第15話 女たちの思惑
「ユウ、汗をかいたなら服を変えましょうか?」
「いや、風邪とかじゃないから大丈夫。」
「そうでした。ユウ、何か食べたいものはありますか?」
「今は特に。」
学校から帰ってきたファリアが妙に甲斐甲斐しい。
普段から優しいが今日はどんな小さな穴も見逃すまいとするような必死さを感じる。
「そう言えば、昨日勝手に動いたこと会長何か言ってなかった?」
最終的にはヴァニシングレイダース本来の任務になったわけだが調査中止を無視して動いてしまったことに変わりはない。
会長が怒ってなければいいのだが。
「何も言っていませんよ。だって、雷道会長はユウに何も言っていませんし昨日は何もなかったですから。」
ファリアの世間話でもするようないつも通りの口調で言われたので納得しそうになったが簡単に流していい話題ではない。
「…それはエルフが消えたからか。」
「はい。罠を仕掛けた犯人が消滅したことでその罠は存在しなかったとなり罠にかかった人たちも罠が無いのですから被害を受けず意見書も空っぽで雷道会長はヴァニシングレイダースを拡大解釈させる必要もその活動を制止させることも無い、ということです。」
ファリアは普通に語っているが俺にはうすら寒い、気味の悪い話だ。
化け物を退治する度に世界の認識が塗り替えられる。
ファリアに出会う前は不思議な出来事があったんだと聞かされて納得していたがもしかしたら世界的にはその被害を辻褄が合うように改変されていたのかもしれない。
人間が生身で生きている現実が巨大な存在の意思で都合良くねじ曲げられる。
それは人間が作り出したゲームと同じではないか。
自分で考えて生きているつもりが実はもっと大きな存在に操られているのかもしれないという事実は俺から現実感を奪っていく。
「難しい顔をしています。」
ファリアは寂しそうに微笑みながら俺の顔を覗き込んでいた。
ファリアや俺は世界の操る繰り糸から解き放たれて自由を手に入れている。
だがそれは輪から外れたのと同じだ。
周囲と同じ認識の中で生きるために自分を偽り続けることがはたして幸福と言えるのか。
俺は右手をファリアの背中に回して抱き寄せた。
「ユ、ユウ!?」
ファリアは驚いて身をよじる。
触れ合う温もりが優しい声が俺の脆くなった心を潤わせてくれた。
もっとこうしていたかったがファリアが逃げてしまった。
「急にどうしたんですか?驚きました。」
頬を赤く染めたファリアに今感じていた思いを打ち明けてその可愛らしい表情を曇らせたくは無かった。
「何でもない。お腹が減ったからファリアを食べようかと思ったんだ。」
「もう、ユウはエッチです。」
頬を膨らませたファリアは夕食の支度をしに部屋を出ていく。
その後ろ姿を見ながら思う。
いつか、ファリアがこの世界をどう感じているのかということを聞かなければと。
翌日、まだまだ本調子とはいえないものの動ける程度まで回復した俺は学校に向かう準備をしていた。
ただ胸を占めるのは後悔の念。
「あー、やっぱり昨日の夜ファリアが冗談で言った添い寝してもらえばよかった。そうすればこんな怪我なんてチョチョイと、痛ー!」
邪念への天罰なのか傷が痛んだ。
相変わらず絶品のファリアが作ってくれた朝食をいただき、周囲からの羨望と憎悪を一身に受ける登校をなんとか乗りきった。
ファリアとは学年が違うので必然的に昇降口で別れることになるのだが
「どうしてファリアさんは俺の教室についてこようとしているんでしょうか?」
なぜか俺の横にはファリアが、しかも俺の腕に抱きついていた。
さっきまでより強い殺気に満ちた視線が四方八方から突き刺さってくる。
「私はただユウと少しでも長く一緒にいたいと思いまして。」
それを聞いた男どもは羨ましいぞコンチクショーと泣き叫びながらいずこかへと走り去った。
