第33話 ユウアイ
そして芝中とのデート当日。
最寄り駅に9時より少し前に到着すると芝中はそわそわした様子ですでに待っていた。
Tシャツとデニムスカートでシャツを羽織ったスタイルの芝中は制服とはイメージが違い健康的で不覚にも胸が高鳴った。
「勇君、おはよう。」
「おはよう。待たせたか?」
「ううん。全然平気よ。」
待ってないとは言わないところをみると本当に7時から待っていたんじゃなかろうかと思ってしまう。
芝中が楽しそうだから良しとしよう。
「それじゃあ行くか。」
「そうね。たくさん楽しみましょう。」
芝中に手を引かれて電車に向かう。
それはきっと傍目には恋人同士に見える、友人との1日デートの始まりだった。
電車と徒歩でおよそ1時間のところにある巨大アミューズメントパーク・リバーファンタジアは夏休み前だと言うのに家族連れや恋人たちで賑わっていた。
会長から貰ったチケットはワンデイフリーパスだから遊び放題だ。
園内は山川ゾーンと海ゾーンに分かれていて海ゾーンの奥はプールにもなっている。
「芝中、今日の予定は?」
「当然、全アトラクション制覇よ。」
俺はパンフレットの謳い文句を見る。
『広大な敷地と数十のアトラクションを心行くまでご堪能下さい』
「うわぁーい。」
歓喜ではなく諦念である。
真面目で今日は更にスーパーテンションの芝中さんはマヂみたいです。
「さあ、行くわよ!」
「仰せのままに。」
元気に走り出す芝中に引かれるままに俺も駆け出しながら楽しくなりそうな1日に心を躍らせるのだった。
シージェットコースターは高さはあまりないものの海上と特別製トンネルによる海底を走り抜けるコースターで一番の目玉となっている。
しかし人気の理由はそれだけではない。
濡れるのである。
盛大な水飛沫と水の流れによってコースターは常に水気に晒される。
全身用カッパが貸し出されるが夏場は開放的な気分と放っておいても乾くという利点からそのまま乗り込む人が多い。
結果として服の張り付いた女性が誕生するわけで男としてはムフフなスポットなのである。
俺はカッパを借りるつもりだったのだが静かにはしゃぐ芝中の暴走は止められず
「キャー♪」
「ギャー!」
びしょ濡れになった。
「あー、気持ちいい。」
大満足な様子の芝中に目を向けると濡れて透けたシャツの上からうっすらと覗く青い…
「って、水着だろ、それ。」
「備えあれば憂いなし。」
どちらかと言えば用意周到な気もするが突っ込まないでおく。
しかし、これは芝中の暴走のほんの始まりでしかなかった。
流れるプールを応用したリバーランディングでは逆走を試みるし(動力は俺)、
マリンバンジージャンプでは嫌がる俺と密着するペアジャンプするしで休まる暇がなかった。
「もう駄目、しばらく動けない。」
根を上げた俺に不満げな顔を浮かべる芝中だったがすでに時間はお昼時、休憩がてら昼食をとってもおかしくない。
と提案すると
「そうね。それじゃあどこかで休憩しましょう。」
あっさりと承諾された。
(これでゆっくり休める。)
しかし芝中が選んだのは木陰の広場の地面の上、ちょうど山川ゾーンとの境にある休憩所だった。
(次に向かう気満々だな。)
この分だと昼飯はホットドッグか何か軽食だろう。
せめて今のうちにゆっくり休んでおくとしよう。
「お待たせ。」
芝中はジュースを2つ買ってきた。
他には何もない。
もしや昼飯はジュースだけで乗り切れと言うのか?
「し…」
「はい、勇君。作ってみたの。良かったら食べて。」
それはまったくの予想外。
よもや芝中が手作り弁当を用意してくれているとは思っていなかったからちょっと感動するほど嬉しかった。
芝中は自信がないのか俺が食べるのを緊張した面持ちで待っている。
見た目は至って普通、所々形が崩れていたり焦げたりするくらいなら微笑ましいものだ。
「いただきます。」
ファリアに続く2人目の女の子弁当を食べることのできる幸福感を胸に最初の一口を食べた。
ポテッ
次の瞬間、体が毒物への拒絶反応で痙攣する。
意識まで遠退いていくが
「え、うそ!勇君、しっかりして!」
芝中が本気で心配してくれるのが見えたので安心して気を失った。
それは夢。
どこかの遺跡のような場所でファリアではない女の子と探索していた。
最奥で盗賊を撃退した俺にそれまで一緒だった女の子が襲いかかってきた。
俺の目の前で女の子の姿が変わっていく。
露出の多い服を纏い頭には角、背中には悪魔の翼と尻尾を持つサキュバスへと。
サキュバスは攻撃しない俺を馬乗りにまで追い詰めた。
命もしくは貞操の危機に陥った俺を救ったのは皮肉にも奇襲してきたゴーレムの一撃だった。
降り注ぐ瓦礫は俺とサキュバスに向かってくる。
俺は崩れ落ちる岩盤からサキュバスを救い、ゴーレムの一撃を受けた。
なんとかゴーレムを退けた俺はサキュバスに帰るように言っているようだったがすっかりなつかれて腕にしがみつかれて離れようとしない。
