カサンドラ・ミラー
私、カサンドラ・ミラーが帝国の諜報部隊に入ったのは十五歳の時だ。
幼いころ、祖先の功績を笠に権威を振りかざす家族が嫌いだった。でっぷりと太った父と母。民を見下す兄と弟。屋敷に勤める使用人を含めた何もかもが嫌いだ。
私の所属する部隊は女性のみで構成されていたけど、毎日の訓練はとても厳しかった。嫌な同僚がいても、ケンカする元気を失うほどみんな疲れていた。
そして三年前、私は隊長からとある仕事を任された。アグネア王国へ逃れた御落胤を保護せよ、と。
もちろん否はない。けれど、なぜ?とは思う。よりによってお家騒動の種を探せだなんて……それも未熟な私に任せるのも普通じゃない。でも当時の私は、帝国の情勢を正しく理解していなかったんだ。
御落胤は、アグネア王国のサウスポイント教会に併設された孤児院で保護されていると調べはついていた。だけど支援しているのが悪名高いシルバー家であったのは大きな誤算。おかけで安全を確保するためには、まず土地の管理権限を持っていた長男のクロード・シルバーを知らなくてはならなかった。
調べれば調べるほど頭を抱えたのを思い出す。クロードは実年齢以上に内面が幼く残虐だった。なのにどうして教会にある孤児院への支援を行っているのかと思えば、教会を隠れ蓑にした労働力の確保と違法薬物のため。すぐに私は御落胤だけでも連れ出そうとした……けれど――
「あ、あなたはマリーネ様!?」
「まさか……カサンドラ様なのですか!?」
御落胤を守っていたのは、帝国でも最高峰の槍使いとして名高い、公爵令嬢のマリーネ様だった。立場を追われた派閥の子供たちを逃がすため、彼女はわずかな護衛と共にサウスポイントへと落ち延びた。そこで町はずれの教会で保護されたはいいものの、土地の権利はシルバー家の管轄で、教団は賄賂を受け取って黙認する始末。状況は絶望的だった。
あの方々を連れ出そうにも私だけでは力不足。本国に救援を依頼したけど、色よい返事は帰ってこない。早くなんとかしなくては……私は覚悟を決めてクロード・シルバーに接近した。
以外にもクロードはあっさりと私を受け入れた。だけど会うたびに胸を揉みしだかれたり、肉体関係を迫られたりもした。それをのらりくらりとやり過ごして、クロードの信頼を勝ち取って孤児院の担当を受け持つことに成功。全て計画通りだ。
今、このときまでは……。
「君にも、家族がいるだろう?」
まるで別人……この幼さを感じない大人びた雰囲気はなんなの?可視化するほどの膨大な魔力と、身が凍えるような恐ろしい威圧感。私は恐怖に竦んで動けないまま、ただただ震えることしかできなかった。きっと身元や任務も把握されている。希望が崩れるように手からこぼれ落ちていくのを感じた。
……お祖母様、ごめんなさい。私はこれからクロードの慰み者となり、初めてを奪われて彼の子を宿します。きっと、休む暇もなく何度も何度も求められて――
「君が指摘してくれた孤児院の現状だが、全ては俺の指示でそうなっている」
……様子が変だ。そしてよくわからないまま私への尋問が終わっていた。
でも、素性を知りながら守ってくれる理由なんて、私が欲しいからに決まってる。
最初から覚悟はしてた。それにクロードが私に夢中になればなるほど、あの方々を救う機会もやってくるはず。なら好きにすればいい。たとえ何度孕まされたとしても、心まで堕ちたりはしないんだからっ。
「サンドラ、話がある」
「…………はい。総帥の命令に従います」
「みんなにはすまないが、今日のところは解散としよう。次回は楽しいお話を考えておく」
「……はは、それは楽しみですね」
「期待しておりますわ」
歓楽街の女王メッサリア。凄腕の傭兵チェザーレ。大盗賊団の首領ロフ。商業組合の元締めジョゼ。裏社会を生き抜いてきた生粋の悪党たち。
並大抵の事には動じないはずの彼らが、今は子供のように震えている。唯一ジョゼだけは不満気に見えるけど、きっと私や他の幹部と同じくらい怯えてる。無理もない、威圧感が以前のクロードとは比較にならないもの。
