第4話 魂の言葉
「一馬、俺は昨日何をしていた?」
「俺の宿題を写して昼飯を奢ってくれて女子たちがいらん妄想を掻き立てていた。」
…思い出すんじゃなかった。
だがそれ以降のことは一馬も知らないはず。
俺は昨晩、家に帰ってからの記憶がない。
両親に確認したら夕飯を食べた後少し外に出たみたいだが気がついたら帰ってきていたという。
携帯を確認してみれば記憶にない、学校に潜入するというメールと会長からの健闘を祈るという返信があった。
俺は学校に到着すると一馬と分かれて生徒会室に向かった。
会長は待っていたかのように1人で座っていた。
「…その様子だと、昨晩のことは覚えていないようだね。」
俺が頷くと会長はため息をついた。
「昨晩はさほど大きな事件は起きていないようだ。特別教室棟の屋上のドアが開いていたこととそこになぜか教室棟の箒が置いてあったくらいだな。」
そう言われてもまったくもって覚えがない。
だからその記憶は消されたのだ。
もしかしたら神と呼ばれるような存在の手によって。
でなければそんなことが出来るはずがない。
「葛木君。正直私は怖くなってきているのだよ。今は事件のことだけを忘れている。だが、もしかしたらこれは呪いで、いずれこれまでのこともすべて忘れていってしまうんじゃないかと。葛木君、君の意見を聞かせてくれ。」
会長は憔悴しきった様子で俺を見ていた。
きっとここ数日まともに眠れていないのだろう。
続けるべきか、退くべきか。
覚えていられないことに危険を犯す意味ははっきり言って何もない。
何かを得たとしても何も覚えていなければ何も得られていないのだから。
だけど、諦めた方がいいという正論よりも続けるべきだと告げるものがあった。
諦めるなと自分以外の何かが告げているような感覚だった。
「俺は…例えひとりになっても続けるつもりです。きっとその先に俺の追い求める何かがあるんです。」
「すべてを忘れて、その先に待っているのは何だというんだ?」
「わかりません。ただ…」
ふわりとそよぐ風、それが見たことのない穏やかな情景を運んできた。
知らず笑みが浮かぶ。
「きっと、そこに待っていてくれる人がいるんです。」
会長は呆気に取られたような顔をした後、大笑いした。
「はっはっは。これは面白い。謎の究明の果てには君の恋人にでも会えるというのか?」
「そうなのかもしれません。よくわかりませんが。」
会長は腹を抱えて笑ったまますまないと言った。
「はあ。それならば私も変わらずに協力するとしよう。君の追い求める女性をこの眼で確かめるまでは退けないからな。」
野次馬根性っぽい動機だったが会長の顔が明るくなって俺としてはホッとしていた。
ガラッと音を立てたドアに目を向けると恐縮した様子の国枝と昨日の刑事さんが立っていた。
「葛木さん、こちらでしたか。教室にお尋ねしたらいらっしゃらないので探してしまいましたよ。」
どうやら昨日顔を合わせた国枝に俺の居場所を聞いたのだろう。
俺を探していた、それがひどくよくないことのような気がした。
「そんなに緊張しないでください。ちょっと署までご同行願いたいだけですから。」
不安げな会長と国枝に見送られながら俺は刑事さんに連れられて生まれて初めてパトカーに(覆面だけど)乗ることになった。
取調室はもっと暗くて狭くてビラビラのあれがあるものと思っていたけど違った。
というかここは警察署の会議室らしくさっきまでいた生徒会室とあまり違いはなかった。
目の前には昨日見せられた剣の現物と指紋の写真が並べられていた。
「昨日取らせてもらった指紋なんですがね、その剣に付いていたものとぴったり一致したんですよ。」
「…。」
なるほど、そういうことか。
昨日刑事さんが尋ねてきたのははじめから俺が怪しいと睨んでいて指紋を取るためだった。
そして結果はこの通り、ぴったりと一致したと。
「つまり俺が夜の校舎で家庭科室のドアを壊し、剣を振り回していた犯人ということですか?」
状況的には言い逃れできるものではない。
記憶にないと言って「はい、そうですか」と流してくれるほど生易しくはないはずだ。
だというのに刑事さんはじれったそうに頭を掻いた。
「それなんですけどね、その剣でつけた傷とドアのへこみはどうあっても合わないんですよ。葛木さん、実は剣をぶつけずに物を破壊できたりしませんか?」
割と真面目な顔をして刑事さんが尋ねてくる。
「何処のゲームの話ですか、それは?」
だから俺も結構真面目に答えてあげるとばつが悪そうに笑った。
「…ですよね。それで、その剣に見覚えは本当にありませんか?」
そこで本題に戻った。
向こうとしてももう俺が犯人だとは思っておらずあくまで確認のためということだろう。
何で俺、こんなに冷静なんだ?
