第2話 掃除の基本 汚れ落としは湿度と時間も大事。
「部屋の掃除をお願いするわ。わかっているとは思うけど…泥棒なんかしたら承知しないからね?」
「かしこまりました。」
掃除道具を持って入った部屋で、第一声がこれ。
イザーク伯爵家の奥様は、宝飾品がお好きなようだ。昼間からジャラジャラと首や指を飾っている。濃い目の化粧にきつい香水。
侍女もやめたらしく、脱ぎ散らかしたドレスが椅子にかかっている。着替えは嫁に手伝わせたようだ。若奥様がせっせとドレスを片づけていらっしゃる。
「若奥様、ここは私が片づけますから、大丈夫でございますよ?」
「そう?助かるわ。これから義妹の着替えの手伝いに行かなければならないの。」
「・・・・・」
「あの…この前の子は間に合わずに助けることが出来なかったの。何かあったら言ってきてね?」
「・・・・・」
隣の空け放した部屋から、金切り声が響く。
「早くしてよ!何やってんの?使えないわね!!」
「はい。すぐに。」
若奥様が駆けだしていく。
さて。
奥様の部屋のドアは全開にする。疑われたりしないように。
香水の匂いが充満する部屋の窓も開ける。いいお天気だ。
脱ぎ散らかしたドレスは軽くブラシをかけて、汚れの有無も確認。問題なければハンガーにかけて衣装室にしまう。靴は100足ほどあるか?扉付きの下駄箱なので、靴の汚れだけ確認して簡単にほこりを払う。
出しっぱなしの宝飾品は、手袋をして持ってきたハンカチで綺麗に拭き上げて、宝石箱に並べる。念のために、お持ちの宝飾品の数を確認する。53個。この伯爵家にしては数をお持ちだ。引き出しにしまって、付けたままになっているカギを掛ける。
・・・盗まれないのが不思議なほど不用心ですね?
化粧品も出したままなので、片づけてから薄い布を掛ける。
ホコリの舞いやすいベッドメイキングから始める。
カバーと上掛けを外して、シーツを抜き取る。ベットの下とマットの下に異物がないかを確認。シーツと枕カバーは廊下の洗濯籠に入れる。洗濯籠に用意されていた新しいシーツと枕カバーをセットして、上掛けとカバーを被せる。
はたきは上から下へ。カーテンの上も忘れない。
床を掃いてから、硬く絞った雑巾で拭き上げる。
テーブルや鏡台も拭き上げてから、そっとベットカバーを二つ折りにして外して、洗濯籠へ。新しいベットカバーをそっと掛ける。
窓ガラスも乾いた雑巾で拭き上げる。ついでに、開けていた窓を閉める。
窓から中庭が良く見える。ちょうどよく見える小高い木にカラスが巣を作っている。
庭師もいないのかしら?
窓を閉めてから、薄いレースのカーテンだけ閉める。
はい。一部屋完了。
掃除道具を持って、お隣りの娘さんの部屋に向かう。
今ほど廊下に出した洗濯物はもうない。相変わらず仕事が早いわね、アリーナ。
お隣りの部屋の前に、洗濯籠と新しいシーツと枕カバーが置かれている。
娘さんの部屋に入ると、若奥様がせっせと所狭しと広げられたドレスを片づけていた。あれでもないこれでもない、と、10着ほど出したようだわね。
「若奥様?あとは私がやりますよ?」
「すみません。私の部屋は自分で掃除しておりますので大丈夫です。あとは、大旦那様の部屋と、旦那様の部屋なんですが…。」
「承知いたしました。」
「旦那様の部屋には、その、客人がご滞在されておりますので…。その…。」
よほど言いにくいことなんだろう。若奥様が言いよどむ。
「綺麗にお掃除いたしますので、ご心配なく。ささっ、若奥様も朝食に向かわれてください。」
「・・・ええ。ありがとう。その前にもうおひと方、着替えのお手伝いがあるの。」
質素な身なりにエプロンを付けた若奥様の背中を見送る。知らない人なら、女中に見えるかもしれない。
*****
狭い女中部屋に二段ベッドが二つ入れられている。居住空間はほとんどベッドしかない。そこに今回派遣されてきた3人とも詰め込まれた。
