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S102 皆でせめぎ合う10%

とある国の広報説明をアレンジしてみました。


ぼくのようなさんすうにがてなこはだまされます。

(煽ってるわけではありません。昔、最初すんなりと受け入れて騙された事があるだけですw。おや、と思い返したらなるほどと思えました。)


今回の話は数字を扱っているのであまり信用せず半信半疑でどうぞ。疑問や興味が持てたら経済学とか調べてみると良いと思います。ここで書くのは持論に過ぎません。


いつものように魔導学は好きに置き換えてください。


ランディは新しい税の説明を聞いていた。

何でも国家予算が足りないらしく更に重税するそうだ。

貧民層からだけ絞り上げると思ったら富裕層も対象だというからまだマシかと思いながらも説明する役人の話を聞いていた。


「皆さん、今回の税は売ったものにかかります。10%、10%だけです。売ったものに10%を上乗せされます。たった10%です。いいですか?よく聞いてください。Aさんが素材を作ってBさんに売ります。そこに10%を乗せます。国は収入から一括で10%を貰うので注意してください。Bさんは素材を使って中間素材を作ってCさんに売ります。ここでも10%です。そしてCさんが素材を使って製品を作って売ります。ここでも10%です。最後は皆さんがそれを買って使って終わりです。税の2重取りはしません。最後に買って使う皆さんが最終的に10%を払います。それぞれの中間素材を作った人は、前払いで代わりに税を納めます。ですのでCさんが払う税額はBさんが前払いで支払った税額とAさんが前払いで支払った税額を引いた額になります。BさんはAさんが前払いで支払った税額を引いた額になります。Aさんは皆さんが支払う税額の内、Aさんが得た利益の内で、Aさんがものを売って確保したい利益に10%の税を上乗せするので、その税額をAさんは税金として支払います。Bさんがものを売って確保したい利益に10%の税を上乗せするので、その税額からAさんが支払った税額を引いた税額を税金として支払います。Cさんがものを売って確保したい利益に10%の税を上乗せするので、その税額をCさんは税金として支払います。税が10%増えるだけです。多少負担は増えますがそれほど生活は苦しくならないでしょう。」


ランディは税の2重取りなんてされたら堪らないと思いながらもそうはならないと言われてほっと一安心した。それでまあ何とかなるのなら良いかと思いながら帰宅した。




「というような事は起きるのじゃろうか?」


「なるほど。税の説明で皆を納得させてはいるが都合の良い部分だけしか説明しないという事ですね。」


「概ねそう。」


「税というのは単純に納める額が増えるだけではありません。収めた後の影響を考慮しなければ実質的な負担は増額以上になります。かつて農業を主体と考えていた時は豊作時に多く収穫物を税金として持っていきました。それは収穫物が増えたから出来る事で、多く持っていかれても苦しい生活にならないから可能でした。そして税は割合で計算される様になります。そうなると取れた分に応じて徴収されるのが当然になります。最初の頃に絶対値として畑1つにつき一定量の税としていたのは農民のやる気を出させる為でした。もし努力の末に多くの収穫を得る事が出来ればそれだけ自身の利益になるからです。努力させる事で国も安定した利益を得るというのが基本でした。しかし技術や品質向上と共に努力をさしてしなくとも過去に苦労して手にいれていた収穫物を得られる様になると方法は変わり、充分に収穫を得る事が出来る場所から割合で税を徴収する事になります。それでも豊作なら税を支払っても多くが残る為に、税が妥当な量ならば誰も不満を言いませんでした。しかし私達の役割分担と技術が高度化してくると状況は変わってきます。役割分担の高度化は人口増加と共に行われ、1人当たりの土地面積も減る事になり、かつては距離を取って生活出来たものも距離を取れなくなり、資源の奪い合いや交渉の揉め事などが多くなっていき、それを規制する為のルールなどを増やしてコストを増大させる事になります。増大したコスト分だけ収益が必要になり、税に反映されます。しかし人口が増えても全体が持つ物理的な資源の総量は変わらず、役割が人口増加に伴い増えるわけでもありません。充分な役割を与えられない人数分も同じだけの管理コストが生じ、税に反映されます。


また、増税は飢饉や不作の時にも実行されます。豊作の場合は多く収穫出来たので多く持っていくのですが、この場合は必要に足りない分を補充する目的になります。この方法は一時的な収支の不均衡をしのぐために行なわれ、必要最低限の食糧とインフラによる福祉を全体に行き渡る様に増税されます。

しかしそこには問題点があり、全体の総量が分からず、そして必要量がどれだけの増加になるのかの判断が難しくなります。一度増税や臨時徴収をして集めたが足らず、再度増税や臨時徴収を行って集めようとする場合があり、しかし今まで徴収した総量を考えずに、まだ足りない量を集めようとして不満を募らせる可能性が高くなります。

より大きな規模の社会で高度な役割分担をしている場合、税を増やして対処すると問題になります。農業比率が高い場合は分担比率がそれほど大きくなりませんが、農業比率が低い場合、食料徴収の分担比率は高くなり、全体を維持しようとして農業分野に貯蓄されている食料を徴収しても必要量に達する事なく、必要量に達する量を得ようとすると農業分野に従事する者達の必要最低限の分まで徴収するか、社会の中で一部を分配の対象にしない方法を選ぶ、つまりは母集団を小さくすれば必要な量も小さくなるので個々人に必要な量を分配出来る方法を選択する事になります。

