第38話 終焉の使者
俺と芝中は校門を前に自然と足を止めた。
それほどまでにそこはすでに俺たちの知る南前高校ではなかったのだ。
満ちる空気は瘴気に溢れ、生き物の気配は微塵もなく、ともすれば校舎自体が巨大な化け物ではないかと錯覚してしまうほどの異界。
「酷いな、これは。」
「…。」
何も答えずよろめくように後退る様子を不振に思って顔を上げると、芝中はこれまで見たことがないほどに脅えていた。
自分の体を抱き締めてガチガチと歯の根を鳴らしている。
「どうした!?」
「まさか、もう…」
芝中は鬼気迫る様子で俺の肩を掴んだ。
「今すぐ、出来る限り遠くに逃げるのよ!」
「どうしたんだよ、芝中!?」
問いかけても錯乱した様子でもうだめだとか遅かったと呟くだけで要領を得ない。
「とにかく早く…」
「何処に行くというのだ?」
「!」
「!?」
忘れるわけがない声に振り返るとゆっくりとした足取りでドラゴンカインドが近づいてきていた。
「魔女まで屠るとは意外であったが…なるほど、サキュバスの手引きか。」
ドラゴンカインドに目を向けられただけで芝中は竦み上がった。
尋常じゃない芝中の怯え方もそうだが俺自身も一刻も早くこの場を離れろと警鐘を鳴らしていた。
ドラゴンカインドから感じる気配は見ているだけで心臓が止まりそうなほどに異常だった。
それはまさに悪夢のような黒竜リゾルドそのものだった。
「止まりなさい、リゾルド!」
声の主はドラゴンカインドのさらに背後、そこにずっと探していたファリアの姿があった。
だが喜びよりも驚きが勝り声をかけられなかった。
ファリアは泥にまみれ、あちこちに傷を受けて立っているのがやっとの状態なのが遠くからでも見てとれた。
ドラゴンカインドはこちらにまったく警戒する様子もなく振り返り、嘲笑うように目を細めた。
「まだ眠っていればよかったものを。そうすれば貴様が最も大切な人間が死ぬところを見ずに済んだというのに。」
「そうさせないために、出てきたんですよ。」
なんとか握れている程度にしか力が入っていない短剣を構えてファリアが駆ける。
ドラゴンカインドはそんなファリアを構えることもなく迎え撃ち
「もはや貴様に我は止められん。」
「あっ…!」
一撃でファリアを倒してしまった。
「ファリア!」
地面に転がったファリアに駆け寄って抱き上げるとファリアは俺の服が服が破れそうになるほど力を入れて立ち上がろうとし
「早く、逃げてください、ユウ。」
必死に懇願してきた。
「ファリアを残して逃げられるわけないだろう!」
「もとより我も光の騎士を逃がすつもりはない。先の腕の傷の礼をまだしていなかったな。」
ドラゴンカインドは何気無い様子で地面をトンと蹴り
「ぶっ!」
気がつけば俺は校舎にめり込んでいた。
重たい衝撃が後から襲ってきて咳き込む。
(まったく何をされたのか見えなかった。)
「どうした?剣を抜く前に死ぬつもりか?」
従うのは癪だがどのみち有効なのはこの剣と光凰裂破、そしてヴァニッシュくらいなのだから選択の余地はない。
剣を引き抜き構えを取った。
「ッ!」
瞬間、顔が真横に吹き飛び声も出せずに地面に転がる。
辛うじて見えたのはドラゴンカインドが左手で俺の頬を殴ったこと、それも殴り終えた余韻が見えただけだ。
移動も拳を引くのもそのすべてがまるで見えなかった。
(勝てない。)
剣を手に入れて何体もの化け物を倒してきて強くなったと思っていたが、ドラゴンカインドは俺の想像を遥かに超えた化け物だった。
以前戦ったあれは本当に力の一部だったのだと痛感した。
(ファリアと、芝中を連れて逃げないと。)
なんとしても2人を守らなければならないという思いで俺は剣を支えに立ち上がる。
「そうでなければ倒し甲斐がない。我の野望を阻まんとした罪、生きたまま地獄を味わわせねば気がすまぬ。」
ドラゴンカインドはゆっくりと近づいてくる。
