第8話 外れた者の選択
マントがまるで刃のように迫り来る。
俺は何とか箒で受け流していくがまったく近づけない。
「どうした、その程度か!」
もう一方のマントが箒ごと俺を包み込みフェンスに投げつけた。
「ぐはっ!」
肺の中の空気が押し出されて一瞬呼吸困難に陥った。
地面に膝をついて荒く息をする。
垂れたよだれを手の甲で拭いながら状況を整理する。
ヴァンパイアはあの変幻自在なマントで攻撃をしてくる。
だが本当に怖いのは爪と牙だ。
マントを操る腕は逞しく、おそらくその爪を持ってすれば箒などたやすく分解させられるだろう。
それにあのヴァンパイアが何処まで吸血鬼なのかは不明だが噛まれてゾンビにされてはかなわない。
接近戦は避けたい所だった。
だがこちらには遠距離で攻撃する術は無い。
結局は懐に入り込んでの一撃ということになりそうだ。
「無駄な足掻きを。おとなしく我らのための贄となるがいい。」
「そんなのごめんだ。行くぞ!」
俺は転がっていた箒と持っていた箒を十字に合わせてみる。
「…。何のまねだ?」
「…。いや、気にしないでくれ。十字架嫌いかなと思って。」
何か頭の悪い子を見る目で見られてちょっとへこんだ。
「教会の洗礼を受けた十字架ならまだしもそんな見た目だけの張りぼてに惑わされる私ではない。というか利くとは思っていなかっただろう?」
「もちろん。むしろ忘れてくれ。」
葛木勇は精神的ダメージを受けた。
仕切りなおし、二刀流になって攻め入っていく。
「そんな棒切れでいつまで戦えるかな?」
螺旋状に捩られたマントがドリルのように迫るのを横に飛んでかわし振り下ろされたマントを両手の箒でガードする。
ドリルマントによって屋上の床には穴が空いていた。
「存外にしぶといな。ならば仕方がない。私直々に相手をしてやろう。」
ヴァンパイアは笑みを消すとマントから手を離し、それまで動かなかった場所から1歩踏み出してきた。
「っ!」
それだけのことで足が震えた。
恐怖が、身を固めてしまった。
「やはり人間など矮小な存在よ。群れなければ戦うことも満足に出来ぬひ弱な生物。それが何故世界を支配している?なぜ我らではなく人間が選ばれた?」
ヴァンパイアの腕が俺の首に伸びて同じ顔の高さまで持ち上げられる。
「ぐぅ。そんなこと、知るかよ。」
「そう、人間はそのことを知らない。勝ち上がったものが真にその成り立ちを理解することは無い。自分たちの信じた土台が崩れ落ちることを恐れるあまりに、だ。だが、それも我らがヴァニッシャーを手に入れれば変わる。世界すべてを塗り替えることすら可能となるのだ!」
世界を…塗り替える?
ヴァニッシャーが?
なんだよ、それ。
そんな馬鹿でかい話だなんて聞いてないぞ?
俺はただ学校に化け物が出没して、それを面白半分で確認しに来てそれで記憶消された普通の…ふつうの…
本当に、俺は普通の人間なのか?
呼吸が苦しい。
意識が遠のいていく。
心臓の音が異様に遠くに感じる。
呼吸の音もほとんど聞こえない。
外界からの音がほとんどない。
内部からの音も聞こえない。
そんななかで意識だけがぼんやりと何かを見ていた。
大きな竜がいる。
黒曜石のような真っ黒いうろこをした巨大な竜が雄たけびを上げるたびに大地がひび割れ嵐が吹き荒れていく。
大勢の人が嘆き悲しんでいる。
中世のような槍や剣、盾を携えた兵士たちが竜に向かって戦いを挑んでいる。
長い長い戦いだった。
多くの人が死に絶えた。
多くの化け物が死に絶えた。
それでもなお、人も竜も死に絶えてはいなかった。
1人の女性が逃げてくる兵士とは逆に竜に向かっていく。
俺はなぜか彼女に背を向けて走り出し、最後に振り返った。
その人は、最期まで優しく微笑んでいた。
誰を恨むでもなく、嘆くでもなく…笑っていたんだ。
俺は渾身の力をこめてヴァンパイアの腕に肘鉄を食らわせて拘束を解いた。
呼吸を欲する体の要求を無視してどてっぱらに体当たりをかます。
「ぐっ、目障りな!」
さらに持っていた箒の先を掴み、根元の方をヴァンパイアの喉もとめがけて突き上げた。
「がっ!!」
ヴァンパイアが声にならない悲鳴を上げて大きく飛びのいた。
俺も止めていた呼吸の反動で激しく呼吸をする。
「はあ、はあ。今のは、何だ?」
ヴァンパイアは喉を押さえながら怒りに目を血走らせてこちらを睨んでいた。
もう恐怖で震えることは無い。
だが、圧倒的に決定力に不足していた。
