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猩猩  作者: のっぺらぼう
3/14

#03

冬至に向かっている時季なので当然なのだが、その日の朝は前日より更に冷え込んだ。学院のある山は淡い霧に包まれていたが、それよりも、部活の朝練に出て来ている生徒たちの吐く息は濃い白をしていた。棒・槍・杖術の部の部員たちは、運動部の中で一二を争う部員数を誇るのだが、寒さ故に布団から出て来れない者が多かったのか、その朝は全部員の半分ほどしか運動場に出ていなかった。朝練に参加した一人の藤沢は、普段通りに、準備体操から始めて、基礎鍛錬、個々の得物を手に取っての素振り、とこなしていったが、途中、隣で素振りを行う坊坂が、普段に比べ周囲から遠巻きにされていることに気が付いた。藤沢以外の部員たちが遠ざかっているため、藤沢も距離を取られている状態になってしまっていたのである。気付いた時点で、藤沢は横の坊坂に目をやった。坊坂は動作はいつもと同じ、表情もいつも通り真剣で、しかし杖を振り下ろし、突き、払う、一撃一撃に、実際にそこに存在する仇敵を襲っているような鋭さと、全身から殺気らしきものを発しており、他の部員を遠ざけていた。

坊坂は、藤沢がしばし手を止めて自分を見ていた間があったなど気が付かないまま、一通りの修練を終えた。霧と荒い息に混じり、首の付け根辺りから(かす)かに蒸気が立ち上っている。その一瞬、坊坂が動きを止め、手にしている杖を下ろし、息を()いたのとほぼ同時に、藤沢は坊坂に声を掛けた。

「何かあったのか?」

坊坂は、無言で藤沢の顔を見やった。藤沢も、坊坂の表情も変わらなかったが、他の部員たち、特に同じ一年生たちの顔が瞬間的に引きつった。棒・槍・杖術の部の部長である久井本(くいもと)は、さりげなく視線を送って来た。

「別に何も」

「そのわりに、荒れているな」

坊坂が何か言い返すより早く、それだけ言うと藤沢は素振りを再開し始めた。声を掛ける時機を逃した坊坂は、しばらくの間、無表情で、練習用の長槍を動かす藤沢を見ていたが、やがて、視線を手元に戻すと、汗で濡れた顔を(ぬぐ)った。

その後の二人一組での稽古で、坊坂の相手を久井本が担当したことを除けば、棒・槍・杖術の部の朝練はいつもと変わりがなかった。終了時間も、少し遅れてしまった前日と違い平常通りだった。そのため、食堂に向かった部員たちが美月と鉢合わせしたのは、美月がいつもより早く食堂にいたからである。美月はどんぶり一杯の中華粥を機械的に口に運んでいた。食堂の正面出入り口から入った瞬間、斜め後ろを向けたその姿に気付いた坊坂は、思わず歩みを止めた。すぐに何も無いかのように振る舞ったが、横にいた藤沢は坊坂の挙動不審に気が付いた。もう一人、たまたま朝食の盆を抱えて、どこに座るか逡巡していた八重樫は、出入り口に見えた棒・槍・杖術の部の部員たちに気付いて声を掛けようとしたところだったので、坊坂が動きを止めた瞬間を、正面から目撃していた。その際に、視線の先にいたのが美月だと気付くと、八重樫は坊坂たちに声を掛けるのを止め、美月の着いている卓に向かい、盆を置いた。美月本人はというと、正面出入り口が目に入らない位置に座っており、どんぶりにずっと目をやっていたので、そもそも坊坂たちとかち合ったことにも気付かず、八重樫と二言三言言葉を交わして食事を終えた。


喜怒哀楽が露骨に顔に出る八重樫が、珍しく作ったような表情の無い顔と小声で、藤沢に声を掛けて来たのは、朝食後、藤沢がいつもよりも早めに教室に着いて授業の準備をしていたときだった。

「須賀を、坊坂と二人きりにさせないように気をつけて欲しいんだけど」

藤沢は、教科書を半分開いたまま手を止め、八重樫の顔を見つめた。二人の他にも教室内に生徒はいる。だが、話しに上がった坊坂と美月はまだ来ていなかった。

「須賀、何か坊坂にやらかしたのか?」

地声が大きいことを自覚している藤沢は、ささやき声を発する要領で声を出した。尋ねつつ、周囲を(うかが)い、他の生徒に聞かれていないか確かめた。特に反応は認められなかった。

「どうだろうなあ」

八重樫は少し表情を取り戻して答えた。ただ、その表情が意味する感情は不明確なままだった。

「朝練の時から、おかしかったぞ」

「らしいね」

棒・槍・杖術の部の部長の久井本と八重樫は昔からの友人である。食堂を去る際に、久井本から朝練中の尋常ではない坊坂の様子を説明され、理由を知らないかと()かれていた。藤沢は、更に何か言い掛けたが、坊坂が入室して来たのが視界に入り、口をつぐんだ。八重樫も、さっと藤沢の席から離れ、自分の席に着いた。