ならば一か八か、やるしかない。
「うおおお!」
剣に体の力を注ぎ込んでいくと刀身が光を帯び始めた。
「光の刃か。だがそれを我が大人しく待つとでも思っているのか?」
(思ってるわけないだろ。)
ドラゴンカインドが動くと思った瞬間に左手で鞘を右側に放り投げた。
ガン
「!」
鞘は不自然に空中で反転して弾丸のような速さで俺の脇を抜けていった。
それを確認しつつ俺も瞬発力のすべてを使って左に跳ぶ。
かまいたちのような鋭く狂暴な風が腕の数センチの所を駆け抜けていった。
蹴りが外れて振り抜いた姿のドラゴンカインドが俺のすぐ脇にいた。
右からの攻撃が来るという賭けは俺の勝ちだ。
「光凰裂破!」
左手を柄に戻しながら全力を込めて、この一撃にすべてをかける!
光の軌跡を残す必殺の刃は
「あ…」
「残念だったな。」
ドラゴンカインドの驚異的な身体能力によりかわされたことで足の爪を弾き飛ばしてその役目を終えた。
(不、発。)
もはやこんなチャンスは2度と来ない。
俺の眼前には勝利と虐殺の愉悦に笑みを瞳に浮かべたドラゴンカインドが右腕の爪を振り下ろそうとしている。
(もう、駄目か。)
「最後の余興はなかなかであった。さらばだ、光の騎士よ。」
凶刃たる爪が俺の命を絶つために振り下ろされた。
ザシュ
だからそれは走馬灯のような悪夢だと思った。
俺の体に傷はない。
眼前にはドラゴンカインドがいて、そしてその間にはサキュバスの姿をした芝中が左肩に深くドラゴンカインドの爪を抉り込ませて苦悶の呻き声を漏らしていた。
「芝中ー!」
「サキュバス、貴様!」
芝中はドラゴンカインドの爪をしっかりと掴んで弱々しい笑みを浮かべた。
「結局、こうなるのね。でも、勇君はやらせないわ。」
「馬鹿!やめろ、芝中!」
芝中は首を横に振る。
「あとはよろしくね、ファリア・ローテシア。」
それが何を意味しているのか理解できないうちに背後に立っていたファリアに腕を取られた。
「まさか、やめろ!」
「サキュバス、いえ、芝中さん。ありがとうございます。」
悲しげな声のファリアに芝中はフッと笑みを向けた。
「約束は守りなさいよ?」
ファリアから現れた光が俺をも包み込んだ。
「去ね、サキュバス!逃がしはせんぞ、貴様ら!」
「退く気もないし行かせる気もないわ。もう少し私の相手をしてくださいな、ご主人様。」
わざとふざけた様子の芝中をドラゴンカインドは睨み付けた。
その光景が霞んでいく。
「貴様の命など喰らわずにこの世界から消し去ってくれるわ、出来損ないの裏切り者!」
戦場から離脱する直前、芝中の体が縦に引き裂かれて真っ赤な血が吹き出した。
それは佐川の時と同じように、また俺を庇って。
それでも振り返った芝中は、最期まで優しい顔をしていた。
完全に風景が切り替わり何処かの建物の中にいた。
「ちくしょう!俺はまた、友達1人守れなかった!」
地面を殴り付けても無力感は拭えず自分を傷つけても罪の意識は消えてはくれない。
そして絶望は心に黒い影を落としていく。
血と肉片の海でリゾルドは怒りに震えていた。
「あれが我の一部だったなどと考えるだけでおぞましい。」
見上げる空は渦巻く黒雲、中心には穴と言うべき歪みの姿があり世界の終わりは目前まで迫っていた。
「あとわずかだ。我が野望、もはや誰にも邪魔は出来ぬぞ!」
ドラゴンカインドが大気を震わせて吼える。
サキュバスを除くすべての欠片をその身に還したことでドラゴンカインドはついに本来の姿に戻る力を取り戻したのであった。
腕、足、頭、胴体、その体を構成する全てが一回りずつ大きく変貌していき仮面のような顔が竜のそれへと変わっていく。
校舎を越す体躯に黒曜石を思わせる光沢のある黒い鱗を身に纏い、開いた翼が嵐を巻き起こす。
「グオオオォォ!」
今、終わろうとする世界の終焉を告げる使者の如く、暗黒竜リゾルドは完全に復活を果たしたのであった。
