六話
アリアス様と出かけた次の日のこと。
来客があった。
「レオナルド・ストームブレイカーと申します。アリアスさんとは魔法学校時代の先輩後輩ですね」
「ああ、なるほど」
ストームブレイカー、というのは王都の貴族の家名であり、風魔法の大家でもある。
そしてレオナルド・ストームブレイカーと言えば若くしてストームブレイカー家の中でも次期当主と目されている。
わざわざ王都から会いに来るのだから、よほど親しいのだろうな、と思う。
貴族同士の関係性については、屋敷に閉じ込められているゆえに知らなかったのだ。
「それにしても、君が例の婚約者かあ。ふうん」
ずいっと、端正な顔を近づけてくる。
一応婚約中の身なのだけれど。
どうしようかなと考えていると。
「おい」
空気が、凍った。
凍てつく視線でこちらを睨みつける、アリアス様が背後にいた。
「お前、冗談もほどほどにしろよ」
「あはは、すみません先輩」
アリアス様は、これまで見たことがない程に怖い顔をして、レオナルド様を睨んでいる。
レオナルド様はそんなこと気にしていないのか、飄々としている。
「奥で話そう。すまないが、二人で話したい」
「はい、わかりました」
確かに先輩後輩であるというのなら、積もる話だってたくさんあるだろう。
そこに干渉するのはよろしくない。
◇
執務室にレオナルドを通す。
「懐かしいな、二年前の戦争以来か」
「ええ、あの時は大変でしたねえ。
「そうだな、お前たちの力がなければ危うかった」
「それにしても、相当気に入られたんですねえ、あの子のこと」
「…………」
「沈黙は肯定と受け取りますよ?」
「何が言いたいんだ?」
「いや、純粋に嬉しいんですよ。アリアス様が誰かに心を開くなんてこと、今まで一度もなかったじゃないですか」
すっと、レオナルドは右手をアリアスに伸ばす。
が、それはアリアスの前方十センチ程度ではばまれた。
まるでそこに、見えない壁があるかのように。
「なるほどなるほど、絶対防御は相も変わらずご健在のようで」
レオナルドは、ただ手を伸ばしたわけではない。
右手に高密度の空気の刃を作り出し、それを突き出した。
鉄板程度なら貫く超強力な刃だが、しかしてそれすらアリアスには届かない。
「先輩の自動防御魔法ーー【恒星】は、生まれた時から自動で作動する。それゆえに、生物は触れることさえできない」
「……そうだな」
「だから、正直驚いたんですよ。まさか、触れられる人間がいるなんて」
「……そうだな、普通に考えればありえないことだ」
「考えられるとすれば、相手が先輩に一切の悪意を持っていないってことですか」
悪意のない人間など存在しない。
生物なら持っていて当然の些細な緊張や警戒心でさえも、彼の結界は探知して自動で発動する。
だから、これまでアリアスに触れられた者は一人もいなかった。
「それが、先輩が彼女に気を許している理由というわけですか」
「そうだな」
はじめて、手を握られた時には幻覚を見たのかと思った。
これまで本当に人生で一度も直接他人に触れられたことはなかったのだ。
例外は、母親の胎内にいた時のみ。
理由は、一つしか考えられない。
「私に警戒心や疑念、悪意に相当するものを一つも持たない人間がいるのだと、理解できた。彼女こそが、私にとって運命の人であると」
「……なるほど」
レオナルドは、うなずく。
あるいはまったく魔法が使えず、魔力を持たない人間でも結界に引っかからない可能性があるのではと思ったが……そんな人間がいるとは聞いたこともないので、それはひとまずさておいた。
「それで、ここまで私を呼んだのはどういうわけなんです?まさかのろけ話を聞かせたかったんじゃないですよね?」
「俺はのろけてない」
「それは無理がありませんか?」
レオナルドはにやにやしていたが、アリアスに睨まれて真顔になった。
アリアスは、一つ咳払いをして、話を切り出した。
「ひとつ、お前に仕事を頼みたい」
「ほう?」
「王都にいる、とある人物について探って欲しい。私はここを離れられないし……そもそも王都に住まう貴族についてはあまり詳しくない」
「ふむふむ、それもそうですね。わかりました、調べておきましょう」
指を引っ込めて、レオナルドは首肯した。
もとより、貴族間での情報収集は、彼の得意分野だ。
「それで、誰の何を調べればいいんですか?」
「ゴールドシュタイン家について。調査内容は、ボナムを虐待していたという事実があったかどうか、だ」
「貴族が、長女を虐待ですか?」
レオナルドは首をかしげる。
それくらい、荒唐無稽な話ではあるのだ。
何しろ、貴族にとって娘というのは最大の武器だ。
己の娘を他の貴族や、他国に嫁がせることでコネクションを作る。
それが、最も強力な生存および成長戦略であると誰もが知っている。
家督を継ぐことも、政略結婚の道具にもできない次男三男が冷遇されるのならともかく、娘は何人いても困ることはないのだ。
ゆえに娘を冷遇するなど、貴族としてあるまじき行為のはずなのだが。
「料理や掃除など、下働きに慣れ過ぎているし、何より全身に痣があった」
「ふうん、もう見たのかい?」
「……違う。腕や肩の話だ」
「なるほど、これは失礼」
顔を真っ赤にするアリアスを見て、レオナルドは笑みを深める。
この人の性質を考えれば無理もないが、恋をしたことだって一度もないはずだから。
「ともあれ、ゴールドシュタイン家について調べてこいということでしたら、すぐにでも。調査が完了し次第、即座に報告書を送らせていただきますとも」
「ああ、そうしてくれ」
「それと、アリアス様、一つだけ」
「何だ?」
「ひと月後の水月祭にはちゃんと参加してくださいね?」
「わかっている。それに、ちょうどいい機会でもあるやもしれん」
「あはは、本当に別人みたいだなあ」
レオナルドは、心から楽しそうに笑った。
先輩にして友人の変化が、嬉しかったのである。