せめてさっき見えたような武器でもあれば…
いや、戦場で常に武器があるとは限らない。
今はあるものを使って勝つことを考えよう。
「己、許さんぞ!生け捕りにしようと思っていたがやめだ!その四肢をばらばらに引き裂いてはらわたを引きずり出してくれるわ!」
ヴァンパイアはマントを脱ぎ捨てた。
細くも引き締まった肉体。
とうとう本気にさせてしまったみたいだ。
こっちには2本の箒と果物ナイフだけ。
さっきのような奇襲は使えない。
ならば、
「…。」
俺は深く腰を落として2本の箒でそれぞれ突きの構えを取る。
ヴァンパイアは口からよだれを垂らしながら迫り来ってきた。
「はっ!」
左の突きをヴァンパイアは爪で迎撃しようとしてきた。
俺はそのまま左手を離す。
まっすぐ飛んだ箒はヴァンパイアの右手に払われて真っ二つになって地面に落ちた。
俺は一気に加速して右手で再び突きを放つ。
ヴァンパイアは振るった右手を裏拳の様に戻しながら箒を弾き飛ばした。
迫り来る左の爪をあえて懐に駆け込んでかわし、ズボンからナイフを取り出してヴァンパイアの喉もとめがけて力いっぱい突き上げた。
時間が止まったような感覚に陥る。
俺はナイフを突き上げたまま、そしてヴァンパイアは…ナイフに噛み付いたまま、笑みを浮かべた。
「残念だったな、人間!」
腹に蹴りを入れられて俺はフェンスまで弾き飛ばされた。
本日2度目の呼吸困難に意識が飛びかける。
「正直ここまでやれるとは思っていなかったよ。だが、これでお仕舞いのようだな。」
ヴァンパイアは咥えていた果物ナイフを噛み砕いた。
残されたのは横に転がっている鞄だけ。
武器としてはお粗末なものだ。
絶望しすぎて笑いが込み上げてきた。
歌はもう聞こえない。
目の前に死が1歩ずつ近づいてくる。
「貴様はよく頑張った。…情けをかけてやろう、この手を取れば消滅の魔女をおびき寄せる餌とする代わりに命を救ってやる。さあ、どうだ?」
俺は手を伸ばし、その手を払った。
「やな、こった。」
ヴァンパイアが怒りの表情になり俺の手を掴んで屋上の中央にまで投げた。
地面に何度もぶつかり、転がり、滑った。
左腕が変な痛みを訴え、顔も地面で擦って額からは血が出ているようだ。
それでも鞄を手放さないのだから往生際が悪いことこの上ない。
「まったく人間とはおろかだな。慈悲すらも足蹴にするとは。ならばその愚かさを呪いながら死ぬがいい。」
「葛木君っ!」
それはヴァンパイアと同時にかけられた。
振り返れば荒い息をして両手で剣を持った会長の姿があった。
俺は力を振り絞ってバッと立ち上がり右手を水平に上げた。
「会長、剣をっ!」
「させんっ!」
会長が剣を投げてくれるのを目の端に捕らえながらヴァンパイアに目を向ける。
ほんの少し、ヴァンパイアの方が早い。
俺は左手に下げていた鞄を右手に持ち返るとヴァンパイアに向けて投げつけた。
「この期に及んで、無駄な抵抗を!」
ヴァンパイアにとって合成繊維で出来たただの鞄など紙くず同然だったのだろう。
やつは避けず自慢の爪を持って切り払った。
中から出かけに詰め込んださまざまなものがぶちまけられる。
俺は、にやりと笑みを浮かべた。
ヴァンパイアの動きが一瞬静止する。
「にんにく、だと!?」
ばらばらにはじけた鞄からは一房のにんにくが跳ね上がった。
化け物相手と考えて適当に放り込んだものだ。
俺はしっかりと剣をつかむと鞘を強引に振り払い
「いっけーっ!!」
全力で地面を蹴ってにんにくごとヴァンパイアの頭を貫いた。
ヴァンパイアは驚愕に目を見開いたまま固まっている。
「バカ、な。人間如きに、私が?」
俺は駆け寄ってきた会長に肩を貸してもらいながらヴァンパイアの前に立つ。
「人間は確かに1人じゃ何も出来ないかもしれない。だからこそ俺たちは助け合う。今みたいにな。そうすればどんな困難だって乗り越えられる。お前だって、仲間の大切さはわかっていたはずだろ?」
「フッ、人間に説教をされるとは私も堕ちたものだ。だが、貴様もこの世界にとっては歪みだと言うことを覚えておくがいい。ふふふ、はっはっはっはー!」
ヴァンパイアは最期に特撮ものの悪の首領みたいな高笑いを上げながら緑色の炎に包まれて消滅していった。
俺は一気に足の力が抜けて地面にへたり込む。
「あれが、君の戦っていた化け物か。想像以上に危険なやつだったな。」
「そうですね。それにしても会長、助かりました。」