俺も嬉しいのだが昨日の様子から何かあるようにしか思えなかった。
「おーっす。」
「おはようございます。」
教室にファリアの声が響いた瞬間、三途の川の脇にありそうなお空に近い花畑が顕現した。
話していた者も宿題をやっていた者も昇天しそうな顔でファリアを見ている。
だからその異様な教室において彼女らは異質だった。
佐川と舘野は俺たちを一瞥すると興味を失ったように2人での会話を再開した。
今まで気にしていなかったがあの2人、前より暗くなって騒がなくなった気がする。
キラキラ目を輝かせるクラスの中でどんよりとした暗い目は逆に印象的だ。
だがそんな2人など比にならないほど芝中の雰囲気はおかしかった。
「お、おっす。芝中。」
「おはよう、葛木君。」
会話自体はこれまで幾度となく交わしてきたもの。
だが芝中の目は苛烈な怒りを宿していて、それは俺にではなく隣のファリアに向けられていた。
「おはようございます、芝中さん。」
「おはようございます。」
ただの挨拶のはずなのに2人の間には断崖絶壁が存在することが分かってしまうほど笑顔のまま険悪なオーラを放っていた。
ファリアが俺の腕に抱きつくと芝中の目が険しくなる。
「あ、あの、芝中さん?」
「何?」
俺が声をかけると素っ気ないものの普通に対応してくれる。
逆にファリアは不満げに俺の腕に強く抱きついてきた。
高校生らしくない感触にどぎまぎしてしまう。
(な、なんでファリアと芝中は仲が悪いんだ?俺のせいか?)
芝中の好意に気付かなかったわけではないが今日のこれはどちらも露骨過ぎる。
まさに天国と地獄、それを打ち破ったのは神様でも勇者でもない、時間通りに鳴る予鈴だった。
「なあ、芝中。ファリアと何かあったのか?」
今日、2時間目の体育は男女合同のマラソン。
一般的に身体能力の劣ると言われる女子の中で芝中だけは男子集団を走っていた。
ただ走るだけなのは暇だしちょうど聞きたいこともあったので今は芝中と速度を合わせている。
「昨日、裏の林でお散歩中の先輩と話をしただけよ。」
芝中が俺から逃げようと速度をあげるが俺は離されないようについていく。
「裏の林?ファリアは何やってたんだ?」
裏の林と言えば先日の戦場、やはりそこには何か化け物が守る何かがあったのだろうか?
「知らないわ。あそこは立ち入り禁止なのに入っていくのを見掛けたから追いかけて注意しただけだもの。」
芝中は風紀委員の人間で規律を守る側の人間だ。
なのになぜ佐川や舘野とつるんでいるのか謎である。
「ファリアのこと、嫌いか?」
「嫌いよ。あの人みたいになんでも思い通りに出来てしまう人を見ると自分が酷く惨めに思えてしまうから。」
即答だった。
それは今考えたというよりもずっとのし掛かっていた重圧のようなものなのかもしれない。
「なんだかその言い方だと昔から知っているみたいだな。」
言ってから失言だったことに気がついた。
俺にとってはまだ2週間程度だが世界にとってファリアは1年以上前から俺たちの先輩として存在していたことになっている。
ファリアが入学時からちやほやされていたなら知らない方が不思議なくらいだろう。
馬鹿にされるか呆れられることを想定していた俺は何も答えずに前に行ってしまった芝中の真意がわからず、追いかけることが出来なかった。
体育以降芝中は俺を避けていた。
友人曰く
「超絶彼女がいるくせにまだ女をはべらせたいのか!?このモテモテ帝国の王子がぁ!」
と夏も近いのに彼女ができない八つ当たりを受けただけで役立つ情報は得られなかった。
佐川と舘野にも尋ねようとしたが俺が近づくと2人して逃げてしまい話をするどころではなかった。
そんなわけで昼休み、いつも通り昼御飯をファリアと屋上で摂りながら芝中のことを話した。
話してしまったと言うべきか。
ファリアは静かに箸を置くとゆっくり立ち上がる。
