S100 サラとベニヤミン
今回は宗教色が強いです。受け付けない方はスルーでどうぞ。
登場人物の名前は創作です。
また、内容はR15で良くないです。
聖書の中で淡々と書かれているからこそ読めるものを脚色すると途端に読みづらくなります。書いてる本人がダメージを受けました^^;。
聖書からの抜粋に独自解釈を付けたものです。
個人的には妥当なんですが、それを曲解したい者からすれば独自的なもので客観的ではない、と主張するでしょう。そうしなければそれを悪用して悪事が成せなくなり、今までの事も悪事とみなされるためです。
デニスは友人の居る町に訪れた。マーロンと会うのは久しぶりで、マーロンがこの町に移住してから数年会っていない。そのマーロンもようやく町に落ち着けたのか手紙を寄越してきた。
マーロンがどんな生活をしているかを見ようと言う事になり、奴隷女のミランダを連れてマーロンの所へ遊びに行った。
マーロンの居る町に入ると、道行く人々がミランダをチラチラと見ては通り過ぎていく。デニスの住む町でも見慣れた光景で、ミランダの綺麗な容姿は周りの視線を惹き付ける。そのミランダを連れて歩くデニスは鼻高々だ。
やがてマーロンの住むこじんまりとした家に着き、マーロンはデニスを出迎え、久しぶりの友人の顔を見てデニスは喜んだ。ここまでの旅路の話やお互いの町の様子を話しながら2人はくつろいでいた。
そうして夜を迎えた時、異変が起きた。外が騒がしくマーロンやデニスは何事かと思って外を眺めてみると町の男達が家の前に集まり、マーロンの家に押し入ろうとしているのだ。
慌ててマーロンとデニスは窓につっかえ棒をし、扉の前には重たい物を置いて男達の侵入を防ごうとした。しかし外に居る男達は数が多く、こんな間に合わせの方法ではすぐに突破されるだろう。
そこでマーロンは外に居る男達に聞いた。
「何が望みだ!」
すると男達はこう言い放った。
「そこにむしゃぶりつきたくなる様な綺麗な女が居るだろう!そいつを出せ!そうすればお前たちは見逃してやる!」
その一言にミランダは恐れおののき、デニスは憤慨した。しかしデニスとマーロンでは男達をどうする事も出来ない。デニスとマーロンはどうすればこの窮地を脱する事が出来るかを考えたが何も思い浮かばず、しかしこうしている内に今にも男達は扉を打ち破って入ってきそうな勢いだった。
そして仕方なくマーロンが言う。
「デニス。その女を外に出すぞ。」
「何を言っている!?正気か?」
「ああ、正気だとも。その女を庇った所で俺やお前は殺されてどちらにしてもその女はあいつらの餌食になる。なら俺とお前の命だけでも拾うべきだ。」
「だが・・・」
「それ以外に選択肢がないんだよ。俺とお前も死ぬかその女だけ犠牲になるか。お前じゃやりづらいだろう。俺がやる。」
「・・・」
ミランダは『外に出さないで』と懇願したがマーロンは渋面のままミランダの腕を掴み扉の方へと引きずって行った。そのマーロンの行動を眺めるデニスも苦虫をかみつぶした様な表情を浮かべるだけで止める事が出来なかった。
マーロンは扉を開いてミランダを突き出しまた扉を閉めた。扉の外では男達の歓声と笑い声が鳴り響き、そしてミランダの声が聞こえてきた。
「やめて!許して!お願い!」
ミランダの声をなす術もなく聞くデニスとマーロンだったが、やがてミランダの声は小さくなっていき聞こえなくなった。
しばらくして外が静まり返ったがまだ誰か隠れているかも知れないと思いデニスとマーロンは朝まで待つ事にした。
そして朝の光が窓の隙間から差し込んでくるのを見てデニスとマーロンは扉を開けた。
するとそこには無残にも凌辱の限りを尽くされた全裸のミランダの死体が横たわっていた。
男達の姿は既になく嵐が去った後の様な静けさだけがあった。
デニスはミランダの死体を見て歯を食いしばりじっと黙ったまま眺める事しか出来なかった。
そして数日後、それぞれの氏族が住む街がいくつかあるが、その長の所に贈り物が届けられた。
長達はそれぞれ贈り物が何なのか分からず中を覗いて見ると、そこには女の死体の一部が入っていた。
長達は驚き、一体これは何なのかを確かめる為に送り主のデニスの所へと駆け付けた。