その後、クロードを孤児院へ案内することになった。
でもどうして……?ま、まさか、私を子供たちの前で辱めるつもりなの?く、このゲス男。いつもならこうして馬車の中で二人きりになったら胸を揉んでくるクセに、今日は何もしないからおかしいと思ってた。それだけは……それだけはイヤ……せめて、人気のないところで……。
「……総帥」
「ん?どうした」
「どうか子供の前だけは、ご容赦ください」
「子供……?あぁ、なるほど。任せてくれ」
「ホント、ですか?」
「本当だ。子供たちに余計な心配はさせないよ」
「感謝します」
とぼけた顔して……っ。本音はあの子たちの前でメチャクチャにするつもりだったのでしょう?嫌がる私を組み敷いて、一年後には第一子が生まれるだろうとか耳元で囁くつもりだったのでしょう?どこまでもゲスな男……でも長男だったらアレク。長女だったらアレクシアと名付けよう。これだけは絶対に譲らない。
「長男はアレクです」
「長男?長男はアレク君か。わかった、覚えておく」
「長女はアレクシアでお願いします」
「あ、あぁ…………ん???」
よかった、先手は取れたみたい。あ~あ、これで私もカサンドラ・シルバーかぁ……じゃあこれからは旦那様とお呼びする?うぅん、恥ずかしいからやめとこ。
どうして今日は胸を揉まないのかと質問していたら孤児院に到着していた。なぜかくたびれた顔の旦那様が、マリーネ様の出迎えに丁寧な挨拶をしてる。やっぱり別人みたいだ。
「……マリーネ殿ですね?今日は突然の訪問に対応していただき感謝しております。こちらはブルー。御者をしておりましたが、俺の従者です」
「ブルー・タースと申します。どうぞお見知りおきを」
「お目にかかれて光栄ですわクロード様。ブルー様。この教会でお世話になっているマリーネと申します」
「表立って支援もできず、ご不便をおかけして申しわけありません」
「…………噂など当てにならないものですね。愚かにもわたくしの目は曇っていたようですわ」
「え?あ、いやいや、違います。こうなったのはひとえに、カサンドラ殿が必死に頑張った結果ですよ。なので彼女を労ってあげてください」
「まぁ!うふふ……クロード様の真実、少しだけわかりましたわ」
これまでもマリーネ様は会うたびに警告してくださっていた。私の身元が割れている可能性もあるって……でも旦那様は私を手に入れるために幹部たちから守ってくれた。そして結果的にみんなも助けられる。だから今は、肩こりで苦しんだこの胸に感謝しないと。
「ちなみにですが、長男のアレク君と、長女のアレクシアちゃんはお元気ですか?」
「……アレク、ですか?えと、それはどなたのお子さんでしょうか?」
「ぇ、こちらにはいらっしゃらない?」
「え、えぇ。ここにいる子たちの名前は把握しておりますが、そのお名前は初めてお聞きしました」
グリンとこちらを見てくる旦那様。やっぱりどこまでも鬼畜でゲスな男。マリーネ様の前で私にアレクを仕込むつもりなの?よりによって初めてがお外でだなんて……でも、負けない。負けてたまるか。私の覚悟を、甘く見るなっ。
「わかりました。それも覚悟の上です」
「なにが?あ、いや待ってくれ、なんか話がズレている気がするんだ……」
「ですが総帥、これだけはご理解ください。私は決して、心まで屈したりはしませんから!」
「ファッ!?それはなんの決意表明――」
「カサンドラ様もご無事でよかったですわ。みんなも喜びます」
「はいマリーネ様。長いことお待たせしましたが、ようやくお役に立てそうです」
頭を抱えている旦那様を見るとなぜか気分がよかった。ホントは泣き叫ぶ私を晒しものにする予定だったのでしょう?残念、旦那様の思い通りにはさせてあげません。
「…………」
「うふふ。ではクロード様。神父様の元へご案内しますね」
「……はい。お願いします」
尊敬する親愛なるお祖母様。カサンドラは今日もがんばってます。