第3話 君の名は…
「宿題を忘れた?お前が?」
「ああ、まったく覚えてもいなかった。」
登校してみんながやたらと机に向かっていると思って一馬に尋ねたら昨日の授業で宿題が出ていたという。
これは例のヴァニッシュ…ではなく単に考え事をしていて聞いていなかっただけだ。
甘んじてペナルティーを受けるとしよう。
「ちなみに忘れたやつは夏休み中に補習だそうだぞ?」
「一馬様、どうか哀れな私をお救いくださいませ。」
みみっちいプライドだと蔑んでくれ。
なんだかんだで見せてくれた一馬には感謝。
その日の昼食を奢ってやったらクラスメイトの女子たちがまたピンク色の悲鳴を上げていた。
…考えないことにしよう。
もはや日常的に放課後は会長と作戦会議室にいた。
今日はなぜか国枝もいる。
「最近会長は葛木君と遊ぶことに熱心なようで時間がルーズになっています。なので監視です。」
「…ということだ。昨晩は何事もなかったかね?」
「学校まで来たけど警備がいたから引き上げた、ですよね?」
「私の認識と違いない。どうやら昨晩は消されなかったようだな。」
俺たちの会話を聞いて国枝が眉を寄せているが説明のしようがないので放置した。
これは消されたことを知らない人間には理解できないことなのだから。
「でも毎晩見張りがいては調査どころじゃないですよ?」
「うむ、そうだな。」
と、準備室の扉がノックされ、ドアの向こうから担任と見知らぬ背広の男が入ってきた。
「彼が、葛木勇です。」
「はじめまして、私はこういうものです。」
背広の男が出したのは警察手帳だった。
俺は緊張して椅子に座りなおす。
「おとといのことでちょっと確認したいことがあるのでお話、いいですか?」
人好きのする笑顔だがその裏には俺への疑念があるのだろう。
細まった瞳がなんとも嫌な感じだった。
「私はこれから隣で会議ですので、こちらの部屋で話していただいて構いませんよ。国枝君、行こうか。」
「は、はい。」
会長は不安げにしている国枝を連れ立って準備室を出て行った。
担任はお茶を用意するといって出て行ってしまい部屋には俺と刑事さんだけが残された。
刑事さんは懐から写真を取り出して机の前に並べた。
そこに映っていたのは壊されたドアと、西洋剣。
「これらに見覚えはありませんか?」
「教室のドアにはもちろん見覚えがありますけど、壊れたドアと剣には特にないです。」
それは本当だった。
だが同時に確信する。
俺はこの事件に関わっていた。
その事件に関わったことが消されたのだと。
刑事さんはため息をついて壊れたドアの写真を手に取った。
「実はですね。ここの学校のドアは非常に頑丈でして、企業に問い合わせた所、人が体当たりしたくらいじゃここまでひしゃげることは無いそうなんですよ。」
壊れたドアは中央に強い衝撃を受けたらしく弓なりに曲がっていた。
人が体当たりをしたのでなければいったい何がやったと言うのか?
サイが体当たりをしたのか、ゴリラか…ゴブリン?