長達が集まった所でデニスは事の全てを打ち明けた。ベニヤミンの氏族のいる町で男達が夜の闇に紛れて襲い掛かりその死体の女を嬲り殺したと告げた。
長達はそんな悪逆非道な出来事があったと知り、重大な問題だと思って、各氏族から男達を集めてベニヤミンの住む街へと押し寄せた。長達は町の住人であるマーロンからも、そして事件が起こった時に周囲に暮らしていた者達からも事情を聴いてデニスの言っている事が間違いないと判断した。
そして長達はこんな無法を女に働く男達に対しての罰を決めて告げた。
「お前たちベニヤミンの所には我らの氏族からは妻は娶らせない。それがお前たちの仕出かした罪への罰だ。」
それにベニヤミンの男達は反論した。
「そんな!それじゃあどうやって俺たちは子を作れば良いんだ。」
「そんな事は私達の知った事ではない。だがしかし・・・」
長達はそこで悩みました。実はこの会合に参加していない町があったのです。伝令は送って招集をかけたがついに集まらなかったサラの町の人間は長達の話し合いに参加していませんでした。
そこで長達は勝手に彼らの権利を扱うわけにもいかないからベニヤミンの男達にこう告げました。
「サラの町からでも女を奪って来れば良いんじゃないか?事情を話せばサラの町の人間も分かってくれるかも知れん。」
そんな事はないだろうがな、と長達は心に思うもサラの町の決断はサラの町に任せる必要があるのでそれ以上の言葉を避けました。
こうしてベニヤミンの男達はどこからも嫁を娶る事が出来ない様になり、だがサラの町の女を浚う事で子を作ろうと悪事を重ねる事になりました。それに|因[ちな]んで、強引に連れされられる事を『サラわれる』と言う様になりました。
|愛[め]でたくなし|愛[め]でたくなし。
時は少し過ぎて、サラの町では問題が起こった。別の町の男達がサラの町の女を浚ってしまうのだ。運よくその場に居合わせて男を捕らえる事が出来たのだが、その男の言う事がまたサラの町の人間には信じられなかった。
「長老達がサラの町の女なら奪って良いって言ったんだよ!だから俺たちはやってる。文句なら長老に言えばいい。」
そうして話す男はその一点張りで、なぜそんな事になったのかを聞いても口を閉ざしたまま答える事もなく、埒があかないと思った町長は他の町の長老たちに話を聞きに行った。
するとベニヤミンの町での出来事を教えられ、確かにサラはその時、招集に応じなかった。しかしいくら何でもこれはないとサラの町長は思った。
なぜ勝手にサラの町の事を決めたのだとサラの町長が問い詰めるが長老の1人は、そんな事はしていないと言い張った。
長老たちは招集に応じた町の皆で、ベニヤミンの男には妻になる女を与えないと誓った。その時にサラの者が来ておらず、連中の事だから女は奪うものだとしか思っていないだろうから『サラから奪ったら良いんじゃないか』と言っただけだ、それをあいつらが勝手に長老が認めたと言っているだけだ、と長老はサラの町長に言った。
サラの町以外から女を奪うと他の町を含めて全部から攻撃される、しかしサラだけなら町対町でまだなんとかなると思っているんだろう、とも長老は言った。そして何とか出来なければ子を成せずに死ぬだけだから、何がどうであっても連中は自分達の主張を押し通すだろうとも長老は言った。
それを聞いたサラの町長は招集に応じるべきだったと後悔した。
時は過ぎ、歴史書を紐解いて読む者が居り、そこにはサラの町とベニヤミンについて書かれた内容があった。
ある者はこう思った。
「そうか。皆で集まればそこにいない者の権利を勝手に使う事が出来るんだな。良い事知った。今度やろう。」
ある者はこう思った。
「皆で集まる時に、参加しないと勝手に決められて損をするんだな。気をつけよう。」
「というような事は起きるのじゃろうか?」
「なるほど。行なった発言を曲解された結果、誰かの権利を勝手に奪ったり、与えたりした事になるという事ですね?そしてそれを見た者が行動を真似ればしても良い事だと思い込むという事ですか。」
「概ねそう。」
