#10件目:負けないでもう少し最後まで走り抜けて
リリィはヤマトを背負ったまま王の間を飛び出し、驚異的な加速で廊下を駆け抜けた。ヤマトは振り落とされないように必死でしがみつく。「待って、待って!」という情けない声が空しく響いた。
長い廊下を突っ切った先にあるのはバルコニー……つまり、行き止まりだ。しかし、リリィに減速する様子は微塵もなかった。迷うことなく虚空に向かって突っ込んでいく。
「ちょ、ここ3階! 3階だって――!」
リリィはスピードを落とさず、そのままバルコニーに飛び出すと、躊躇なく大ジャンプ。ヤマトの視界では城下町の建物がスローモーションで流れていく。
「うぎゃーーーっ……」
白目を剥くヤマト。薄れゆく意識の中、彼は幼い日の記憶を思い出していた。それは「大きいブランコ」と姉に騙されて、遊園地のバイキングに乗せられたときのトラウマとも呼べる苦い思い出である。
(ああ……、この無重力状態で金の玉がスーッとなる感覚……女子たちには分からないんだろうぁ……)
ヤマトを背負ったまま、城の三階から急降下――
リリィは地面に降り立つ瞬間、軽く膝を曲げて衝撃を吸収する。そして、何事もなかったかのようにスッと立ち上がった。
「おー!」「すげー!」
それを見ていた城下の人々が拍手を送る。
ヤマトは頭をぶらぶらと揺らしながらも、なんとか振り落とされずしがみついていた。
「うげぇ、内臓飛び出そう……」
「どうですか? 人間の姿になったので、こんなこともできるようになりました。」
リリィの言葉に、ヤマトは震える声で答える。
「い、いや、普通人間は3階から飛び降りたりしないからね!」
「……こんなリリィは、お嫌いですか?」
「好きとか嫌いとかの話じゃなくて――」
「私は人間になってもヤマトさんを乗せて走れて幸せです」
「……まあ…な」
少しばかり照れるヤマト。
「では、行きましょう。しっかり掴まってください」
リリィは再び急加速した。
アイドルの格好をした少女に背負われて猛スピードで駆け抜けていく青年。その奇異な光景は当然のことながら城下町の人々の注目を浴びる。
「リリィ、さっさと街を出よう」
「はい!」
リリィは俄然スピードを上げ、飛び跳ねるように疾走した。
「わー、早すぎ!早すぎ! こえー、こえーよ!」
「ヤマトさんが、さっさと出ようって言うから。」
「ねぇ、今何キロ? 今何キロ??」
「まだ100km/hも出ていません。そんなに怖がるなんてヤマトさんらしくないです。」
「いや、怖いよ!ノーヘルだし! ていうか、バイクで100キロ出すのとは訳が違うって!女の子におんぶされて100キロ出すとか、いろんな意味でこえーよ!」
「そうでしょうか?私としてはいつもと変わらない……というか、いつもより調子が良いのですが」
そう言いながら、力強く地面を蹴って走るリリィ。そのたびにヤマトの首がガクンガクンと前後する。
「やっぱり全然バイクと違うって!乗り心地とか……」
「何か仰いましたか?」
「いえ……何も……」
そんな会話をしているうちに、二人はあっという間に城門を駆け抜けていた。
門兵たちは制止しようとする暇もなく、あっという間に通り過ぎる二人を、ただ呆然と見送ることしかできなかった。後に彼らの話題は、しばらくこの奇妙な二人組の話で持ちきりだったという。
***
リリィはそのまま街道を進んだ。
「ヤマトさん、この道をまっすぐでいいんですよね?」
「あ、ああ、道なりに行けば一つ目の町に着くはずだ」
このスピードで行けば、30分足らずで町に着くだろう。
「それまで身が持てばの話だがな」
「大丈夫です、ヤマトさん。リリィはどんなに走っても平気です」
「うん、そうだね。でも俺の方はどうかなー?」
「もし途中でヤマトさんが疲れたら、そのときはもっと速く走りますね」
「そ、そっかー、ありがとねー」
ヤマトの声がどこか遠くなる。リリィは何も気にせず、前を見据えたまま走り続けた。
ーー20分後
ヤマトはふと異変に気づいた。心なしか、リリィのスピードが少し落ちてきているような気がする。
(気のせいか?それとも俺に気を使ってペースを落としてくれたのか?)