この際の上層部の考え方は社会全体を生かすだけの量が確保出来ないなら残すべき者を選んでその者達を優先する考えに切り替わっていますが、末端にとってはそこに自分が加わっていない事とそれを何

の通知もなしに選択した事に不満を持ち、それまでが自身も生きていける環境だからこそ税を払っていたのに対して、その条件を失くす状況の変化は受け入れられず税を払う事を当然拒否します。ここで社会の成熟度が問題になり、知性の高い者達で構成された社会であれば場合により自己犠牲の精神で受け入れる事はありますが、知性がまだ未成熟な場合はこれを受け入れる事はありません。

これらの増税と対処方法は小さい規模の社会でなら通用したものです。そして小さい規模で通用したものを慣習として実行しており、根拠は過去にそうやって対応した事例があるからそうしているだけになります。問題の原因は分からずともとりあえず増税してその場をしのげば、問題の方が自然消滅してくれれば危機を乗り越える事が出来るという発想になります。これが飢饉や不作などに対処する考え方になります。

小さい規模の社会と大きい規模の社会では何が一番違うかと言えば死のリスクが身近にあるかどうかです。社会が持つバッファの大きさや一地方で不作が起きても他の地方で収穫が出来ればそれほど深刻な状況にならないなど、グローバルメリットが有効に機能した大きな社会では死のリスクは低くなります。しかしそれは死のリスクから遠ざかり、危機感を失うという事につながります。

小さい社会では死のリスクが身近にある為にそこに属する者の皆が生きる事に真剣になり、わずかな間違いや不正も見逃せない状況になる事があり、それぞれのモラルやマナーも高く、自らの属する社会の運営にも積極的とも言えなくとも情報を逐一得て確認するでしょう。そうしなければ生きていけず、そうしてきたから生きてこられたからです。そして小さい社会、ここでは村にしておきましょう。村で深刻な問題として飢饉が発生して食料が足らず口減らしをする必要が出た時、個人の生命より全体の維持を優先する選択が成される事があります。老人より若者、女より男、という様に、誰を殺し誰を残せば後に残された者達は生きる事が出来るかを考える様になります。その選択を拒み、自身が生きる事を望んでも実際に生き残れるかは分かりません。もし自身が女であり男でなければ耐えられない重労働をしようとしても務まらないでしょう。そうなると1人分の食糧を無駄に消費し、そしてその食料から得られる成果を集団が手に入れられません。するとその分だけまた状況は悪化し誰かを更に殺さなければならなくなります。

そして明確に生き残る事が出来るという確証があるなら自身が生き残る選択をしてもよいでしょうが、その場合は1人で誰の助けもなく出来る必要があり、集団に属するなら集団の一員として集団の存続を考える必要が出ます。そこには今までも同じ様に死んでいった者達が居て、自身はたまたま生き残る側に選ばれただけで今回は自身は選ばれなかった、というだけの事だと割り切れるだけの環境があります。その中で、もし生き残らせる者を間違えた場合の結果として状況を悪化させた体験により、自身が選ばれないが生き残る選択をした場合の結果を予測出来、結果として争いになるか更に状況が悪化してまた誰かが死ぬ事になる予測も出来る為に、自己犠牲として死を受け入れる選択が出来ます。それほど死が身近になければ自己犠牲の精神は育めず、そしてそういった社会での蓄積の結果として社会に参加している者でなければ自己犠牲の精神は期待出来ません。厳しい環境を仮想敵として闘い、個人が保身の為に秩序を乱してその闘いから隊列を離れる事を正しいと言えるのかという事でもあります。それまでに同じ様に闘い死んでいった者達を見た後に、自身は保身を優先して逃げるのが正しいのかという事でもあります。

そこには個の強さで生き残る事が出来ず、集団の強さを選択して生き残った者が、今まで恩恵を受けてきたにもかかわらずそれらを全て忘れて集団を切り捨てて個として生き残ろうとするのは正しいのかという判断が存在します。


しかし大きな規模の社会で生きる者達にとってその様な経験は遥か過去の出来事であり、また、その様な体験もなく誰かが作った社会に参加している場合もあり、その者達にいきなり口減らしの対象になれと言っても受け入れる事はまずありません。上層部は後に残せば状況を改善出来る可能性を持つ者を残そうとし、しかし選ばれなかった者達も生き残る事が出来るからこそ社会に参加していたという事実がある為に争いになります。


そして大きな社会の問題として、皆の利害関係が一致していない事が重大な問題になります。小さな規模の社会では役割分担するとお互いが密接に関係性を持つので利害関係が一致しており、集団の誰かが居なくなればそれだけ自身に不利になる為にその相手に問題を押し付けて加害する様な行為はしない場合が多いですが、大きな社会では利害関係の一致がない場合が多く、問題を他者に押し付けてもすぐには問題にならない場合が多くなります。

また、大した苦労せずに生活出来る環境で、それまでの経緯を考えずに与えられた環境が当たり前だと思う様になると、それを維持するための条件を考慮せずに更に利益を求める様になり、条件を壊す事を平気で行う様になります。誰かが自身の欲望で1人死のうが社会にはほとんど影響ないからです。しかし全員がそうなってしまえばその影響は大きいですがここでは割愛します。

