第7話 語られる真相
月が半分ほど欠けている。
流れる風は生暖かく雲が月を覆い隠す。
嫌な感じのする夜だった。
学校に向かっているのに人に出会わない。
校門はまるで俺を迎え入れるように開いているし昇降口も開いていた。
俺は上履きに履き替えて一度立ち止まり、特別教室棟に向かって歩き出した。
この学校に屋上は特別教室棟と教室棟の2つがある。
俺は直感を信じて特別教室棟にした。
それは以前俺の記憶にはない事件でそちらを使っていたという話を聞いたからでもある。
近くの教室から箒を2本拝借して階段を上っていく。
2階、3階と上に向かうごとに月の光が赤く見えて、嫌な感じが強くなっていく。
3階と屋上を繋ぐ踊り場から上を見上げればドアが俺を誘うように開いていた。
ただ、そこがまるで地獄の門が咢を開いて待っているようで悪寒が走った。
俺は重い足に活を入れて階段を上っていく。
…微妙に13段だった気がするのは気のせいだと思うことにしよう。
ちょっと泣きそうだった。
生暖かい風が吹いた。
月は赤く染まり、世界は血に染まったように紅い。
「よく来てくれた。」
その声は…教室棟の屋上から聞こえた。
「あ、ミスった。」
俺と相手はしばし屋上で呆然と互いを見つめてしまった。
黒いマントの伯爵風の男だった。
黒マントはしばし唸っていたが顔を上げた。
「少々待っていたまえ。今からそちらに向かう。」
そういうと黒マントは屋上の階段に入っていってしまった。
てっきり飛んでくるものだと思っていただけにちょっと調子抜けだ。
フェンスに背を向けながら鞄の中身を確認する。
果物ナイフをズボンのポケットに忍ばせておく。
右手に箒を持ち、もう1本は予備として地面に転がしておいた。
嫌な汗が流れる。
時間の感覚がおかしくなる。
コツン、コツン、階段を上がってくる足音に気を引き締めると黒マントを着た男がゆっくりと屋上に現れた。
遠目にはわからなかったが渋い顔には特徴的な犬歯が見えた。
「吸血鬼か。」
「ご明察、ヴァンパイアである。」
恭しく礼をする姿も様になっている。
俺は箒を握り締めて腰を落とした。
「待ちたまえ。君は私と戦いに来たわけではあるまい?」
「そうでもないが。…世界の真理ってやつか?」
俺の返答に満足したようにヴァンパイアは笑みを浮かべた。
「そう、今君が体験している記憶の消失、その原因と解決法を知りたくはないかね?」
それは、俺の望みそのものだった。
「できるのか、そんなことが?」
ヴァンパイアは大きく頷く。
「できるとも。君が協力さえしてくれればね。」
俺は地面に腰をおろした。
「協力するかどうかは話を聞いてからだ。」
ヴァンパイアはやれやれとため息をつくと俺に背を向けて語りだした。
「この世界は、いや、ここに限らず世界は秩序によって多少の波はあっても平穏に保たれている。それは戦争や災害などでは覆ることなどありはしない。そもそもそれらは世界の秩序が生み出した産物なのだからそれが世界を壊すことなど出来ないわけだ。だが、その秩序を破壊することができるものがいる。その力を使えば物体をこの世から消し去ることができる。その物体が消えた瞬間世界はその歪みを正そうと初めからその物体がなかったことにしようと働きかける。」
「つまり、俺の記憶が消えた原因はその歪みの修正、というわけか。」
ヴァンパイアは感心したような息をついて自分のあごひげを撫でた。
「君は賢いな。それとも…初めから知っていたのかな?」
「…。」
そんなわけないと、否定できない。
俺は確かに同じような話を知っている気がした。
「だけど仮にその力があったとしても俺がそんなのを使えるとは思えない。俺の消えた記憶はきっと化け物退治しかしていない。」
ヴァンパイアは満足そうに何度も頷いている。
「そう、君は確かに学校を夜な夜な徘徊する化け物を退治していただけだ。だからそこで君はいつも出会っていたのだよ。君の記憶を消した張本人と。」
その言葉は、なぜかファリアという名前を呼び起こさせた。
「魔女、ファリア・ローテシア。」
「! ファリア・ローテシア?」
ヴァンパイアは口にするのも忌々しいとばかりに顔をゆがめた。