「今まで言いました様に私達は世界の全てを解明しておりませんし、時間も資源も有限ですので、全てを書き記す事も話して伝える事出来ない場合が多くなります。要点を伝えて、後はその受け取り手が正しく解釈する事に期待する事になります。相手が悪意があるならどれだけ正しく表現出来てもそこにたいした効果は期待できません。残る明文化されない情報に相手の意思が介在し、都合の良い選択をする為にどこまでいっても正しく解釈される事はありません。
例えば『拍手しろ』と言い、拍手とは何かと問われて『手を叩く』事だと伝えたとして相手に悪意があるなら、自分の手でなく他者の手を叩くかも知れませんし、何か鈍器で手を叩くかも知れません。『手』とは何かと問われて『腕の先にある5本の指を含む平たい部分』だと伝えたとして、相手に悪意があるなら鉄製のグローブをつけたり、そしてその手で、地面や物などを叩いて壊すかも知れません。厳密に定義すればそれだけの時間がかかり、それを全て暗記出来るだけの知性もないにも関わらず、悪意をもって間違う事を選択できる者は居ます。
そして私達は良悪の意味で悪意がなくとも、自身の保身の為に曲解しようとする場合があります。この話の中でのベニヤミンの男性の様に、犯罪しなければ子を作れず次世代に生をつなげる事が出来ないが、それを認めてしまえば自身が悪人だと認めてしまう事になる。だから言われた内容が実際にはそうではないと気づいていても、あえて別の意味で受け取り、自身を正当化しようとします。
この場合の問題点はそれがもし成功してしまえば、次からはその本人だけでなく周囲でその結果を知った者も同じやり方で利益を得ようとしてしまいます。なぜなら効率の良い方法になるからです。
人を襲ってはいけないというルールのある中で『特別に』襲ってよいルールが出来ればそのルールを使って襲えるなら生産活動をするよりも遥かに効率の良い利益が得られます。
そして追い詰められた者にどれだけ正論を言っても受け入れる事は本当に稀です。受け入れたら更なる苦境に晒され、それでも受け入れる者は良心の呵責に耐え切れなくなって受け入れる事になり、そもそも良心の呵責を感じない者にはその考えすらありません。もしそれでも法を遵守させ受け入れさせようとするなら、受け入れた後の状況でその追い詰められた者がどの様な事をしても回避したい不利益を被らない様にする環境が必要になります。受け入れたら死ぬ様なものを受け入れさせるには受け入れても死なない環境にする事でしか大抵の人間には受け入れられず、法は守られず争いになります。その環境が出来るとようやく多少の不利益なら受け入れると思える者が出てきます。しかし全員ではないかも知れません。
その場合にもまた問題は発生します。今度は環境が変化する事により、つまりはルールを追加した事によりその影響が生じます。以前は死刑が当然だと思われた罪も、死刑にならないのなら、利益と不利益を考えて"しても良い"と判断する者が出てきます。それまでは死ぬか生きるかの問題であり、有りか無しの判断基準で天秤の上に載せてバランスを考える自由もなかったものが天秤に載せて考える事が出来る様になります。
その犯罪を行って得られる利益で体験できる快楽がその人物の能力では一生体験する事の出来ないものだとすれば、その人物は行なってしまうかも知れません。快楽を求めたものではなくとも、追い詰められた者が権力者に使い捨てフィルターにされる事はよくある事です。死ぬか生きるかの選択肢において、死ねないという選択肢をしてしまった者は生きるための方法を受け入れるしかなく、それが犯罪の手先でも受け入れる事になります。権力者とその取り巻きの代わりに自首する者や計画倒産を行う時の企業の代表になるなどの名義貸しをする者など、権力者にとってそういった人物は使いどころが豊富であり、あえて囲っておく|家畜[リブストック]と同じ扱いになります。
ルールを追加して変化させた状況に対してまたルールを追加して対処する事になり、悪意を持って解釈を間違う者がいる限り、ルールを厳しくする事でしか社会を維持出来ません。そして問題になるのが判例法です。