ファリアの力で移動した場所はよく見れば我が家だった。
移動直後倒れたファリアをベッドに運び、そこで絶望の咆哮を聞いた。
慌てて窓から身を乗り出すと暗雲立ち込める学校で巨大な黒竜が雄叫びをあげていた。
「あ、あれが…」
「暗黒竜リゾルド、ラスティアを滅ぼそうとした異界の魔竜です。」
いつの間にかファリアはベッドから起き上がって窓の外を眺めていた。
俺はファリアに何も言うことができない。
結局俺はなんの役にも立てなかった。
剣があってもドラゴンカインドを倒すことができずファリアを守ることもできなかった。
そして今も俺は絶望を、あんな化け物を相手に勝てるわけがないと諦めてしまっている。
そんな俺がファリアに何を言えるというのか。
ミシミシと世界の破滅を告げる悲鳴は徐々に大きくなってきている。
この世界のどこに逃げたって助かることなんてできない。
ならばせめて最後の瞬間まで大切な人と一緒にいたいと思うことが間違いであるはずがない。
俺は机の椅子に腰かけてファリアに話しかけることにした。
「聞かせてくれよ、ファリアのこと。ラスティアっていうのがファリアの生まれた世界なんだろ?」
ファリアは少しの間俯いていたが儚く微笑むとベッドに腰かけて話し始めてくれた。
「はい。ラスティアはこの世界でいうところの中世ヨーロッパ頃の文明を持った世界です。ただその世界には多くの怪物種が存在しているため人々は常に彼らを警戒して生きていました。その代わり人間同士の争いはそれほど多くないんです。」
その怪物たちの筆頭がリゾルドだという。
「私は生まれながらにして世界からあらゆるものを消滅させる力、ヴァニッシュを持っていました。そのせいで私はいつも除け者でした。」
俺はともかく他の人にはヴァニッシュによる消滅はなかったことになるのだからどんなにこの力で他人を助けたとしてもその脅威がなかったことになる以上感謝されることもない。
それを誇っても誰も知らないのだから嘘つき呼ばわりされるのが容易に想像できた。
「成長して、この力を何かの役に立てられないかと自警団に参加しましたが結局そこでも私は真の意味で受け入れられることはありませんでした。そんな時です、ユウと出会ったのは。」
「俺はどんなやつだったんだ?」
ファリアは少しだけ寂しそうに笑ってため息をついた。
「結局思い出しませんでしたね。でも、それでいいのかもしれません。あなたはユウじゃない、葛木勇という別の人間なのでしょうね。」
ちょっと寂しいなと思っていたらファリアが隣を叩いて呼んでいた。
何でもお見通しらしい。
隣に座るとファリアは身を預けてきた。
「ユウが私の力を認識できると知ったときは本当に嬉しかったですよ。その頃の私はもう世界に諦念しか抱いていませんでしたから戦いなんてどうでも良くなっていました。でもユウはすべてを諦めていた私に人の優しさを、誰かを愛することの尊さを教えてくれたんです。だから私にとってユウはすべてでした。」
そのラスティアでもこの世界のような修正があったのかはわからないがそれでもファリアが人間に良い感情を抱くことはできなかっただろう。
俺はファリアにとって唯一の拠り所だったのか。
「ユウは不思議な人でしたよ。習慣や文化がラスティアのどの地方のものとも違いましたし、剣技にしても自警団の方に稽古をつけてもらっていたとはいえベースとなるスタイルは違いました。でも、異世界の存在を知った今ならわかります。」
ファリアは一度言葉を切り、俺の瞳を見つめてきた。
「ユウの習慣や技術はどれもこの世界に酷似していました。そしてユウだけが使えた必殺剣、光凰裂破。ラスティアに漢字というものは存在しないのです。」
「ええと、つまり…」
「ユウは何らかの方法でラスティアにやって来た異世界の人間だったのかもしれませんね。」
ここに来て驚愕の事実発覚。
俺はいったい誰だ?
