第22話 光の刃
学校を出るとまだ8時だった。
腕に抱きついたまま上機嫌なファリアと一緒に近くのスーパーに行くとちょうど出てきた一馬と鉢合わせになった。
「こんばんは、遠藤さん。無事に帰ってこられましたよ。」
「元気そうで何よりです。ところでお宅の旦那、先輩がいない間に浮気してましたよ?」
「うふふ。男の甲斐性を理解してあげるのも妻の務めですよ。」
世間話でなにやら感動している一馬の首根っこに腕を回して顔を寄せる。
「ファリアがどこか行っていたこと知ってたのか?」
俺としてはかなり重要な情報だったのだが一馬にとっては日常のことだったようで簡単に頷いた。
「ああ。ジュースを買いに出たら偶然会ってな、もしもの時にはユウを、って一言だけ残してどっかいっちまったんだ。物凄く思い詰めた顔してたからてっきり流血沙汰の喧嘩別れをして、それで傷心の勇が芝中とくっついたんだと思ったんだが違ったのか?」
俺は気が抜けて一馬にのし掛かる。
真実を知ることを怯えずに一馬に聞いていればすぐにファリアの無事は確認できたのだ。
これも俺の心の弱さが招いたことだった。
「まあ、そんなところだ。」
「なら芝中に話つけとかないとこじれるぞ。」
俺は答えなかった。
だって芝中はサキュバスとしての本性を俺たちの前に現した以上もう人として姿を見せることはないだろう。
一馬は何も知らず明日もまた芝中と会えることを疑う様子もなく手を振って帰っていった。
それを悲しく思いながら見送るとファリアがそっと手を握ってくれた。
「仕方がないことです。彼女は人間ではないのですから。だからユウが悲しまないで下さい。」
ファリアの優しさも言いたいこともよくわかり、そしてなにより自分の気持ちは変わらないのがよくわかっているから俺は何も答えずその手を握り返した。
「…お買い物しましょうか。ユウの好きなもの、いっぱい作りますね。」
ファリアの気遣いに俺は頷き精一杯の笑みを返す。
「楽しみにしてる。」
顔を正面に向けると顔が強張った。
何を見たわけではない。
俺が左手黒塗りの鞘に納められた剣を提げているにも関わらず誰もが何も言わないことが不自然でならなかった。
この不自然なほどの日常が何か良くないことのような気がして俺はギュッと鞘を握り締めた。
「ふー、ごちそうさまです。」
「お粗末様です。ふふ、たくさん食べましたね。」
本当に久しぶりのファリアの料理、それも俺の好物を遠慮する理由はないので限界まで食べた。もう水も入らない。
「うっぷ。ちょっとソファーで横になってる。」
歩くだけで溢れそうなものを押さえながらファリアに倒れ込むとファリアの苦笑が聞こえた。
「はい。私は食器を洗ってしまいますね。」
しっかり節約してくれているらしく始めに聞こえた以外水の音がしない。
「ファリアは、いいお嫁さんになるよ。」
何気無く、それこそ呟く気すらなく漏れた感想にファリアは手を止めてこちらを見、
「それは、プロポーズと受け取っていいですか?」
と少し意地の悪い笑みを浮かべた。
俺の顔が熱く火照りごろんと体ごと向きを変える。
「ふふふ。やっぱりユウは可愛いです。」
お姉さん属性全開のファリアさんに弄ばれた俺は恥ずかしくてソファーに顔を埋める。
鼻唄混じりに皿を水で流す音が聞こえてきて本当に新婚気分になってくる。
「えへへ、これって新婚さんみたいですよね?」
「!?」
一瞬脳裏にファリアの声が響いて慌てて起き上がった。
「うぷ。」
急な動きに逆流しそうになったがファリアは素早く駆け寄ってきて背中をさすってくれた。
「急に起き上がってどうかしたんですか?」
フラッシュバックした映像の中のファリアとはやはり違う。
「…いや、ただの禁断症状だから大丈夫。」
「禁断症状は大丈夫とは言わないと思いますが?」
本当に大丈夫だと告げて横になるとファリアは心配そうにしながらも洗い物に戻っていった。
俺は天井を見上げながら最近の夢について考える。
(あれはやっぱり昔の俺の記憶。ファリアと本当の恋仲だった頃のことだよな。)
昔の自分という表現に引っ掛かる。
俺はこの世界の人間で小さい頃の記憶だってある。
つまりファリアが言っているのは前世の俺ということだろうか?
