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猩猩  作者: のっぺらぼう
11/14

#11

目に入ったのは、ふわりふわりと、蛍か空舞う灯籠のような明かりだった。美月は仰向けに横たわっている自分に気付いた。横になり、中空に浮かぶ、その無数の灯火(ともしび)を何をするでも無く眺めているのだ。寝起きの、頭が上手く働かないときに似ているが、ここが夢の中であることを考えると、夢の中で目覚めたとでも言うべき奇妙な状態であった。

「下手を打ったか」

「え?」

突如耳に入った声に、美月は寝転がったまま声の聞こえてきた方を見やった。(ほの)かな光に、赤い姿が浮かび上がる。赤い長い髪に、緋の束帯。あぐらをかき、片手に枡を手にした(くだん)の男がいた。少し細めて、笑みを形作っている目の奥、黒い瞳に周囲を飛ぶ光が映り込んで、ちらちらと輝いていた。

「一度連れて来ただけで、再び(おとの)うとは」

美月は、ゆっくりと身を起こした。髪が肩に掛かり、プリーツスカートの裾が動いたので、また学生服姿だと分かった。赤い者から視線を外し、周囲を見渡す。ふわりと浮いた一つの明かりが、樽の輪郭を照らし出した。目を凝らすと、樽が無数に、延々と続いているのが分かる。前回、赤い者に手を引かれて訪れた倉庫のような場所だった。前は具体的にどういう用途の場所なのか気にしていなかった美月だが、今改めて薄明かりの中で鼻を利かせて、酒蔵のようだと知れた。前回と違い出入り口が閉じられているので、空気が(とどこお)り、甘い酒の匂いが充満している。自覚は無いものの、美月は自分で勝手にここまで来たらしい。

不意に美月の前に枡が差し出された。美月は枡を見、差し出した赤い者の顔を見た。酒に対して嫌悪感しかない美月だが、このときは枡から立ち上る香りが不思議と良いものに感じた。枡を受け取ると、微笑みを浮かべた赤い者の顔を上目で見つつ、唇を湿(しめ)す。すう、と香りが鼻に抜ける感覚が心地良かった。酒精は感じられない。美月は、中身を一気に飲み干した。

()よ」

枡を返した美月の手を赤い者が取った。出入り口が開き、美月は屋外に連れ出された。外は酒蔵の中より暗かった。相変わらず模型のような町並みが広がっているらしいことが、月光を反射する屋根瓦によって想像出来た。瓦が判別出来る以外、美月はほとんど視界が()かないが、赤い者は違うらしく、すたすたと躊躇(ちゅうちょ)すること無く一方向に歩いていく。美月は(つな)がれた手を頼りに、深く考えることなく歩みを進めた。足元が見えないので、身体が闇の中を浮いているような錯覚を覚えた。

どれくらい歩いたのか、いつの間にか川原のような場所に出ていた。ような、というのは、足元には水で削られ角が取れた丸石が敷き詰められており、独特の湿り気を帯びた匂いが感じられ、少し先から広がる黒い空間が水を張ったものだと分かるのだが、対岸に当たる陸地が見えないからだった。その代わりに、大きな金色の(まる)い月が四つ、縦に並んでいるのが遠くに見えた。赤い者が腰を下ろしたので、美月も従った。低くなった美月の視界に、幾つもの石積みが飛び込んで来た。

「四つ…二つ?」

座り込み、川面をしばらく眺めていて、美月は四つに見えた月のうち、下二つが(かす)かに揺らめいていることに気が付いた。空に上がっている月は二つ。下二つは穏やかな川面に映ったものだった。

「ここは、リリイの残滓(ざんし)が強い」

「え?」

美月は隣を見た。赤い者は、片手で美月の手を握ったまま、大きめの石を枕にして寝転がっていた。その姿が、岸に、陸上いる筈なのに、水中にいるように揺らいで見え、美月は瞬きを繰り返した。