楽しそうに笑うサキュバスを連れて俺は仲間のもとに帰っていくのだった。
目を開くと木漏れ日が差す木陰で横になっていた。
しかも芝中の膝枕付きである。
「よかった。目が覚めたのね。」
ホッと胸を撫で下ろした芝中は俺の頭に手を添える。
「私、料理なんてほとんどやったことなくて、うまくいくと思ったんだけど。」
「気にするなよ。気持ちは十分に受け取ったからさ。」
水着だとはわかっていてもこのアングルは目のやり場に困るので起き上がる。
とりあえず痺れや痛みは感じない。
「これ買ってきたから食べて。お腹空いてるでしょ。」
差し出されたホットドッグを受け取り、ちらりと芝中を見る。
明らかに落ち込んでいて申し訳ないがさすがにあの弁当は男の甲斐性で処理できるレベルを越えていた。
俺はホットドッグを半分にちぎって半分を手渡す。
「私は食べたからいいわよ。」
「元気足りてないから補充しておけよ。これから残りを制覇するんだろ?」
芝中はおずおずと手を伸ばしてホットドッグを受け取った。
2人で平らげて立ち上がる。
「さあ、回るぞ。」
「ええ。」
俺たちは山を駆け、川を飛び越え、海を割く勢いでアトラクションを終えていく。
午前中とは違い俺もやる気に満ちているからどんどん消化されていく。
「うわあー!」
「キャー!」
リバースライダーは森の斜面を滑り降りるような迫力とスリルがあり大満足だった。
マウンテンコースターはスピード感満点のジェットコースターで声もあげられなかった。
そして日も暮れた頃、
「はあ、はあ、いよいよだな。」
「はあ、はあ。そうね。」
俺たちの目の前には最後のアトラクション、大観覧車が夕日を背に聳えていた。
正直1日で園内を回りきるのは辛かったのでふらふらしながらゴンドラに乗り込む。
「ふあー、疲れたー。」
「疲れたね。でも楽しかった。」
言わなくても伝わっているのだろう、俺も芝中も穏やかだ。
なんとなくいい雰囲気に流されてしまわないように話題を変える。
「ははは。密室だからてっきり襲われるかと思った。」
自らそっち側に誘導する口を呪う。
芝中は困ったように笑うだけ、それに違和感を覚えた。
「否定しないのか?」
芝中はぎゅっと自分の体を抱き締めた。
よく見ればその体は小刻みに震えている。
「否定なんて…出来ないわ。だって私はサキュバス。どんなに恋に憧れようと体が男を欲する卑しい淫魔だもの。」
多分芝中は今日の間ずっと我慢していたのだろう。
そういうチャンスはいくらでもあったのに葛木勇の友人としての地位を守るために。
ハアハアと色っぽい吐息を漏らしながらも芝中は健気に笑ってみせた。
「今日はすごく楽しかった。きっと人生の中で一番の思い出よ。だって一番好きな人と1日中一緒だったんだから。」
その真摯で純粋な想いに俺は応えてあげられない。
俺はファリアを選んだのだから。
芝中もそれがわかっているから何も言わず、少し辛そうに上を見上げた。
「こんなことなら、もっと早く勇君に告白しておけばよかった。あと一月早ければきっと私にもチャンスがあったのにね。」
俺はそれには答えられない。
きっと俺の中にはぼんやりとして不確かだったけどファリアがいた。
たとえこの世界で出会えなかったとしても俺はファリアを探し続けたのだと思う。
それはきっと運命と呼ばれるものに導かれて。
「デートもここで終わりね。」
「うちに帰るまでがデートです。」
俺の冗談に2人で笑い合う。
やっぱり芝中がいてくれると俺は楽しい。
こんな世界だけどファリアと芝中がいてくれるなら俺は生きていける気がした。
「これからもよろしくな。」
「…ええ。」
芝中は俺の差し出した手に少しだけ躊躇を見せたが握手してくれた。
「うう。」
それでまた体が疼いたらしく潤んだ瞳のまま抱きつかれたときにはヤバかったがちょうど終点になって飛び出したので事なきを得た。
少しだけ残念に思ったのは墓にまで持っていく秘密である。
帰りがけにふと疑問に思ったことを尋ねてみることにした。
「そう言えば、芝中もファリアみたいに"前の俺"のことを知ってるのか?」
返事がないので振り向くと芝中は驚愕の様子でこちらを見ていた。
「覚えていないの?これだけこちら側にいて思い出せないなんて、なにか原因があるのかしら?」
芝中は難しい顔で唸っていて俺の存在は忘れ去られていた。
「芝中?」
「あ、ごめんなさい。知ってるわよ、勇君のことをいろいろと、ね。」
いろいろの部分を強調するからいろいろと想像してしまう。
「でもね。」
想像でのぼせあがる俺を見て芝中はクスリと笑うと複雑な笑みを浮かべて続けた。
「根っこの部分は変わらないわ。強くて優しくて、誰かのために戦えるすごい人。」
「そう聞くと全然違う気がするんだが。」
「そんなことはないわ。もし違うと思うならそれは自分を知らないだけよ。」
その後"ユウ"がどういう男だったのか聞かされたが夢以上のことを思い出すことはなかった。
今日の余韻に浸りながら静かに揺れる電車を揺りかごに我が町へと向かっていた。