(でも、そうなるとファリアって一体何歳なんだ?)
前世が何年前なのかわからないが時折見る光景を見る限り中世のヨーロッパくらいだと思う。
そうなるとファリアはその頃から生き続けていることになりその年齢は軽く見積もっても300歳以上となってしまう。
つまりファリアの正体は骨と皮だけしかないヨボヨボの…
「うわー、そんなのいやだー!」
とても直視できないような想像図に精神をおかされて怖気が体を駆け抜けた。
「何事ですか、ユウ!」
さすがに2度目なので本気で心配して駆けつけてくれたファリアに抱きつく。
「ファリア!」
「や、もう。どうしたんです?」
抱き締めたファリアはヨボヨボでもガリガリでも加齢臭がするわけでもなく、温かくて柔らかくて甘い匂いがした。
ソファーに腰かけたファリアに膝枕をされながら
「ユウは意外と甘えん坊さんですよね。」
と嬉しそうな声にそれでもいいかと幸せな時間を堪能する。
ついでに膝枕で耳かきという願望も叶って天国のような食後の一時を過ごしたのだった。
たっぷり幸せを蓄えた俺は今テーブルを挟んでファリアと向き合っていた。
どちらもさっきまで緩みきった顔で恋人していたとは思えないほど緊迫している。
「そろそろ話してもらえるか?」
ファリアには聞かなければならないことがたくさんある。
今まではそれほど切羽詰まっていなかった、言い方を変えればゲーム感覚だったわけだがドラゴンカインドという明確な敵の存在の登場で本気にならざるを得なくなった。
ドラゴンカインドの出現はファリアにとっても危機的状況らしくあんなものまで持ち出すほどだ。
俺たちと同じく世界の理から外れたかつての俺の武器。
テーブルに立て掛けた剣に目を落としながら俺は質問を考える。
一体何が起ころうとしているのか、ファリアの目的は何なのか、俺はどんな役割を期待されているのか。
答えてもらわなければならないことがたくさんある。
だがあえて俺が最初に尋ねたのはもっと単純で最も不可解な出来事についてだ。
「ドラゴンカインドとやり合ったあの日、俺たちはどうやって生き残ったんだ?」
俺は佐川が殺された直後から1週間後目覚めるまでの記憶がない。
その間にファリアとドラゴンカインドの間で何かがあったに違いなかった。
だがファリアはきょとんと俺の顔をまじまじと眺め、あまつさえ頬を引っ張ってきた。
「イタタタ、何するんだ?」
「本当に覚えていないんですか?あの窮地を脱することができたのはユウのおかげですよ?」
「…はい?」
夢世界の出来事かと思ったがファリアは真面目な顔をしていて冗談を言っているようには見えなかった。
「闇を切り裂く光の刃、かつて無敵と思われた魔竜リゾルドの鱗を砕き肉を切り裂いた必殺剣。」
ゴクリと喉がなる。
脳裏をよぎっただけで死を体験させる化け物を屠る人の技の存在に血がわいた。
「名を光凰裂破、私の知る限りただ1人、ユウだけが扱えた光の剣です。そしてあの時…」
ドラゴンカインドに首を捕まれたファリアはヴァニッシュを放つための集中を乱されて死の間際に立たされていた。
「うおおおおおおお!」
叫びが聞こえたのはファリアの意識が途切れる寸前だった。
ユウは折れた剣を振りかぶりボロボロの体も厭ずかけてきていた。
ファリアは気づいた。
ユウは自分もろともドラゴンカインドに斬りかかろうとしていることを。
愛する者の手で死ねるならと…
(そんなのは、いやです!)