不意に浮かんだのは最近噂になっている化け物の名前だった。
刑事さんは写真を眺める俺を見定めるようにじっと見ていたがやがて手で膝を打った。
「それで目撃情報を集めていた所、当日の夜にあなたが学校に来ていたと聞いたもので。本当に見覚えがないと?」
「はい。覚えていません。」
「?」
言い回しに首をかしげる刑事さんだったが俺の指紋を取って帰っていってしまった。
俺もなんとなく居辛くなって準備室を後にした。
夜、性懲りもなく俺は学校の近くまで来ていた。
消えてしまった記憶、その謎を解く鍵がこの学校にあることは間違いないのだから家でじっとしていることなんて出来なかった。
俺は学校の塀やフェンス伝いにぐるりと回って裏手にある林に入った。
そのまま壁沿いに歩くとおそらくは非常口として作られたのであろう、鉄製の柵のような扉が見えてきた。
帰る前に鍵に細工をしておいたので簡単に開くことが出来、校内に侵入できた。
そこで俺は足を止めた。
もしこのまままた記憶を消されるならここに来たこともきっと消えるだろう。
なら俺がここにいたという証を残さないといけない。
俺は少し考えて裏口の塀に手頃な石で日付と「勇、参上」と記した。
…後になって内容がバカっぽいなと思ってちょっと落ち込んだ。
ついでといってはなんだが保険として会長にこれから潜入する旨を伝えるメールを送信しておいた。
校舎に入る直前に『健闘を祈る。』と返信があった。
校内は静かだった。
忍び足をしているはずなのに床を蹴る音が異様に大きく聞こえる。
それに気づいて見張りがやってきてしまうのではないかと戦々恐々だ。
コツ、コツ、コツ
コツ、コツ、コツ
コツ、コツ、コツ、コツ
ちょっと待て?
俺は3歩ずつしか歩いていないんだが。
明らかに最後に1回多かった。
振り返りたくはないのだが振り返らないともっと恐ろしいことになると自分の中の何かが告げている。
「ええい、何でもきやがれ。」
勢いよく振り返った先には…何もなかった。
俺は一気に脱力してその場にへたり込む。
瞬間、ブオンと風を切る音と共に俺の頭があった空間が何かになぎ払われた。
「へ?」
首を後ろに回してみれば首のない執事服を着た誰かが木の棒を振り上げていた。
俺は首を戻す反動を利用して一気に飛び上がる。
瞬間、床に木を叩きつける音が後ろから聞こえてきた。
振り返ればやっぱり幻じゃなくて首なし執事が目の前にいる。
おそらく何かに切り取られたのだろう、首の切断面は非常に綺麗だ。
綺麗なのだが
「こんなグロテスクな映像は見たくなかった。」
それでも冷静でいられる自分に驚かされる。
首なし執事は目も鼻も耳もないというのに俺の存在をしっかりと捉えて棒を振り回してくる。
丸腰では不利と悟って俺は早々にその場を駆け出した。
俺の駆け足の音に重なるようにして首なし執事の足音も響いてくる。
俺は武器になりそうなものを探して教室に飛び込んだ。
手頃な武器といえば
「箒か。何もないよりはましか。」
モップ状で細い毛先の箒を取り出して飛び出すとちょうど前の扉から首なし執事が教室に入ろうとしているところだった。
普通に扉に手をかけているところが滑稽で笑えてくる。
俺はいつかテレビでやっていた槍の構えを見よう見真似でやってみた。
「はっ。」
初撃はあっさりかわされた。
すぐに引いて2撃目は棒で払われた。
うん、無理。
「だー、こんなんで倒せるかー!」
俺はヤケバチになって手に持っていた箒を投げつけた。
あ、当たった。
たいした威力ではなかったが首なし執事に当たった。
俺はすばやく箒を拾うと交差する形で1発腹に蹴りをお見舞いして駆け出す。
月明かりが足元を照らしてくれる廊下に出るとまた首なし執事はさっきのダメージなどないかのように追ってきた。
俺は足を止めて応戦する。
突き、薙ぎ、適当にぶん回す。
どれをやっても首なし執事には当たらない。
「くそ、やっぱりさっきのはまぐれか?」
だんだん疲れてきた。
相手は疲れを知らないのか一定の歩調で近づいてくる。
俺は策を考えながら後退った。
ここは特別教室棟への渡り廊下、向こうに行けば何か武器になるものもあるはずだ。
月明かりの廊下を歩調を合わせて相手は前に、俺は後ろに進んだ。
コツ、コツ、コツ、
コツ、コツ、コツ、
コツ、コツ、コツ、
コツ、コツ
首なし執事が足を止めた?