利害関係の一致しない相手には問題を押し付ける事が出来、そういった行為が常習化してしまった社会においてはかつて自己犠牲の精神を持っていた者でも自己犠牲の精神を出す事はありません。仮想敵としての環境に対しての犠牲として自己犠牲を受け入れる事は出来ても、そこに誰かの悪意がある状況で操られる様に自己犠牲の精神を出す事は悪人をのさばらせるだけだからです。

簡単に言えば敵に利する行為として自己犠牲をしてしまえば敵が増々強くなるのならその選択は出来ないという状況になります。


つまりは小さな社会で成立していた対処方法も条件が変わってしまっている事で大きな社会には適用出来ないものがあり、増税というものも実際にはその中の一つと言えます。しかしそれ以外の対処方法を知らない為に、選択の自由なくその選択をする事になっているのが私達の社会だと言えます。それは同時に対症療法的に『なんだか良く分からないもの』に対してその原因を追究せずに済ませる事でもあります。


そして問題はそれだけではありません。技術が向上して生活に必須となる資源が集団内部になければ外部から購入する事になります。かつて自然を尊重しそこから得られる資源だけを基準に集団が自活できる状況であれば生じない状況が環境の変化により生じる様になり、外部との収支が支出側に傾くとどこかで補填する必要があります。そうなると個々への分配を減らすか分配したものを徴収するかのどちらかになります。そしてその状況が改善されない限り、常に減収か徴収し続ける事になります。つまりは一時的に増税や臨時徴収するのではなく、継続的に徴収し続ける事になります。

ここから分かる様に、増税というのは物事に対処する為のその場しのぎであり、解決策ではありません。増税するなら増税する原因になった根拠部分を解決する為にその増税分は費やされなければなりません。間違っても足りない費用に補填するのではいつまで経っても問題は解決されません。それが解決されるのは飢饉や不作などの様に問題が自然消滅する場合のみです。

例えるなら借金の利息部分を払い続けるのと同様です。


しかし補填はしなければならず、実際に増税する額は補填費用と対策費用が必要になり、負担は増えます。もし対策費用を増税しなければいつまでも補填費用は払い続ける事になります。

状況の悪化というのは常にこの様に維持しなければならない状況を下回ると補填費用と対策費用の両方が必要になります。

対外的な収支は均衡が取れる状態が最低限維持しなければならない基準であり、赤字になると問題は自然消滅しない為に外部資源に頼れば頼る程に弱味を持ちます。外部資源が必要だが対価になるものがなければ赤字は続き、その補填費用を増税するという形で行う事になります。先程も言いましたように、赤字の原因を追求して改善をしないという事は『なんだかよく分からない』ままに放置する事でもあり、分かっていても改善出来ない場合も対処方法が同じになる為に同じ結果になります。

何がどの様な原因で発生しているか分からない場合と何をどうやって対処すれば良いか分からない場合は同じ対症療法的な対処方法になり、その一つが増税になります。


つまり増税には2種類の原因があり、一時的な状況変化に対処する為に行われる臨時的な増税と恒常的な状態悪化に対処する為に行われる増税です。一方は状況が自然に元に戻れば減税出来、もう一方はいつまで経っても状態が改善されないなら税は元に戻りません。

今回の話で上げられる類の増税は恒常的な赤字を補填するための措置であり、状態が元に戻らない限り元の税率に戻す、若しくは税そのものを失くす事が出来ません。


そして問題はここから始まります。

一般人が税に関して考えるレベルは、税を納めた後に自身の手元にどれだけ残るかであり、多少増税されても残っている分で品質を少し落としても生活が維持出来るなら問題ないと思います。しかしこれを経営者視点で考えると見方が変わってきます。


例えとして生産者Aが素材Aを作り、それを生産者Bが使って製品Bを作り、消費者Cが買ったとします。素材Aは500、それに10%を乗せて550、生産者Bの原価率を実際の数値とは違う数値を用いるとして40%とし、製品Bは1375になります。

先程の話の通り、生産者Aは50を、生産者Bは製品に乗せた10%である125から生産者Aの支払った50を引いた75を税として納めます。これらは間接税であり、その税は実際には消費者Cが払っている事になります。これがなぜ前払いになっているかですが、それが素材であっても製品であっても使う事に変わりなく、そして売らずに使用した場合その使用した者が最終消費者になるからです。例えとして、料理屋で野菜を仕入れて料理を提供しますが、それを店で使用せずに個人の食事に使用するなどの状況が分かりやすいと思います。

消費者Cは1375を払い、増税分は125になり、多少生活の質を落とすなり貯蓄に回す額を減らせば良いかと思えるのなら重大な問題にしないでしょう。ここまでは今回の話の中の出来事です。


しかしどの様な消費者も社会の中で役割をこなして収入を得ています。

生産者Bは生産者Aから素材を買います。買った素材は550になっており以前より50上がっています。しかしそれらは税として売価に乗せて以前と同じ利益750を確保しているので問題無い様に見えますが実際はそうではありません。その収入で買う物全てが10%の増税が施されており、実質的な価値は以前の1.0/1.1に減少しているのです。そうなると以前と同じだけの生活をしようとしたなら減少分を売価に繁栄させる必要があり、売価はその分上昇します。およそ10%の売価上昇が税とは別に必要になります。そこに増税分が加算されます。税抜き1250で10%を増せば1375、そこに増税10%を乗せて1512が税が増えた事で変動した利益価値を以前と同じ相対的価値に戻す為に必要な売価になります。この上昇分を売価に反映しない場合、以前の収入の価値はそれだけ減少している事になります。物の価格が全て10%上がり、収入が以前と同じなのですから当然の事です。