人間の美学を否定したのはなんのことはないファリアの人間らしい欲望だった。
生きてユウと幸せに暮らしたいという、ささやかにして切なる願いはファリアの意識を覚醒させた。
練り上げた未完成のヴァニッシュをドラゴンカインドの腕に打ち込む。
消え去ったのは硬い鱗とわずかな肉だけだったが防御不可能な一撃による痛みはいかにドラゴンカインドとて無視できるものではなかった。
「ぐあっ!き、貴様!」
怒りに殺意を倍加させたドラゴンカインドの腕を強引に振り払ってファリアは大きく横に跳んで転がった。
我を失ってなお誰かの為に涙を流し剣を握るユウの手が光り輝き、折れた刀身を補うように光が剣を成していた。
ドラゴンカインドが光に気づいた時にはすでに遅かった。
いつもなら気づける気配もファリアにつけられた傷の痛みと怒りで散漫になった意識では対応が遅れたのだ。
「雑兵!貴様、それは…」
「わああああ!」
必死に体を捻って回避したドラゴンカインドのわずかに遅れた腕を光が空間ごと両断する。
「ガアアアアアア!」
ファリアの放ったヴァニッシュの比ではない完全なる断絶にドラゴンカインドも泡を吹いて悲鳴を上げた。
なおも振るわれる光の刃を大きく跳んで回避したドラゴンカインドは転がった腕を掴むと殺意で塗り込められた瞳で2人を睨み付けた。
「貴様ら!もはや我の復活は間近、人間ごときの力で止められると思い上がるな!」
激しく空気を震わせる怒りを糧としてドラゴンカインドは窓を突き破って撤退した。
ファリアがすぐに駆け寄って窓の外を見たが結局行方はわからなかった。
そしてファリアの背後でドサリという音がした時、ユウが力尽きて地に倒れ伏していた。
「この時私は確信しました。やはりユウは世界を救う救世主であると。そしてその力を存分に振るうためには相応の武器が必要であることを。」
「そのために傷だらけだった俺の手当てもしてくれず、何も言わないで消えたわけだ。」
不機嫌さも露に顔を背けるとファリアはしゅんと落ち込んでしまった。
「それは、すみませんでした。でも時間がなかったんです。その剣を持ってくるために私は海を越えてヨーロッパに出向いていました。各地を巡り場所を探り当て、ついにその剣をこの手に掴むことが出来たのです。」
立て掛けた剣をテーブルの上に乗せて鞘から抜いた。
蛍光灯の光を浴びて輝く刀身は幾度も戦いを切り抜けてきただろうに磨き上げた鏡のように綺麗であった。
「これは私たちと同じ、普通ではないものです。」
「それはスーパーに行ったときに気づいた。でもこんなもの使って世界の歪みが大きくなったりしないのか?」
芝中はこんなものを持ち出してと動揺していた。
それはこの剣が世界に与える影響を懸念したとも考えられる。
ファリアは言葉を詰まらせたがさらに決意のこもった視線をまっすぐ俺に向けた。
「ドラゴンカインドが現れた以上、周囲への配慮をしている余裕はありません。手をこまねいている間に世界は歪むだけでなく破滅してしまうのです。」
ドラゴンカインドが本来の姿であるリゾルドへと完全な復活を遂げてしまえば世界は破滅してしまう。
「つまり俺たちは一刻も早くドラゴンカインドを倒さないといけないってことか。ならこんなところでのんびりしていていいのか?」
正確なリミットが決まっていないならそれこそ草の根を分けてでもすぐに探し出さないと手遅れになってしまう。
「…。」
だというのになぜファリアさんは拗ねたような表情で顔をそらしていらっしゃるのか?
チラチラとこちらを見てはもじもじしているが何なのかよくわからない。
「ふう。私だって久しぶりに帰ってきたんですからユウと一緒に居たかったんですよ。」
ファリアの甘えた姿にやられてしまい顔が熱くなる。
身を乗り出してきたファリアの顔が目の前にあって潤んだ瞳から目が離せない。
「何も言わずに出てしまったのは謝りますが、それでも信じて待っていてほしかったです。」
「…ごめん。」
俺はファリアを正視できず目を落とす。
ファリアが無事であること、必ず帰ってくることを信じていれば芝中につけこまれることもなかったのだから全面的に俺が悪い。
もはやこれはハラキリかと考えていた俺の耳に声が届く。
「だからこれは…」
甘い声が耳に届いた時には唇が触れ合っていた。
芝中の時とは違う触れ合うだけのキスだというのに胸は幸福で満たされてしまった。
離れたファリアは呆然とする俺を見て唇に指を当てながら照れたように微笑んだ。
「お仕置きです。」
「…なら、突然いなくなったファリアにもお仕置きだな。」
はにかむファリアに吸い寄せられるように俺たちはもう一度口づけを交わしたのだった。