全ての始まり
仕事が嫌すぎて有休を使った。
旅行に行きたいという適当な理由でもぎ取った一週間の自由。俺は食って寝て、ゲームに映画三昧の毎日を過ごす予定を立てている。
心地いい気分での帰宅途中、いつもの帰り道に見たことのないレンタルショップがあった。いつできたんだろう?工事していた記憶がない。
なんとなく立ち寄り、そこで目に入ったワゴンセールに強く引き寄せられた。
「キャラメイクにハクスラか」
好みのジャンルをアピールしていた一本のゲームソフトを手に取り、気がついたら会計を済ませていた。学生時代に感じた懐かしい高揚感。大急ぎで帰宅し、風呂と食事を済ませてパッケージを開封する。
「ほう?この尻職人いい仕事するじゃないの」
パッケージの絵から推測するにキャラメイクはメス特化型と見た。自慢じゃないが、俺は男女問わずキャラメイクのセンスには自信がある。このパッケージのキャラクターにも負けないハイレベルな美少女を作り上げて進ぜよう。ムホホ。
え、VR専用なの?そういえば買うときに確認すらしてなかった。まぁヘッドセットはあるから別にいいか。気を取り直して装着ッ。さぁスイッチオ――
――なん、だ?急に眩暈が……。
「は?」
目を開けると、そこには雄大な草原が広がっていた。心地よく肌を撫でる風。鼻孔をくすぐる土の香り。
「…………」
言葉が出なかった。俺はヘッドセットを付けてゲームを起動しただけだし、間違いなく室内にいたはず……いやいや、こんなリアルな風景がゲームの映像?んなアホな、しかも匂いまで感じるとかありえないだろ……。
「……きれいな景色だな」
「ごしゅじん?」
「ッ!?」
いきなり耳元から聞こえてきた声にビクッとする。慌てて横を見ると、手のひらサイズの糸目な幼女がふわふわと浮かんでいた。なぜか頭頂部にアサガオ?らしき花が生えている。
緑の髪をなびかせながら俺の肩に座り、白いワンピースからのぞく素足をパタパタしている。そして、おもむろに持っていた半透明の板を手渡してきた。
「……これ、なに?」
「えーちです」
「叡智?」
叡智ってなんすか……いや、それ以前に何者……。
仕方なく半透明な板をいじってみたのだが、どうやらタブレット感覚で扱える機材のようだった。だが謎言語で構成された文字列は俺にとって暗号よりも難解すぎる。
そこで妖精(仮)さんに解読を要請したところ、なぜか複数のデータを半透明な板にインストールさせられた。意味がわからない。
数分後――
「今ので最後か。お、読める。ちゃんと読めるぞ妖精さん」
「よかたです」
タブレットで確認できる項目の数はすさまじく、このゲーム世界の設定資料集かと思えるくらい膨大であった。とてもじゃないが全部に目を通すことなど不可能だ。いや、それより今はログアウトしてこのゲームのことを調べたい。
え~と、睡眠可能領域の展開ってなんだよ……でもこれかな?まぁ試してみればわかる。ポチッと――
――まただ。妙な眩暈が……いや、ちゃんとヘッドセットがある。
凄まじいな……まるで空想世界の未来技術を体験したような気分だった。どうやってこんな安物のヘッドセットでフルダイブみたいなファンタジー現象が発生するんだ?わけがわからないよ……。
しかし、本当の意味で驚愕したのは時計を見たときだ。
時間が経っていない?
いや、どう考えても二十分以上は経過していたはず。怖くなった俺は、パッケージからゲームタイトルやメーカーロゴを探すが見当たらない。
「……これ、どうやって調べりゃいいんだ?」
検索しようにもワードが思いつかず頭を抱えた。それから色々と試してはみたものの、それらしい影を掴むことすらできなかった。最後の手段としてはこれを店に返品して聞くくらいのものだが……。
「いや、それはないな」
返品?バカバカしい。こんなおもしろい物を誰が手放すものか。ちゃんとログアウトができると判明した今、恐れることはなにもない。そう、問題ないのだ。このゲームを手に入れたのが俺だけだなんてことは絶対にありえないだろうし、今も数多くのプレイヤーが遊んでいるはず。出遅れてなるものかよ。
ってなわけで、ゲーム内に舞い戻った俺はタブレットで情報を読み漁っていた。
最初に調べたのは動かしているこの体。名前はクロード・シルバー君(十四歳)というらしい。黒いフード付きローブがよく似合う、赤目に金髪というありがちな設定のイケメンだった。
ふむふむ……シルバー伯爵家の長男として生を受け、家族との軋轢が成長に大きな悪影響を与えた。アグネア王国の領地であるサウスポイントを拠点に、わずか十二歳で反社会的勢力の幼き総帥としてトップに君臨……は?十二歳!?
主に違法薬物の生産、販売。希少な獣人族の子供を拉致・監禁・販売など、国を跨いで手広く活動している。最近は西の帝国との商談も成立。その悪名によって各方面から危険視されており、帝国からの工作員が組織内に潜伏中。また、類まれなる魔術の才を持つ。
権力と暴力を好み、愛する少女を拉致した上に孕ませたりとやりたい放題であった。最後には虐げていた孤児院が育てた、救世の宿命を持つ少年に討たれ、十六年の生涯に終わりを告げ――って死ぬんかいッッ。
「十六歳で死んどるやないかッ!」
「はいです」
「はいじゃないが」
いや、別に俺はクロード君じゃないからいいけど……いいけどさぁ……。
いや待てよ?未来が書かれているってことはプレイヤーに理解してもらうためのはず。つまりこれは本編の前日譚かつ、チュートリアルを兼ねたオープニングシナリオへの導入?
