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サタケさん機械を暴かないで。

作者: ・△

 三十娘というその古風な言い回しをサタケさんは嫌いではなかったが、彼女にその語を吐いた上司もすでに二年前に定年で退職していた。デリカシーのない男ではあったが憎んでもいなかった。サタケさんは本気で怒ったり憎しみを抱いたりということをしない。疲れるからだ。

肩胛骨に触れるか触れないかくらいの中途半端な長さの髪を、光沢のある薄い紫のシュシュで束ねて、最近肉付きが少し変わってきたぼやんとした体にひっかけたように毒にも薬にもならないような服を着ている、特徴というものすべてから無縁なような顔をしてるサタケさん。すこし茶色よりの髪の毛と、仄かにグレーに色づいた瞼。化粧も大して気合いを入れているわけではないのだろう。すこし眠たげな目をしている。

 サタケさんはすでに11年この会社で働いていて、商品の手配を指示する部署から総務に移って5年経つ。どちらの仕事がより好きかということはなかった、仕事は仕事だからだ。だが前の部署にいるときに多くあった残業が今ではすっかり珍しくなった。賃金が多少低くなっても、一人でぼんやりする時間があるのはいいことだと、サタケさんは考えている。

 仕事はルーチンワークに属するものがほとんどだったが、突発的に起こることもある。タイムカードの管理をしている時に内線が鳴る、4階にある給茶機が壊れたという電話だった。とりあえず上がります、という連絡をして説明書を握りしめつつエレベーターを降りたサタケさんを迎えたのは企画の人だった。いましがた地面から生えましたというような顔で立っていて、壊れたというその給茶機によく似ていた。

 確かモモタニさんだ。とサタケさんは口の中で名前を転がす。企画をしていて、サタケさんより4つ程下の女の子。やたらと濃く黒いアイラインを引いているが、視線はぼうとしていて、紗がかかったような目つきだ。ぱさぱさとして、水気のないくちびるを開き、少し陰気な声で、あのう、これです。と言う。

 水は毎日女子社員たちが交代で充填している。今日の当番がたまたまモモタニさんだったということらしい。サタケさんも昔は水を入れていた。入社10年が過ぎてその当番からは自然にはずれていた。そういうルールらしい。説明書と照らし併せて、給茶機のカバーを開け幾つかのボタンを押して、修理の人を呼びます、と告げるとモモタニさんははあ、と気の抜けた声をあげた。

 電話一本で修理はあっさりやってきた。サタケさんは受付からの内線を取り、案内をした。上司も見物の気分なのか、少し遅れてやってきて、作業を見ていた。作業服を着た男はまた幾つかのことを確認し、機械ごと運び出しますという。代わりの給茶機をすぐお持ちいたしますので、修理後に代理機と差し替えさせていただきます、ということだった。上司はうんうんと頷き、フロア長には僕から言っとくからあとはよろしく、などと言い去ってしまった。サタケさんは一応機械が運ばれていくまで見ていた。

 新しい機械がくるまでに、ほうきの一掃きでもしておくかと4階に戻ったサタケさんを、先ほどの再現のようにぼんやりしたモモタニさんが待っていた。

「どうなりました、給茶機」

「修理です。もうすぐ代替機が来ます」

「そうですか」

 やりとりの後少し間があき、壁の隅のホコリをサタケさんが指さすと、あっ私気がつかなくて、すみませんとぼんやりしながらも焦ったような声を上げモモタニさんはほうきとちりとりを持ってきた。デッキブラシの小さいもののような、変な形のほうきはもうとれなくなっているフェルトのようなホコリがたくさん絡んでいた。

 特に声をかけたわけではないが、何となくサタケさんはちりとりを持った。そこにモモタニさんはぎこちなくホコリを追いやっていく。

「何か考えていらっしゃいますか」

 と棒読みの声音でモモタニさんは言った。

「機械をここで直すんだったら、バラバラにするかなあと思ったんです」

「バラバラにするところ、見たかったんですか?」

「そうですね。普段みれないものですしね」

 サタケさんは話をしながら、そんなに見たかったかな、と考えていた。

 給茶機はボタンを押すとお茶がでるだけのシンプルな機械で、普段はさして興味を引かれるようなものでもなかった。鉄のドアをあけて中のパイプやポリタンクを取り出し、一つずつ並べる様をサタケさんは思った。電気の細かい線や、温度の調節をする箱までさらに開いて、機械の平たい回路やらを並べて敷き詰めるところを。頭の中のその景色は、かって見た実際の人間を使った標本に似ていた。裳裾のように開かれた皮膚をはためかせる様、色づけされた血管たち。

 ダメですよ、とモモタニさんが言った。自動で動く機械の中のことなんて考えては、駄目ですよ。という薄い唇をみながら、このひとももうすぐ三十娘になってそうしたら機械のなかも見るのではないかと思って、でもそんなことをサタケさんはうまく言えずに、ぼんやりとモモタニさんの輪郭を見ていた。

 きっと今日、お家に帰ってサタケさんは機械の夢を見る。その中では、サタケさんもモモタニさんも鉄の内臓を持っているのかもしれない。それはそんなにも恐ろしいことではないように思えた。暗い夜の裏側にも、夢の底にも、緩みだした体の中にも、それぞれの機械がある。サタケさんにはそれは、とてもいいことのように思えた。

 やっぱり私はそれが見たい。かってに動く機械が見たい。そんなふうに思いながらちりとりを返して、サタケさんはエレベーターのボタンを押す。

  

(2012/11/18)

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