第四話 天降女子(あもろうなぐ) その三
「はあはあ……」
雅は三体の川坊主を霧散した。辺りは生臭い匂いが漂っている。
さすがに三体を相手にして息が上がっている。
「ふう。川坊主め。なかなかしぶとかったな。昨夜の川坊主が一番の雑魚だったって事か」
雅が乱れた呼吸を整えていると、風に乗ってモッコクの花の匂いが流れてきた。
「はっ」として雅は辺りを見渡す。
すると百メートルほど離れた橋の上に女性が立ちこちらを見ている。その女性の周りはぼんやりと光っている。
「出たな。『天降女子』。お前の手下は霧散したぞ」
橋の上の女性を見ながら雅は呟いた。
『なぜ邪魔をする』
雅の耳に声が聞こえた。洞窟の中の奥の方から聞こえてくるような籠った声だ。
籠ってはいるがはっきりと聞こえる。雅の頭の中に直接語りかけているのだろう。
雅は黙って女性を見ていた。
距離がある上、外灯もない暗さで顔は認識できない。
雅はどこか不敵な笑みを浮かべると河原を後にした。
宿に戻った雅は川坊主によって炎症を起こした左腕をよく洗い消毒した。
川坊主の口から吐き出された粘着質の吐瀉物を左腕に浴びてしまったのだ。
強い酸のようなものであろう。着ていたトレーナーの左腕はボロボロになっていた。
「どうやら呪詛は埋め込まれてないようだな」
雅は傷口を丹念に調べていた。
妖怪は傷口から呪詛を植え付ける事がある。そうなると大きく傷口を抉り取らねばならず厄介だったのだ。
傷の手当てが済み、雅は眠りの世界へ入っていく。
雅は夢を見る。
不思議な夢だ。景色はとても鮮明で夢とは思えない感じだ。
見た事もない屋敷の中で一人の女性がこちらを見ている。
年の頃は十代後半から二十代前半であろうか。色白で整った顔立ちをしている。あまりに端正な顔は冷たく感じられなくもない。
その女性は雅を見据え、何かを訴えるような顔をして『邪魔をしないで』と言った。
『生贄にされた恨みを晴らすだけなの。だから邪魔しないで』と繰り返し訴える。
どう言うことか説明してくれと雅は聞くのだが、その女性はただ同じ言葉を繰り返すだけだった。
雅は再び言葉を投げかけようとするのだが口も開かず、体も動かない。
その女性は少しづつ雅に近寄って来た。
「……。 だい…… か? みや… 雅君、…やびく・ん… 雅君!」
誰かに呼ばれて雅は眼を覚ました。
見ると浩司が覆いかぶさるようにしていて雅の体をゆすっていた。
「あ、ああ。大丈夫。小父さん、来ていたんだね」
「本当に大丈夫か? うなされていたぞ」
浩司は心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫だよ。夢を見ていたんだ。夢に『天降女子』が出てきたよ。
多分、僕に念を送ったんだろう」
雅は汗をびっしょりとかいていた。雅は夢の女性が『天降女子』だと確信する。
雅は汗で濡れたティシャツを脱ぎ、宿のくたびれた浴衣に着替えながら浩司に話しかけた。
「それで小父さんの方はどうなったの?」
上手く仕事につながるかどうかは浩司にかかっている。
「ああ、多分、明日には連絡があると思う。手ごたえありってとこだ」
「また脅かしたんじゃないの? ふふふふっ」
「少しだけだよ。はははっ」
浩司は「ぺろっ」と舌を出しておどける。
二人は楽しそうに笑った。
数時間前、村唯一の喫茶店であの葬儀に参列していた小邪鬼の付いた二人の男性を浩司は呼び出していた。
浩司は亡くなった男性の死因について話をしたいと言った。はじめは二人の男性は『馬鹿馬鹿しい』と言って全く相手にしていなかった。
