遅すぎた後悔
「明日からはアトラス渓谷に入ります。襲撃に適した険しい道のりですね」
「広場のある中継地点までは止まらない予定ですけれど、本当に強行しますの?」
「正直に言うと、ちょっと舐めていたのではと後悔してます」
「旦那様……」
「素直にお認めになる姿勢は好ましいですわ」
その、妙な万能感に満たされていたせいか調子に乗っちゃったんですよ……。
国境手前の小さな町で宿を借り、図に乗り過ぎたことを二人に謝罪していた。
話し合いに興味のないアサガオちゃんは、俺のつむじの毛を一本づつ抜いて遊んでいる。こうして大切な髪を奪われるたびに襲撃者への殺意が高まっていく。
「……今さらですが、旦那様は帝国の戦士を甘く見過ぎです。確かにマリーネ様には遠く及びませんが、一部の熟練者はかなりの腕を持っています。私も同じような訓練を受けていましたから」
「だよなぁ……実は最近まで死の谷で自給自足生活をしていたから、妙な自信をつけてしまったんだ」
「……死の谷?」
「まさか、禁域の森を越えたのですか!?」
「あぁ。死の谷は三頭の魔獣が頂点にいて、その一匹が性格の悪いドラゴンだった。奴にはなにをしても全く歯が立たなかったが、そいつら以外はどうとでもなった。見上げるほど巨大なクモだろうが、巨大な翼竜だろうが、ドラゴンに比べれば子供みたいなもんだったよ」
本当にゲームじゃなかったら心が折れるレベルで理不尽なエリアだった。遊ばれているのがわかるほど手を抜かれ、殴り返しても効果は無く、自慢の魔術でさえ奴の魔力障壁を破壊するには至らなかった。千回戦えば千回負ける。どうにもならない相手だ。
「そんな地獄から生還したもんだからつい調子に乗ってしまって……あ、そうだ。証明になるかはわからんが、うっとおしい翼竜の角なら大量に持っているぞ。ほら」
「こ、これ……本物ですわ!」
「なっ、今どこから出されたのですか!?」
目ざといぞカサンドラ君。黙って角に集中したまえ。
「クロード様。この翼竜はどのようして討伐なさいましたの?」
「翼竜は単純でしたね。奴らは火を吹いてくるんですが、火を防ぎ続けていると急降下して捕まえようとしたり、爪で切り裂こうとしてくるんです。なので近づいてきたところを反撃しました」
「これって明らかに巨大な翼竜の角ですよね?爪の破壊力も凄まじいはずですが……」
「やることは全力の身体強化のみでいいんだ。爪がくるなら足を掴んで岩場に叩きつけ、頭からくるなら頑張って岩場に叩きつければいい」
「では火炎の息吹を防ぎ、岩場を用意すれば勝機がありますのね?」
「いけますいけます。岩が全てを解決してくれます」
「岩とは素晴らしいですわね」
「叩きつけるための腕力が用意できません」
実際のところ、マリーネが槍を持った姿を見て甘く見ていたことを自覚した。この人は本物の武人なんだ。
歩き方で他人を判断できるほど俺の目は肥えていないが、彼女の洗練された優雅な動きに隙が無いことくらいはわかる。人は魔獣のように単純ではないのだと、自分を戒めるきっかけになってくれたのも幸いだった。
つまり、なにが言いたいのかというと、やっぱりちゃんと調べてから行動すべきだったと後悔してます……。
だって早くハクスラしたかったんだもの。まさかクロードシミュレーターとは夢にも思わなかったし、面倒なイベントはスキップすることしか考えてなかった。だから忘れていたんだ。ゲームだろうが現実だろうが、一番恐ろしいのは人間であることを。
どうせ後には引けないのだ。だから油断せず、敵は見つけ次第始末するしかない。慈悲の心はインスタントラーメンのつゆと一緒に捨ててきた。
「もしも岩に叩きつけても倒せなかったら――」
「穴を掘って罠を仕掛けてもいいし、重しを付けたロープを絡ませて動きを封じるのも有効だ」
「意外と具体的な対策がありましたのね」
「こう見えても頭脳派ですから」
「ごしゅのきほんそーびはいわとはっぱです」
黙れ小僧ッ。俺の知能レベルがアウストラロピテクスであったことを思い出させるな。現実逃避の邪魔だ。
「とにかく、明日そちらの馬車に俺の障壁を張らせてほしい。それと指示があるなら早めに言ってもらえると助かる」
「うふふ。ではクロード様の魔力障壁を信じますわ。実はわたくし、一人だけ生け捕りにしたい者がおりますの」
「もしかして……ハインド卿を捕らえるおつもりですか?」
「もちろんですわ。彼は第一皇子殿下の懐刀といった印象を持たれがちですが、出自を問われてからは肩身の狭い思いをなさっておられます。以前の情報が正しければ、明日の襲撃で責任を取らされる可能性が高いと思いますの」
「俺にもその、ハインド卿という人を見分ける方法はありますか?」
「ハインド卿ならすぐにわかります。マリーネ様とまともに打ち合える槍使いは他にいませんから」
ほうほう。では先生、凄腕槍使いのハインド卿をお願いしまっす……っと、これか。
カイン・ハインド士爵(二十七歳)。災害級魔獣討伐の功労者として一代限りの爵位を賜る。槍術を得意とし、その実力と名声は帝国内に浸透していた。周囲の貴族から出自を蔑まれ、どんな功績を残そうとも正当に評価されることはなかった。最後には第一皇子の派閥で不当な扱いを受けたまま、マリーネの剛槍に貫かれて殉職――ってオイィ、また死んでるよ。
過去形だから妙だとは思ったが、この人は報われることなく死んでしまうのか……う~む。
「なるほど。凄腕の槍使いには手を出さないようにします」
「ありがとうございますクロード様。それと、一つだけお聞きしてもよろしいですか?」
「もちろんどうぞ」
「クロード様がこの町に本気の魔術を放ったとして、破壊の規模はどれほどになりますの?」
「町にですか……う~ん、一発じゃどう頑張っても半壊がいいとこですね」
「ごしゅ。ごかいていのまじゅつならいけるです」
それはアレだろ?封印指定されていた禁術。なんかインストールさせられて一度だけ使ってみたが、大量の魔力をもっていかれた挙句に地形まで変えたヤベーやつ。アレはダメだ、俺自身がグロッキーになって使い物にならなくなる。ついでに殺人教唆もやめてくれるとありがたい。
「クロード様の魔力量なら納得ですわね。どうか、明日からもよろしくお願いしますわ」
「えぇこちらこそ。失望されないように頑張ります」
「では休みましょうか。おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」
部屋へと戻る二人を見送るはずだったが、俺のベッドで休もうとしているカサンドラを捕まえて問い詰めた。そしたら、どうせ望む報酬は私とアレクなのでしょう?と、意味のわからないことを言い出したので部屋に追い返した。
よくわからないが、これも全部過去のクロード君が悪いのだ。
「さてアサガオちゃん。外でこちらを監視している奴は何人いる?」
「にひきです」
「なら今日はゆっくり眠れそうだな」
「しょーへきはるです?」
「子供たちにだけは張ってある。御令嬢の二人なら襲われても返り討ちだろうよ」
「きょうもおつとめがんばったです。おやすみです」
「ありがとうアサガオちゃん。ゆっくり休んでくれ」
アサガオちゃんは禁域の森で採取してきた土を盛った植木鉢を取り出し、頭以外を土に埋めて眠り始めた。この姿を見ると不思議な気持ちになるのはなんでだろうな……。
さて、いよいよ明日が正念場だ。気を引き締めていこう。