表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Vanishing Raiders  作者: MCFL
29/43

第29話 サキュバスの誘い

学校での生活はこんなにも味気ないものだっただろうか。

授業をする教師がプログラムされたロボットのように淀みなくテキストを進め、先の噂のせいで友人だったはずの人たちと会話をすることもなく遠巻きに聞こえる声はノイズにしかならない。

自分で作ったと誤魔化すには上手すぎるからと弁当を辞退したため久しぶりに食べたパンは味気なく以前なら3つは余裕で平らげたはずのものは1つで十分だった。

知っていたはずのすべてのものが見知らぬ何かに変わってしまったような錯覚。

いや、錯覚ではなくこれが真実の姿。

世界という巨大なプログラムに支配された限りなく自由に思える箱庭。

すべてが無機質で作為的な、住まう者にとっての楽園がこの世界の本質だった。

「ファリアはずっとこんな世界で生きてきたのか。」

何度かファリアがひどく冷たく見えたことがあったが確かにこんな世界で生きていれば仕方がない。

世界の修正によって容易に書き換えられてしまう人たちを自分と同じには見られない。

それでも、

「俺は佐川がいたこの世界を見捨てない。それが守られた俺の責務だ。」

「何をかっこつけてるの?」

誰もいない、本来は誰も来ない特別教室棟の屋上でかけられた声に振り返ると芝中がなびく髪を片手で押さえながら近づいてきていた。

俺は芝中から景色へと視線を戻す。

芝中は俺の隣に立って俺の見ているものを探しているようだった。

「聞いていいか?」

「黙秘権が許されるならいいわよ。」

「サキュバスにじゃない。芝中に聞きたいことがある。」

芝中が怪訝な様子でこちらに振り向いた。

こんな世界であることを理解していてそれでも長い間人間として生きてきた芝中にどうしても聞いておきたいことがあったのだ。

「芝中にとって、佐川はどんな存在だった?」

「…。」

芝中に動揺はなかった。

それが質問の内容を予想していたからなのかどうでもいいことだと考えているのかは窺い知ることはできない。

夏の陽気はジリジリと肌を焼く。

それとは別に心がジリジリと焦れて動悸が早くなった。

頬を伝った汗がポタリと手に落ちた。

「…あの子は…バカな子よ。本当に馬鹿。」

言葉は辛辣、でもそこには親愛の響きが込められていた。

「私はファリア・ローテシアと少し違うけどやっぱり世界からは外れているわ。人間に興味がないからいつも話になんて入らないで、だから友達なんて全然出来なくて。」

寂しそうに遠くを見つめる芝中の話からはそれがどれくらい前なのかわからない。

俺は出会った後の芝中しか知らないから。

「そんな私にいつも元気に挨拶してくれたのがあの子だったわ。賢くはないけど他人を思いやることができる優しい子。あの子はこの世界で唯一の私の友達だった。」

だった。

過去形になってしまったその言葉が重くのし掛かる。

俺は土下座でも何でもしてとにかく謝ろうと振り向いて

ギュッ

芝中に頭を抱き締められた。

陽気の暑さとは違う芝中の温もりが伝わってくる。

「謝らないで。謝ったらあの子が消えたのは勇君のせいになる。そうなったら私は勇君を許さない。」

首筋に顔を埋めるようにしてきつく抱きついてきた芝中は泣いているように思えた。

「だから、私に勇君を嫌いにさせないで。」

少しだけ迷って今度は俺が芝中の頭を胸に抱く。

「…う、うえ、ん…くっ、…」

芝中は静かに声を殺してただ1人の友達のために泣いた。

俺はそのすべてを受け止める。

謝ることができないから、せめて涙だけは拭ってやりたかった。

(佐川、俺は謝らないよ。その代わりありがとうって言いたい。)