増税したからといって売価を上げる事が出来るとは限りません。価格競争ではより低価格でなければ競争に勝てず、品質と価格のバランスで一定の範囲に落ち着きます。つまり価格はなかなか上げる事が出来ず、しかし利益は実際には減少しており、その影響は皆が負担しているのだからと受け入れるしかない状況だとも言えます。しかし、それは収益に充分な黒字があった時です。ほとんどの企業の経営主体がその様な恵まれた状況ではなく、極一部と言えます。現状でさえぎりぎりの生活をしている者にとっては受け入れると事業そのものが破綻する事になりかねず、売価への反映をしなければならない状況になり、売価が上昇します。売価が上昇すると需要と供給曲線に示される様に需要が減ります。増税して価格が上昇した事に加えて、利益確保の売価上昇により更に需要は減り収益は悪化する為、利益を確保する為に更に売価を上昇させる事になります。売価の上昇と需要の減少の均衡した時に利益が以前と同じだけ確保出来ていれば生活は安定する事になります。

しかし、そう考えるのはその経営主体だけでしょうか。皆が同じ状態なのです。増税による売価上昇した結果として需要も減少し、収益が得られずその足りない利益を売価に反映させて売る事で補填しようとして更に需要を減少させながらも安定しようとします。その時の対処は価格を変更する前の状況において価格を上昇させる事で採算が合う計算になります。しかし、誰かが売価上昇した結果、別の誰かがその影響を受け収益を減らしその不足分を売価に乗せ、減った需要分も考慮した売価上昇を行い、そしてまた別の誰かがその影響で売価上昇を行う連鎖を繰り返す事になります。

その結果として、当初の予想として行った売価上昇はその効果を充分に期待出来ません。売価上昇で得られた利益を反映しようとする状況は以前の計算に使用した状況とは異なり、他者も同じ様に予測して売価上昇した結果が反映された状況になります。つまりは価格が以前よりも上昇している為に以前の計算では充分な収益が得られないという事になります。それへの対処は2通りで、対処する為に価格に余裕分を乗せて上昇するか適宜価格を上昇させ続ける方法のどちらかになります。

皆が売価に収益確保の上昇を乗せる為に、誰かが売価上昇した後にまた誰かが売価を上昇させます。その繰り返しの結果としていずれ上昇させた売価では充分な収益が確保出来ないのであれば、先に余裕分を乗せておけば、いずれ収益確保が出来ない状況になるとしてもそれまでの間は安定していると言えます。

これは増幅器(アンプリファイヤー)と呼ばれる装置で考えると分かりやすいです。アンプリファイヤーは遠くの場所にエネルギーを伝える時に、減衰するエネルギーを低下した分だけ補い最終目的地に到達した時に充分な強度のエネルギーが得られる様にするものです。身近なものであれば情報通信手段があります。例えば音声があります。遠くに声を届ける時に、普通に話して届かない時は大きな声を出して届けようとします。それで届かない場合、一つの方法として中間位置に誰かを配置して同じ内容を繰り返し伝えさせて最終目的地に声が届く様に出来ます。バケツリレーの様なものだと思えば分かりやすいかも知れません。声は遠くに伝わる程小さくなり、それを補強する目的で大きな声を出したり、途中に人を配置してもう一度声を大きく出させる方法で対処が出来ます。こうした目的で間に挿入されるのがアンプリファイヤーであり、減衰して必要値以下になる時に底上げして更に先へと伝える用途で使われます。


これと同じ様に先に収益が相対的に減少して必要なだけの価値を失うまでの時間を延ばす為に最初に売価へ多めに利益を上乗せして上昇させます。そうする事で周囲の売価上昇で収益が確保出来なくなるまでの時間が延びます。

頻繁に売価を上昇させ続ける方法はこの売価上昇分を出来るだけ小さくした場合に行なう必要が出てきます。

ですが、売価上昇幅が大きければ他者の売価上昇幅も大きくなり、それだけ次の売価上昇で収益確保するまでの時間が縮みます。

結果として売価を大きく上昇させて収益を確保しようとしても状況悪化を加速させるだけになります。


こうして売価は常に上昇し続ける事になります。

売価の上昇が止まるのは需要と供給のバランスが取れた時と言えば単純ですが、それはどの様な時になるかと言えば、飢饉などの一時的な影響だとすればその飢饉による状況変化が無くなった時、対外赤字によるものであれば赤字が解消された時になります。そして方法はまだあり、社会福祉を削減してコストを低下させた時、更に福祉の対象者を削減してコストを低下させた時になります。

良く行われるのが後者の2つであり、前者の内で飢饉などの一時的な影響は対処法は確立している事が多く、発生してもそれほど問題にならず、そしてそこまでの被害を出す事も発生する事も稀になります。問題は対外赤字であり、外部に資源を依存している限り、継続的に発生し続けます。技術は日々進歩し、それまで得られた収益が得られない様になる事は良くあり、また、赤字を解消しようとすると新たな知識や技術が必要になり、それが得られないなら赤字を発生させ続ける事になります。新たな知識や技術の解明は難しく収益を増やす事が難しいなら、方法は先ほど言いました後者になり、コストを減らす方法を実行する以外に無くなります。