そこで浩司が「共通の知人の女性が亡くなっているはずだ」と言うと、二人は話を聞こうと言って出てきたのだ。
「で、話ってどういう事? 確かに高校時代に橘って言う娘が死んだけど!? 俺達にはあまり関係ないよ」
席に着くなり一人の男が言う。
度の強そうな眼鏡を掛けた体格の良い男だ。
開口一番『関係ない』というのは関係があると言っているようなものだ。
心の奥で何らかの出来事が引っ掛かっているに違いない。
もう一人の男性は黙っているが目に落ち着きがない。
「まあ、慌てないで。じっくり話をしたいんだ」
浩司はシナモンティーを頼み、それが来るまで二人を観察した。
先程、口を開いた男性は短気そうだ。何度も眼鏡に手をやり眼鏡のずれを治している。体はそこそこの体格なので何らかのスポーツをやっていたのだろう。
もう一人はいかにも生真面目という感じでやたらと周囲を気にしており、落ち着きがない。気の弱そうな男だ。
やがて、それぞれのオーダーした飲み物が来ると、三人は口をつけた。
「あまり時間を使いたくないんだ。話を聞かせてもらおうか。そのために俺たちを呼び出したんだろう?」
少しいらついているようだ。
きっと亡くなった女性の事が彼にとって「学生時代の恥部」となっているのだろう。
彼の方が話を聞きたがっている風だが、浩司はもう一人の気の弱そうな男を攻めることにした。
「あの亡くなった男性は、その橘さんに殺されたんだよ」
そう言うと二人は顔を見合わせ、神経質そうな男はわざとおどけて見せて言った。
「は? 何をわけのわからない事を! くだらないね! 彼女が死んだのは十五年も昔だぜ!?」
浩司は興奮して立ちあがった男を手で制して座らせた。そうして気の弱そうな男に向かい言う。
「君は右肩が凝って仕方ないだろう? それに腰も痛いはずだ」
気の弱そうな男は目を見開いて驚きを隠せなかった。
「ど、どうして? どうしてそれを?」
浩司はその疑問には答えずに黙って見つめた。
そして気の弱そうな男から目を離さずに短気そうな男にも言う。
「君は頭痛がするはずだ」
二人は再び顔を見合わせて驚いている。
「君たちには憑いているんだよ。
そのせいで体に変調をきたしているんだ。
君達に憑いている者は橘さんの怨念だ」
「ば、馬鹿な! ど、どうすればいいんだよ!?
その話が本当だとしてどうすればいいんだ?」
二人の男性にはもう余裕は少しも感じられない。喰ってかかるように身を乗り出し聞いて来る。
「祓うしかないね……」
「ば、馬鹿馬鹿しいっ!」
「別に私は構わんよ。この村でまた葬儀が行われるだけだ……」
浩司の言葉に気の弱そうな男が落ちた。
「なあ、あんた。そう言う人なのか? だったら祓って下さい。お願いします」
男は泣きだしそうだった。
「いいよ。君に憑いている物を祓うのは難しい事じゃない。
でも、すぐに他の物が憑く。橘さんの怨念を祓わなければ駄目だね。
元から断たなきゃってやつだ」
「な、なんでもいい!はやく祓ってくれ!」
その時にはもう一人も身を乗り出していた。
「いいとも。それにはその橘さんの事を聞く必要がある。
言いにくい事もあるだろうが話してくれなければ祓えない。
それに橘さんは恐ろしい物の怪になってしまっている。それ専門の祓い師に依頼する。
依頼するのは結構な金額だ。よく相談して連絡をくれたまえ」
浩司はそう言って席を立つと携帯電話の番号を書いたメモを渡す。
茫然としている二人を残し店を出た。その足で雅の宿にやって来たのだった。
次の日、昼前に浩司の携帯が鳴る。
短気な眼鏡の男からだ。橘の事を全て話すことと専門の祓い師に依頼したいとの事だった。