佐川の救ってくれた命を俺が大切な人と世界のために使うことを胸に誓う。

照りつける日差しのなか、涙に震える芝中が落ち着くまでずっと抱き合っていた。



「やっぱり勇君は優しいね。」

たっぷり時間をかけてようやく離れた芝中は照れたように呟いた。

こちらとしても今更ながら恥ずかしくなってきた。

その芝中がふっと真面目な顔に変わる。

「そんな勇君のためだから言わせてもらうわ。勇君、私を選んで。そうすればまだやり直せるわ。」

突然の告白に動揺したがそれよりも気になる単語があった。

「やり直せるってどういうことだ?」

よりを戻すや佐川がいた頃に…ではないのはわかる。

「私と勇君ならもう一度この世界で普通に生きていくことができるのよ。」

普通。

普通に学校に行って普通に友達と語らい世界の住人としての葛木勇となる。

それはファリアとは逆の誘いであった。

「…俺は…」

少し前なら揺らぐことなど無かった誘い。

だが今は少しだけこの生活に疲れを感じ始めていた。

心の内を明かしてくれないファリアに四面楚歌のこの状況。

そこに差し出された蠱惑的な悪魔の手は甘美な楽へと誘うには十分だった。

サキュバスとは男の精を貪る代償としてこの世ならざる快楽を与える淫魔を指す。

芝中は今まさにそれと同じだった。

「…俺は…」

ファリアと共に戦うと決めた次の日に示された救いの道の存在に揺らぐ自分に自己嫌悪しながら答えを探す。

ファリアを信じたいがその心がわからないから躊躇ってしまう。

「別に今すぐに答えてくれなくていいわ。そういう道もあるってことを知っていてくれればそれで。」

究極の2択-ファリアと共に孤独で生きるか芝中と共に偽りの平和の中に戻るか-は誘った芝中が助け船を出してくれた。

逆にこちらが困惑してしまう。

「い、いいのか、それで?もっとこう、堕落させるためのあれこれとかは…」

芝中は少しだけ不機嫌そうに鼻をならしてそっぽを向く。

「いいのよ。本気で堕とす気なら迷わず押し倒してるもの。これはサキュバスじゃなくて芝中幸恵の好意よ。」

芝中は去り際に俺の頬に口づけをして颯爽と屋上を出ていった。

その姿は惚れてしまいそうなほどかっこよくて、悩みばかりが増えていく人生を恨まずにはいられなかった。



夕飯の食材を買って家に帰る途中、夕日に向かって伸びる道の向こうから全身に包帯を巻いて暑い中だというのにコートを着た見るからに怪しい長身の男が一歩一歩ゆっくりと歩いてきた。

(怪しい。怪しすぎる。リゾルドの手下か?)

芝中を除けば昼間で学校以外で化け物と出くわしたのはこれが初めてだ。

ズン、ズンとやたらと重たい足音を響かせてそれは俺の横を通りすぎ

「!」

ブンッ

次の瞬間鈍器を振り回すような音が後頭部めがけて襲いかかってきた。

咄嗟に振り向き背中に差していた剣を抜き放ち振るう。

ガキン

と固い岩にぶつかったような衝撃を受けて体勢を崩して倒れてしまった。

買ってきた食材を入れた袋が地に落ちる。

(まずい!)

全感覚を回避に回して次撃に備えたが

「…いない。」

振り返った先には夕日を浴びて伸びた俺の影しかなかった。

しばらく警戒していたが奇襲をしてくる様子もなかったので剣を納めて、ふと我に返る。

「あー!卵とか入ってたんだった!」

結構な勢いで放り出されたから完全にアウトだろう。

「おのれ、どこの誰だか知らないけど許すまじ。」

正体もわからない敵に殺意を覚えつつトボトボと帰路につくのだった。

その晩は盛大な卵料理だった。


テスト勉強が終わり少し早めに床につく。

ファリアは1日中家の掃除をして疲れたらしく布団に入るとすぐに寝息を立て始めた。

ファリアが寝入ったのを確認してから俺はこっそりと起き出して支度をする。

(ごめんな、ファリア。)

きれいな髪を鋤いてから部屋を後にする。

家を出ると手に携えた剣を握って気を引き締める。

卵の恨みではないが夕方に遭遇したあれは今までにないほど危険な感じがした。

昼間出歩けるのならなおのこと野放しにはできない。

ファリアに言われたようにテスト勉強はしたから問題はないだろう。

すでに出歩く者はなく家の明かりが漏れてくるだけの世界をゆっくりと歩く。

こんな孤独な世界からファリアを救い出すために。


「ヴァニシングレイダーの活動開始だ。」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