判例法の行き着く先はその繰り返しにより、悪意を持って曲解する状況を失くせるだけの明文化を行い、悪意による影響を誤差とする所まで細分化する事です。しかしそれまでには予測出来なかった結果に対する経過措置が必要となり、それを悪用される事になります。そして、それ以前までの起こった出来事を充分解析していない為に、ほんの僅かに変更されたものにも対処出来ず、経過措置という事後の策で対処して悪用され続ける繰り返しにより、最終的な結果を得る事なく破綻するのがほとんどになります。
その理由として権力者側が経過措置の悪用により得られる利益の大きさに魅了され、それを規制する側が実行してしまう状況になる事が多く、あえて経過措置を最大限長く行う場合が良く起きます。
状況が変化するという事はそれ以前に生じた結果がどうであったかを判別し直し、細分化の結果をあてはめ、実際はどうであったかを判断する必要がありますが、それは同時に判例法の主旨に反するものになります。以前と同じ結果が次にも求められますが、以前の結果から改善された判断を行う事を禁ずる場合があります。
その細分化した識別能力を法律として反映させてようやく対処する事が出来、それまでは取り締まる事も出来ずに悪人に不正に利益を稼がせる結果になる事があり、また、だからこそ法律の改正を最大限遅らせる場合もあります。
つまりどう考えるかと言うと、逆算します。ある問題が起きるとすると、それに対処するための手続きなどにかかる時間がどれだけかを計算し、この問題が起きればこれだけの期間、法律の瑕疵を使って利益を稼げる、という試算がある状態で、実際に問題に対処します。どこに問題があるかという部分で、まず、問題が発生する事自体が権力者側の不備によるものであり、また、社会に属する者達の失敗です。自身を含めた全体の失敗を悪用して利益を得ようとする事が既に自作自演と言えるものになります。しかしそこから得られる利益を最大限に得る為に問題に対処し終えるまでの時間を延ばし続け、それ以上延ばせなくなると対処を終え、次はその対処により変化した状況から生じる問題に同じ方法を用いるという行為を繰り返すのが悪人です。
それを防ぐにはやはり知性が必要になり、抽象概念の理解が必要になります。日々の日常からその行為行動がどの様な要素から成り立っているかを判断する練習を続け、各問題を要素に分解し、その構成から見た問題の発生状況を判断する事で、どこに問題があったかを類推し、そして、同種類に分類される問題には以前対処した内容を改良した方法で対処するという繰り返しにより、問題をより早く対処していき、問題が発生する以前にシステムの個々の条件から発生する可能性のある問題を割り出し、事前に対処方法を決めておく方法が求められます。そして事前に対処方法を決める事が出来る状況にまで到達出来れば次は未然に防ぐ対策を練る事が出来ます。その繰り返しにより発生しうる問題を要素に分解して分析し発生する問題を未然に失くす様に行動が出来る様になります。そして今まで発生していなかったとされる問題も要素に分解して分析する事で、対処法を知る事が出来る様になります。
それをするには知性を育む必要があり、自身が利益を得る為に必要な所までしか細分化をしないという状況から脱却する必要があります。
利益を得るだけなら、問題を解決せずに問題に対処し続ける事で延々と利益を得続ける事が出来ます。これは軍人が戦争が無くならないならずっと食べていけると思う発想と同じです。例えば同じ発想として、合格するまでの期間雇われ続ける事が出来るなら合格するまでの期間を最大限延ばし続けようとする教師なども居ます。最大限延ばし続ける口実があれば他者から明確な批判も受けずに、利益を最大限得る事が出来ます。
これのどこが問題かと言えば当然、本来の目的と反する所です。軍人は戦争の抑止力として存在し、その軍人が戦争を起こして若しくはあえて必要もないのに戦争を匂わせて保身を図ると、それらを含めた全体の正しい判断が出来なくなる場合もあり、また、あえて必要のないコストは社会に負担をかけます。教師のどこに問題があったかは分かりやすく、雇われるという事は誰かがその費用を支払うという事であり、それなりの効果を求めているという事です。教師が自身の利益のみを考えてその雇われる期間を延ばすという事は損失を与える事でもあり、同時に時間を奪う結果にもなります。もしそれが競争社会の中で行われたとすると、競争に負ける要因を増やす事になり、あえて教師を雇ってまで教えるだけの価値を失わせる事にも繋がります。形としては教えている振舞いは出来ますがその実質的な内容に問題がある状況で、教わる側が教える側よりも対象としている内容について多くを知らず最適な方法を知らない事で、教師の悪意と間違いに気づけない可能性が高く、専門知識の悪用というのは社会の基本的な仕組みを失くしかねない行為であり、信用を失わせる方法になります。
