心
乾燥と砂埃の匂いが猛烈に臭うテントの中で正義に飼い慣らされたならず者達は寒さと共に息を潜めながら、各々の時を過ごした。俺は彼らのことを順番に眺めていた。
右端から、ゴツゴツな体格に太い木の枝のような指にしっかりと挟まれた異様な煙臭さと妙な薬臭さを発するタバコを咥えている男はサンダース。かつてアメリカで大規模な反社会組織をまとめていた男である。彼の吸っているタバコの銘柄は何となく恐ろしくて聞くことが出来ないが、気さくで寛大で俺たちのようなひねくれ者でもどこか心が惹かれるカリスマ性のある男である。
さらにその隣では、真剣な顔で聖書を読み耽る男が、時折十時を切っては祈りをささげるというループを永遠と繰り返している。
男はダンテ、彼は元々バチカンの宗教家であったが信仰心と独創性が強かったが故にキリスト由来のカルト宗教を立ち上げ神の名の下に数々の残忍な行為を行い、バチカンから追放された男だ。さまざまな理由により罪状の殆どは伏せられているが、奪った命はきっと数えきれないだろう。彼は宗教以外の話ではかなり温厚で腰が低くく言葉遣いが非常に巧みである。
次に隣を見ると死体のような青白い肌に無表情の青い目の男が何をするでもなくベッドに座っている。彼はブレジネフ、死体収集と狩と称した猟奇的殺人を趣味としている本物の狂人。故郷のモスクワでは未確定数であれど5000人余りを手にかけているといわれる都市伝説が出来るほどに危険な人物。
普段の彼は物静かで博識な科学者や哲学者のような聡明な男でいつも何かの物思いに耽っている。
そしてその隣で座る俺も超がつく凶悪犯罪者である。自慢ではないが故郷の日本で社会主義思想の定着化と資本主義思想の根絶を目指したテロ行為を各地で強行し逮捕された事がある。
このむさ苦しいテントに敷き詰められたのはマフィア・カルト宗教家・猟奇殺人鬼・テロリストである。今はそれぞれ過去の自分を捨て、みな同じ戦闘服を着てここに立たされている。よくある話だが、凶悪犯罪者の寄せ集めに減刑を条件に死地に向かわせると言うベタで馬鹿馬鹿しい筋書きに乗ってきてしまったのだ。
「はぁ…」
ため息を漏らしながら胸ポケットから写真を取り出す。妹のルリの小学校の卒業式で撮った写真をしばらく眺める。
ブーブー
少しの安楽と不安を感じた直後に呼び出しのブザーが鳴り響く。
一番先にサンダースが立ち上がり俺たちに声をかける。
「お呼び出しだぜ。」
俺たちの兄貴分が言うのだから仕方がなく各々立ち上がりサンダースの後を追う。
宿営テントを出ると焚き火を囲う2人の女性と大柄な年配の男が立っていた。
「すまん。またせた」
サンダースが焚き火の前の3人に声をかける。
「いいえ私は全然構いませんよ」
肩でピッタリと揃ったサラサラなショートヘアに華奢で小柄な体つきの16歳ほどの少女が返す。おおよそこの場にはとても似つかわしくないこの人物はアルカネットと呼ばれている。詳細は不明だがどこかの工作員の類の教育を幼少から受けていたと言う情報である。感情が全く表に出ない上に目の奥に深海のような暗黒を纏った彼女は年上の俺にもどこか恐怖を感じてしまう。
「軍務経験が無いのに度胸だけは人一倍のバカ集団に期待するやつがあるか。」
アルカネットの隣に座る身長の高い女性は俺たちのような見様見真似の軍服の着こなしと違ってきちっとまとまり、隅々までアイロンでシワが伸ばされている。彼女はマリア。国は不明だが元々正規の職業軍人だった女で兵器と戦技に対する知識が豊富で最新の兵器の操作に至るまでしっかりと頭に入っている。風の噂では作戦遂行と成功のために現地の民間人を大量に戦火に巻き込んだ上に民間人ごと敵兵力を駆逐した立派な戦争犯罪者だと言われている。
「仲違いはよさんか。」
穏やかな口調で2人を諭す年配の男は口調とは裏腹に拳銃を2人にしっかりとむけている。この男がこの掃き溜めのような部隊の指揮官にして唯一の監視員である。アーノルドである。正規軍に所属しているようだが所属と階級は不明で目の色一つ変えずに残虐で過酷な任務を平然とこなすこちら側に来なかっただけで十分な危険人物である。
「私は協調性が欠落するのがどうも苦手なのだ。」
淡々と喋りながら拳銃のハンマーを下ろして軽く笑みを浮かべる。
サンダースとマリアがため息をつきながら向き直る。
「今回の話は何だ?」
サンダースが改まって聞く。
「君たちに仲間が増えるぞ?最高に優秀でイカれたヤツだ。嬉しいだろ?」
アーノルドが嘘くさい笑みを満面に浮かべる。