企業などでも見られる様に雇い止めによりコストを減らし収益のバランスを取る事は良くあり、費用削減の為に今まで充実していた福祉を廃止する事も良くあります。企業では1人当たりの生産効率を上げる事で減らした人数をカバーして収益改善する事が出来ます。

しかし国という規模ではそうは出来ません。企業の場合は雇止めという手段を用いて企業という主体の外に人員を放出して対処しており、それが企業そのものの問題として発生したものであれば支障はないですが、増税などの場合、実際の問題を外に押し付けて、問題をすり替えたに過ぎません。企業単体は経営改善出来ましたが雇止めした人員分のコストを企業が負担せず他者に放任した事になります。その負担は国としては何も変わらず、その企業単体の効果でしかなく、そして雇い止めした人員分だけの今までの様に経済活動してくれる存在が減った事になります。

なら残った者が居なくなった者の分だけ消費すれば問題無いと考えるかも知れません。雇い止めせずに支払うコストと雇止めをして支払うコストの差の分だけ残った者に利益として支払われるならそれを消費すれば雇い止めをしても経済に問題ないと思うかも知れませんが、雇い止めするに至った経緯を忘れています。

もしそれが企業体質そのものに問題があったのなら、雇い止めをする事自体はそれほど問題にならないかも知れません。社会には雇い止めされた者達の受け皿があるかも知れません。しかし雇止めの理由は新たな知識による差を作られて不利な状況になるかその不利な状況に陥った他分野の影響を受けて不況になり不利な状況になるかのどちらかであり、それが飢饉などの自然災害や一時的なものでなければ、雇い止めはその場しのぎにしかなりません。

対外赤字が継続するというのは例えるなら水を循環させ続けるシステムのどこかに穴が空いて漏水しているのと同じです。経済における貨幣の流通量が赤字分だけ減る事を意味し、減った分だけ税は徴収出来ず増税して対処しますが、循環する総量は減り、かつ貨幣の価値は低下します。


税金は福祉として社会に還元されるから問題ないと思うかも知れませんが対外赤字として流出する量を計算に入れておらず、常に還元されて社会に帰ってくる量は減っています。また、利権を扱う事により、不均等に還元される事になり、既得権益層には充分還元されてもそれ以外の者には正しく還元されません。

では対外赤字とは何でしょうか。数値だけ黒字になれば良いのでしょうか。そうではありません。継続して黒字に出来る環境が必要であり、その場しのぎで状況を整え続けるのは不可能です。黒字にするだけなら禁断の手が使えます。有形無形のかかわらず貯蓄を使えば良いのです。

それがなぜ禁断の手と言うと、変動費を賄う為に固定資産を売却する方法が多く、その場は何とかしのげますが、その後の状況は更に悪化しています。

簡単に例えると、その日の食糧を買う為に土地を売るという行為が良くないものであるのは分かりやすいでしょう。

持っているものを切り売りして、しかし新たに入手は出来ず、常に放出しつづける状況というのはいずれ破綻します。

つまり、表面上は対外黒字にする方法として使用する事が出来、しかし実際には対外赤字のままである状況が作られる事になります。

取引とは信用を扱うものでもあります。対外赤字であるという事実が与える影響を失くす為に変動費を補填する為に固定資産を売却する場合が良くあります。しかし増税も含めてそれらはその場しのぎであり、その原因を解決出来なければ常に不利な状況を継続させる事になります。


では切り売りするものは何があるでしょうか。個人なら身近な財産がすぐに思い浮かぶでしょう。アクセサリーや家具や道具などから始まり、家、土地、最後には自分自身、という展開があり得ます。生きる為に雇用契約で最大限の譲歩させられる状況も見方を変えれば奴隷契約とも言えます。では国という規模ならどうでしょう。国有財産を売るのは分かりやすいですが、問題になるのは継続的に利益を生み出す資産を売却して、売却後の収支を悪化させる事です。有形は国有財産が分かりやすいですが、無形は分かりにくく気づきにくいですが、端的に言えば環境です。

公害に見られる様に、本来必要な対策費用を削減する事で価格競争に勝つ事が出来るから利益を出す事が出来たが、対策を怠った為にやがて深刻な影響が発生し、最初に対策をしていた場合に比べて環境を戻す為の費用が更に必要になる状況に陥る事は良くあります。しかしその時には対策費用だけでも負担としてのしかかり、利益を出し続けた際に増やし続けた人口や拡張した設備などのコスト部分を削る事も出来ずに環境を元に戻す事すら出来ずに悪化させ続ける事になります。

公害が発生する前に公害になるという認識がない場合に利益を求めて実行した時、私達は気づかない内に明文化されていない権利を放棄した、もしくは売り払ったと言えます。そして問題が表面化して初めて自分達が何を失ったのかを知り、明文化して権利を主張する様になります。

その繰り返しにより権利は明文化されていきますが、逆に言えば明文化させずに忘れさせてしまえば時期を見てその差分を利用して利益を稼ぐ事が出来ると言えますがここでは割愛します。


増税した場合に既得権益層とそれ以外には明確な差が出来ます。不況においても既得権益層には充分に貨幣が流通し生活に困る事はあまりありません。理由は簡単で、国が集めた税金を予算として福祉や研究に充てる際にまず既得権益層に分配されるからです。しかし分配される量は赤字の分だけ減ります。減って足りないなら国債を発行して補填しますが、国債も問題の先延ばしには変わりありません。以前に言いましたように貨幣増刷と同じで既存の貨幣価値を低下させる行為になります。


