第五話 天降女子(あもろうなぐ) その四
「小父さん。依頼の件はお任せするよ。
僕は行かなくてはならないから……」
「そうか。十分気を付けてくれよ。
私も彼らとの話を纏めて援護に回るから」
「ありがとう。その時は僕とは別の場所に向かって欲しい」
雅は村の外れの山奥に来ていた。
山裾からここまで、雑草に深く覆われていた。昔は道があったと思われる比較的歩きやすい所を選んで進んできた。
そこには廃屋があった。
庭であったと思われる所には物干し台が割としっかりとした形で残っていた。所々にかつては人が住んでいたであろう痕跡が見受けられる。
「ああ、ここだ。間違いない」
廃屋の中に入った雅は見たことのある光景に思わず呟いた。
昨夜、夢で見た光景であった。
夢ではこの場所で邪魔をするなと女性が語りかけてきたのだった。
辺りの空気がざわつく。気圧が上がったように感じられ耳の奥に圧力を感じる。
「悔しかったよな。苦しかったよな。
俺が救ってやるよ。
天降女子よ」
壊れた窓から風が吹き込み一片の花びらが雅の前にひらりと舞い下りた。雅はその花びらを見つめてから、目の前に向かって問いかける。
「やっぱりモッコクの花か。もう出てきなよ、天降女子。橘由紀子と呼ばれたいか?」
雅の問いかけが聞こえたのか、雅の数メートル先に突然ひとりの女性が現れた。
白いブラウス姿だ。
黒い髪の毛は長く逆立っており、孔雀の羽のように広がりさわさわと動いている。
その華奢に見える体のあちらこちらに十数匹の小邪鬼が取憑いて『きーぃ、きーぃ』と鳴いている。
『なぜ邪魔をするの? 貴方には関係のない事じゃないの? 』
天降女子は悲しそうな眼をしていた。
「僕の仕事だ。それに君を救いたいんだ」
雅もまた悲しげだった。
僅かな沈黙の後、突然、辺りが暗くなり彼女の周りに五体の川坊主が現れた。
彼女が腕を一振りすると川坊主達は一斉に雅に襲いかかった。
川坊主は雅に向かって大きな口から粘液を吐きかける。雅はそれを避けながら後ずさる。
雅がズボンのポケットに手を入れ紙の束を取り出した。
その紙の束を空に投げつける。紙人代だ。
人の形をした紙達は意思を持っているかのように川坊主を取り囲んだ。
紙人代は川坊主に触れると燃え上がり炎を上げる。
『くうううぅぅぅ』川坊主が悲鳴を上げて苦しんだ。
すばやく移動する雅は川坊主たちに棒を押し当てていく。
『しゅぅぅっ』という音と水蒸気と共に川坊主たちが消える。霧散したのだ。
「おいおい。川坊主じゃ、相手にならないってっば」
雅は取り巻きのいなくなった天降女子の正面に立つと、僅かに微笑んで言う。
雅の右手の鈴の棒が『ちりんっ』と澄んだ音を鳴らした。
天降女子の表情も変化する。
白目は赤くなり、瞳は銀色に輝く。
目尻は吊りあがり、綺麗な手の爪はぐっと伸びて危険な輝きを放っている。
一瞬の間の後で天降女子と雅の戦いが始まった。
そのころ浩司は、件の河原を川伝いに上り支流に入り、数キロ行った所に居た。
この辺りは川の流れも強く渓流となっている。周りは鬱蒼とした藪だが、浩司が眺めている所はやや開けていて柔らかな日差しが満ちている。
「この樹だな」
浩司は大きな樹に手を添えて、樹冠を見上げながら呟いた。
その樹は一抱えほどのこの辺りの樹にしては大木で、まわりの柔らかい日差しと反するように怪しい気が満ちているようだった。
その樹は「モッコク」の樹だった。
浩司が根元を見ると石が積まれている。それが墓石なのだろうと浩司は悟った。
神官の装束に着替えた浩司はモッコクの樹に向かって祝詞を唱え始めた。周りの空気がざわつくのが感じ取れる。
このモッコクの樹は天降女子の魂の巣であった。雅が天降女子と戦う間に巣を清めるのである。
妖怪には魂の拠り所となる場所がある。それを雅達は「巣」と呼ぶ。
妖怪の巣は湿気が多い処を好み、陰の気が溜まりやすい。
浩司が祝詞を唱え、お神酒を撒き清めるとモッコクの樹が「ぎしっ」と軋んだ。陰の気が凝縮された後、ぱっと散る。
浩司は数度、それを繰り返し地を清めていくのであった。