「実は、あまりよく覚えていないんです。学校に忘れ物をして向かったのはなんとなく覚えているんですけどその後のことが曖昧で。」
「ふむ、そうなんですか。もしかしたら何かの事件に巻き込まれて強いショックで記憶が失われたとか、そういうことは考えられませんか?」
「…そういえば、次の日体が痛かったです。背中とか、節々とか。」
これは本当のことだ。
刑事さんは神妙な顔つきになって事件のことを考えているのだろう。
俺も事件について考えている。
だが刑事さんとは違う内容だ。
俺はまず間違いなくあの剣を使って戦っていた。
相手は最近噂になっている化け物。
でなければドアの件は説明できないし、昨晩のこともそうでなければ箒を持って特別教室棟の屋上になんて普通は行かない。
だから俺がするべきことは、記録を残すこと。
消されてもなお残る何かを作ることだ。
「わかりました。これで少し事件が伸展するかもしれません。いやー、学校で聞き込みをしているとみんな口をそろえてゴブリンだの化け物だのというんですよ。それが先生たちまでなんですから、今そういうの流行ってるんですか?」
刑事さんはすっかりフランクな感じになっていた。
俺も緊張が解けて椅子に深く腰掛ける。
「そういう噂は流れてますね。先生たちもゴーストバスターだゴーストスイーパーだと慌てているらしいですから。」
後半は冗談だと思ったのか刑事さんは笑っていた。
俺も笑いながら自分はきっとそんなことをやっているんだろうなと笑ってしまった。
教室に戻れば葛木容疑者には質問攻めの嵐。
それを乗り越えて放課後作戦会議室では俺と会長、国枝が机を囲んでいた。
「なんとなく参加することになった国枝だ。」
「違います。会長の監視をするだけです。」
取り付く島もない。
それでも同じ机を囲むくらいには話を聞きたくなってはいるらしい。
「これからの方針ですが、とりあえず夜の学校に忍び込みます。」
「却下です。」
開始早々、国枝から待ったがかかってしまった。
「無断で校内に侵入するのは校則違反です。会長からも何とか言ってください。」
「いや、そもそも私が進めていることなわけで止めるつもりもないのだが。」
会長と国枝はしばらくにらみ合っていたがやがて国枝が目を逸らしてため息をついた。
頬が赤いのはきっと気のせいではないはずだが突っ込むと面倒そうなので黙っている。
「…もういいです。」
「ふむ、それで?」
「はい。事件があるにしろないにしろ、可能な限り状況に変化があったときには会長にメールを送ろうと思うんです。今までも俺たちが忘れたことでもメールだけは残っていたじゃないですか。だからそれを使って忘れても何があったかを記録しておこうと思うんです。」
「なるほどな。非常にいい案だと思う。」
会長は感心した様子で手を叩いた。
国枝はもう好きにしろとでも言いたげにお茶を飲んでいる。
これで例え俺が忘れてもメールが起こったことを証明してくれる。
例え誰も信じてくれなくても、消えてしまうことを知っている俺と会長は信じることができるはずだ。
「ヴァニシングレイダースもなかなか軌道に乗ってきたな。」
「そうですね。ところで追加の隊員はどうなってるんです?今のままだとヴァニシングレイダーですよ?」
「…。」
会長は目を逸らしてお茶をすすった。
それ、国枝のお茶ですよ。
国枝は真っ赤になって俯いているし。
「いいではないか、ヴァニシングレイダーもかっこいいと思うぞ、私は。」
結局追加隊員の見込みなしらしく、諦めのため息をついたところで解散となった。