この税による徴収とその再配分は利権を扱う事で公正に行われる事はなく、既得権益層を中心とした経済活動を中心に優先的に再配分は行なわれ、末端に行くほど影響を受けます。ではそれまでも影響を受けていなかったと言えばそうではなく、影響を受けていた状況の結果としてそれまでの現状が存在していたと言えます。利権を扱うつもりがなくとも時間と空間の制限で利権を扱う事になる場合もあり、必要悪として存在する部分もありますが、それを見て利権を扱うのは許される事だと思い込み濫用して社会を劣化させていく場合も末端から影響を受けますがここでは割愛します。


社会の腐敗により利権の濫用で末端に富の再配分が行き渡らず、対外赤字により貨幣価値は減少し、そして腐敗により実際問題に対応する能力の低下を招き更に対外赤字を重ね、末端から不況は蔓延してきます。

これを木に例えると、木は栄養があれば成長します。しかし成長した後に栄養が足りなくなった場合、古い葉を構成していた栄養分を吸収し新しい葉に栄養を供給し、小さくコンパクトに、そして効率良くして栄養の採算を合わせようとします。そうすると末端から徐々に枯死していき、中心に近い部分だけを残す様になっていき、それですら栄養が足りないと枯死します。

この様な木の生存本能で社会を例える事が出来、これを比喩して”常に減産し続ける運命の木”(ユグドラシル)と表現します。


しかしこの様なシステムであっても、国有財産がある限りは延命し続ける事が出来ます。逆に言えば国有財産を浪費させる口実があるとも言えます。不況の原因を調べず、解決しないのであれば、不況というものは『何だか良く分からない』ものとして存在し、例えば重力などがまだ解明されていない為に突然発生したと扱われる様に、対症療法的な対処しか出来ません。そうすると増税などのその場しのぎの対応しか取れなくなり、だからこそ解明されない危険性を生み出します。

解明しなければ国有財産の切り崩しを行い利権を濫用出来、また、国有財産を自身の派閥か利害関係者に売却してしまえばそれだけで楽に利益を稼ぐ事が出来ます。増税するという事も新たな利権を生み出す要因になり、また、対策としての施策も利権を生み出す要因になります。解決されてしまえばそれらの利権は失われ、楽に利益を稼ぐ事が出来ません。その為に問題が解決されない場合が存在し、やがて木が充分な栄養を得られなくなり枯死する様に社会は崩壊します。


話を戻しまして、間接税として物の消費にかかる税というのは既得権益層に有利に働きます。大抵は大きな集団であり、グローバルメリットを得られます。それに対してそれ以外の集団というのは大きな企業などになる事も少なく、中小企業が主になります。大手企業は製造ラインを一括で管理してコスト削減などを出来ますが中小企業はそうは出来ません。

簡単に例えるなら関税撤廃をした地域と多重の関税をしている地域での価格差を考えると分かりやすいかも知れません。減額した税の分だけ価格競争に勝て、グローバルメリットは有効に機能します。しかし同時にそれは以前と同じだけの流通量があっても同じだけの利益にならない事を意味します。

中小企業では利害関係が大枠で一致していても完全に一致しておらず、それぞれの生産者や小売業者などが増税などの外的要因に対して一定の利益確保が必要な為に価格において大企業には勝てません。

消費する物の売買にかかる税というのは小さな企業ほど影響を受けます。

それを利用してあえて大企業、つまりは既得権益層が利益を得る事が出来る様に税を導入する事があります。


この様に富を税として集中させ、その再配分を利権として利益を稼ぎ、自身の属する集団には貨幣を流通させ社会が崩壊するまで時間稼ぎをしながら快楽を貪る方法が確立されます。

問題に気付いていても対処しない若しくは対処出来ないなら対処方法は次善の策となり、対症療法的な対処だけになり、それは今までの慣習と実績を元に無難な対処しか出来ず、保身の為にも無難な対処だけを選択するのでその場しのぎを繰り返すだけになり、状況は悪化していく事になります。


外部に資源、特に代用不可なエネルギー資源を依存する場合は常にこの危険性を伴い、減少した利益の総量の影響で誰かを口減らしの対象として処分するしかなく、しかし社会は小さな規模の時の様な団結を得られず、意図せずとも既得権益層を優先的に生かす選択が成され、反発を生み、やがて内乱になります。


ではなぜ解決しようとしないのか。それは単純に解決しないで済むなら楽に快楽を得られるからです。新たな知識や技術を得るにはその場しのぎの対応や一日二日といった短い期間のちょっとした努力では出来ない場合がほとんどです。長い時間の継続が必要になり、それだけ労力が必要になり、また、コストも非効率になり、成功するかどうかも分かりません。それに対して今まで通りに行動し、過去の事例をなぞるだけで済むのならその差は歴然です。新たな知識を解明するより増税などで対処して『自分は役割を果たしたから悪くない』と言えば正当化出来るのなら何も問題はなくなり、本来必要な行動に比べて遥かに楽が出来、そして利権で稼ぐ事が出来ます。これは末端も同じ事で、自身が現状で役割をこなして収入を得て暮らせているから『自身は何も間違った事はしていない。他の者が怠けているから問題になっているのであって自身は悪くない』というかも知れませんが、状況に対処していないのは同じです。たまたま口減らしの対象にならなかっただけであり、それを自身の能力が優れているからだと主張する事は出来るかも知れませんが、実際には単に運が良かっただけとも言えます。相手に勝つ要因を得られる環境に居た、それが大きな割合を占める事がほとんどです。自身の努力ではなく、そしてその環境は問題を解決しない為に与えられる状況であり、そこに瑕疵が存在している為に実際には正当性を主張出来ません。