「なに、君からのメールをもらったのでな。たまには私も活躍をしようと思ったのだ。私が来ることがわかっていたからにんにくなんて最後の詰めを残しておいたのだろう?いや、あっぱれ。」
「いえ、俺は会長が来るなんて知りませんでしたよ。あれはたまたまです。」
会長は首をかしげてメールを操作した。
「そうなのか?私はこれから向かうというメールを返信したはずなのだが?」
俺も携帯を取り出して確認しようとして、画面が真っ暗なことに気がついた。
電源ボタンを長押ししてもうんともすんとも言わない。
「電池切れのようだな。」
そういえば水曜日から毎晩学校で記憶を飛ばされていたから充電していないことを忘れていた。
俺は自分のダメッぷりを痛感して地面に寝転がった。
「でも、すごくいいタイミングでしたよ。ここで戦ってることがわかっていたんですか?」
「いや、君を探しながら校内を走り回っていたときに案内をしてくれた女性がいてね。彼女のおかげだ。」
会長が振り返り屋上の入り口に目を向けた。
俺も寝転がりながら見るとそこにはドアに手を当てる形で少しだけ困ったみたいに笑う女性が立っていた。
「ファリア。」
もう迷うことは無い。
俺を歌で救い、会長を導いてくれたこの人はファリア・ローテシア。
消滅の魔女と呼ばれたヴァニッシャーだ。
「なに?彼女が以前君の探していたファリアさんか。このたびは貴女のおかげで間に合いました。感謝しています。」
ファリアは首を横に振って微笑んだ。
「私は少しばかり道を示しただけです。今回の勝利はあなたがずっと走って剣を持ってきてくれたことと…」
ファリアは俺を見て悲しげに微笑む。
「ユウが、頑張ったからです。ユウ!」
ファリアはとうとう泣き出して俺のところに駆け寄ってきた。
俺は何とか動く右手を彼女に差し出した。
「泣かないでくれよ。俺は君を泣かせるために戦ったわけじゃない。」
ファリアは俺の手をぎゅっと掴んで何度も首を横に振った。
「私が、私が姿を現せばユウが傷つくことは無かった。私が…」
今度は俺が首を横に振った。
「そんなことをしたらファリアが危険な目にあうだろ?だからこれでよかったんだ。」
ぼんやりと見上げた空、月がだんだんと光を失っていくのが見えた。
記憶の消去が間近まで迫っているようだった。
それでも、今日のことは忘れたく無かった。
気がつけばファリアは真剣な表情で俺の目を覗き込んでいた。
美人のお姉さんに見つめられてちょっと照れる。
「なにを赤くなっているんですか?…それよりもユウは今日、多くの真実を知りました。そのことを消去されるのはユウにとっても、私にとっても非常につらいことです。」
俺は頷く。
彼女の続く言葉をなんとなく理解して。
「もし、ユウが忘れたくないと、そう思うなら私に手段があります。ただし、それをするということは、普通ではいられなくなります。」
普通、普通に朝起きて普通に学校に行って勉強して、普通に友達と話して、普通に寝る。
何処までが普通で何処からが普通ではないのか。
俺には判断がつかない。
俺が迷っている間ファリアは会長と話をしていた。
「すみません。これはユウにしか施せないもので。明日にはあなたは今晩のことを忘れていると思います。」
「気にしないでください。葛木が無事だっただけでも十分今日私が来た価値はありました。君がどのような選択をするのか、どんな運命が待ち受けているのかは察することも出来ないが私は君の味方のつもりだ。また月曜日に会おう。」
会長は無駄にさわやかな笑みを浮かべて手を振りながら屋上を後にした。
月はもう闇に消えかけて時間が無い。
「ユウ、決断を。」
「その前にこっちから1つだけ質問、いいかな?」
「はい?」
「消されないことを選べば、ファリアといられる時間が増えるのか?」
ファリアは目を真ん丸くして黙ってしまった。
俺もちょっと恥ずかしくなってきた。
と、突然ファリアは声をあげて笑い出した。
「ふふふ。普通から外れることよりもそのことの方が大切ですか?」
俺は大きく頷いて見せた。
「そうだな。よく思い出せないけど、ずっと君を探していたんだから。」
ファリアは俺の手をぎゅっと握って、うれしそうに笑った。
「あなたがそう望んでくれるのなら。…はい、私はユウのそばにいます。」
「よし、それならやってくれ。」
世界は闇に包まれる。
そんな中、俺は光に包まれて眠りに落ちていった。