昨日の放課後に裏の鍵をいじったことは覚えていたので回ってみると見掛けだけ掛かっているように見えて鍵は掛かっていなかった。
侵入するとすぐ脇に昨日の日付と時間、それに「勇、参上」と書かれていた。
…自分で書いたのかと思いちょっと恥ずかしくなった。
俺は学内に侵入したことと共にここに記したことも記載してメールを送った。
今日は昇降口が閉まっていたので危険を承知の上で教職員用の玄関に回った。
普段は用務員さんがいるはずなのに受付には誰もいない。
電気はついているしカップからは湯気も上っていることからトイレにでも行ったのだろう。
これ幸いにと潜入することにした。
一度昇降口に回って上履きに履き替えて校内を回る。
ここまで来て武器を持ってこなかったことが悔やまれた。
廊下の曲がり角で背中を壁につけ、ゆっくりと顔だけ出して奥を覗いて何もなければ進む。
その行動を続けていくとどうしても時間がかかるのだが先手を打たれるのは家庭科室のドアを吹き飛ばした威力を考えるとやばそうだし用務員に見つかるのも厄介だ。
さらに進んで教室棟の3階に上った直後、廊下の向こうに何か見えた。
人じゃない。
何か子供の落書きじゃないかと思えるほど白くてふわふわしていて手がたれてて足がない愛らしい姿。
でも飛んでる。
俺は
「今回の敵は幽霊。」
とだけ簡潔に送信して携帯をしまう。
顔を上げると
「?」
くりくりお目目と大きく裂けた口を持つ頭をかしげたふよふよ浮かぶ幽霊が目の前にいた。
50メートル以上あったはずなのに?
瞬間移動?
マジ?
「うわー!」
とりあえず逃げるしかない。
走りながら振り返れば幽霊はどこか楽しそうに俺の後をついてきている。
瞬間移動できるんじゃ逃げても無駄だ。
俺はひょいと近くの教室に飛び込んだ。
武器になるものはと掃除用具入れを漁っていると、ロッカーのはずの壁の向こうから落書きのような顔が出てきた。
ちょっと、ちびりそうになった。
「ぬおー!」
俺はロッカーのドアを力づくで閉めて再び駆け出す。
振り返れば当然ダメージなんて負ってる様子もなく楽しそうに追っかけてくる幽霊が1人。
もう泣きそう。
「いやいや、考えるんだ。にんにくも十字架も違う。そもそもそんなもの持ってない。」
考え事をしているうちに階段は目の前で、その前にはいつの間にか幽霊が待っていたりする。
たまに映画とかで見る、追われてるのに先回りされる恐怖を思い知った。
俺は急制動、急旋回、急加速で再び駆け出す。
何がしたいのか幽霊は何もしてこない。
さて冷静に、はちょっと無理かもしれないが考えろ。
幽霊はどうすればいい。
成仏してもらうのが一番だ。
うん。
キリスト教風に言えば昇天かもしれないがどちらでも問題ないだろう。
成仏してもらうにはお坊さんに頼むのが一番だがここまで呼ぶのも無理だろう。
ならば
「お経、か。」
俺がお経を唱えられればこんな状況一発で解決できるのだろうがあいにくお経を聞いただけで眠くなるような俺が覚えているわけもなかった。
ヴゥゥゥゥ
「うわぉ!」
突然振動した携帯に驚いてしまい素っ頓狂な声をあげてしまった。
誰にも聞かれていなくてよかった。
走りながら携帯を見てみると先輩からの返信だった。
『見るのが遅れた。健闘を祈る。』
俺は走るのをやめてドカリと地面に座り込んだ。
幽霊は俺の周りを構ってほしそうにふよふよしているがとりあえず無視、先輩にメールを返す。
『すみませんがお経を教えてください。今結構ピンチです。』
メールを送信して立ち上がる。
俺を見る幽霊の瞳はさながら構ってくれるご主人を前にした犬のようでもあった。
