第5話 不完全な消失
「ファリア…。?」
自然と目が覚めて自分がつぶやいたことがなんだったか思い出せない。
ただ、少しだけ目元が腫れぼったい感じがした。
起こしに来た一馬が驚きのあまり外の天気を確認しようとし、窓から身を乗り出しすぎて落ちた以外はいつも通りの朝、もはや定例となりつつあるヴァニシングレイダースの報告会で俺と会長は互いに難しい顔をしていた。
「昨晩は幽霊と交戦したみたい、だな。」
「お経が必要になった、みたいです。」
結局俺はもちろんのこと会長も昨晩のことは覚えていないようだった。
ただ昨晩その時間に宿題をやっていたことは覚えているらしいのでますます事件に関わった記憶が消えているという推察が信憑性を帯びてきた。
「どうやら事件の解決に関わることでそれに関する記憶が消されるようだな。まさかメールのやり取りだけで消されるとは思っていなかったが。」
「そうですね。ところで会長、ファリアという名前か言葉に聞き覚えはありませんか?」
「ファリア?…いや、聞いたことないな。それがどうかしたのか?」
「いえ、少し気になっただけです。」
何かすごく大切なことのはずなのに思い出せない。
これも消された記憶に関わることなのだろう。
ならば何故、消えたはずの記憶から消えずに残ったのか?
ヴァニッシュはもしかしたら完全ではないのかもしれない。
そう思えた。
その日、刑事さんが再び尋ねてきた。
尤も俺をどうこうしようというわけではなくあの剣の持ち主が会長の父親だということがわかったのでその報告だった。
会長はそれを聞いてものすごく青ざめていた。
俺はもともとあんな剣に見覚えがないと思っていたからその謎が解けて満足だ。
あの日の夜会長はヴァニシングレイダースの仕事に俺を学校に呼び出し剣を持たせた。
そこで俺はなんらかの化け物-おそらくはドアをぶち壊せるほどの怪力を持つもの-と戦闘になりその剣を使って勝利したあと記憶を消されたのだ。
翌朝体が痛かったのは戦闘の傷跡だろうし、それなら剣に俺の指紋が残っているのも頷ける。
ヴァニシングレイダース初の事件の顛末がようやく見えた気がした。
そのことを会長に話して聞かせてみたがどうやら帰ったあとに待っているお叱りが気がかりすぎで上の空のようだった。
俺は今晩も決行することを伝えて帰路に着いた。
今の俺はもう1つ謎を抱えている。
おそらくは誰かの名前だろう、ファリアという言葉。
俺の人生十数年の中で外国人の名前など歴史の授業くらいでしか覚えた事はなくそこにそんな名前はないことは俺より賢い会長が知らない時点でわかっている。
だとすれば遠い昔に出会った友達?
…それもない。
俺はずっとこの町で暮らしてきていたがこの町で外国人を見かけることなんてほとんどなく知り合いと呼べるほどの相手はいない。
「はぁー。それじゃあ、なんだろうな?前世の恋人とかか?」
もうわけがわからず空を仰ぎ見た。
「うーん、惜しいです。」
声が、聞こえた気がした。
しかし、顔を下ろしたときには周りには誰もおらず、
「何で俺は自販機と向かい合ってるんだ?」
お金を入れようともせずに自販機の前に立ち尽くしていた。
小銭を出すのも面倒なので何も買わずにその場を後にする。
ええと、何を考えてたんだっけか。
「そうそう、ファリアって言葉。なんだろうな?」
結局答えは見つからず家にたどり着いた。
夜を待ち行動を開始する。
裏門から侵入し、教職員玄関から潜入する。
まるで以前にもやったことがあるかのように(きっとやったのだろうが)手際よく潜入に成功した。
今日は昼間剣の話を聞いていたこともあり一馬が俺の部屋に忘れていったバタフライナイフを拝借してきた。
その頃はこういうものにかっこよさを求めるのはどうかと思うと説教をくれたものだが今は感謝することにした。
ポケットにナイフを忍ばせて校内を散策していると
ガシャン、ガシャン
廊下の向こうから通称フルプレートと呼ばれる西洋の鎧が歩いてきた。
手には長柄の斧、腰には剣を携えている。
俺はポケットの中に手を差し込む。