言うなれば本来の役割の目的を達成しない事で利益を得続ける選択が出来るという事であり、資格が足りないという事になります。軍人が食料を得る方法を失いたくない為に、あえて長く戦争を続けたり、政治家が問題を解決せずにその場しのぎの方法を続けたり出来ます。
これらも役割を曲解して自身の都合の良い様に解釈している事になります。
なぜその様な事になるかと言うと、話を見たり聞いたりする者は実際に体感したのではないからその知性の程度において錯覚してしまう可能性があるからです。役割についても同様で、既に出来ている役割を誰かに与えて貰う場合は、その行動を真似るだけで現状においては役割を果たせてしまいます。そうすると他の誰かに管理されている状態では問題ありませんが、その誰かが居なくなると判断を自身でする事になり、モラルやマナーが欠如していると役割の目的を考えずに自身の保身のみを考慮して行動して間違います。
例えば今回の話ではその根底に、長老などのリーダーの指示に普段から従っているという習慣が存在します。ですので長老がして良いと言えば、子供がパパやママの許しを得ればして良いと思う様に行動出来てしまっています。しかし同時にそもそもその長老などの指示となるルールを破った結果、その状況が発生している事は、自身に都合が悪いから考えていません。ルールを守れば快感が得られないから守らない、ルールを守れば快感が得られるから守る、という直情的な行動をしている段階では知性がまだ足りないと言えます。ある行為をすれば別の行為が成立しないという事実を考えて、自身の行為を行うと成立しなくなる行為があるかどうかをまず考えてから行動すべきです。そしてそれが出来る様になったら次は、自身の行動を見て誰かが錯覚しない様に、自身の行動が別の行為に錯覚出来はしないかを判断出来る様に能力を高める必要があります。
しかし、知性の低い者や欲望の誘惑に負ける者はこの逆を行います。自身の行動が別の行為に錯覚しやすい様にして相手を錯覚させて利益を得ようとし、自身の行為が他の行為を成立させなくしても気にしません。
この様な者達はどうやっても自身に都合の良い様にしか物事を解釈する事しかしない為に更に問題を発生させます。今回の話であれば、長老が"して良い"と言ったからして良いと思い込み、そして長老が勝手にサラの町の事を決めた、からそうやれば勝手に他者の権利を使って良いとあえて錯覚する様になります。
対象となる人物の居ない所で話合いをして決定すれば、その対象となる人物の権利を勝手に使ってよい、問題を押し付けて良い、勝手に受け入れた事にして良い、などと欲望に任せて夢を膨らませ始めます。
一方でそうしなければならない状況と言うのは存在します。時間の猶予がなく、その対象となる人物に損害を与える可能性がある場合です。この状況における行動を見た者が、それに気づかないか場合によりそこに違いを感じつつもあえて見たままの行動を真似れば同じ事をして良いと錯覚して、その逆と言える対象となる人物に損失を与える結果になる様に行動出来てしまいます。
例えそれを管理側が指摘して止めさせようとしても、"同じ事をしている"のだからなぜだめなのだと反論されます。知性の低い者に納得させるにはそれを理解させるだけの知性を育ませる必要があり、その時点で既に手遅れだと言え、資格のない者に行動出来る権限を与えた事、教育の失敗が既に起こっている事が問題だと言えます。そしてこの段階では、強制的にも止めさせてしまえば逆恨みされる原因になります。逆恨みする側から見れば、同じ事をしているのに"あいつらは良くて自分は駄目だ"と言われてている様にしか聞こえず、ズルをしている、勝手に特権を得ている、と思い込めます。そうすると"それならこちらにも考えがある"という様な発想になりがちでルールを守らない様になります。