なんとなく意思の疎通が取れてしまい笑みが漏れた。
「さあ、こっちの準備が整うまで遊んでやるよ。付いてきな!」
俺が駆け出すと幽霊は嬉しそうに後を追いかけてきた。
そんな従順な幽霊に、俺は愛着がわき始めていた。
ヴゥゥゥゥ
終わりを告げる振動音が響いた。
俺は携帯を確認する。
『観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触 無眼界乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩 依般若波羅蜜多故 心無礙 無礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経』
「…。」
目が点になる。
「こんなん、読めるかー!」
「!!」
覗き込んでいた幽霊がびっくりして飛びのいていた。
そのあと読みだけが別に送られてきたのでそちらを使うことにした。
近くの教室に入り席に着くと少し離れたところで幽霊はおとなしくしていた。
その可愛らしい瞳を見ているとこれから自分がしようとしていることが本当に正しいのか迷ってしまう。
「ごめんな。俺はこれからお前を消そうとする。嫌なら逃げていいぞ?」
「…。」
幽霊はその場を動かなかった。
まるで、俺と遊べたことで満足だといっているかのように。
「そっか、楽しかったか?」
こくりと、幽霊は確かに頷いた。
俺は心を決めて携帯を開く。
「かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう…」
お経をつっかえながら読んでいく。
幽霊は表情こそ変わらないが体が徐々に薄れて緑色の光を放ち始めた。
それが無性に悲しくて涙が出てきた。
それでも幽霊は動かずに待っていた。
俺は涙で滲む視界で読経を続ける。
そして最後の一説、すでに幽霊は消えかけていた。
俺は出来る限りの笑顔を幽霊に向けた。
「ぼじそわか はんにゃしんぎょう」
幽霊は緑色の炎に包まれて、やがて跡形もなく消え去った。
「う、うう、くっ。」
俺は涙が止まらず、机に伏して泣き続けたのだった。
俺が幽霊を退治して20分は経っただろうか、そうは言っても学校に潜入してまだ1時間くらいだが校内は静かだった。
カタンと椅子を引く音に振り向けば優しい笑顔を讃えた女性が隣の席に座っていた。
「お疲れ様です。目、真っ赤ですよ?」
俺は恥ずかしくなって窓の外に目を向ける。
「うわぉ、とか、今日はなかなか見ていて面白かったですよ。」
クスクスと笑う女性の顔をますます見られなくなった。
この人なら聞いても大丈夫だろう。
「あいつは、あの幽霊は…最期に幸せだったのかな?」
また涙が滲んできそうだった。
俺は本当に正しかったのか、今でもわからない。
あいつはきっと何も悪くないのに、俺は俺の目的のためにあいつを消してしまった。
「そう、ですね。あの子は寂しかったんです。ずっと1人で、ずっとずっと長い間誰にも関われず。だから、最期にあなたと遊ぶことが出来て、すごく幸せだったんじゃないかと、そう思います。」
暖かいぬくもりが俺の頭を包み込んだ。
「ユウのその思いが消えてしまうのは悲しいです。それでも、私は覚えていますから。どうか、そのことを刻んでください。」
目を開いても何もない闇が広がっていた。
だから瞳を閉じる。
最後の瞬間までそのぬくもりを感じていたかったから。
「ファリ…」
その言葉はきっと俺がつぶやいたものじゃない。
だけどそれは俺の言葉だった。
俺の魂の…