「消滅の魔女の名だ。彼女こそが記憶消去の張本人にしてこの事件の黒幕だ。こんななりをした化け物の話では信じてもらえないかもしれないが、我々は人間に危害を加えるつもりはないのだよ。実際に我々が何か重大な事件を起こした事があったか?いや、ない。家庭科室の件も君が絡んだからこそゴブリンは応戦したのだから。」
ファリア…消滅の魔女…この事件の、犯人。
俺はわけがわからなくなっていた。
心のどこかでファリアという女性を追いかけていた。
求めていた気がする。
その相手がヴァニッシュの原因で、この事件の犯人だなんてあんまりだった。
「…どうして、俺にそのことを教えた?」
「私の仲間を守るためだ。君は何も知らずただ学校に化け物が出るからという理由だけで毎日夜の学校に訪れて同胞を葬ってきた。人間は恐怖を拭わずにはいられない生き物だ。同胞を手にかけたことを咎めるつもりはない。だが真実を知ればそれが如何に無駄なことなのかをわかってもらえると思ったのだ。悪いのは我々化け物ではなく消滅の魔女なのだよ。」
ヴァンパイアは俺に向けて手を差し伸べてきた。
穏やかな顔で俺を見ている。
「さあ、この手を取りたまえ。君はもう我々の敵ではない。君がなおもこの事件の解決を願うのならば共に消滅の魔女と戦おう。君に戦う意思がないのならばこの真実を胸に人としてあるべき生活に戻ればいい。君はもう危険を冒す必要はないのだよ。」
そうだ。
俺は何で戦わないといけないんだ。
ヴァニシングレイダース?
会長が勝手に化け物退治のために結成したお遊びの部隊じゃないか。
実際の化け物はこんなにも友好的だ。
それをなにも考えずに化け物だからという理由で俺は倒してきたのだろう。
そんな自分が嫌になる。
「でも、俺はあんたの仲間たちを…」
「そう自分を責めることはない。我々は君を恨んでなどいないのだから。君がこれから我々のことを理解し、傷つけることがないならば我々は君を客人として、いや、同胞として迎え入れてもいいとさえ考えている。」
何人かは覚えていない、それでも仲間を殺してきた俺を許すだけじゃなく仲間として迎え入れるとまで言ってくれている。
指し伸ばされた手がひどく暖かいもののように感じられる。
俺は救いを求めるように手を…
「ラーラーララララー♪」
それは涼やかな風に乗って運ばれてきた美しい歌声だった。
俺は伸ばしていた手を止めてその歌声に耳を傾ける。
耳を、心を吹き抜けるような清らかな声は俺に何かを語りかけているように感じた。
「ラララーララー♪」
「くっ、耳障りな音色だ。消滅の魔女、姿を表したらどうだ!?」
ヴァンパイアの顔が怒りに歪む。
それはさっきまで俺に暖かい手を差し伸べていた相手とは似ても似つかない、化け物だった。
俺は手を引っ込めて立ち上がりゆっくりと距離を取る。
ヴァンパイアは忌々しげな顔で俺を睨みつけてきた。
「我々に敵対するというのかね?真実を知ってなお、この事件の犯人が消滅の魔女の所業と知ってなお!」
俺は目を閉じた。
今も何処からか聞こえる歌声に勇気をもらう。
それは懐かしい、戦を前に彼女が歌ってくれた戦いの歌のメロディーだった。
そのことを魂が知っていた。
「ご高説感謝しているよ。おかげでなんとなくだがヴァニッシュの理由がわかった。だが最後の破滅の魔女のくだりは信用できないな。この歌声はその魔女のものなんだろ?こんな綺麗な声をしたやつがただ悪さをしたいだけで記憶を操作したりするものか。」
「…所詮はやつの手駒という事か。」
「さて、それじゃあ俺を呼んだ本当の理由を教えてもらおうか?」
ヴァンパイアは口を大きく広げて笑みを浮かべ大きく後ろに飛びのいた。
広げたマントはさながらこうもりの翼のように俺を威嚇するようにはためく。
「我々にとって消滅の魔女は目障りな存在。それと関わりを持つ貴様を囮にしてやつとの交渉を行おうと考えていたがそれもここまで。こうなれば貴様を血祭りに上げて消滅の魔女をこの場に引きずり出してくれるわ!」
とうとうヴァンパイアが正体を現した。
俺も深く腰を落として手に持った箒を握る。
ここからが本番、ヴァニシングレイダースの任務だった。