ーーさらに5分後
(明らかにスピードが落ちてるよなぁ……)
「リリィ、どうした?調子悪いのか?」
「いいえ、何も問題ありません!」
「本当に?」
「はい、大丈夫です!」
そう言ってリリィは再びペースを上げたが、またすぐに減速してしまう。
「やっぱりおかしい。一度降ろしてくれ」
「いいえ、目的地までヤマトさんを送るのが私の使命です」
「そんな固くならないでさ、ちょっと休もうよ」
「ヤマトさん、どうか私を信じてください」
「いや、信じる信じないの問題じゃなくて……」
「お願いです」
リリィにはリリィの意地があるのだろう。ヤマトは心の中でため息を吐く。
「わかった。でも、何が起きているか分からないまま背負われている訳にもいかない」
リリィはしばらく黙って考え込んだ後、口を開いた。
「……すき……た」
「ん?」
風を切る音にかき消されそうな小さな声だった。
「もう一回言ってくれ」
リリィは一瞬顔を赤らめ、少し照れながらも、開き直るように大声で叫んだ。
「お腹が空きました!!」
***
(腹が減ったって……ガス欠みたいなもんなのかな?)
よく考えてみると、こちらの世界に来てから二人とも何も食べていない。そりゃ、腹も減るだろう。
「次の町まで持ちそうか?このペースだと、あと10分ってところだけど……」
スピードは少し落ちたとはいえ、リリィは依然として原付並みの速度で走り続けている。しかし、
「そのくらいなら……だい…じょうぶ……」
その言葉には、無理をしている様子が色濃く滲んでいた。
「やっぱり降りるって!」
「嫌です!」
頑なに走り続けるリリィに、ヤマトはただしがみつくしかなかった。
***
ようやく町が目前に迫ってきた。
だが、ここで二つの問題がある。
一つ目は、町についても食事の当てがないこと。王城を飛び出してきたヤマトたちは、僅かな路銀すら持っていないのだ。
二つ目は、町に近づくにつれてリリィのスピードが明らかに落ちていること……そして今のこの痛々しい状況だ。
リリィはもう走っているとは言えなかった。まるでタレントが24時間ぶっ通しで走るチャリティーマラソンのゴール直前のように疲れ切った様子だ。正直、降りて歩いたほうがまだ早いだろう。
この状況に、すれ違う人たちからは訝しがられ、非難の視線がヤマトに向けられた。
二人を追い越していく行商の馬車からは、女の子がひょいと顔を出して、
「ねーねー、あのお兄ちゃん、どうして女の子をいじめてるの?」
と指を指される始末。
「お嬢、見ちゃいけません」
「でも、あの女の子……」
「お嬢も大人になれば分かります」
という声が漏れ聞こえてくる。恥ずかしい、恥ずかし過ぎる。
「あのぅ、リリィさん…」
「黙ってて下さい」
「…はい」
ヤマトは顔を真っ赤にしながら、この羞恥に耐え続けた。
そして、ようやく町に足を踏み入れたとき、
「ゴーーーール!!!」
ヤマトは歓喜の叫びを上げた。そして、すぐにリリィから降り、フラフラとよろけている彼女を支えて抱きかかえる。
「ヤマトさん」
リリィが少し弱々しい声で呼びかけた。
「なんだ?やっぱり辛いよな」
リリィは首を横に振り、真っ直ぐにヤマトの目を見つめて微笑んだ。
「人間になっても、リリィはリリィでしょう?」
ありがとうございます。次は"食料"探しに奮闘します。読んでいただけると嬉しいですm(_ _)m