「リリイが残っているのだ」

「…リリイと関係のある場所ですか?」

赤い者は、繋いだままの美月の片手を少し上に持ち上げた。

(ぬし)の夢ぞ」

「…」

「総じて、このように残らぬ。夢魔が去れば、そのうち消える。しかし、(ぬし)の夢には色濃く残っておる。()れが(まど)わされるほどに。わざわざ残しているのであろう。(ぬし)()なことをするな」

美月は反射的に身体を固くした。赤い者に握られている手を己の方に引きかけたが、微動だにしない赤い者の指先に捕われて、叶わなかった。

「リリイは、ここで、(ぬし)の中で消えた。長きに渡り棲処(すみか)としていた術者が死ぬ直前、()のものの(もと)を離れ(ぬし)に宿り、そして、消えた。違うか?」

血の気が引くのが分かった。美月は赤い者から距離を取ろうとしたが、身体が動かなかった。動かしている感覚はあるのに、動いていないのだ。ちょうど、夢の中で何かから逃げようとして脚を動かしているのに前に進めないときのあの感覚である。ここが夢であることを考えれば、ある意味では正常な状態なのかもしれない。

「恐れるな」美月の(おび)えを感じ取り、赤い者は、ふふ、と笑った。「恐れる理由も無い」

「…」

「人は己から派生したものの守護者になり、また己の原型となったものの守護者にもなると聞く。(ぬし)が恐れているのはそれ故だろう。ジェヴェトが、リリイを守護し切れなかったことを(いきどお)っているのだと」

赤い者は美月の顔を下から(のぞ)き込むような具合で見つめた。

「それは人の勝手ぞ。夢魔は、派生したもの、派生元、どちらもどうなろうとそれほど気を掛けぬ。ジェヴェトは少し、そう、人で言うところの、周囲を気遣う。リリイのことも気遣った。だからといって、リリイを消した何者(なにもの)かをどうこうしようなどとは思わぬ」

美月は、(わず)かに身体を縮込(ちぢこ)ませたまま、赤い者の顔を見ていた。赤い者の(げん)が本当かどうか、確かめる(すべ)は無い。一方で、赤い者がこの場でわざわざ美月に嘘を教える理由も無い気がした。仮にジェヴェトがリリイの敵討ちでも(たくら)んでいるのなら、今ここで、この赤い者が()せば良いだけのことなのだ。美月が延々と干渉を受けていることからしても、赤い者の夢に関する能力は美月のそれより遥かに上である。

(さと)が辛いか?」

自分の顔を見たまま動きを止めた美月に、赤い者が問い掛けた。

「さと?」

(ぬし)が、普段過ごしている場のことだ」

現実世界のことか、と思いつつ、美月は答えた。

「なぜ?別に辛くなんかない」

語尾を(さえぎ)る様に、風が吹いた。からからと、小石が別の石にぶつかる音がした。どこからか、美月が酒蔵で飲んだあの飲み物と同じような香りが漂って来た。美月は視線を川面の月に向けると、大きく息を吸い込んだ。

「…もっと辛いひとたちは沢山いる。わたしは…恵まれている方」

赤い者は何も言わなかった。美月自身、半ば独り言だと自覚していたので、返事を期待していたわけでは無かったが、ふと思い付いて、赤い者が取ったままの手を強く握った。赤い者は、無言のまま、握り返して来た。また風が吹いて、美月の髪を乱し、小石が鳴った。水面にさざ波が立ち、映る二つの月の形が騒いだ。と、上二つの月が呼応するかの様に、その輪郭を(ゆが)めた。美月は何度か(まばた)きを繰り返したが、四つ全てに狂いが生じていることが分かると、瞳を閉じて視界を遮断した。閉じるや否や急激な眠気が襲って来た。美月は(さか)らわず横になった。

「ここにいれば良い」

遠くに赤い者の声が聞こえた。柔らかい香りが美月を包んだ。

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