「キッチンもね、コックと名ばかりの若造がコック長を務めていてね、下働きは生ごみを裏の雑木林にそのまま捨ててたから、カラスや野生生物がそれを食べに来ててさあ。樽を設置して蓋を付けて…こんなことまでしなくちゃいけないのかって、思いながらやったわよ。人がいないから、給仕係もやるしね。」
・・・ああ。カラス、いたな。
「侍女もメイドもやめたんでしょ?奥様が手首切った事件が発端なの?」
「いや、私が聞きだしたところによると、あの奥様が難癖付けて使用人に給与をろくに払わなくなったらしいわよ。そこに、その事件、っていう順番みたいね。」
「ああ。なるほど。アーダはどうよ?」
「奥様と娘はドレスも靴も宝飾品も、かなりお持ちですね。管理はずさんでしたが。」
3人とも寝間着にナイトキャップ。一つ空いた荷物置き場になっているベッドに座って話している。アメリーが残り物で作ったサンドイッチを夜食に食べる。
「食べ物は良いわよね?5人分にしては沢山作り過ぎよね?おこぼれ来るからいいけど。」
「・・・6人ですね。」
「ん?大旦那夫妻、若旦那夫妻に妹、でしょう?大旦那様はほとんどいないみたいだけど。」
「・・・若旦那様の部屋に、愛人が一名住み着いておられます。」
「・・・・・」
「・・・若奥様はご存じ?なのかしら??」
「はい。着替えを手伝っておられました。お食事も運んでいたようですね。」
「・・・・・」
「・・・・・」
開けっぱなしにされていた奥様の部屋の窓枠にカラスのフンが付いていた。濡らした雑巾で浮かせて取っていく。
貴金属の管理はきちんとしてください、と、引き出しのカギを奥様にお渡ししたが、命令されたようで頭に来たらしい。
「そういう管理も侍女の仕事でしょう!!!」
と、お怒りでした。しかし、この屋敷にもう侍女はいない。強いて言えば、若奥様がそのポジションでしょうか?
お天気の良い中庭で、アメリーがお茶用のテーブルをセットしているのが見える。
アリーナが糊の良くきいたテーブルクロスを掛けている。
椅子を4つ運んでいるところを見ると、住み着いているあのお方も呼ばれるのでしょう。
生け垣の向こう側にも同じようなセット。今日はお客様がいらっしゃる日ですね。
さて、ささっと片づけましょう。
掃除を終えて中庭に出ると、アメリーが作ったケーキが出されているようだった。
もちろん、お茶を出しているのもアメリ―。人手不足も究極である。
「あらまあ、新しいコックも中々の物を作れるんじゃないの?」
アメリーが作ったケーキですがね。
「そうそう、お母様?公爵家のリーンハルト様にお茶のお誘いはしてくださったの?」
「ええ。もちろん。ちゃんとお父様の名前で出しておきました。リーンハルト様は国王陛下の補佐官も務められていますでしょう?お忙しい方ですからね。時間があれば、いつでもお越しください、ってね。」
「そう!じゃあ、デイドレスを新しく作らなくちゃね?春用に明るい色がいいわ。あの方の瞳の色に合わせて、綺麗な紫かしら?」
「そうね。マリアさんに付き合って頂きなさい。マリアさんのドレスはいつも最先端ですものね?」
マリア、と呼ばれた女は、スリットの入ったスカートから、すっと綺麗な足を出して組んでいる。最先端…ねえ…。品はなさそうですが。
「まあ、イゾルデちゃんが公爵家に嫁げるように、精一杯ご協力いたしますわ。うふふっ。イザーク伯爵家も安泰ですわね。」
若奥様には椅子も勧められない。いつもの地味な服装にエプロンで、侍女のように控えている。
「それにしても…うちの息子はなんだってこんな嫁を貰ったものだかね?地味で、気がきかなくて。私の部屋から宝石を盗んでいるのも、アンタだったりしてね?」
「・・・・・」
「妙に女中を庇うから、怪しいと思っていたのよ。女中は宝石を隠し持っていなかったしね?アンタの指図なの?話してスッキリしたらどう?」
「そうよ。アンタ、お母様の宝石が欲しかったんでしょう?」
「・・・・・」
「まあまあ、お二人共、そうだったとしてもそんなに簡単には白状しないでしょう?旦那様に私から伝えておきますから。」
・・・誰が、誰の旦那様?