「また。ろくでなしが増えるのか…神はどれだけ試練を与えれば我をお救いになるのでしょう…」
ダンテが大袈裟な祈りの動作をして見せる。
「落ち込む事はないぞ?教祖様。何せ今回の新入りは優秀で真っ当で誠実にして従順な兵士…だがイカれているただそれだけだ!!」
アーノルドがニヤニヤと笑う。
「真っ当でイカれているとは…矛盾を孕む表現は的確で無い。寒気がするので私は好まない。」
ブレジネフが小声で文句をたれる。
「安心したまえサイコパスボーイ君の知識欲を深くくすぐる最高の仲間だ。それでは紹介しよう第二世代型人類モデルのロード・サピエンスこと、ダーウィンだ。詳細は不明と言う事で容赦してくれ?」
アーノルドの声に後ろの天幕からゴツゴツしたシルエットがなめらかで確かな二足歩行でこちらに向かってくる。焚き火の光に少しずつ晒されて姿を表していくそれは完全なロボットである。単眼の巨大ヘッドカメラが頭にあり胸には大層な装甲板に、腕の各所には複雑なシリンダーとリンクが組み合わさり細かく関節を再現している。
「…かわいい……」
物凄くか細い声でアルカネットがつぶやいた。
「おいおい。新入りってこのロボットが?」
サンダースが苦笑いする。
「もちろんそうだ。しかしただのロボットなんかでは無い。特殊な思考プログラムを有している最新の無人兵器だ。」
ブレジネフがロボットをまじまじと観察しながら言う。
「思考プログラム…と言う事はAIの類か?」
アーノルドは微妙な表情をしながら答える。
「おそらくそうだと思われる。私の民間軍事会社に実地試験とそれによる能力向上を依頼されたまでだ。こいつがAIなのか背中にチャックが付いているのか知らないがクライアント要望を満たすだけだ。」
「それじゃあこんな機密事項の塊みたいなものを我々に支給してくるなんて不自然すぎはしませんか?」
マリアがキッパリとした口調て質問する。
「それはこいつに死を収録させる目的があるからだ。」
アーノルドが平然と残酷な言葉を放った。アーノルド以外の全員が少し重たい表情を見せたのを見てアーノルドは満足そうに踵を返して行こうとしたが立ち止まり全員に向けて言う。
「あ…そうだ。明日ここから120km離れた位置にある小さな村が小?中規模のテロ組織に襲撃されると情報があった。君たちに村人の避難誘導とテロ組織の殲滅の依頼が入っている。敵部隊は恐らく15?20人程度だ。殺しに自信のある君たちなら朝飯前だろう?ダーウィンには既に戦闘データはインストールされているから作戦概要を口頭で言えば理解して遂行出来るだろう。武運を祈るよ?」
アーノルドが作戦概要を簡単に説明すると強烈な悪意を俺に向けてきた。
「もう一つ忘れていた。」
俺の顔面を物凄い勢いで殴りつけた。毎度のことだが全力で息を潜めていた今回でもあの男の憎悪は計り知れないらしい。
「何度も言うが、俺はこの世の中で赤い旗を掲げたことのある奴は許せない性分でね。ユウ君の事はいつも見ているからその時は覚悟してくれよ?」
アーノルドが悪意に満ちた笑みで俺を蔑んだが、脳に走る衝撃のせいで何も頭に入らなかった。
「おい。しっかりしろ」
低く太い声に起こされる。サンダースが地面に横たわる俺に声をかけてきた。よく見るとその横で全員が俺の顔を覗き込んでいた。
「あの男には品位が欠けているよ。きっと彼は悪魔の末裔に違いあるまい」
俺の首を優しく起こして立たせてくれたダンテが呆れた声音で話す。
「ありがとう…ダンテ」
礼を言いながらどうにか自力で立ち上がった。
「一撃で脳震盪を起こしたか…恐ろしい男だ。」
モスクワの元医師にして殺人鬼のプレジネフが少し手当てをしてくれたらしい。
「アンタだけ妙に嫌われているけど同じ部隊になった以上私たちは家族なんだがね。あの男は武人の心得が全く感じられないわ。」
マリアが周りに聞こえないように囁く。
「仕方ないさ…やってしまった事は消えない…どんな理由があろうとも…」
俺にとってはあれぐらいしてもらわないとここに居る自分の居場所を失う様な気がしてしまう部分もあり、償いのための苦しみであると納得せざるを得ないのだ。
ふと目線を上げると目の前に細い指に握り込まれたコップが現れ押しつけられる。
「どうぞ。」
アルカネットが無表情に水を差し出してくれた。
「すまない。アルカネット」
この部隊の全員がならず者の集まりとは信じられないくらいに暖かいのが俺の中では少し違和感でしかなかったが居心地が何となく良く思えてしまう自分もいた。
ガチャン!
