第28話:月下のバルコニー、板の消えた二人の時間
領主として宣誓を終え、王都の喧騒が遠くに聞こえる夜。
レナードは、配信を切り、情報の鎧を脱ぎ捨てて、一人バルコニーで夜風に当たっていた。
「……お疲れ様です、レナード」
背後からかけられた穏やかな声。
振り返ると、そこには領主の補佐官として、そして一人の女性としてレナードを支え続けるリヴィアが、二つのカップを手に立っていた。
「リヴィア。……まだ起きていたのか」
「あなたが領主としてこれほど大きな一歩を踏み出した夜に、先に休むわけには参りませんわ」
彼女が差し出したのは、隠れ根島のハーブをブレンドした温かいお茶だった。
二人は並んで手すりにもたれかかる。
いつもならその間には「板」があり、何万人の視線とコメントが流れているはずだが、今、そこにあるのは静寂だけだ。
「……怖くなかったと言えば、嘘になるよ」
レナードがポツリと漏らした。
配信中の自信に満ちた姿とは違う、10代の少年としての素顔。
「自分の決断一つで、領民の生活が変わる。父上が背負っていたものの重さを、改めて感じているんだ。……もし、僕が間違った方向にみんなを導いてしまったら」
リヴィアはそっと、レナードの手に自分の手を重ねた。
かつてのレナードなら、その温もりさえ「好感度上昇」というデータとして処理しようとしたかもしれない。
だが今の彼は、ただその柔らかさと力強さを、心で受け止めていた。
「もしレナード様が道を誤りそうになれば、私がその手を引きます。あなたが『情報の光』なら、私はその光が落とす影を支える『大地』になりますわ」
「リヴィア……」
「あなたはもう、一人で戦う配信者ではありません。私たちがいて、領民がいて、そして……あの『板』の向こう側であなたを家族のように案ずる方々がいる。……私、少し嫉妬してしまいます。あなたの弱音を、私よりも先にあの板の向こうの人たちが気づいてしまうことに」
リヴィアが少しだけ茶目っ気たっぷりに微笑む。レナードは思わず吹き出した。
「はは……確かにそうだね。あいつら、僕の顔色の変化にはうるさいからな」
レナードは重ねられた手を、静かに握り返した。
まだ正式な結婚の儀は先だ。
国を立て直し、父の墓前に「もう大丈夫だ」と報告できるまでは。
だが、二人の間にある絆は、どんな魔法の契約よりも、どんな配信の数字よりも、強固で真実のものだった。
「リヴィア。……いつか、この国が本当に平和になったら。配信も何もしないで、ただのレナードとして、君と二人で世界中を旅したい」
「ええ、喜んで。……でも、その時はきっと、隠れ根島のギルさんが『新商品の宣伝をしてくれ』と追いかけてきそうですわね」
「……それもありそうだな」
二人は顔を見合わせ、夜の静寂の中で小さく笑った。
配信スキルという最強の武器を持ちながら、彼が守りたかったのは、この手の温もりだった。