そこはちょうどトイレがあって月明かりの指さない場所。
(月がないと駄目なのか?いや、そうじゃない。)
月明かりが原因ではないなら何か、首なし執事は直立不動で何かを待っている。
さっきあいつにダメージを与えたときもトイレがあった気がする。
トイレが嫌い…ではない。
俺は答えにたどり着いてにやりと笑みを浮かべた。
最後に確認のために誰かが捨て忘れた紙パックジュースを投げつけてみると首なし執事は一瞬反応してまた動かなくなった。
俺は身を低くして移動を開始した。
生暖かい風が吹いてくる。
ここは特別教室棟の屋上、その屋上の縁に真っ青な顔をした生首があった。
状況が状況だけに叫び声こそあげないが普通に考えてなかなかシュールだ。
俺を見てというわけではないだろうが青ざめた顔は明らかに焦っていた。
きっと今頃大急ぎで体を呼び戻しているに違いない。
俺はフェンスを乗り越えて縁に立つ。
怖いので片手でフェンスを掴んだまま近づいた。
「確かにこの位置からなら教室棟のほとんどが見渡せるよな。ただ、あそこにあるトイレの所だけは見えないわけだ。」
南前高校はコの字型をした校舎のため屋上の内側の端に立てば教室のほとんどを見ることができる。
そう、その真下にある特殊教室棟以外は。
「俺が初めに入ったのは特殊教室棟だったからな。だからお前は襲ってこなかった。いや、襲えなかったんだよな。敵が見えなきゃ戦いようがないもんな。」
もう目の前に生首があり顔が引きつっている。
屋上のドアを乱暴に開いて胴体が駆け寄ってくるがすでに遅い。
「怖いんだよ、ボケー!」
俺はこれまで溜め込んだ恐怖を箒にこめて生首を叩き潰した。
正直グシャッといったら嫌だなと思ったがそんなことはなくまるで何の感触もなく生首は掻き消え、胴体は緑色の炎を上げてやがて消え去った。
俺はため息をついて
「うわ、こわっ!」
改めて自分が立っている位置の恐ろしさを実感した。
地上4階手すりなしは掛け値なしに怖すぎる。
俺はちょっとへっぴり腰になったなさけない下半身に活を入れてどうにかフェンスを乗り越えた。
すっかりチキンな足は言うことを聞かず俺は苦笑してフェンスに背中を預けて地面に腰掛けた。
携帯で時間を確認してみればすでに9時半、潜入してから1時間以上経っていた。
結果報告をしようとして、開いた携帯の向こうに、人影が見えた。
「お疲れ様です。」
美しい長い髪をそよぐ風に任せて詠うように口を開く、誰か。
そこで悟ってしまった。
彼女こそがヴァニッシャーだと。
「俺の記憶を、消すのか?」
こんな綺麗な女性を前に携帯をいじるなんて無粋なことこの上ない。
女性はクスクスと笑いながら1歩近づいてきた。
「少し違うけれど、あなたにとっては同じことですね。もうすぐあなたはここであったことを失います。それは二度と戻らない。悲しいけれど絶対に。消えてしまう前に何か言い残すことはありますか?ほら、旅の恥は掻き捨てと言いますし。」
外国の女性のようなのに流暢な日本語で面白いことを言う。
俺はフッと笑いを漏らして考える。
どうせ消えるなら、聞いてみるのもいいかもしれない。
「それなら、君の名前を教えてくれないか?」
「え?」
女性はひどく驚いた顔をした。
やっぱりこんなナンパみたいなことはするべきじゃなかった。
たとえ消え去る記憶とはいえ今恥ずかしいことに代わりはない。
「ごめん。今のなし。」
「…ファリア、です。もう二度と忘れないでください、ユウ。」
「え?」
今度は俺が聞き返す番だった。
悲しそうな笑みを浮かべる彼女が、一瞬だけ誰かと重なって見えた。
だというのに視界はぼやけ、闇に染まっていく。
「待ってくれ、君は!」
何かを掴めそうな気がした。
必死に伸ばした手は
「忘れないで、ユウ。」
空を切り、大切な言葉さえも闇に呑まれていった。