その為、管理側、端的には支配者は、その配下が支配者の行動を見て錯覚しない様に行動する事でしか、配下の者を納得させられません。その配下の知性が高ければ問題ないですが、その期待が出来ないからこそ配下になっている可能性が高く、錯覚する事のないシステム作りでしか配下を管理出来ません。そして、知性が高くとも欲望に負けやすい者も居る為に、あえて行動を錯覚しようとする者もいるので、やはり錯覚する事のないシステム作りでしか配下を管理出来ません。
どの様な行為も、リザルトセットにその結果と共に蓄積され、その行為を表す行動がどういった状況で行われるか、という部分で複数存在する場合、その行動の原因となった行為を錯覚する機会を与えてしまい、その状況を見た者が自身に都合の良い選択をして錯覚しようと出来ます。
ではこの場合、それを行為の仕方に問題があったか、それともあえて曲解して錯覚したかの判断が必要になります。これを判断するには2通りあり、妥当性と呼ばれるものと知性による論理推論になります。
妥当性とは、多くの結果の蓄積から大多数がほぼそう思うだろう、そう行動するだろう、という結果を基準にして判断する事であり、正解を知らずとも『恐らくそうだろう』という範囲に収まる行動を基準にしたものです。簡単な例えでは、的がありその中心に矢を当てるのが最善だったが、的に当たったなら良しとしよう、というくらいの基準で判断するという事です。外れる事なく当たった事で良しと妥協する事を表します。
論理推論による方法は端的に論破するという事です。相手があえて錯覚しようとした状況との違いを的確に述べ、相手が錯覚しようとした要素に個人の意図的な偏向が存在する事を指摘する方法になります。今回の話では、長老は"したら良い"とは言ったが相手に権利を与えたわけではないにもかかわらず、受け取り手の都合により長老が権利を与えてくれたと錯覚出来ています。
こういった錯覚をする者は更なる注意が必要になります。こうした結果を見る時に錯覚をしますので、リザルトセットにある状況、そして書物などに残された情報などを欲望のままに錯覚する可能性が高くなります。
知性が足りない為に判断材料が足りず、しかし判断は出来てしまうのでそれが正しくなくとも自身にとっては正しいと判断して行動出来てしまいます。
例えば、宗教の記した書物に書かれているからして良い、教科書に書かれているからして良い、リザルトセットに結果が出る方法として残っているからして良い、と錯覚出来ます。
例えば、宗教の記した書物に書かれていないから罰せられない、教科書に明確に悪いと書かれていないから罰せられない、リザルトセットで罰せられていないから罰せられない、からして良い、と錯覚出来ます。
そのどれも情報を与えてくれはしますが完全な情報を与えてくれるものではなく、書物であるなら読み手がそれを読むに足る資格があるかどうかを判断する方法がなく、リザルトセットの状況であれば、それを見てその状況がどういった状況から派生したものかを判断出来るだけの資格を持っているかを判断する方法がありません。
その為、かつては口伝が重視されました。本当にその人物に教えて良いのかどうかを実際にその経験を積んだ者が自身の経験則からその人物なら悪用はしないだろうと判断して知識を分け与える方法が行われました。しかし同時に独占などの原因になり、また、いずれ劣化して、悪用する者に騙されて知識を分け与えてしまう場合や拷問などにあい知識を吐き出してしまう場合などで悪人でも知識を得る様になり、口伝の方法では悪人ばかりが有利になる状況が作られる状況になります。競争に勝ちやすいのは悪人であり、競争に勝てるなら相手に譲歩を促せ、知識を吐き出させる事も出来、他者の持つ物を狙って行動する方が多くの利益を得られる状況になっていきます。