「そうでした。私としたことがすっかり忘れていました。」
「薮蛇って藪をつついたら蛇が出てきた、つまり余計な事をして酷い目に会うってことだよな、と国語辞書的な知識を呟いてみる。」
自分でも何を言っているのかわからないがきっと時間を稼ぎたかったんだ、尻餅をついて後退りながら考える。
ファリアはわざと歩調を合わせるようにゆっくりと近づいてきた。
「ユウは賢いですね。でも1つ間違いがありますよ?」
背中が屋上のフェンスに到達した。
逃避行の終わりにして悲劇の始まり。
すでに体は芯から震え思うように動かない。
「わ、ワタクシメのどこに不備がありましたでしょうか?」
ファリアは俺の肩に手を添えて顔が触れ合うほど近くで瞳を見つめてきた。
普段なら起こりそうな何かに期待してドキドキするところだが今は絶対に起こる何かに心臓が不整脈を起こしている。
ファリアの口が、真っ赤に裂けたような気がした。
「優しく尋ねるだけなんですから藪をつついても酷い目になんて会いませんよ。ねぇ?」
人間は本当の恐怖を感じたときには悲鳴すら上げられないようです。
俺は屋上の隅の給水塔の脇で蹲りさめざめと涙を流す。
とうとう思春期男子の必需品だけでなく幼いゆえ、男の子ゆえに犯してしまった過ちや劣情まで5時間目の授業をサボってまで暴かれてしまった。
「縦笛とか水着とか、出来心だったんだよー。もう、お婿に行けない。」
俺の心をズタボロにしたファリアは背中合わせに座っていた。
「少しやりすぎてしまったことは謝ります。若気の至りは仕方ありませんが、今もやっていたりしないですよね?」
「もちろん!」
今やったら間違いなく犯罪者だ。
この歳でというか一生警察のお世話になるような生き方をするつもりはない。
「ユウを信じます。…芝中さんのことはそっとしておくのがいいと思います。」
確かに避けられていてはこちらからはどうすることもできないのだからファリアのいう通りかもしれない。
だけどそれは少々薄情な気がした。
「…ユウは優しすぎます。」
「え、なんか言った?」
「なんでもありません。」
何か呟いていたようだったが聞き取れなかった。
でもファリアは顔を背けてしまい答えてくれそうになかったので諦めた。
「それで、裏の林には何があったんだ?」
「ユウ、なぜそれを!?」
ファリアの慌て様に昨日の推察が正しかったことを知った。
失言だったらしくファリアはフイと顔を逸らした。
沈黙が訪れ、そよ風が頬を撫でていく。
背中にファリアの体温を感じながら空を見上げると安らいだ気持ちになる。
それは緑の草原で2人寝転がったあの時のように…
「ごめんなさい。」
今自分が何を考えていたのかが理解できない。
ただファリアがさっきの質問の回答を拒否したのだということは数秒かかったがわかった。
「今はもう林と大木しかありません。」
なぜその声が悔しそうなのか尋ねてもまた拒絶されるだけだ。
(女は秘密を持つ生き物だって言うけど、もう少し頼ってくれてもいいのにな。)
ファリアの背中から離れてその場に寝転がると顔の横にはサイハイソックスに包まれた魅惑的な足があり、制服姿が別の意味で似合っている絶世の美女を見上げる素敵なアングルに入った。
「目がなんだかやらしいですよ。」
口調とは裏腹にファリアの表情は明るく、今日は初めての少女のような優しい笑顔を見せてくれた。
結局そんな穏やかな雰囲気を壊すのが嫌で俺たちは6時間目も自主休講して他愛ない、高校生の恋人らしい会話に花を咲かせたのだった。
最近会長の存在を忘れてしまうことがあるがそれを思い出させてくれるのが放課後の未知騒動対策班定例会議であり、ヴァニシングレイダース作戦会議とも言う。
生徒会準備室でファリアの淹れてくれたお茶を啜る。
「最近ヴァニシングレイダースの活動が疎かになっているから気を引き締めていこうと思う。」
