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猩猩  作者: のっぺらぼう
13/14

#13

見事な朝焼けだった。右手から陽が昇り掛けているのか、白く(ほの)かに輝き、中天に向かうにつれて青みが混じり、紫へと変わり行く。その上に絵の具を垂らしたような、右半分を濃い橙、左半分を漆黒に染めた幾つかの雲の(かたまり)が段を重ねているように浮かび、左手の地平線近くには少しいびつな円を描く皓月(こうげつ)が二つ縦に並んでいた。

朝焼けの下には、白く濃淡を見せる霞が広がり、更にその下に、空の色をやや()せさせて映した水面があった。波風はほとんどない。ただ、水面に立つ赤い姿が歩を進めるたびに、(わず)かに波紋が発した。美月は芸術関係に(うと)い。そのため、川面を檜舞台として立ち、その男性的な容貌とは裏腹に、たおやかに腕を上げ、足を踏み、身体を(めぐ)らせ、舞う内容が、何なのか分からなかった。ただ、綺麗だとは思った。美月が見ているのに気が付いたのか、舞手は舞を止めた。人間らしい姿を取って以降は、後ろで束ねていた髪を今は下ろしているので、動きを止めると赤い線が虚空からふわりと緋の束帯を(まと)った肩に落ちた。

美月は丸石が敷き詰められた川原に膝を抱えて座っていた。女子生徒用の学生服姿である。赤い舞手は美月の正面に向き直ると、川の上からじっと美月を見つめて来た。

「入れてはくれぬか?」

「駄目」美月は微笑んだ。「勝手に夢を繋ごうとしたものを入れると思う?」

赤い舞手は少し困ったような表情になった。

前回、美月は夢の中で眠り込まされた。夢の中で眠るというのもおかしな話しだが、ようは美月の夢の中での行動を封じて来たわけである。そして美月が動けない間に、眼前の赤い舞手は、美月の夢をどこかと繋げようと画策していた。ただ、夢の中での美月の個としての意識は前後不覚に陥っていたものの、夢の中で眠るという状況のおかしさは感じていたらしく、自然と防衛本能が働いた。(はかりごと)は、舞手が思うようには進まず、そのうち夢の中での意識が覚醒した美月に(はば)まれ、舞手は一旦退却した。ただ、そこに至るまでそれなりの時間が必要で、お陰で美月は半日を夢の中で過ごし、その分の授業が受けられなかった。

「では、(ぬし)がこちらに来ぬか?」

悪びれること無く、舞手は尋ねて来た。美月は逆に問い掛けた。

「そこは誰の夢?」

「誰の夢でもない。()れが今いるこの場は、(ぬし)の夢と()れらの()の、境、狭間」

「…あわい(、、、)

ぽつりと美月が漏らした言葉に、赤い舞手は深く首肯(しゅこう)した。

「そう。故に(ぬし)()れ、どちらの利にもならぬ場よ」

「いえ、それはあなたに有利ですよね。わたしは一介の人間。あなたは、相当な力を持つ『ひとならぬもの』なのだから」

素早く否定した美月に対し、赤い舞手は少々呆れた声を発した。

(ぬし)()れらを、どれだけのものと思うておるのだ」

確かに、美月の夢の中に堂々と入り込み、美月が積極的に妨害が出来ない状態でさえ、舞手は夢を繋げることが出来なかった。夢を繋げる一事が、夢魔にとっては消耗の激しい術だとは知っていたが、他方リリイを棲まわせていた術者は、一年生寮の全員の夢を繋げる術を使っている。術の得手不得手の差はあるにしろ、眼前の赤い舞手もそれほど強いわけではないのかもしれない。

「あなたは、夢魔では無いですよね。何者なの?」

相手のことを何も知らないことに気付き、美月は尋ねた。率直な答えが返って来た。

猩猩(しょうじょう)、と人は呼ぶ。ジェヴェトは、()れを(シン)、と呼ぶ」

猩猩(しょうじょう)って、ひとさらい…」

美月の知識にある猩猩(しょうじょう)は、男ばかりの種族で、女を(さら)って子を産ませる『ひとならぬもの』である。(シン)はあっさりと認めた。

(さら)う。必要とあらば。()れらは夢魔と異なる。夢と呼ばれる世、()れらの世、里…(ぬし)らの世、姿は変わるがどの世でも居られる。その世その世で、入用なものがあれば得る。今、求めておるのは(ぬし)だ」

(シン)がいるのは川の上、つまり境で、美月の夢である川岸には、上がって来られない。頭ではそう理解していたが、それでも美月は座ったまま(わず)かに後退(あとず)さった。

「何故、わたしが必要なの?」

()れが真に求めたのは、リリイの宿主であった術者である。リリイのものであれば、手出しは出来ぬ。しかし、ジェヴェトはリリイと接せられなくなったと言うた。ジェヴェトは、リリイの(さま)を気に掛けたが、()れはただ、リリイが術者を手放したのではないかと()した」(シン)は目を伏せた。「リリイは()の術者により、し()る限りのものを与えられていた。ジェヴェトは異なる。動けぬ。捕われておる。()の術者であれば、或いはジェヴェトを()き、ジェヴェトの新しき棲処(すみか)となることも可能かと」

「でも、術者は死んでいる」

美月のつぶやきに、(シン)は顔を上げると、再び視線を真っ直ぐ美月に向けた。

「故に、(ぬし)よ」

「わたしは…」

「ジェヴェトを捕らえておるのは人の術。人の術は人の術者の方が良く知っておろう。ジェヴェトが捕らわれている夢と(ぬし)の夢を繋げば、(ぬし)は手を貸さざる得ない」

「随分と強硬手段ですね」

美月は冷ややかに言い放ったが、(シン)は気分を害した様子も無く続けた。

()れは(ぬし)に与えるものがない。与えられるものが無く、誰が動こうか。ならば強いるしかあるまい」

ただ働きなんぞ聞き入れてくれる訳が無いから強制する、という、ある意味では真理である。内心、それでも一応は頼んでからにしろよと思いつつ、美月ははっきりと断った。

「わたしでは、お役に立つことは出来ません。わたしは夢を扱う術を心得てはいないんです」

(シン)は無表情に美月を凝視していた。美月も見返した。実際問題として、自分には無理だと美月は感じていたので(ひる)む理由も無かった。二者はしばらく、川面と川岸とで(にら)み合っていたが、先に(シン)が視線を逸らした。ほお、と深く息を()く。息は白く、周囲の霞と混じりあった。

「左様か」

「ごめんなさい」

反射的に謝罪の言葉を発した美月に、(シン)は薄く笑みを浮かべた。

何故(なにゆえ)謝るのだ」

むしろ(シン)に謝られる立場だと、美月はすぐに気が付いた。苦笑が浮かんだ。

「誰かに謝りたい気分なんですよ」

()なことを」

美月は、自身の苦笑が深まったのを感じた。

「許しを()うのが卑怯な場合もあるでしょう。お人好しの、()われれば無条件で許してしまいそうな相手の時は。だから、代わりに誰でもいいから謝りたい気分なんです」

(シン)はこくりと首を(かし)げた。意味が分からないのか、美月の言うような状況の経験が無いのか分からない。美月も(シン)の同意を得ようと思っていたわけでもなかった。

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