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ー私のお仕えしておりましたのは一条様のお屋敷でございましたが、一条家にもたったお1人、女のお子様がいらっしゃいました。お名前を何とおっしゃいましたでしょうかー治子でしたか、潔子様でしたか、それすら私はよく存じませんが、それはそれはお美しい、またご気立ての良いお嬢様だったそうでございます。そのたった1人のお嬢様が、何を苦になさっておいでになったのでしょう、明日いよいよお許嫁様とご結納をお交わしになるという晩にお屋敷の池に身をお投げになりました。亡くなられたお嬢様ですが、おかくれになられましたその前年には、ご通学になっていらした女学校を首席でご卒業あそばしまして、お友達からもご結婚の前祝いをたくさんお受け取りだったそうにございます。ご家族ごきょうだいへはもちろんのこと、奉公人にもお優しい方で、お屋敷中の誰もにお嬢様は愛されておられたとか。そういうことでしたので、お屋敷中、誰1人としてお嬢様が自殺なんぞでおかくれあそばしますとは思いもよりませず、旦那様奥方様を初め、お嬢様が自害してしまわれたと知り身を震わせて泣いていたと申します。ご結納でございますが、ご結婚なさるはずでいらっしゃったご当人様がおられませんのでそれはもちろん中止になりました。残されたお許嫁様でございますが、お嬢様がおかくれあそばしたと使いの者からお聞きあそばし、死んだ?この俺をおいてあれは死んだのか、などとお許嫁様は呟いて、それから一刻ほどただ座っておられたそうにございます。このお方がお嬢様亡き後どうお過ごしになったか私も存じませんが、一条様のお屋敷に侍女として何年も奉公してこられた方の中に、そのお方とご器量の似たお坊様がどこぞのお寺にいたとかいないとか、お仲間に話してらした方があったと聞いております。お話が事実でございましたら、おそらく、お嬢様の供養のためにご出家なさったということでしょう。早くにはかなくなられたお嬢様をお慕いせぬ奉公人もなく、お嬢様の墓前には、毎月毎月お嬢様のお好きだったゆりの花が供えられておりました。奥方様も毎日のようにお仏壇の前で合掌なさいまして、数珠を手にお嬢様のご冥福をお祈りになってらしたということにございます。ただ、私の耳に入りましたのはそれだけではございませんでした。奥方様のお嘆きになったことには、侍女が次から次へ何人も辞めていき、ついには一番の古株以外残らなくなったと申します。そして暇乞いを願い出ました侍女が皆一様に申しましたは、お屋敷にある柳の陰にお嬢様の亡霊が出るというものでした。もちろん旦那様も奥方様もご覧にはなっておられませんし、初めは皆の脳裏にお嬢様の面影が蘇ったのだろうとまでおっしゃってはいました。けれども、亡霊を目にした侍女が次々と変死を遂げてしまい、さすがの旦那様も、侍女に暇を出さぬわけにいかなくなったそうにございます。