「またなくなったのよね、宝石。ウズラの卵くらいの大きさのパールよ。」
「まあ、奥様。そんな大きなパール!羨ましいですわ!!」
マリア、という女が前のめりである。そんなに大きなパールなら、国王に献上されてもおかしくない。
しかし…宝飾品はすべてチェックしたが、そんな大きなパールは無かった。パールは…淡水生のパールが一つ。ティアドロップ型だったから、まあ、卵と言われれば、卵か?小さかったけど。
「また掃除メイドの手を切るしかないのかしら?あなたが弁済するのかしら?」
それで…私まで呼ばれたわけか。なるほどね。まあ、呼ばれていなくても来たけど。
若奥様は子爵家の出だが、新興商人の家柄。お金には不自由しなかったはず。
しかし、ちらりと見た若奥様の部屋は、家具もろくになく、着替えも最低限。なるほど、こうやってむしり取られていたわけか。そんな気はしていた。
すっと息を吸う。
「私は宝石泥棒を存じ上げております。多分、奥様が取られたとおっしゃった宝石のほとんどをお返しできるかと。」
「まあ!メイドの分際で!!」
「いかがでしょう?私がこちらに来る前からの宝石をお返しできます。その代わり…。」
「なによ?金?」
「いえ。奥様の切ったメイドの手を元に戻していただきたい。」
「はあ?そんなの出来っこないでしょう?あんたも、口から出まかせ言ってるんでしょう?出せるなら、出してみなさいよ!!」
イゾルデが、気味の悪い笑顔でそう言う。
「では、失礼して。リーン様?騎士をお借りしても?」
*****
おばさまから急ぎの手紙が来た。
とあるお茶会に出てくれないか、と言う要請。もうほとんど命令。
おばさまのお誘いはいつも結構楽しい。
決められた日時に、侍従と騎士を連れてとある屋敷に出向く。この屋敷の主の名で貰っていた、《《いつでも》》時間が空いた時に来てもいいという手紙も持って。
呼びつけておいたその屋敷の主も息子も、もちろん連れていく。
「あの…。今回は、どのような?」
「ん?ああ。とても面白い寸劇が見れるらしいよ。向こうから声がかかるまで、一言も声を発してはいけないよ?いいね。」
天気も良いし、今日はアメリーが作ったケーキも食べられそうだし…。寸劇のヒーローはアーダらしいし。楽しみだね。
アリーナに案内されて、テーブルに着く。この子の専門は洗濯メイドだがもちろんお茶の出し方はプロ並み。美味しいケーキとお茶を頂いているうちに、植え込みの向こうで、寸劇が始まったらしい。くくっ。耳を澄ますまでもなく、結構大声だね。
イザーク伯爵と息子はもちろん、侍従も顔面蒼白。今時、私刑?ちゃんと調べもしないで女中の手を切り落とすなんてね。
「では、失礼して。リーン様?騎士をお借りしても?」
はい。お声頂きました。付いてきたラルフに目配せする。
「これはこれはみなさまお揃いで。今日はお茶会にお誘いいただき、ありがとうございます。」
アリーナの案内で、生け垣を越えて女性陣のお茶会に顔を出す。にこやかに微笑むと、ぱっと頬を染める派手派手な娘さん。なんだっけ?イゾルデ?
「まあ、リーンハルト様!!来てくださったんですね?」
状況をよく理解できていないね?まあ、いい。空いていた椅子を勧められた。
うるさいほど話しかけられるのを、笑って流す。
アーダが指示して、庭師小屋から長い梯子を持って来て、ラルフが中庭の木に登っていく。侍従が梯子を支えている。
「ありました。」
カラスの攻撃をよけながら、ラルフがカラスの巣ごと引きはがして降りてくる。
どれどれ。これで終わりかな?
女性陣がお茶をしていたテーブルの上にカラスの巣。
夫人が顔をしかめるが、知ったことではない。
巣の底に、キラキラ光る石や金銀の宝飾品。小さなパールのネックレスもあるね。
「おや、このパールは小さいから奥様の物ではないのかな?ウズラの卵位と言っていたよね?」
青くなったり、赤くなったりしているご婦人を眺める。
「カラスはキラキラした物が好きらしいね。だいたい、大事なものはきちんと管理しないとね?出しっぱなしだと、カラスに持っていかれてしまうよね?」
話をしながら、巣にしまい込まれた宝飾品を取り出していく。真珠、エメラルド、ルビー、サファイア…。
カラスが上空を旋回しながら、威嚇している。ラルフが長い棒を振りながら、そのカラスを威嚇している。
「お掃除メイドが盗んだとされた宝石は、どれかな?この中にある?」
「こ、これですわ。このエメラルドですわ。まあ、リーンハルト様、ありがとうございます。皆揃っておりますわ。パールも…私の物です。この石ころは違いますね。」
夫人が拾い上げて捨てようとした石ころ、を渡してもらう。子供がよく拾って、水晶だと騒ぐ…石英?