そして問題を解決するには予算が必要です。既得権益層程に優先的に再配分される税はその為の費用とも言え、その恩恵を受ける者程、自身の能力が優れているから収入を得られているのだと主張をする事が出来ません。求められているのはその普段の行動だけではなく、問題解決する為のプラスアルファです。予算を与えられた者がこうして錯覚する事で何も具体的な行動をせずに浪費してしまえば何の対処もされずにただ時間だけが経過して状況を悪化させ続けます。


ですので、社会の役割分担をしている状況でも、問題に対処する為に、富の再配分を受ける者程、実際には問題を解決する為の行動を義務として持ちます。今の役割分担をするのではなく、魔導学分野で競争に負けているなら魔導学分野へ転向もしくは役割を果たしながら学ぶ、魔導化学分野で競争に負けているなら魔導化学分野への転向もしくは役割を果たしながら学ぶ、という行動が求められます。現状のままで良いとは誰も言っておらず、状況に問題があるなら更なる行動が求められます。

この様な観点から、特権が与えられる貴族には状況に対しての行動が義務付けられている様に見え、実際には貴族の自由意志による選択になりますが、これをノブレスオブリージュと表現する事もあります。

しかしここにも口実に使える制限があり、もし今の役割を放棄して誰も代わりが出来ないなら放棄出来ないので自身は今の状況のままで良いのだと言い訳をする事が出来、実際に使われ、そしてその者達は問題を解決する事自体を放棄して既存の慣習通りに対処して利益を稼ぐ選択をする事があります。

また、では多くの恩恵を受ける者程リスクの高い行動をする義務があると錯覚し、あえて相手に多くの恩恵を与えて行動を強制するという悪事も存在します。そうすれば自身は『相手よりも少ない恩恵を受けているだけ』だからまず他にリスクの伴う行動をする必要があり、その者達が居なくなってからが自分達の順番だと思い込もうとして、本来するべき行動をせずに快楽に逃げる悪事も存在します。

こうして問題が発生している時にするべき行動をしないままに他者を批判する事は出来ず、しかし誰かにリスクの高い行動をしてもらわなければ今までの生活が維持出来ないので他者に強制して押し付け合う状況が生まれます。権力を得てリスクの高い行動は他者へ押し付ければ自身は楽に生活出来ますが、それは本来求められる行動とは逆になり、社会の本質と反します。


しかしここにもまた口実が作れます。かつて誰かが問題解決の為にしていた行動でかつその結果として問題解決に影響があった行動を真似ていればするべき事はしていると錯覚出来てしまいます。それらは今まで問題解決しようとも思わず、そして同じ事をしていれば誰にも批判されずに今のままで良いと思い込む事で行われ、また、かつての結果と違いが分かりづらい為にあえて偽装目的で行う場合もあります。そうする事で自身は問題解決の為のリスクの高い行動は取らずとも良くなる可能性が高くなり、保身出来ます。具体的には誰かがかつてした行動の真似として、今まで手に入れていなかった誰かが解明した知識や技術を新たに覚えるだけで役割を果たしたと錯覚する場合があります。誰かに言われるまま、誰かの行動を見たままに行なうから起こる錯覚です。実際に必要なのは新たな知識や技術を得て、それらと今までの経験を用いて状況分析して問題解決するための試行を行う事です。真似は効率よく、実際の行為行動は効率が悪く、真似するものほど表面上は優秀に見えます。しかし実際に求められる行為行動をしていません。簡単に言うなら、勉強する為に勉強するのと、問題解決する為に何を学べばよいかから模索してから勉強するのでは効率が違います。

それでも社会レベルが比較的低い間は真似をしているだけでも得た知識で何か閃くかも知れません。社会の中で常に数%が新たな知識を解明する可能性があるという統計があったとして、その様な『ラッキー』に頼る方法が確率の世界とも言え、社会が高度になるにつれ博打要素が強くなっていきます。状況判断もなく闇雲に知識を集めるだけでは砂漠に埋もれた小さな宝石を探す様な状況に陥ります。

しかし知識を集める事で他者より優れていると実感出来、またそう評価される事で自信は社会での役割は充分に果たしていると錯覚出来、そうなると何も改善される事なく社会はリソースを問題を解決する事もない者に分配して浪費し続け、状況を改善する機会を逸し続けます。


その状況に陥るまでの過程に原因があり、それを生み出す要因を排除する事が必要で、その一つとして知識を不当に独占する事が挙げられます。知識を隠して他者と差を作り利益を上げる方法は良く用いられますが、自身が解明したものでない知識や公開された知識を隠す事は相手の権利のはく奪であり侵害とも言えます。その方法として多くの似たような間違いを含む知識で元々の知識をその中に紛れ込ませてどれが正しいかを判別出来ない様にする、若しくは得る機会そのものを失くすという、例えるなら『森の中に木を隠す』という手法が用いられる事がありますがここでは割愛します。先に正しい知識を知っているからこそ簡単に正しいものの判断が出来ますが、そうではない場合、かつてその知識を解明したものと同じ様に再発見しなければならず、そして似て非なる知識が有用ならそれを扱う様になりそれ以上の追求をしない場合が多く、再発見は難しくなります。そこにある差が悪用されます。


