第九話 石妖(せきよう)
司は父・浩司の元、神官としての修業をはじめた。
普通の神官の修行は滝での行水などで精神を清め、未踏地を歩くなどして肉体をいじめる。
しかし、司の修行は司が生まれ持った陽の気をたかめる事に重きを置かれた。 宮司の娘として生まれ、信心深い司には精神を清める修行などは必要なかったのである。
司は祝詞や呪文の意味と使用法、結界の造り方を学んでいった。
血筋なのだろうか、乾いた紙が水を吸うように、それらを自分のものにしていくのだった。
浩司が特に結界の造り方に重点を置いて教えたのは、雅が妖の類を引き寄せてしまう事があるからで、妖の気から司を守りたかったからだ。
ちなみに浩司は除霊術に長けており、日本で五指に入る程の除霊術の力を持っている。
だが妖怪に対してはあまり効力を発揮できなかった。御子神神社に寄せられる相談の内、霊に関することは浩司が務めて、妖怪の類に関することは雅の元へ話が持ち込まれていた。
ある日、御子神神社にお祓いの依頼が来た。浩司は早速、話を聞く。
「なるほど。体が重いというのですな。
それも御家族全員が。それと体が冷えると……」
「はい。家内はもともと冷え症なのですが、私まですごく体が冷えるのです。
そして寝ている間なのですが、何かが上に乗っている感じなのです」
「といいいますと、人が乗っている感じなのですか?」
生霊などは身体の上に乗るなどする事が多い。
「いえ、人とか動物の様な感じじゃなくて……。
いうならば、岩が乗っている感じとでもいいましょうか。
とても重くて冷たい感じなのです」
どうやら生霊ではなさそうだ。
「うーん……。お話は分かりました。
取り敢えず明日にでもお伺いいたしましょう」
「お祓い依頼」と言うのは不幸が続けて起きたり、得もしれぬ物を度々目撃したりした時にすることが多い。それらと比べると今回の状況は変わったものであった。
浩司は司を連れてその家を訪ねる。
大きな家で庭も大きくよく手入れされている。
庭は日本庭園で池があり鯉が泳いでいた。その庭を見ただけでも、この家に財力があるのが分かる。
それにどこかしら落ち着いていて成金ではない、昔からの名家である事が伺えた。
浩司と司は家の外周から家の中まで歩いて見た。
家相的にも悪くないし、地相的な気の流れも悪くは無い。
一見しただけではとりたてて悪い感じはしなかった。
浩司は改めて家の人達の話を聞く事にした。するとその家の長女がおかしなことを言いだしたのだった。
長女は庭で度々女性を見かけるという。年の頃は三十位の綺麗な女性でこぎれいな格好をしているらしい。
その女性は長女が一人で家にいる時に限って現れて、一言二言話をするのだという。長女はご近所の人だろうと思っているらしい。
(土地に憑いた霊か?)
いわゆる地縛霊かもしれないと浩司は思った。
「その女の人は話をするだけなのかな」
「この間は肩をもんでくれました」
(おかしい。地縛霊はそのような事はしない。
地縛霊ではないとすると、この家の誰かに「思い」がある霊か?
それでもおかしい……)
「じゃあ、良かったら揉んでもらった肩を見せてくれないかな?
このお姉ちゃんに見せてみて」
浩司は司を促して、別室で長女の肩を見させた。
しばらく後、司と長女が戻ってくる。
「どうだった?」
「それがね。引っかき傷が二筋あったわ」
それが何を意味するのか分からないし、その女性が何者なのか分からないが、浩司は気になった。
その後、簡単に玄関と家の四方で厄祓いを施しておいて、また訪問する事を告げて帰宅する。
その晩、御子神家は雅を交えて夕食を取るのだが、その家の話になった。
雅も司の事を気にしていて、初の神官としての仕事はどうだったか聞いたからである。
浩司の話を聞き終えた雅は頷く。
「それは石妖だね。
石の妖怪さ。ちょっとした悪戯はするけど、そんなに悪い妖怪じゃないよ」
「妖か。霊にしては腑に落ちない事が多かったんだ」
「ちょっと、待ってて」
雅は席をはずし、しばらく後、一冊の本を片手に戻って来た。
ずいぶんと古い本で表紙は何が書いてあったのか、元は何色であったかの判別も難しい。
雅は本を開いて石妖について説明をする。
昔は石切り場付近に現れた妖怪で、女性の姿で石切り人工に按摩をしてやると持ちかけちょっとした切り傷をつける悪戯をするらしい。
あの家の長女の話と妙に合致する。
女性で肩を揉み、そしてちょっとした傷をつける。
(『妖怪図譜』なんて本があるのね。
古い本見たいだけど。雅君はひょっとしてみんな頭に入ってるのかしら?)
司は説明してくれている雅を見てそう思っていた。そんな思考を遮るように雅が再び口を開いた。
「相手は妖怪だけど今回は僕の出番は無いと思うよ。
司は行って見て、何かを感じたはずだよ。よく思い出してごらんよ」
「うーん。特に何も感じなかったけれど……」
「多分、ほんの些細なことだと思うから、もう一度その庭を歩いた時の事を順を追って思い出してごらん」
司は目を瞑って、今日歩いて見たその家の庭を思い出してみた。
「そういえば……。ほんの一瞬冷たい風が吹いたわ。
気のせいかもしれないけど……」
自信なさげな司だ。
「おそらくビンゴだね。明日行ってみるといいよ」
「雅君は来てくれないの?」
司は不安そうな顔をして聞く。
「大丈夫だよ。
今回の話を聞く限り石妖は人の邪気と結びついていないようだし、霧散する事もないと思う。
それに小父さんが一緒だよ」
雅は司が神官として生きて行く事を決めたのであれば、経験が必要だと思っていた。
司の力が目覚めてしまったのが、自分のせいならば、司の力にならなければならないと雅は決意していた。まずは目覚めてしまった力を強めてあげる事だろうと。
次の日、浩司と司は再びその家を訪れた。
司は昨日に冷気を感じた場所に立つ。
また、ほんの一瞬だが冷気を感じた。
司はスコップを借りて地を掘ってみる事にした。
『かちっ!』
五十センチほど掘るとスコップが何かに当たる。
手で泥を払いのけてみると黒い石が見えた。司は掘り進み石を取り出した。
その石は人の頭ほどの大きさで黒く所々艶があった。
「ほう。立派な御影石だな」
浩司が石を見て言った。
「さて、神官としてこの石をどうする?」
「えっと。まずは清めてあげて……。
それから庭石として飾ってあげればいいのじゃないかしら。
特に祀ってあげる必要は無いのじゃない?」
浩司は笑顔で頷く。
「そうだね。いい判断だと思うよ」
その石は磨かれて、聖水で清められた後、庭の一角に並べられた。
全てを終えて、その家を後にする時、司はふと庭を振り返ると女性がこちらを向いて笑顔で手を振っていた。
(ああ、あの女の人が石妖なのね。
きっとあの石を見つけて欲しかったのよね)
その後、その家からは何も言ってこないので石妖による悪戯は無くなったのだろう。
これが司の神官としての初めての務めだった。