きっとクロード君はメインストーリーの悪役なのだろう。彼の悪事をチラ見せしつつ、オープニングムービーから自然とキャラメイクへ流れていくオサレなパターンのやつでは?ふむふむ、なるほど。
「大体は理解した。さっそくだが妖精さん、チュートリアルを進めてくれ」
「ちゅーと、あーる?」
「あぁ、よろしく頼む」
「ふぇ?」
「どうした」
「ボクわかんないです」
「ぶりっ子してないでさっさとやれ。ぶっ飛ばされる前にな」
「やってみろニンゲンッ」
「…………冗談だよ冗談。そんなに怒ることないだろ」
「おこってないです」
クワッて開いた目が怖いんすけど……妖精さん沸点低すぎない?
「早くキャラメイクしたいんだ。チュートリアルを進めてくれ」
「???」
「だからほら、体の使い方を説明するとか、そういうのあるだろ?」
「わかたです。ごしゅじん、あるくときあしはこう、うごかすです」
「へぇ?歩き方から教えてくれるとは親切だな。俺をなめてんのか?缶詰に加工して出荷しちまうぞオイ」
「やってみろッニンゲンッッ」
「…………わ、悪かった。冗談だってば冗談!」
「わかってるです」
「わかってねぇだろ……」
ぶちギレてたくせに……はぁ、もういい。自分で試してみろってことね。はいはい、わかりましたよ。
「じゃあアレだ。近くに弱いモンスターとかいる?デコピンで倒せそうな奴」
「もんすたぁ……まじゅうのことです?」
「そう、それそれ。できれば食事を喉に詰まらせて死にそうなレベルのカスを紹介してくれ」
「こっちです」
ようやく話が進みそうで安心した。とりあえずは動作確認をしなければ始まらないだろう。何ができて何ができないのか。攻撃モーションや回避速度。そういった基本動作を把握しないとゲームにならん。
そして妖精さんの案内に従う道中、色々と試していた俺は混乱の最中にいた。なぜなら、現実との違いが全くと言っていいほどわからなかったからだ。
物理法則や身体能力に関してはゲームの基準によって違うからひとまずは置いておこう。問題は過去あらゆる作品に存在していた動きの制約がないことだった。
例えば、普通は攻撃モーションが決まっており、硬直時間やスタミナ要素などの制約がルールとして定められている。それはプレイヤーの動きを制限することで、難易度の調整であったり技術面の問題を解決するためだったりするのだろう。
けどここにはそれが無い。自由に動かせるがゆえに、キャラもまたプレイヤーのスキルに依存してしまう……つまりは現実で武術を嗜んでいれば話は別だが、素人ではまともに剣を振うことさえできないのだ。
こんな万人受けしないであろう現実トレースシステムをよくぞ採用したもんだと感心するわ。たぶんリアルを追求し過ぎた弊害だろう。
「あれです」
「……ん?」
視線の先にいたのは、巨大で筋肉モリモリなバッファローの怪物だった。
「チェンジで」
「がんばです」
「無理。俺はデコピンでも倒せるカスを所望したはずだ」
「あれです」
「…………だったらナメクジレベルのウンチを新たにピックアップしろ」
「あれです」
「なぁ妖精さん。俺は国際保護指定動物に名を連ねる一般人男性なんだ。たぶん子猫くらいが対等だと思う」
「ごしゅじんならできるです」
「目ぇ腐ってんのか?俺の貧弱なデコピンであのバッファローを粉砕できるとでも?」
「はいです」
「はいじゃないが」
ダメだコイツ、絶対に俺を殺害するという強い意志を感じる。そうかいそうかい。だったらこのリアルな環境でリスポーン(死に戻り)を経験してみるのも悪くないってことにしてやんよクソが。
「わかったよ。じゃあ逝ってくるから、せめて武器をくれ」
「ないです」
「……アホくさ。君ナビゲーターやめたら?」
「なびげー?よくわかんないです」
「あの牛を相手に素手で挑めと?せめてぶっとい丸太くらい用意してくれてもいいだろうが」
「ごしゅじんの“まじゅつ”と“ぎのう”でらくしょーです」
「あ……あぁ魔術か」
盲点であった。これは魔術の存在を忘れていた俺が悪いな。技能の件もそうだ。さっきインストールさせられた“明鏡止水”とやらも優秀な技能だと妖精さんも言ってたっけ。ちとタブレットで調べてみるか。
説明文は、っと――“明鏡止水”恐れるな、死地にこそ誉れあり。
「なぁにこれぇ?」
「かいひとはんげきがじょうずになるです」
「じゃあ最初からそう書けや」
わかるわけねぇだろバカ。
「ごしゅじん。がんばです」
「…………」
現実と錯覚するほどリアルなゲーム環境。そんな状況下での死の体験なんて、精神に大きな影響を与えるであろうことは素人の俺でもわかる。こんな危険な作品が店頭に並び、一般人の手に渡る意味を考えると恐ろしくなるな……。
これを作った奴はプレイヤーをモルモットにしたいのか?現実離れした経験をさせてデータでも取るのだろうか?まぁ別にどうでもいいけど。俺は楽しませてもらえるのなら喜んでモルモットにでもなってやるよ。
姿勢を低く警戒するバッファローに対し、ゆっくりと歩を進めた。