その4 完
異様な光景がそこに広がっていた。
地面に蛇が敷き詰められ、空には悪魔の瞳のような物が多数存在し、樹は枯れながら、毒素を放っているような、そんな場所。
そこで象を五匹ほど無茶苦茶にくっ付けて、その皮膚を剥がしたような怪物が存在し、それとその怪物の量感に対しては豆鉄砲ほどの威力しか持たない銃を持つ男が相対している。
それも男は、本当か嘘か次の一撃で終わらせると発言している。
「来な……」
男の声に反応したのか、怪物化したテストは真っ直ぐに男に向かって飛び掛っていた。
物凄い速度であった。
技術ではなく、ただの体当たりだとしても、それを受けて絶命を免れる生命体など地球上には存在しないのではないかと思えるほどの勢いである。
それを目の当たりにしながら、それでも男は微動だにせずに、ただ銃を構えている。
それほどの威力がこの銃には込められているというのだろうか。
考えられる事は有る。
ここが精神世界ならば、その威力はあくまで想像力。
一発のみに意識を集中させれば、このような商売を長く続けているこの男の銃は想像を絶する威力を持つのかもしれない。
そうすると、先ほどまでの威力はあくまで小手調べか、相手を油断させる為だけの布石だったという事になる。
怪物と男の距離は一気に縮まっていく。
時速100kmほどで、自分に向かって鯨が突っ込んでくる状況を想像してもらえれば、この時の男の心境を多少なりとも理解できるかもしれない。
それほどの圧力を前に、男は汗一つ浮かべていなかった。
この世界では、自分自身の意志力が顕著に表に出てしまう、いくら平静を保っていても、本当に焦っていればそこに汗が出現してしまうのだ、それが見えないと言う事は、本当に男が極めて冷静と言う事なのだ。
テスト青年が、先ほどまで怒りを胸に秘めても表情に出なかったのは、あくまでこの空間の主導権を彼が握っていたからであり、その場所を間借りしている身分の男には、そういう偽装は出来ない。
唐突に、男は引金を引いていた。
銃口から、勢い良く放たれた弾丸は真っ直ぐにテストに向かい――
だが。
怪物化したテストは、その男の渾身の一撃を避けていた。
それだけの巨大な肉体を有しながら、その俊敏さは小動物並みであった。
テストはしっかりと聞いていたのだ、そして冷静に判断していたのだ。
最後の一撃と言った言葉、それが嘘か本当かは別として、わざわざ喰らう必要はまったく無い。
避けてしまえば良いのだ。
銃弾を避けるという、本来ならば至難の技も、この空間では自分にとって可能な行動の一つに過ぎないと、テストは理解していたのだ。
「ざんねん」
テストが、その歪な肉体と化した体の一部に元の顔を出現させ、そう言っていた。
だが、男の口元には醜悪な笑みが浮かんでいた。
「残念なのはそっちさ……、あ〜あ、避けちまって……、可哀想にな」
男は意味深にそう言った。
テストが、視線を男の銃口の先に向けた瞬間、それに気が付いていた。
弾丸は的を捕らえていたのだ。
男が狙っていたのは最初から、テストではなかった。
テストの心の拠り所。
テストの最愛の人。
ベンチに座っていた恋人の胸に巨大な穴が開いてしまっていた。
胸に穴が開いているというのに、まだ顔には笑みが残っているのが異常であった。
次の瞬間、空間を揺るがすような絶叫が響いていた。
ありとあらゆる場所から放たれた悲鳴である。
断末魔の叫び、あらゆる人間の叫びが空間の全てから放たれているような、そんな吐き気を催す声があちこちから漏れていた。
その瞬間、歪に肥大していたテストの肉体が、まるで一枚ずつ剥がされていくように、脱皮していくように縮んでいった。
この空間では精神力こそが行動力となる、相手を排除しようとする意識が凝集して怪物化したのならば、その精神力の根源となる存在を破壊された事により、一気にその力を失ってしまう事もまた有るのだ。
瞬く間に、テストの肉体は元の人のサイズにまで戻っていた。
だが、その眼には絶望とは違う色も同時に浮かんでいた。
足元の蛇も消失し、そこには地面ではなく真っ白な無地が広がっていた、空も白く塗り潰されたようになり、この場所で明確な形を保っているのはテストと男だけになった。