「ユウがどこの誰でも構わないんです。私がただ1人愛した人なんですから。」
「あの、こう言うのを聞くのはどうかと思うんだけどさ。俺とファリアはどこまでいったんだ?」
下世話な話で申し訳ないとは思ったがずーっと気になっていたのだ。
ファリアはクスクスと笑い出したが何がおかしかったのかいまいち分からない。
キョトンとする俺にファリアはそっと口付けた。
「ここまで、ですよ。だってその頃のユウはまだ子供でしたから。それが今ではこんなに逞しくなって、お姉さんとしてはなかなか感慨深いものがあります。」
今にして思えば夢で見た光景は確かに目線が低かった気がする。
夢とはいえ注意力散漫だな。
ファリアがもう一度キスを求めてきた。
今度はさっきよりもずっと情熱的なもの、ベッドに押し倒され、それでもファリアはやめない。
「ふふ。」
ようやく長いキスが終わったときにはどちらも息が上がっていた。
ファリアが色っぽい表情で俺を見下ろして笑みを浮かべていた。
「ですから、ここから先は初めてですよ。」
その誘惑に抗えるほど俺の理性は強くはなく
世界が終わる音を聞きながら俺たちは愛し合った。
ファリアは勇の腕の中でぼんやりと外を見つめていた。
世界の破滅はもう取り返しのつかない段階にまできている。
だが、ファリアにはこの世界を救う手段が残されていた。
ファリアは首を回して寝息を立てる勇の顔を覗き込む。
「本当に、逞しくなって。」
ファリアがポッと頬を染める。
昔よりも今の勇をファリアは間違いなく愛していた。
だからこそ世界の破滅のために勇の未来をこんな形で終わらせるわけにはいかなかった。
決心はついた。
ファリアは勇を起こさないようにベッドから抜け出すと自室として使っていた部屋の棚の奥にしまっておいた一着の服を取り出した。
「今度こそ、決着を着けましょう。リゾルド。」
決意を言葉にして服に袖を通す。
それはかつてリゾルドと相討つ覚悟でヴァニッシュを使い、この世界に飛ばされてきたときに着ていた服だった。
ファリアは一度勇の部屋に戻った。
わずか一月程度だったが数々の思い出がこの部屋には詰まっていた。
部屋の主はこんな時でも寝坊助で、ファリアは微笑んで顔を近づける。
ポタリ
勇の頬に雫が落ち、ファリアは自分が泣いていることに気がついた。
「本当に。駄目ですね、私は。」
ファリアは涙を拭い、勇に口づけをした。
(さようなら、ユウ。私は必ず世界を救ってみせます。だからどうか私のことを忘れて幸せになってください。)
口を媒介に直接勇にヴァニッシュを使い自分に関する記憶を消滅させた。
すべてを振り払ったファリアは嵐の前の静けさを思わせる町を歩いていく。
目指すは当然因縁の相手である魔竜リゾルド。
「今度こそ、消滅してもらいますよ。たとえ私の命に代えたとしても。」
ファリアは最後に一筋だけ涙を流し、決死の意志を込めた瞳をあげて戦場へと向かうのであった。