硬い感触があったが彼我戦力比は月とスッポンだった。
「…。無理。」
俺は物陰に隠れて先輩に『本日はフルプレート。無理かもしれないです。』とメールした。
すぐに返事があった。
『冥福を祈る。』
いや、冥福を祈るはすでに死亡確定だから。
…なんだろう、突然影が落ちた。
振り返ると斧を振り上げたフルプレートが立っていた。
仮面で顔なんて見えないはずなのに、そいつはにやりと笑ったような気がした。
「うおっ!」
俺は体をよじりながら横に飛んで転がってがむしゃらに駆け出す。
振り下ろされた斧は校舎の床をえぐっていた。
本気でナイフ1本じゃどうにもならない。
ガードしに行ったらそのままばっさり死亡確定コースだ。
俺はとりあえず追撃に備えて駆け出そうとして
「あれ?」
振り返っても追ってこない。
いや、正確には追ってきているのだがガシャンガシャンと歩みがものすごく遅い。
何かここ最近走り回っていたのかと思うほど体が動くから少し拍子抜けだ。
これなら真っ向勝負以外で倒す方法をいくらでも考えられる。
俺は勝利のために、やっぱり走り出した。
作戦その1、頭を落とせば倒せるのではないか。
ということで箒を頭めがけて投げてみた。
スパン、スパーン。
思いのほかすばやい動きで振るわれた剣に木の箒は成すすべなく丈を小さくしてしまった。
それでも運よく強打した箒があり、甲冑の首が飛んだ。
「…歩く首なし騎士。」
首なし甲冑は転がった頭を拾うと頭に被せて再び歩き出した。
B級ホラー映画のような光景が見えただけだった。
作戦その1失敗。
作戦その2、転ばせてみよう。
ということで教室を回って見つけた縄跳びを数本結び合わせて廊下に結びつけ、教室を経由して反対側のドアから結んでいない端を出した。
フルプレートはゆっくりと進んで縄跳びに足をかけた。
「今だ。」
思いっきり引っ張ると縄跳びが足に引っかかった。
が、
「縄跳びの縄って結構伸びるもんだな。」
もともと重たい上に縄の方も伸びやすく結局転ばせることは出来なかった。
俺は縄跳びを手に持ったまま教室に駆け込み反対側のドアから出る。
この縄跳びにはまだ使い道がある気がする。
俺はすばやく廊下の結び目を解いて近くまで迫ってきていたフルプレートに背を向けて一目散に逃げ出した。
作戦その2、失敗。
廊下の向こうからフルプレートがゆっくりと迫ってくる中、俺は廊下の真ん中に座り込んで考えていた。
遠距離攻撃はバズーカでもない限り不可能、トラップにしても準備するほどの資材があるわけではない。
あるとすれば箒と無駄に長く繋いだ縄跳びとポケットに入っているナイフだけ。
「勝つためには、やっぱり足止めしないと駄目だよな。」
フルプレートはだいぶ近くまで迫ってきていた。
階段を使って逃げるという手もあるが根本的な解決にはならない。
また階段で突き落とすことも考えたが逃げ場の少ない階段や踊り場では逆にこっちが命取りになりかねないと判断してやめた。
そうなると手元にある武器を最大限に生かして勝つためには度胸が必要だった。
「命を懸けないと駄目か。これなら階段でもいいかもしれないがな。」
だが階段から突き落としたからといって倒せるとは限らない。
俺は勝たなければならないのだ。
プランは決まった。
俺は目前まで迫ったフルプレートの目を逃れるために教室に駆け込み、反対側のドアから抜け出して真逆の位置にある教室に向かった。
これから準備に入る。
できる限り時間がほしいから全速力で廊下を駆け抜けた。
ガシャン、ガシャン
フルプレートの足音がすぐ近くまで近づいてきた。
俺はがら空きになった教室の中央で片手に箒、もう片手に縄跳びの端を持ちながら待っていた。
机や椅子は邪魔だったから廊下に出した。
今の俺には少しでも広い空間が必要だったから。
やがてフルプレートが教室の中に入ってきた。
ここは端の教室、後ろのドアは出した机を積んであるせいで使えない。
背水の陣、負ければ命はない絶体絶命の状況で、だからこそ俺は高揚感を覚えた。
「さあ、うすのろ。勝負だ!」