「さあ、帰るぜ? ここにいる必要はもう――」
男がそこまで言った時だった。
テストは、一気に男に跳びかかると、右手に出現させたナイフでその左胸を貫いていたのだった。
「ぐっ!」
男が苦痛の呻き声を漏らした。
「殺してやる――、俺の、俺の彼女、恋人をぉぉおぉぉぉおお」
明らかにそのナイフの刃は、根元まで突き刺さり、絶命に至る傷を男に与えていた。
「真実の愛だ! 永遠の愛なんだ! 邪魔をするな!」
だが。
男は、急にバネ仕掛けの人形のように、左手でテストの右手を掴んでいた。
「なに!?」
凄い力だった。
骨が軋むほどの力が込められている。
テストが右手に渾身の力を込めて引き離そうとしたら、今度は男の右手がテストの左手を掴んでいた。
まるで離れない。
それだけではなかった。
カシャン、カシャンという機械的な音が響いたと同時に、今度は男の体の至る所から金属の針のようなものが飛び出て、それが全てテストの体に突き刺さり、絡みつき、テストは視線すらも動かせないほどまでに体を固定されていた。
一体これは――
「やっと、捕らえた……。手間かけさせやがって」
胸を貫かれているはずの男が、そう言った、その声には感情が篭っているのだが、先ほどとはまるで違い機械的な音声に聞こえた。
「お前は……、何なんだ!?」
「俺は疑似餌さ、あんたを捕まえる為の、な」
それだけ耳にした瞬間、テストの体は男と一緒に一気に引っ張りあげられていた、それは上に跳んでいくという感触とも、地面に沈んでいくという感触ともまるで違う異様な感覚であった。
テストの意識はそこで消失した。
・
とある病院の、一般の人間は入る事が出来ない区画の特別入院室。
ここは、最高の治療と同時に、完全にプライバシーが護られる場所であった。
もちろん、一つ一つの部屋は完全な個室である。
その中で、今、昏睡状態だった患者が眼を覚まそうとしていた。
その部屋にいるのは6名だった。
一人は患者本人。
もう一人は患者の父親である、心労が重なっているのかその顔には色濃く疲労が浮かんでいる。
他には、眼鏡をかけた中年の医者。
貫禄のある看護婦。
スーツを着た、むさくるしい頭をした30代くらいの男。
そして車椅子に座って、両目を開いてはいるのだが、どこも見ていないような視線を向け、瞬きを一度もしない若い男。
その6名であった。
昏睡状態の患者は、現代医療では治しようが無く、患者の父親が藁にもすがる思いで呼んだのが、スーツの男である。
その道では有名人の、精神心霊医療術者であった。
一切の機器をしようせずに、人の頭に手を当て、そしてその人の精神的な悩みを解決したり、植物状態の患者の意識を取り戻したりする、そういう能力を持っているのがこの男である。
「せっ、先生……」
もう、三時間以上スーツの男は、何も言わずに患者の頭に手を当てたまま眼を閉じていたのだ。
それが今、眼を開いた以上、何かが起こると患者の父親は期待しているのだ。
「施術は成功した」
スーツの男はそう言った。
僅かな疲労を窺わせる口調だった。
「本当ですか!?」
「ええ、じきに眼を覚ますだろう、少々手間取ったが、まぁ問題は無い、後遺症も残らないよ」
「ありがとうございます……」
父親は、涙を浮かべてそう言った。
医者も看護婦も、信じられないと言った表情を浮かべているが、患者にセットしている脳波計が如実にその変化を表している。
患者がベッドでうっすらと瞳を開けると、父親は歓喜の叫びにも似た声を発していた、それと同時にすぐに医者にたしなめられ、声を潜めていた。
「う……、う、ここは……」
自分がどこにいるのか、それが分からないようだった。
「起きたかい、クレア」
「お父様? え、ここは? 病院……?」
患者、クレア・バーフィールドは一週間ぶりにその眼を開いたのだった。
起きたばかりのクレアは、1週間も寝たきりだった為、筋肉が弱り、有る程度の軽いリハビリを行わなければならず、医者と看護婦を残して、残りの三人、父親とスーツの男、そして車椅子の男をスーツの男が押して部屋を出た。
