最低生活費は
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ちゃんといただく。以前も別のエッセー等で書いたと思うのだが、改めて強調しておきたい。
確かに家がある単身者でも、月に六万四千円の障害基礎年金で食べていくのは無理だろう。それに自治体――つまるところ、福祉事務所だが――は絶対に最低生活費以下の生活を強いることはない。むしろ、生活する際足りない、月三万円ぐらいのお金はお出しになるのである。だから安全なのだ。国が続く限り、こういった制度は絶対になくならない。
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最終的にボクの月収は、九万五千円から十万円の間ぐらいとなる。これで十分。貯金するぐらいの感覚すらあるのだ。何かあった場合、お金はあった方がいいからである。別に贅沢など一度たりともしたことがないのだし、今後もすることもない。節約していく。電気代やガス代など光熱費も支払わないといけないから、切り詰める。徹底してやらないと、生活できない。
大体、お金が余ってるのって政治家とか官僚とか大企業の重役ぐらいなものだろう。あの人たちって、本当に生活感覚ないからな。困ったものだ。自分たちは浴びるようなお金を使って、ずっといい暮らしをしているのだろう。一般庶民とは程遠い。お金の使い方がまるで違うんだろうと思う。
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清貧という言葉があるだろう。貧しくても清いのである。普通の人が抱く感覚だ。倹しいのはいいこと。返って贅沢三昧できる人より、こっちの方がいい。そう思えば、最低収入でも構わない。
それに生活資金って、どのみち必要。少ない額でも要るのだ。だから、それを国から受け取るのである。悪いことでも何でもない。単に今現在の収入じゃ足りないからというだけで。
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国も政治家とか官僚の給料は削ってほしい。あの人たちは、今の給料の十分の一ぐらいの額でも全然困らないからだ。前述したように、お金が使い切れなくて余っているだろう。そんな人たちに高額のお金を出す必要はない。思い切って削っていいのである。
これから先、国の仕事は福祉がメインになってくるだろう。福祉というのは、とても大事な分野。高齢者や生活困窮者にサービスを提供したり、お金を配ったりすることは必然になってくる。そういった事は、目に見えて当たり前。だから、制度なども順次変えていく必要があるのだ。高いお金を特定の人たちに集中させる必要は全くない。ただ、困っている人たちにはささやかに――、というだけである。
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最後にまとめておくと、前述したように、ボクもいずれは最低生活費をもらうことになる。これは今の障害基礎年金じゃ足りないので、必然。もらい受ければ、それを上手く使っていくことが主軸となる。これは明言しておこう。このボロの持ち家と少ないお金しかないのだが、それでも十分いい。高望みは一切いたしませんし、ちゃんと頂戴したお金は管理いたしますので、大丈夫です。
ひとまず一筆書かせていただきました。
ではまた。
(了)