四話
「何か欲しいものはあるか?といってもパラディ領は田舎ゆえ、用意できるものは限られるが……」
「ええと、よければ魔導書を……」
「魔導書?魔法が好きなのか?」
「ええ、私自身は得意ではありませんが……」
嘘である。得意ではないどころか、全く使えない。とはいえ、魔法が好きなのは事実である。まして結界魔法の大家であるパラディ家であれば王都にはない独自の魔法理論を記した書物だってあるだろう。
「そうか、なら俺の部屋に案内しよう」
「はい?」
「さあ、どうぞ」
アリアス様は私の手をそっと掴む。
繊細かつ綺麗でありながらそれでいて男らしい指。それが私の指に触れて、不覚にもドキリとしてしまう。
「おお……」
手を引かれて連れてこられたのは、アリアス様の執務室でした。
部屋に入って正面に執務用の机が置かれており、そのわきには来客用と思われるソファとテーブルが置かれている。いずれも、公爵家のそれよりは随分と簡素だ。
「おお……」
しかし、私の目をひいたのは家具ではなく、四方の壁に配置された本棚をびっしりと埋め尽くす蔵書だった。
「これ、全部魔導書ですか?」
「ああ、そうだよ。中にはパラディ家の魔法技術についてまとめたものもある」
「それを、私が見てもいいんですか?」
「構わないよ。そこにあるのは魔法学会で発表したものばかりだし、そもそも君はもう身内だしね」
「へっ」
まっすぐにこちらを見つめてくるアリアス様が眩しくて、思わず目をそらしてしまう。
婚約者はいたものの、今まで異性とまともなかかわりがなかった私にとっては、少々刺激が強すぎる。
赤くなった顔を隠すように、私は一冊の本を手に取り読み始める。
「結界術は、敵を拒絶し、味方を守ることをコンセプトにした魔術である。結界において重要なのは敵と味方をどのように判定するかということであり……」
先程ざっと見たところ、やはり結界魔法に関する本が多い。
王都にはここまで詳しく書かれた本はないはず。
そもそも、劣悪な待遇だったあの家では、最新の本を読むことはできず、古書を読むことしかできなかった。私が知っていたパラディ家の結界術も十年以上前のものである。
だが、ここには最新の本がたくさんある。私が今読んでいる「パラディ結界理論・第六版」も今年に出版されたものだ。
「なるほど、結界術に興味を持ってくれているんだな?」
「ひゃうっ」
耳元でささやかれて、思わず声が漏れる。
いつの間にかアリアス様が背後に回っていた。
「ああごめん、驚かせてしまったかな?」
「い、いえ、あまりにもいい声だったのでつい……」
顔だけでなく声もいいだなんて反則ではないか。
加えて魔法の実力も確か。天はどうして一個人に二物も三物も与えるのだろうか。
自分にはどれもないものだ。
どれか一つでもあれば、何かが変わっていたのだろうか。
「いくらでも集中するといい。ここは、君の家なんだからね」
「――っ!はいっ」
目からあふれる雫をぬぐい、本にかじりつく。
背後にあったはずの気配は、いつの間にか消えていた。
きっと、私の読書を妨げたくなかったのだろう。
そんな、当たり前の気遣いが、嬉しかった。
家では、そんな扱いをしてもらったことはない。
本を読んでいるのがバレると破り捨てられるため、ずっと息を殺して隠れて読んでいた。
生まれて初めてリラックスした気持ちで、私は魔導書を読みふけるのだった。