会システムを悪用してユグドラシルと呼ばれるシステムへと改変してしまう者が居れば結果は同じになります。それまでの期間が長いか短いかの違いでしかありません。大抵においてこういった話を聞かされる者は話と同じ同じ状況、というよりその主人公とヒロインだけが生き残って次の世界の始祖になるという状況はまずほとんどないでしょう。地域的には2人だけでも他の地域には生き残りが居てやがて合流するというのが現実的です。そしてだからこそこういった結末で話が作られます。原因が排除されていないのに排除されたと錯覚した者はまた悪事に気づけないままに行動するので悪人は騙しやすくなります。そして、この話の様な状況が一部の地域で行われたものであるなら、社会の崩壊の原因を作った悪人は一時的に外部へと逃げ、混乱が収まった後に帰ってくれば良いだけです。原因は錯覚され解決したと思われているなら誰もその悪人が返ってくるのを拒む事はないでしょう。場合により、悪事により蓄えた財産を持って帰ってくるので歓迎する可能性まであります。そうして内部にまた悪人を抱え込み、悪事を成され社会は疲弊し同じ崩壊の道を辿ります。」


エールトヘンは締めくくる。


「情報というのは与えられた時点で何かの目的があって与えられます。与える側が信用出来るのであれば何か情報を与えられる者にとって有益であるから与えるのでしょうが、そうでないなら与える側にとって有益だから与える可能性が高くなります。それが教育と洗脳の違いだと以前にも言いました。洗脳して操りたい社会はそういった物事を考える判断能力を奪い、情報を隠し判断する機会を奪い、刺激的なもので目を逸らさせるでしょう。刺激の大きいものの方が刺激の少ないものよりも関心を引きやすく、そして思考する事は地味で刺激が少ないものであり、効率的なものでもありません。既に誰かが解明した知識や発明した技術を使った方がはるかに効率的です。しかしそこに、誰かの悪意で捻じ曲げれられた知識や技術であるという判断が出来る材料はほとんどありません。情報を与えず判断する機会も与えない様にすれば今回の話の様な者を作り出すのは比較的容易になります。そして元々が善良だったのであれば、正義感と無知が合わさり、悪人に騙されて都合の良い様に操られるでしょう。お嬢様は貴族です。民がそうやって悪人に騙され都合の良い様に操られない様に教育を施す必要があります。今回の話とは別ですが操られた民が錯覚をして悪事を働いていない貴族にも襲い掛かってくるかも知れません。民が自身で自身が悪人に操られない程度の判断能力が持てるような社会を作る必要があり、それが同時に悪事を行わない権力者の安全を守る事にもなります。そういった社会を作る為にも、さぁ、頑張りましょう。」


-->それに名前をつけなければ皆で扱えないのでマナと呼んでいます。

<--m,a,n,a、で形の中に宿る力(見えない何か)という意味です。


とある国で国民の半分を移民で置き換えた連中が居ますがそれの目的です。争いだけでなく移民という方法も口実に使えるという事です。過当競争で譲歩してより多く利益を差し出す側を残すという方法で入れ替える方法です。

実に簡単な考え方です。汚れたら新しいのに入れ替える。ただそれだけです。


-->ですので、そのハッピーエンドはまた同じ繰り返しの為のスタート地点ですからそこで区切りをつけるからそこがハッピーエンドになります。

<--「ハッピー」という言葉の意味をよく考えてください。良い使われ方ですか?悪い使われ方ですか?それを見る時、良い印象を持つ様に印象操作されていませんか?そういった所からこの社会は疑う必要がある程に劣化しています。


-->情報を与えず判断する機会も与えない様にすれば今回の話の様な者を作り出すのは比較的容易になります。

<--ですから「パンとサーカス」です。何不自由無いという事は、実際に社会で起こる出来事が正しいかを考える事をしなくなります。しなくても生存出来、楽が出来るからです。知性を育む性質を持つ者が僅かに機会と呼べる機会が与えられなくとも微差の様なものから機会を得て考え判断し、知性を更に成長させ問題の原因を突き止めます。ですから社会では教育が大事だと言われ、ご褒美を上げなくとも自身で知性を高める者が良い人物だと言われます。だからそこから逆に、そう言った人物になるのはあまり良い事ではないという風潮を作り出して、悪事を働く事の出来る状況を出来る限り長く続けられる様にします。


-->家畜は餌をやっても乳を出さなくなり

<--ここでの「家畜」とは何を指すか興味深いと思いませんか?


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