十四話
石でできた邸宅は莫大な熱量の余波に耐えきれず、融解を始めていた。
攻撃を始めて、わずか一分のことである。
それを見て、アリアスは判断した。
どのみち、余熱でボナムへの被害は避けられない。
あと五分、敵の魔力切れを待っている間にボナムが死ぬ可能性が高く、加えて別働隊がボナムに危害を加えている可能性もある。
つまり、攻撃をしない理由は、ないとアリアスは判断した。
絶対防御結界である【恒星】の発動は、アリアスの意思によるものではない。周囲の危険や悪意によって自動的に発動する。
だが、消すことはできずとも、形を変えることは可能である。
その術式の効果は、膨張。
球形の彼だけを覆う結界を、風船のように急速に膨らませる。
やっていることは、それだけだ。
ただし、その速度は光速である。
急速に膨張した結界が、万物を押しのけ、破片すら残さず破壊する。
「【超新星】」
かつて山岳すら吹き飛ばした、アリアスの切り札である。
「それを、使うのか」
「加減したよ」
本来、無制限に膨張する【超新星】が直径五メートルになったところで【超新星】の術式を解除。
膨張した結界を逆に収縮させた。
光速で展開する結界の最大半径を調整することなど不可能だ。
ゆえに、これまでも周囲一キロ以内に味方がいない状況でしか、【超新星】は使ってこなかった。
「優秀な人と話したことで、インスピレーションが湧いてね」
ボナム・ゴールドシュタインのことだ。
彼女は魔法の行使はあまり得意ではないようだったが、魔法の理論についてはアリアスすら上回る。
あるいは、魔法が不得手だからこそ、逆に多くの人間が感覚で解決してしまうようなところまで理論を固めることが出来たのかもしれない。
ともあれ、彼は味方に被害を及ぼすことなく撃破することに成功した。
「う、くそ、足止めすら叶わないか」
「ああ、生きていたのか」
制御に夢中で、敵の生死まで気にする余裕はなかった。
光速で膨張する【超新星】に巻き込まれれば即死だが、その周辺にいただけなら余波を受けるだけで済む。
装備は砕け散り、皮は焦げ、肉は裂けているが、逆に言えばその程度で済んだともいえる。
「悪いけど、僕は行くよ。誰よりも大切な人が待っているからね」
「ははっ、なるほど。大切なもののために足掻く、抗う、私にもその勇気があればな……」
何かを悔いるようにうつむくヴィジャードを見下ろし、アリアスは一言呟いた。
「まだ、間に合う」
それは、彼に向けてだったのか、あるいは単にアリアス自身に対しての言葉だったのか。
いずれであっても、もはや意味はない。
彼は、階段を駆け上がる。
城の最上階にいる最愛の人を、己の手で助け出すために。
◇
「こ、の」
先ほどよりずっと大きな炎の塊をぶつけようとして。
「何をしている」
冷たい声とともに、リンダを青い結界が覆った。
捕縛用の結界だろう。
あ、内部で炎弾が破裂した。
「助けに来た」
「はい、助かりました」
アリアス様は、私の手を取り、ふらつくのを支えてくれた。
「愚かな娘だな。ボナム」
「お父様、お母様」
父と母が、窓を乗り越えて部屋に入って来る。
……どうしてわざわざ上から入って来るのだろうか。
「確かに、アリアス・パラディは最強の戦力だ。だが、貴族としては我々の方が圧倒的に格上。争いになれば、やつから爵位をはく奪するも、政敵に仕立て上げるも自由自在。構わんな、リンダ」
「ええ、いいわ、お父様。私のものにならないなら、いっそ壊してしまって!」
「何処までも愚からしいな、ゴールドシュタイン家は」
「すみません……」
「謝ることはない。少なくともお前には、もう関係ない話だ」
「え……」
一瞬、言葉の意味がよくわからなかった。
「はじめて見た時、また婚約者が来たなとしか思わなかった」
ぽつりと、彼は本音を漏らした。
確かに、彼ほどの魔術師であれば嫁ぎたいと考えるものは山ほどいただろう。
「だが私の絶対防御と、何より人を寄せ付けない性格に対して耐えきれるものはいなかった」
隣にいるので、アリアス様がどんな表情をしているのかはわかりません。
「いや、それも違うな。耐えられなかったのは私の方だ。私は誰のことも信頼していなかった。長らく仕えてくれている使用人や、王都で出会った友人でさえ、私は心のどこかで拒んでいたのだろう。人を心から信じて、愛することができなかった」
アリアス様はまだ十八歳とかなり若い。
にもかかわらず、パラディ家の当主の座に収まっている。
本人から直接聞いたわけではないが、おそらく彼の両親はもうなくなっているのだろう。
親を亡くし、周囲には壁を作っていた。
あるいは辺境伯という肩書が、国を守らなくてはという重責が、彼に誰かを心から信頼することを許さなかったのではないか。
「変わるきっかけをくれたのは、君だ」
「え?」
どうして、そんなまっすぐな目で私を見るのか。
そこまでしてもらえる価値が、私なんかにあるのだろうか。
「君に触れた時、人の肌とはこれほどに温かいのかと知った。私は、そんなことも知らなかったのだ」
「でも、それは、私が無魔だからで、魔法が使えなくて魔法が効かない体質だからで、貴方を愛していたからじゃないんですよ」
「そうだな、正直まさか本当に魔法を使えない人間がいるとは思っていなかった。ましてや、あれだけ魔法に詳しい人間が、ね」
「私は、ずっと隠してたんですよ。貴方に捨てられたくないから。いいえ、ここで捨てられたら他に行くところがないからです。ただの保身で、貴方に嘘を吐いた」
「構わない。それは、きっかけに過ぎないから」
そう言われて、私は理解する。
彼はとっくに気づいていたのだ。
私が魔法を使えないことを。
そして、それを隠していたことも。
いつか、私の口から明かされるまで、何も言わずに待っていてくれたのだ。
「君と、魔法について語り合った。感知魔法を活かした結界魔術の微調整や変形の理論をはじめ、多くの理論について話をした」
「はい」
「一緒に出掛けて、魔道具を街中で見つけてはしゃいでいる君を見た。酒を飲んで楽しく過ごした」
「は、い」
それは、事実の羅列だ。
されど、心を通わせた思い出の数々だ。
「君の作ってくれた料理を食べた。いつも作ってくれている使用人には悪いけど、どんな食事よりおいしいと、温かいと思った。心が満たされていくのがわかった。俺が喜んで食べることで、感謝を伝えることで、君が喜んでくれるのが嬉しかった」
彼は、私の方を見た。
私も、彼を見ていた。
「俺と結婚してほしい。仮初めの婚約者じゃない、俺の妻に、パラディ家の家族になってくれないだろうか」
どうしよう。
妹が、両親がいるのに。
いまだに周囲には敵がいるはずなのに。
邪魔者は、目に入らない。
彼の整った顔が浮かべる、泣きそうな不安そうな顔から目が離せないから。
雑音は、もう聞こえない。
自分の心臓の音が、酷くうるさいから。
「……はい、よろこんで」
火照る顔を抑えて、どうにかそれだけは口にできた。
「ありがとう……」
泣きそうな顔で、彼はそっと私の手を握る。