「これは…。」
「ああ、それは私の石です。返して頂いてもよろしいですか?」
「・・・・・」
「カラスがちゃんと巣に持ち帰るかどうか、実験に使ったので。」
「・・・・・」
アーダに返すと、大事そうにハンカチに包んでエプロンのポケットにしまった。
気を取り直して、夫人に向かう。
「そう?じゃあ全部戻って良かったね。じゃあ、約束通り、メイドの手を元に戻さなくちゃね?代わりにカラスの足でも切る?ん?」
「そ、それは…。」
「それから、旦那様と呼んだこの女性が、息子の妻かい?ねえ?」
「え、あの…。」
「ヴィム子爵、あなたの娘さんはこの家に嫁いだと聞いていたけど、この人なのかな?」
「いえ。リーンハルト様、うちの娘は、そこに立っている侍女です。」
侍従の服を着せてきた子爵が、立ったままの娘さんを指し示す。
「そうか。じゃあ、無事宝石が戻ったんだから、メイドの切られた手と子爵の娘さんが今まで疑われたメイドのために払った宝石代は返してもらわなくちゃね。ついでに、娘さんも連れ帰ったほうがよさそうだよ?離縁状はサインするだけでいい。国王には話してあるから。泥棒扱いされてきたんだ、仕方ないよね。慰謝料を請求すればいいと思うな。取れないかもだけど。」
ラルフが広げた離縁状に、息子と子爵の娘にサインを書かせる。
「あとね、ここに婚姻届けも持ってきたよ。息子さんとそちらの女性のサインを貰えば成立だよ。」
婚姻届けにも書かせる。息子と、マリアと呼ばれていた女。
「さて、これで晴れて君の旦那様と呼べるようになったね。おめでとう。ヴィム子爵もこれでいいね?」
「はい。ありがとうございます。娘のために良かれと思った縁組でしたが、こんなことになっていたとは…。」
「うん。あとはね、イザーク伯爵?あなたのところの領民から直訴があってね、国で調べていたんだ。領民への税額が国で決めた限度額を超えていたね。この冬、餓死者を出したのはもちろん知っているよね?自分の領地だもの。これはね、重罪だよ?」
「・・・あ、あ…。」
「ヴィム子爵家から持参金をたんまり貰ったばかりだっただろう?それを領民のためには使えなかったようだね。残念だよ。」
「・・・いえ、あの…。」
しどろもどろの伯爵にたたみかける。
「挙句に、宝石にドレスに愛人かい?持参金の額が多すぎて、頭がおかしくなちゃったのかな?」
*****
外に控えさせていた騎士団が、みんなまとめて、連れて行った。
ヴィム子爵は娘と領地に帰るつもりのようだが、娘の方は一応取り調べがある。離婚が成立しているので、すぐに終わるだろう。ちなみに、彼女が嫁入り道具に持ち込んだものは何もなくなっていたらしい。家具も、ドレスも、宝飾品も…。
急に大金を手にして、異常に膨らんでしまった欲は、なにもかも飲み込んでしまったようだな。
家人のいなくなった屋敷。随分ときれいさっぱり。
まもなく役人が入って差し押さえになるだろう。裁判が始まるだろうが、言い逃れは出来ないだろうな。
残り少ない住み込みの使用人は、連絡先を聞いてから帰す。給与が未払いになっているから。
アグネスメイド派遣協会の3人も、荷物をまとめて玄関で迎えの馬車を待っている。
アーダが階段に座って、先ほどの石に陽を当てて眺めている。その横に座る。
「・・・その石は?」
「子供がよく水晶だ、だのダイヤモンドだ、だのと騒ぐ、石英です。私の宝物です。キラキラ光るものを、これしか持っていなかったので。戻ってきてよかったです。」
「・・・その辺の石、だよな?」
「そうです。小さい頃は幸せな未来が透けて見えていました。」
アーダは石から目を離さずに答える。
「・・・今は?もう見えないのか?」
「・・・見えなくなりましたね。大人になったんでしょうね。」
「・・・・・」
アーダの肩先で切られたこげ茶の髪が、風に揺れている。
メガネの隙間から見える瞳が、薄っすらとブルーに見えるのは黙っていようと思う。
イザーク伯爵邸。清掃終了です。
若奥様に汚れが移らないように、綺麗に片付きました。
手を切られてしまったメイドには、伯爵家を綺麗にした後に補償金が支払われると伺いました。