「今回はツイてなかったようで」
「まったくです……、こんな事になるとは夢にも思っていませんでした」
「この男……結局、お嬢さんと面識は無かったんですかね?」
「いや、有ったのかもしれませんが、一方的なものだったのでしょう、優秀な探偵を雇い調べましたが、少なくとも電話の通話記録もクレアの友人の話でも、あの男に関しては一切出てきませんでした、たまたま同じ病院で似たような意識不明患者がいると聞き、それで何か関連が有るかと思い調べてみたのです」
「この男は一体どういう素性でした?」
「調べた所、娘の出席したパーティーでボーイをしていた経歴は有りました、考えられる接点は唯一そこだけです、パーティーで最後まで一緒にいた友人の記憶にも残っていませんでした、クレアはこれまで女子高と女子大に通っていました、だから同級生と言う事もありえない」
「それでは、一方的な片思いの結末か……、救われない話だ」
「ええ」
「お嬢さんの意識の中に、自分の意識を放り込んで、そこに住むようにする……。呪術では似たような物が有るが、それは相手を操ろうという意思が存在する、今回はただ住むだけでそれ以上を望まなかった、だから余計に性質が悪い、精神の悪性腫瘍みたいなもんで、宿主であるお嬢さんには決して良い物じゃない」
「時折不自然な態度をとるようになって、それから言動がおかしくなったのです、そしてついに意識を失ってしまいました……、脳を調べても異常は見つからず、それで先生にお願いしたという次第です」
「彼は――テスト青年は、もしかしたら俺以上の素質を秘めていたかもしれない……、それなりの修行を積めばね。人を想う、それもほとんど会話もろくにした事が無い相手を妄想だけで愛し、このような高等技術を行えるというのはちょっと常軌を逸している、世が世なら、それなりに名を残せたかもしれない」
「先生が、クレアから抜き取ったという彼の精神は元に戻せないのですか?」
「それは無理だろう、今こうして車椅子に乗せてはいるが、今のこいつは脳死よりも遥かに死に近い存在。恐らくこいつはお嬢さんを想うあまり、恋焦がれるあまり、お嬢さんに意識を送り過ぎたんだ、それは比喩ではなく本当に魂を削る重労働だからね、放っておけばあのままお嬢さんの中で生き続ける事になる、生命体としては仮死状態だとしても、意識の中では永遠に生きているのと同じ事だ」
「ゾッとしない話ですね」
「結局彼は、彼女の意識に入っていながら、まったくその精神を冒していなかった――、例えるならば人の家に忍び込んで、そこの物を一切荒らさずに自分の部屋を作ってそこで楽しんでいたようなもんで、だからそれをそのまま引っ張り出せばそれで済む、もしもお嬢さんの精神に侵食しているようならもう少し時間が掛かっていたかもしれないな」
「先生には本当にお世話になりました」
「中々神経をすり減らす作業だったけどね、何しろあいつを引っぺがす為には、あいつの欠片も残さないように気を付けなければならない、だから最初はあいつを”助ける”為に来たと嘘をついたけれど、それも通用しなかったから、仕方なくあいつの心のシンボルを破壊して、心の中の感情を一点集中させたんだ、つまり俺に対する殺意のみにね、それで、俺を攻撃した所を掴んで取り出したのさ――」
「今後もし、同じような事が起こったらお願いしますね」
「その時は、また」
(永遠の愛、真実の愛……か。妄想の中でも、それを得られたんなら、こいつも満足なのかもしれないな……。現実じゃどうにも手に入れられないものを精神世界で補う、それも決して悪い物じゃない、度が過ぎなければな――)
完
ほとんど短編です。
意味不明な部分が多数有ると思いますが、あえて解説させていただくと。
途中のテスト青年の二人の出会い以降の回想はほとんど全てが妄想であり、そして自分が精神の殻に閉じこもった理由すらも妄想でありました。
というよりも、男が撃った最初の銃弾が、テストの意識に偽の記憶を打ち込む作用があり、それを元に男はテストを騙すように作業を続けたのです。
って無粋ですね、この解説は。




