#07
秀覚が住職を務めていて、今は後進に譲っている寺で、坊坂は他の僧たちと共に朝食を摂っていた。本堂には、秀覚の遺体が安置されている。どうせ眠れないと思った坊坂は、前日からの通夜を、文字通りの通夜、一晩中徹夜での付き添いとして過ごしたため、今は徹夜明け独特の軽い興奮状態にあり、目は爛々と輝いていた。
通夜の最中、夜半のかなり遅い時間に、ここの主かと思われるほど堂々と、姉の坊坂悟理と兄の坊坂真遠が本堂に入って来た。現住職や秀覚の親族などは、別の部屋で休んでいて、広さ故に寒々とし、灯火を落した本堂には遺体と坊坂のみだった。
「話しをしてもいいか」
遺体に一礼した後、真遠が確認して来た。坊坂がうなずくと、悟理と真遠は坊坂の斜め前、赤く燃えている石油ストーブの周りに、コートを着たまま陣取った。悟理と真遠は双方とも坊坂の実両親の養子で、三十代の半ばと坊坂とは年齢が離れている上に、揃って既婚で子持ちである。こんな夜中に家を開けて大丈夫なのかと坊坂は本気で心配して尋ねたが、軽くいなされ、真遠から別の質問を受けた。
「どうしたい?」
「どうしたい、って?」
真遠の質問が曖昧過ぎて、坊坂は鸚鵡返しに尋ね返した。真遠と悟理は手はしっかりストーブに翳しながら、真っ直ぐに坊坂を見据えて話しを進めた。
「『長老派』のことだ。座生の生徒に関わっていたからと言って、法律違反を犯していたわけではないし、秀覚様以外の長老たちが関わっていたかも分からない。お前が不快だというだけで、問い詰める材料にならない。お前がどうにかしたいと思うのなら、手を考えないといけない」
坊坂は、憂奈から連絡を受けた直後、悟理と悟理経由で真遠に一報を入れていた。そのためか、坊坂が長老派に対して、何か対応を望んでいると思っているらしかった。
「ああ。別にどうでも良い。好きにして」
「…何や。何か考えるところがあって、うちに憂奈ちゃんの口を塞ぐ様に頼んで来たのでないんか?」
言い放った坊坂に、悟理は呆れた声を上げた。
「考えるところ…憂奈がべらべら喋ったら、事の信憑性問わず針小棒大に触れ回る奴が出て、余計なごたごたが起きると思ったから、それだけ」
「まあそれは、それ以上無い事実やな。まあ、憂奈ちゃんのことだから親には喋っていると思うけど」
「新見が何か言って来たのか?」
新見は憂奈の継父、憂奈の実母の再婚相手である。憂奈の実父は坊坂の父方の伯父だが、十年以上前に故人になっていた。
「いや。何も言って来ていない。自分、こんな情報握ってます、って、にやにやしながら言って来そうなものだが」
「多分な、憂奈ちゃんの言葉だけで動くのは危険と思ったんよ。そもそも倒れて意識不明になってる他人様の風呂敷包みを漁るとか、火事場泥棒もどきや。ありえへん。下手なこと言って、その辺りを、迫間さん…颯多さんみたいな理詰めでくるタイプに突っ込まれたら、ねえ」
迫間颯多は秀覚の養子である。僧籍は持っていないので、寺のあれこれに口を出して来ることはないが、今回の様に寺と関係ない実務に関しては、秀覚の後を頼まれている者として容赦がないだろう。
「調べたんやけど、須賀くん、秀覚様が直接関わっていた財団の子ではないみたいね。当たり前やけど、少し調べたくらいじゃ、出て来ん様になっとる」
悟理は、坊坂から憂奈の行動を制限させるよう頼まれたついでに、調べられるだけ調べていた。結果、秀覚が理事をしていたり、名誉理事として名前を貸していたりする財団には、憂奈が見たという『須賀光生』の名前はなかった。秀覚とて、簡単に繋がりが表に出るような形をとっている筈でもなく、見つからないというのは予想の範疇である。
「憂奈さんは考え無しに慈蓮に告げたけど、本当は秘密にしておく方が良かった。一旦沈黙して、証拠固めして、長老派の抜け掛けの証人として、うちや他の派閥に売ることも出来たし、裏で須賀くんを買収して、愛威くん推しの連中に売りつけることも出来た。秀覚様は結局、慈蓮の動向を知っておきたいというか、管理下に置いておきたいとは思っても、傷付けるなんてとんでもないという立場だけど、愛威くん推しの連中だと、思い余って慈蓮の死期を早めることを考えるかもしれないからな。その点、遠く離れた学校というのは、最適なシチュエーションだ。そうならなくて、良かった」
愛威くん推しの連中とは、宗派の後継者として、坊坂より才能が豊かな宗派の少年、鈴中愛威を推薦している連中のことで、単純に言えば、坊坂にいなくなって欲しい連中である。
「良くない」
『は?』
「暗殺に来られたら、返り討ちにすれば良いだけ。むしろ楽」
真遠の安堵の籠った言葉に対し、吐き捨てる様な態度の坊坂を見て、姉と兄は顔を見合わせた。
「…須賀くんには、れったんが知っていると、知られているん?」
「その呼び方はやめてくれ。須賀には、知られては…」
いない、と言いかけ、坊坂は少し考えを巡らせた。憂奈からの電話以降、美月と遭遇することを極力避けてはいたが、組は一緒でも部活も寮の部屋も違うので、それほど不自然にはなっていなかった筈だ。だがそこで、自分の様子がおかしいことを藤沢に気付かれていたことを思い出した。藤沢は、何かあると思えば、まずやたら情報通な八重樫に尋ねるだろうが、次は同室で、話し易い美月に相談するだろう。
「…っ、多分、気付かれてる」
坊坂は苦虫を噛み潰したような表情になった。
「それはつまり、長老派にも知られているわけか」
「そうなると、その子をうちらが確保して、長老派への牽制に使ういうんも出来へんな。迫間さんはその辺り、そつなく立ち回るだろうし」
「そもそも、あいつ、多分、秀覚の爺様のことを知らない。というか、うちのこと、本当に何も知らないと思う。敢えて余計な情報を入れていないというか」
美月の、丹白宗を含む『除霊ビジネス』業界全般の無知や無関心は装ったものには見えなかった。そして、その方が自然に振る舞えるとあれば、美月は不必要な情報は自ら遮断してかかっただろう。
「奨学金を受けていただけと言われればどうしようもないのは確かだな」
「結局、長老派に対してこの件で何か出来ることはないんねえ。れったん、随分苛々しているから、何か長老派にぶつけられれば、溜飲が下がるかとも思ったけど」
さりげなく長老派に対して酷いことを言いつつ、悟理は小首を傾げた。坊坂とは二倍の年齢差があるが、その子供っぽい挙動が、妙に様になっていた。
「長老派に当たったところでどうにもならない。本人を一発殴れば少しは落ち着くかも知れないけど」
言いつつも、美月が無表情で、反論一つ上げること無く淡々と負った傷を治している姿が想像出来て、坊坂は余計に腹立たしくなった。一度殴ったら際限なく、動かなくなるまで殴ってしまいそうだ。そう思うと同時、坊坂は両手に、誰かを動かなくなるまで殴っていたときの、肉と皮の感触を覚えた。高揚感が湧く。坊坂は一瞬、混乱を起こし己の両手をまじまじと見たが、すぐにそれが、ほんの一ヶ月前にドッペルゲンガーの件での得難き体験の一部だと思い出した。その様子を、酷く心配そうな表情で姉と兄が見ていた。