俺は右手の斧では攻撃しづらいフルプレートの左腕の脇を通過しながら縄跳びの端を巻きつけた。
風を切る斧が振るわれたが俺はすでに後ろに回っていて当たらない。
縄跳びを解こうと腕を振っているがそれも遅い動きではかなわない。
フルプレートは俺への攻撃に集中することにしたらしく斧を振り回し始めた。
横薙ぎは大きく間合いを取ってかわし、縦振りのときにフルプレートの周りを回って縄跳びを巻きつけていく。
3回転もするうちに足に縄跳びが絡まり目に見えてフルプレートの動きが悪くなった。
俺は一気にたたみかけようと駆け出し、判断を誤ったことに気づいた。
フルプレートは、斧を投げ捨てて剣に手をかけた。
斧よりもずっと小回りの利く剣に。
俺は駆け出していて急には止まれない。
フルプレートはすでに振り下ろせるまでに剣を掲げている。
表情のない仮面が勝利の喜びにほころんだような気がした。
俺は咄嗟に右手に持った箒でガードした。
鉄の刃が振り下ろされる中、木の箒など盾にもならず、仮面の愉悦は消えない。
ガキン
その顔が凍りついた。
逆に俺が笑みを浮かべる。
切り裂けるはずだった俺を救ったのは箒で隠しておいた1本のバタフライナイフだった。
俺はその隙をついて縄跳びをぐるぐる巻きにしていく。
腕すら動かせなくなったフルプレートの手を蹴っ飛ばすと剣が落ち、胴体に体当たりをかまして地面に倒した。
仮面のはずなのに、中身は空のはずなのに怯えて見える不思議を目の当たりにしながら俺は転がった斧を手に取った。
「重っ。こんなん振り回してたのか。化け物め。」
俺は力いっぱい斧を持ち上げて振り下ろす。
ガギィン、金属同士のぶつかり合う音が響き、振動で手が震える。
鎧の中央に裂傷が入った。
あと何回振り下ろせばいいかわからない。
だが
「どのみちもう起き上がれそうにないんだ。じっくり削っていってやるよ。」
変わらないはずの仮面は泣いているように見えた。
もう手が痺れてしばらく使えそうにない。
俺は教室のど真ん中に座り込んでボーっとしていた。
あれからフルプレートに何十回も斧を振り下ろした。
やがてフルプレートはただの金属片に近づいていき、緑色の炎を上げて消えていった。
正直動けなくしたあとの方が何倍も大変だった気がする。
それでも達成感と一撃で葬ってやれなかったことへの後悔があって、俺は消えていったフルプレートのいた場所を眺めていた。
同じように消えるであろう俺の記憶が消え去るまでは、そこにいたことを覚えていたかった。
「こんばんは。」
「こんばんは。」
教室に入ってきた女性は俺に微笑みかけた。
初めて会うはずなのに懐かしい、優しい笑顔。
彼女は俺の隣に腰をおろして俺の方をじっと見ていた。
無性に気恥ずかしい。
「お疲れ様です。」
「お茶とかは出ないのか?」
彼女はきょろきょろと辺りを見回したあと困ったような笑みを浮かべた。
「残念ながら。今度用意しておきます。」
「ああ、頼むよ。」
彼女はそれを聞いてすごくうれしそうに笑った。
なんとなくわかる。
彼女が来たということは消えるまでにそう時間がないということ。
だからその前に聞いておきたかった。
「ファリア。」
「!!」
彼女は目を見開いて、予想通りすごく驚いた顔をした。
「やっぱり、君の名前だった。」
ファリアはぽろぽろと涙を流す。
「覚えていて、くれたんですね?」
「わからない。次に目覚めたときに同じだとは限らないだろ?」
ファリアは首を横に振って俺の手を取った。
小さくて滑らかな手の感触に胸が高鳴る。
「私は、信じています。あなたは、ユウは覚えていてくれると。」
この事件に関わるようになって自分の記憶が信じられなくなっている俺。
それでも彼女の言葉だけは信じていたいと思えた。
俺もそっとその手を握り返す。
「努力はしてみるよ。どうにかなるかはわからないけどな。」
世界が闇に染まっていく。
月明かりが消えてファリアの輪郭も闇に飲まれていく。
「ユウ、私、私…」
ファリアの涙が、悲しそうな顔が消えていく。
「ファリア!」
最後に残った手のぬくもりはいつまでも消えることなく、意識が闇に落ちた。