一年一組の生徒の半分は棒・槍・杖術の部の部員である。そのため、朝練の時に見た坊坂の荒々しさに対する不安は、そのまま組全体に伝播した。担任教師である合田(ごうだ)は、教室に入った瞬間、室内の、そこはかとない不穏さを感じ取った。二学期の期末試験が終わった直後で、冬休みにまで二週間弱という時期なので、学業面で緊張を(はら)む要素は無い。もともと、()る力に優れている、感受する能力の高い合田だが、そのような能力など持ち合わせていなくてもはっきりと分かる、良くない雰囲気だった。まだ四月の、一年度が始まったばかりの頃、坊坂が八重樫を怒らせて教室全体が緊張状態になったことがあったが、そのときは八重樫が始終、ふてくされた顔をしていたこともあり、原因は分かり易かったが、今回は一見すると誰も変化が無い。ただ、生徒数人がちらちらと、坊坂に目をやっていたので、合田はそれで、原因になっている人物の特定は出来た。担任教師であるので当然、合田は坊坂の実家、丹白(にもう)宗にとって重要な人物が倒れて入院したいきさつは聞いている。そのせいかと思うと、(とが)め立てるようなことを言うわけにもいかず、ただ淡々とホームルームを進めた。結局、その、教室の少しばかり禍々(まがまが)しい空気は、四時限目の途中まで続き、合田の他、四人の教師が、授業が進めにくいという被害を受けた。四人で済んだのは、その時点で坊坂が学院を離れたからである。


四時限目が終わった直後の休憩時間、廊下に出ていた八重樫は、一年二組の組委員、倉瀬(くらせ)英忠(えいちゅう)に呼び止められた。

「ひょっとして、坊坂、地元に戻ることになったのか?」

倉瀬は、眼鏡のいかにも優等生然とした容貌の持ち主である。その相手から真顔で尋ねられ、八重樫はやや身構えつつ、正直に答えた。

「何で知ってんの。俺らもさっき聞いたばかりだぞ」

「合田先生が四時限目の途中でしばらく退席していた」

「なるほど」

八重樫は素直に感心した。生徒が長期休暇以外で学院を離れる場合には相応の届け出が必要になる。担任教師が呼ばれることは当然で、ちょうど二組の授業をしていたところであれば、そこから当たりをつけることは難しくなかっただろう。

迫間(はさま)さんだっけ、危ないのか?」

倉瀬の実家は、坊坂のところに次ぐ規模の『除霊ビジネス』業界の大手である。秀覚の急病の報は普通に入手している。倉瀬の問い掛けに八重樫は首を振って否定した。

「亡くなったって」

倉瀬は軽く息を()いた。

「それは、一旦戻るのも仕方ないか。それにしても、随分フットワークが軽いな」

親族ならとにかく、秀覚はあくまで宗派内のお偉いさんと言うだけである。例えて言えば、父親が社長をしている会社の取締役の一人が亡くなったからといって、遠方で入寮している高校生の息子をすぐさま呼び戻す必要は必ずしもあるわけではない。八重樫は、後継者問題で揺れている実家と実家周辺を嫌い抜いている坊坂が、今回に限りすぐに行動したのは、学院にいて美月と顔を合わせたくないからだろうと想像出来たが、口にはしなかった。


強く扉が叩かれた。坊坂が慌ただしく出立し、部屋に一人で残ることになった八重樫は、午後に返却された国語の期末試験の解答用紙を前に、免れないであろう補習の準備をしていたところだった。八重樫に招き入れられた、ジャージ姿で汗が(にじ)んでいる部活直後の藤沢は、机の上の解答用紙とノートを見て、少々遠慮した様子を見せた。

「忙しいか」

「ん、もう夕食行くからいい。何か用?」

「朝の続き。坊坂と須賀のことだ」

「ああ」八重樫は苦笑した。「意味なかったね。坊坂、里帰りしちゃったから」

「で、何があったんだ」

身を乗り出して尋ねる藤沢に、八重樫は首を振った。

「知らない。というか須賀に聞けばいいんじゃね」

「何かあったとして、あいつが口を割ると思うのか?」

尋ね返されて、八重樫は思わず吹き出してしまった。確かに美月は喋らないだろうと思った。

「お前なら、何か知っているんじゃないか」

八重樫はこれまでも、他の生徒や教師、その実家に関係する様々な情報を持ち、利用していた。藤沢が尋ねてくるのは必然だった。だが八重樫は、首を横に振った。

「残念ながら、知らない」

実際、八重樫は知らなかった。八重樫が知っているのは、美月が実際には女性であり、わざわざ素性を偽って学院に入学していることや、秀覚が、例えば、丹白(にもう)宗のお家騒動の関係で、坊坂の学院での行動を逐一監視させるための人員を送り込むだけの財力と権力と行動力があることである。それらを結びつけることは出来るが、それは単なる想像でしかない。

藤沢はしばらく、肩をすくめた八重樫をじっと眺めていたが、息を一つ()くと、夕食に誘った。

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