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猩猩  作者: のっぺらぼう
14/14

#14

十二月の二十四日は丸一日、世間全体が浮き足立っているような様相なのだが、俗世間から遠く離れた山奥の座生(ざおう)学院高校では、翌二十五日の方が余程、落ち着かぬ雰囲気だった。二学期の終業式のその朝、食堂には(もみ)の木もイルミネーションも無かったが、テーブルの幾つかと窓辺に、赤と緑の対比が鮮やかなポインセチアが飾られていて、少しだけ世間一般の空気を取り入れていた。とはいえ昨日からの食事に、鳥の丸焼きであるとか、ブッシュドノエルとかがある訳でもなく、今朝もごく普通の献立が並んでいて、美月も学院での最後の食事に、()え物や出し巻き卵を普通に味わった。

幸いなことに、今日、終業式直後に学院を離れる生徒は美月の他にも何人かいた。その生徒たちとタクシーを相乗りすることで、多少の節約は叶うことになった。坊坂は、絶対にクリスマスには実家にいないと決意表明していたので明日、八重樫と藤沢は明後日とそれぞれ出立日を決めていた。八重樫は、母親の元で年末年始を手伝い、藤沢は祖母と旅行に行くとのことだった。

暖房が入っている訳ではないが、武道場は長期休暇前の生徒たちが発する異様な熱気で暖かかった。日々、背広のボタンが(はじ)けそうになっていく校長の、耳に入ってはいても記憶には残っていない話しを正座で聞き終える。教室で、冬休み中の注意事項が担任教師より伝えられ、教室の清掃が済むと、二学期の授業が終わった。美月は早々に教室を離れ、寮の自室に向かった。既に荷物が大方まとめ終わっている部屋は、二人部屋の半分が片付けられただけだというのに、妙に殺風景に見えた。最後に私服に着替えると、美月は制服をスポーツバッグの一番上に押し込んだ。美月の私物はそう多くはない。他の、一時帰郷するだけの生徒たちに比べれば多いが、それでもスポーツバッグ一個と段ボール一個で、入念に準備していた分、(かえ)って、到着したタクシーに一番に最初に荷物を入れられた。駐車場まで運んでくれたのは、相変わらず力仕事は自分の役割だと認識している藤沢だったが。

以前近所に住んでいた、美月より三つ上の男子からのお下がりの、サイズが合っていないダウンジャケットに埋もれた美月は、藤沢とタクシーの運転手と共に、少しの間、寒風が吹きさらしの駐車場から寮の玄関に退避して相乗りする残り三人の用意を待った。最後の一人が(そろ)ったところで、再び鉛色の空の下に出る。最後の荷物が積み込まれるのを眺めつつ待っている内、美月の頬に冷たいものが落ちた。見上げると、白いものが一斉に舞い始めていた。初雪は肌に触れるとすぐに消えた。

「降って来たな」

駐車場にまで見送りに来てくれた、親しくしていた生徒たちの、誰かが言った。

「今日から一人部屋か」

藤沢が(ひと)()ちた。多分、坊坂と八重樫の部屋に入り浸りになるだろうな、と美月は思った。

「須賀はどこでも大丈夫だと思ってるけど、まあ気をつけて」

八重樫は、皮肉っぽい笑みを浮かべつつ、これまでと変わらない軽い調子である。

「来年、新入生の獲得に本腰を入れないとな…」

先日から新しく生物部の部長となった二年生が溜め息を()いた。美月がいなくなり、三年生部員が完全に引退してしまった今、部員は一人である。来年誰も入らなければ廃部は必至である。

「気をつけて」

倉瀬や、代田、里崎に久井本といった、組や学年や部活は違えど、なんだかんだで関わり合いになったり、世話になったりした生徒たちが餞別の言葉をくれた。

「何かあったら、遠慮なく学院に電話をしてきなさい」

担任教師だった合田までもが出て来ていた。保健委員として交流のあった末永医師もいたが、こちらは目が合うと深く(うなず)いただけだった。結局、末永医師がどれほど美月の事情を知っていたのかは分からないままだった。

坊坂は始終無言だった。本人は普段通りのつもりかもしれないが、酷い仏頂面で、この()に及んでも、美月の退学を良く思っておらず、退学の原因が自分にあると気にしている様子だった。何か言いたそうに何度か口を開きかけていはいたが、その度にすぐ閉じ、明後日の方向に視線を向けていた。

「連絡するから」

坊坂が黙りっ放しなので、美月からそう声を掛けた。坊坂は美月を一瞥(いちべつ)すると、無言で(うなず)いた。最後まで嘘()きだな、と、八重樫は思った。美月から連絡することなど絶対に無いし、こちらから連絡が取ろうとしても、恐らく全て不通で返ってくるだろう。

美月は一番小柄だったため、後部座席の真ん中と言う一番座り心地の悪い席に乗り込んだ。タイヤが回転を始める。美月が身体を(ひね)って後ろを向き、駐車場に立つひとびとに手を二三度振ると、もう自動車は車両用出入り口から道路に出ていた。車内の、助手席に座る一人と、その真後ろの一人は友人同士らしく、色々と喋っているが、もう一人は早々に、座席に身体を沈めて目を閉じていた。美月は、大き過ぎるダウンジャケットを狭い座席で器用に脱ぐと、膝に掛け、正面を向いた。バンパーの動きが速くなっている。硝子一枚(へだ)てた向うでは、雪がかなり激しく舞い始めていた。

現実に時を過ごしたのに、夢だったようにも思える。夢と(うつつ)の間にいたような不思議な九ヶ月間。そんな、美月のあわいのときは、今、終わった。

完結です。お読み頂いた皆様、本当にありがとうございました。

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