ではその制限を解除して誰でも知識が手に入る様にすれば問題は解決したかと言えばそうはなりません。今度は悪人が他者と差を作り有利になって利益を得ようとし、知識を隠してしまう様になります。この状況は口伝が劣化して悪人ですら知識を手に入れて悪用する状況をもう一度作り出そうとして行われます。知っているのと知らないのとでは大きな違いがあり、有無の差はどの様なものでも大きな差になります。出来る者と出来ない者では選択肢が異なり、知っている者と知らない者でも同じです。出来る出来ないは形として見えるので気づけ、知っている知っていないは形として見えないので気づけません。
分かりやすく言えば、専門知識の有る者と無い者で、その専門分野の物事をどちらが巧くやれるかという事と同じになります。知っているからこそ判断出来るものも知らない事で判断出来ない例となります。
どうにかして相手より立場を上にして権力を得て、その権力を利用して知識を独占し他者との差を作り、楽に利益を得ようとする者は後を絶ちません。他者から知識を与えて貰った後に、他者には知識を与えず更にその機会を奪い、差を作る事で長く利益を得ようとします。
その状況で他者がその隠された知識を得るには、悪人の仲間になるかオリジナルの人物が知識を解明した様に自身で解明する事になり、かなりの不利になります。そしてその知識を得て利益を得る状況は既に出来上がっているのでその知識を得たとしてもその知識を得るだけの労力に見合う利益を出す事は出来ません。しかし止めてしまえば悪人だけが繁栄する状況のままであり、その状況を変えるには知性を育む必要があると言えます。
その為、利益を求めて知識を求める性質ではなく、利益に関係なく自身の求めるものとして知性を育む性質に育てる必要があります。見返りが無くとも知性を育み状況認識の精度を高めていく性質が求められ、やがてその性質から知識の再発見や新たな知識の解明の可能性が生じます。
その性質に育てる事がとても難しく、利益を餌に知識を集めさせた方が遥かに効率的になります。しかし利益が得られない物事には見向きもせず、また、利益が得られないと分かると細分化を止め精度を高めず、整合性の無い知識のまま、自身に都合の悪い事実から目を逸らしたままでいようとする性質を育てる事になります。」
エールトヘンは締めくくる。
「配下に知性の低い者や欲望に忠実な者が居れば居る程に、支配者はその行動を錯覚されない様に行動するしかありません。それだけ対応出来る事に限りがあり、高度な社会を作れない様になっていきます。高度な社会程複雑なルールで対応する事になりますが、それを表現する方法にも限りがあり、錯覚しない様に行動しようとすると対応出来ない為に社会は混乱し争い崩壊しますが、やがて資源の枯渇から高度な社会でなければ生きていけなくなります。しかし錯覚しない様に対応出来ない為に、悪人が常時はびこる社会になっていくでしょう。それを避けるには民衆の知性を高める以外に方法はなく、逆に言えばそうさせなければ悪人が常時蔓延り続ける社会を作り出せます。そういった社会に作り変えてしまおうとする者達を排除しつつ、新たに社会に属する者達に正しい知識を与える必要があり、支配者とはその役割を担う者です。その為の知識を手に入れる為、さあ、頑張りましょう。」
ベニヤミンとサラの町の話はクライ部分でレパートリーが増やせる話で、あえてそれは避けました。
例えばマーロンは初めからそうなる事が分かっていてデニスをおびき寄せた、つまりは彼の連れている愛人を差し出す事で町の皆に良い顔をした、という創作も出来、また、デニスとミランダの関係も奴隷女ではなく・・・、とトラウマになりそうな話になるのであえて避けました。
-->あえて囲っておく|家畜[リブストック]と同じ扱いになります。
<--live stockの字面通りに、生きる為に取り置くものです。
-->他者から知識を与えて貰った後に、他者には知識を与えず更にその機会を奪い、差を作る事で長く利益を得ようとします。
<--エジプト紀における『隠されしアメン神』と同じです。知識は隠され悪人が知識を使い不正に利益を得る様になる状況です。聖書で言えば『神殿の奥に隠されたモーセの十戒』です。現代社会と同じ状態とも言えます。
ちなみにベニヤミンのアメリカ読みはベンジャミンです。ですが名前がそうだからと言ってその人物がその流れにいるとは限らないのが現代社会です。




