第36話 尊き願いのために
会長と一馬、舘野と国枝がそれぞれ俺と芝中に相対する構図から少し離れたところで魔女は愉快そうに高笑いをあげていた。
「小僧、その顔じゃ、その顔じゃよわしが見たかったのは。絶望にうちひしがれた顔は、ヒェッヒェッヒェッ、最高じゃ!」
魔女に怒りが沸くが行動には出られない。
俺が魔女に斬りかかれば2人は俺を止めるために攻撃してくる。
(俺には2人と戦うことなんてできない。)
剣を手放さないのは世界のために戦っているという偽善の矜恃の残り滓があるからだ。
だがもはや剣を振るう力も気力もない。
「勇、お前は十分頑張ったんだ。」
「ヴァニシングレイダースなんて馬鹿げた仕事のために命をかけて傷つきながらもすべてを忘れ、君はこんな苦労をする必要はなかったはずだ。もう休んでもいい頃ではないか?」
会長がそれを言うかと突っ込みたかったが確かに俺は頑張ってきたじゃないか。
誰にも気付かれることのない戦いを毎夜続けて、そのたびに傷ついて。
「勇がやらなくてもきっと世界は平和になるさ。それよりももっと楽しいことを考えようぜ。」
「夏休みに皆で遊び、宿題に追われるがそれも友人と助け合うことで楽しい思い出に変わる。そして新学期にその出来事を話してくれれば私も楽しくなれる。」
そうだ。
もうすぐ夏休みじゃないか。
皆で海に行って、キャンプとかもいいかもしれない。
花火大会もきっと綺麗だ。
一馬と会長と芝中と舘野と国枝と…
(あと、誰かいたような…まあ、いいか。)
とにかく戦いなんて止めて楽しいことだけを考えよう。
「行こうぜ、勇。」
「こんなところからはさっさと帰ろう。」
差し伸ばされた友人たちの手が唯一残された救いの道に見える。
あの手をとればすべてが平和に収まって皆で…皆…
「皆って、佐川もか?」
「そうだな。きっとすぐに会えるさ。」
一馬の表情はにこやかなままでふと浮かんだ質問に意味もない。
考えるよりもこの手を取った方が楽になれるんだから。
俺は優しい笑みを浮かべる2人の手をと…
「いい加減に、しなさーい!」
スパーン
「いだあぁー!!」
…る直前、本気も本気、亡者を粉砕した時以上に全力の芝中のハリセンを受けて吹き飛ばされ地面を転がった。
目の奥がチカチカするが妙に晴れやかな気分だった。
ものすごく機嫌の悪そうな芝中はそれでも手を差し伸べてくれる。
俺は迷わずその手を取って立ち上がった。
「どう?少しは目が覚めた?」
確かに今の状態から考えるとさっきは微睡みにいるような感覚だったのがわかった。
「あんな虚言に乗ろうとするなんて。あまり言いたくはないけど勇君には世界なんてどうでもいいと思える理由があるはずよ。」
「あ、そうか。」
ファリア、なぜ一番大切な人のことを忘れていたのだろう。
俺はファリアと共にあるために世界を外れたというのに。
「大方、魔女がいろいろと小細工したのね。」
「ぐぬぬ、足止めを命じた2人はどこじゃ、役立たずどもが!」
芝中の指す方向には舘野と国枝がボロボロになって地面に転がっていた。
「芝中!」
「仕方がないのよ。悪魔に作り替えられた魔人相手に手加減できる余裕はないもの。」
「魔人?」
舘野のローブの奥に見えたのは人間以外のなにかであった。
芝中は目を細めて歯噛みする。
「魔女は人間の利用法として悪魔を降ろす依り代にすることで魔人を作ろうとしたのよ。」
「べらべらと要らんことを喋る小娘じゃな。確かにこやつらはわしの実験の成功例、悪魔に体をいじくり回されてもわずかにじゃが人としての部分を残しておったのじゃ。」
一馬たちが魔女のもとに集まってローブを脱ぎ捨てるとボディービルよりも毛むくじゃらで筋骨隆々とした人ならざるものの姿をしていた。
舘野たちも起き上がり多少ふらつきながらも魔女を庇うように構えを取った。
「こんななりになったとてこやつらは人間。それを傷つけることができるかの?」
「ぐ…。」