対外赤字や飢饉などもそうですが問題を追求し解明する事で対処法が改善され、以前の様な方法が対症療法的な対応だった事がようやく分かります。つまりは解明されてからしか対症療法的な対処だったかどうかは分からず、そしてそれに気づかせない様に知識を隠してしまえば既に解明されたものもいまだ解明されていない様に扱う事が出来、利権を扱う事が出来ます。

同じ様に社会にある知識や技術は同じ様な方法で悪用出来、わかりやすい例で言えば、未開部族の所に行き、マッチやライターで火を起こすとまるで魔法の様に火をつける事が出来、神の様な扱いを受ける事があり、知識を持っている者と持たない者の認識の差は知識によってはそれだけの差が生じ、だからこそ知識を隠して利益を得ようとし、自身の優位性を保持しようとします。

しかし対外赤字を解消するには誰かが新たな知識や技術を解明して不利な状況を覆す必要があります。社会の中で楽に利益を稼ぐには知識を隠し独占するのが効率良く、しかし現状が対外赤字などで不利な状況に陥っているのであればその行為は対外赤字を改善する為の妨害をしている事になります。しかし個人から見た世界では楽に利益を得る事が出来、そして自身は自身のしている事に対して責任を取らずとも良く、更に社会の中で利益を得られるという事は役割を果たしていると錯覚出来、『自分は悪くない』と逃げる事が出来ます。

この様に知識を隠すという行為は利己益の為に社会に損失を与える行為であり、社会では許される行為ではありません。但し、それが自身で解明したものであればそれを公開するかどうかは自由です。 自身が解明したものを秘匿するかはそれを解明した本人の権利です。誰かの解明した知識を隠して秘匿するのは持っていない権利を行使しているとも言えます。正しい知識の周囲に間違った知識を大量に配置して何が正しいかを分からなくさせるのは『隠していない』とも言えますが、同時に妨害しているのでルール違反です。


しかし社会の作り方では、主には競争社会ですが、競争に負けると自身の生命にリスクが生じ、優位性を保持し続けたいと思います。差があればある程優位になり、楽が出来ます。そうすると、誰かが間違っていても指摘せずに放置する選択をしてしまう様になり、社会は損失を改善する事が出来なくなります。差があればある程優位になるので、相手が錯覚する様に知識を与える事で差を作って利益を上げる選択をしてしまう様になり、社会はその効率低下により更に悪化します。錯覚させられたものや指摘されない事で気づけない者はそのまま効率の悪い方法を継続し失敗しやすい状況を続ける事になり、社会はそれだけ外部との競争に弱くなります。しかしそこで優位性を得た者は社会が外部との競争に負けて影響が現れるまではその差で利益を稼ぐ事が出来ます。


こうした者達が居れば居る程に社会は劣化していきやがて崩壊します。勿論自身の属する社会の外部にある社会も同様の腐敗をしている可能性があります。しかし同じ様に堕落していく中でより堕落した集団が外部との競争力を失い破綻し、追い詰められてルールを破り争いを仕掛けるという所までは良くある流れになります。しかし同時に堕落するのではなく制限を外さない事で競争力を失い破綻し、追い詰められる場合もあり、最終的な状況だけではその経緯を判断しづらいものがあります。数ある選択の結果として失敗があるとしてその失敗から見た以前に行なわれた選択が何であったかの情報は最後の結果にはほとんど残っておらず、それが自堕落だったからか、欲望を追求したからか、周囲がルールを破って優位に立とうとしている中で愚直にもルールを守り続けたからかは情報の不可逆性から判断が難しいものになります。だからこそ悪用出来るとも言えます。」


エールトヘンは締めくくる。


「新たな知識や技術の解明には時間がかかり、それに従事した事の無い者によってはある日突然閃く様な博打に近いものだと錯覚する者もいます。そして知識や技術を解明する行為が行い易い環境が必要です。社会が平和であったとしても、実際にはダイナミックに動いており、支配者はその状況変化を確認しながら配下を統率する必要があります。問題が起こってから対処したのでは間に合わない事も多く、それ以前から継続的な進歩を行う必要があります。

お嬢様は貴族です。民が安定した生活が出来る様に配慮しながらも性質を改善させ能力を向上させる事が出来る様な環境作りを行う必要があります。それを怠れば現状の環境が与えてくれる優位性を失った時に、事後の対処に追われる事になり、より不利になるでしょう。そうならない様にお嬢様自身がまず必要な知識を手に入れる為に、さあ、頑張りましょう。」


昔、とある国の区役所で税を受け入れさせる説明につかわれていたものですw。


今回の話にある様に商人とは『差を食う』ものです。増税や状況変化により貨幣の相対的価値が変動した時にいかに多くの利益を掠め取るかを追求します。社会人として求められるのはその変動幅を小さくして社会への影響をなくす、ですが、差から利益を得るならその逆が最も効率が良い事になります。社会を維持しようとするものは悪用しようとせず、悪い商人は悪用して利益を得る為に悪人程優位な状況を作り出せます。それを規制するためのルールを用意すると時間経過で根拠が忘れられた時にルールを撤廃して利益を得ようとする、この繰り返しです。


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