会長の言葉に認識の齟齬があることに悲しくなる。
以前なら2人で事件を解決した後何があったのかを議論できた。
だけど今は俺が「外れて」しまったせいで世界の歪みを直す幅が大きくなって事件そのものがなかったことになるように修正されるようになったとファリアから説明された。
つまりどんなに頑張っても会長はもう俺たちが何と戦ったのか知ることはできない。
『これが普通ではなくなるということです。』
ファリアの言葉は淡々としていて、それが余計に悲しかった。
「そうは言ってもそろそろテストも近いしあんまり夜に時間を割かれるのも辛いんですが?」
テストまで実はもうあと1週間しかない。
一応授業は真面目に受けているつもりだが試験勉強を疎かにできるほどの余裕は俺にはないのだ。
「確かに。葛木君の成績が下がったとしてヴァニシングレイダースの活動で勉強ができなかったと言っても譲歩してはくれないだろうな。」
会長とファリアはどうすれば両立できるかを真剣に考えているようだが成績優秀な2人に凡人の苦労を真に理解することはできない。
質だけではなく量もこなさなければならず、その為には時間が必要なのだ。
「なのでヴァニシングレイダースの活動は休ぎょ…」
「ならローテシア君に教わるといい。家も同じなら遅くまで付き合ってもらえるだろう。」
1人で勉強することばかり考えていたが確かにファリアに見てもらったほうが格段に効率は上がりそうだ。
「そうですね。ファリア?」
「構いませんよ。ビシビシ鍛えてあげますから。」
なんだか使命感に燃えてるみたいだが正直怖いのでお手柔らかに願いたい。
「ならば活動する時は連絡してくれ。力になるからな。」
「ありがとうございます。」
きっともう会長に頼ることはないだろう。
だけどここで断ってしまったらヴァニシングレイダースとしての繋がりも切れてしまいそうで、だから俺は会長の手を握って会長の存在を心に刻んだ。
鞄を取りに教室へ戻ると誰もいないと思っていた教室には佐川が1人で座っていた。
「あ、勇くん。」
「珍しいな、1人か?」
最近逃げられたり避けられたりすることばかりだったから普通に会話できたことが嬉しかったりする。
でも前みたいに抱きついてくることも輝くような笑顔になることもなく、それが自分のせいだと分かっていても少し寂しい。
「うん。居残りベンキョー中。」
見れば佐川の机の上には数枚のプリントが広がっていた。
「居残りって。それこの間の宿題じゃないか。」
「えへへ。忘れてたんだ。」
力なく笑ってプリントに向かう佐川。
俺は鞄に必要な物を詰め込みながらその背中を見つめた。
(前はあんなんじゃなかったのにな。)
佐川は俺や舘野や芝中にいつもじゃれてきておバカだったけど憎めないやつだった。
でも俺にはどうすることも、何をする資格もない。
帰る前にもう一度だけ佐川のところに行くと唸りながらも自分の力だけで問題を解いていた。
(前は舘野と芝中に頼ってばかりだったのに。)
佐川は変わってしまった。
だけどその変化は必ずしも悪いものではないのだとわかったことで少しだけ救われた気がした。
「俺はもう帰るから、頑張れよ。」
「!?」
佐川の頭を軽く撫でてドアへと向かう。
「勇くん、今幸せ?」
佐川の質問は漠然としすぎていて何を訊きたいのかはわからない。
いろんなことがあって危ない目にも何度もあっていつも怪我ばかりしている。
俺は振り返り
「ああ。」
微笑みを返した。
周囲がどんなに変わっても、世界がどんなに揺らいでも俺の願い、ファリアが隣にいてくれることだけは絶対だから、それだけで十分だ。
「…そっか。バイバイ、勇くん。」
寂しげに笑う佐川に笑みを返して俺は教室を後にした。
「さよなら、佐川。」
胸に甦る何も知らず楽しいだけだった日々が2度と戻らないことに心で泣きながら。