確かに相手が一馬たちだと知ってしまった以上攻撃できない。
魔女もそれがわかっているからこそ俺たちの友人を利用したのだ。
魔女が指示を出すと再び会長と一馬が攻め込んできた。
「止めてくれ、一馬!会長!」
だが俺は反撃することもできず避けながら必死に声をかけることしかできない。
「葛木君が抵抗を止めれば私たちは何もしないさ。」
「俺たちだって勇と戦いたくなんてないんだ。」
一馬はそう悲しげな声で、笑っている。
(わかってる。間違いなく皆魔女に洗脳されているんだ。わかってる、けど…)
大切な人たちが敵に回ったからといって問答無用で殺し合いをできるほど俺は冷酷にはなれない。
スパーン
だが、冷酷になれる者もいた。
響き渡るハリセンの音に皆の意識がそちらに向けるとこちらに背を向ける形で芝中が2人を文字通り叩き伏せて立っていた。
(芝中。)
ここからでは芝中の表情は窺えない。
「ふ…」
怒っているのか泣いているのか、漏れ聞こえる声では判断できない。
「ふふふ。」
だが、振り返った芝中は笑っていた。
それはかつてファリアに対しても感じた世界にどこまでも無関心な非情さを秘めた壮絶な笑み。
芝中は足を止めた会長と一馬を目に止めるとニッと口の端を釣り上げて飛びかかった。
一馬の槌を突っ込みながら紙一重でかわし、すれ違い様に顔面に容赦なくハリセンを叩き込む。
さらに足を止めず会長目掛けて駆ける。
実は鉄製なのか芝中のハリセンは会長の剣による攻撃をことごとく受け流していた。
懐に入り込みハリセンの柄で会長の顎を打ち抜いた芝中が立ち上がったとき、敵は魔女を残すだけだった。
「サキュバス、貴様、情はないのかえ?」
「その言葉、あなたからだけは聞きたくないわね。人間はおろか同族さえも自分の実験の犠牲にしておいて。」
芝中はようやく怒りを露にしてハリセンを振り下ろした。
「情ならあるわ。怒り、悲しみ、友情、愛情。私は芝中幸恵という1人の人間だもの。」
俺と魔女は現在の状況をもう一度眺めてたぶん同じことを考えていた。
「何よ?」
不機嫌そうな顔で芝中は俺にだけ睨み付けてきた。
慌てて首を横に振って何でもないことをアピールする。
「だけど同時に私はサキュバスだから愛と欲望に強く惹かれるのよ。私は勇君を愛してる、だから私は勇君のためになら世界だって産みの親だって敵に回してみせるわ。」
静かで熱い想いの告白に応えてしまいそうになる。
だけどそれはきっと芝中自身が許してくれはしない、そういう潔いかっこよさが芝中の魅力でもあるのだから。
「大切なものを守るためには何かを切り捨てなきゃいけない、か。なかなかシビアだな。」
「私は弱いからよ。弱いからそんな道しか選べない。でも勇君は違うんでしょう?」
まったくもってファリアにしろ芝中にしろ俺のことを本当によく知ってくれている。
「ああ、そうだ。たとえどんな困難であろうと皆を救いたい。そして皆を救えるくらい強くなりたい。」
ならばこんな所で足を止めてはいられない。
まだきっとなにか手はあるはずだ。
俺が戦意を取り戻したのを見て魔女がムウと残念そうな声を漏らした。
「いつまで寝ているつもりじゃ?さっさと戻らんか!」
しわがれた怒鳴り声で会長たちは何事もなかったかのような顔で返っていく。
だが会長の足は少し遠目に見ても震えていた。
「どんなに頑丈に作り替えられていても人間をベースにしている以上限界はあるわ。彼らを行動不能にすれば皆を助け出すことも不可能ではないわ。」
「芝中はいいのか、それで?」
さっき芝中は世界なんてどうでもいいと言っていたが俺のやろうとしていることはその逆のはずだ。
芝中は苦笑して顔を前に逸らした。
「惚れた弱みよ。結果がどうであれ、付き合ってあげる。」
「ああ、頼む。芝中が居てくれれば心強い。」
俺は会長たちを助けだし、ファリアのもとにたどり着き、世界も救ってみせる。
願いを成し遂げようとする意思を力に変えて俺はもう一度戦うために歩み出た。