俺たちの後ろで誰かが銃をコッキングする音が聞こえ、俺たちは各々驚き後ろを振り向くと、小銃を構えたダーウィンがいた。
「攻撃を確認しました。これより脅威の排除を遂行します危険ですので民間人は避難をお願いいたします。」
無機質でどこかで聞いたことのある機械音声で喋るダーウィンはアーノルドの宿営する天幕に向かって歩みを進めた。
「「ちょっと待て!!!!」」
全員が慌ててダーウィンを抑える。
「我々の脅威を排除します。これは自己判断に基づく行動ですのでお構いなく。あなた方はいつも通りの安心・安全な日常生活をお送りくださいませ。」
物凄い力に6人のならず者たちは引きずられるだけであった。
「おい!!ここのリーダーは俺だ攻撃を中止しろ。さもなければ貴様を殺すぞ!!」
サンダースが叫ぶとダーウィンがピタリと止まった。
「失礼いたしました。とんだ命令違反でありました。私としたことがつい…感情的になりすぎました。」
ダーウィンが銃をアンロードして手放す。
「そ…そうか…」
想像以上の聞き分けの良さにサンダースが困惑気味に返した。
「先程あなた方を味方であると登録したのですが、あなた方以外の人間に対して特に指定されていません。敵対した場合の判定はどのように判断すればよろしいですか?」
ダーウィンが小銃を下ろした腕を上げてサンダースに聞く。
「……俺たちが銃撃された時か、俺たちが殺せと指示した時とお前自身を危険に晒す人物だ。」
以外にも丁寧に説明するサンダース
「了解しました。プログラムに指定したします。」
あまりにも知能的な受け答えをするダーウィンに俺たちは少し関心した。
2話アルカネットと諜報活動
俺達は乗り心地が最悪な装甲車両に大量の武器と弾薬を積み込んでゆく。某国の砂漠地帯の日中は腹立たしいほどに暑い。
「クソ…これから死ににゆくのに俺たちの仕事を少しくらい減らしてくれたっていいだろ…」
悪態をつきながら俺たちの居住スペースが少しづつ減ってゆくのを見て気怠さが蒸し返す前に荷物を積み込む。
「ユウ。少しは我慢しろ俺だってもう溶けちまいそうだよ」
サンダースが苦笑いしながらも次々に荷物を運ぶ。
「お前本当に体強いよな。やばい薬売り込んでないで引っ越し屋でもやってれば真っ当に生きられたんじゃねぇか?」
サンダースはハハハと笑った。
「俺が真っ当な金稼ぎをするように見えるか?」
俺の方をバンバンと叩く。
「いいや。全くだな!」
俺も大きく笑った。
「そう言うお前こそ平和と協調性が大好きな日本人のくせにひねくれ者のテロリストだろうが。」
俺は思わず方をすくめる。
「やめてくれよ?俺には崇高な理念と思想とやらがあったんだよ…知ったこっちゃ無いけどな。」
2人のならず者は己の人生を嘲笑した。
「馬鹿話をしている暇があったら働け」
彼にしては珍しく汗だくの様子で俺たちの話を静止するブレジネフ。
「あいよ」
2人で返事をして荷物を取りに行こうとするとダガダガと乾いたエンジンの音が近づいてきた。
「私はそろそろ行く。」
俺たちの前に止まったのはサンドベージュに塗装されたオフロードバイクにどう考えても不釣り合いな体格のアルカネットだった。
その声を聞いて装甲車の点検をしていたマリアが車体の下から這い出て来た。
「気をつけなさいよ。平和な村だって情報だけどゲリラはどこからくるか分からないからね。貴方は強いけど何かあったらすぐ無線を入れるのよ?私がどこでも駆けつけてやるんだから。」
彼女の肩をぐっと掴むマリアはまるで初めて一人旅に出る娘を見送る母親のようであった。
「うん。」
アルカネットはこくっと頷く。
「まあ…俺たちもすぐに合流するから心配すんなよ」
サンダースが心強く声をかける。
「うん。いってくる。」
声とともに躊躇なくアクセルを煽って発進していったが、その後ろでタイヤが巻き上げた砂埃をモロに被ったブレジネフが文句言いたげに彼女の背中を見つめていたのは見なかった事にした。
「よし。嬢さんも出たし俺たちも中間地点に急ぐぞ!」
「「おう!!」」
俺達は声を揃えた。
乗り心地が最悪な装甲車両の中に鮨詰め状態で荷物と俺たちが揺られている。目的の村に入る前に待機地点として30キロ圏内にある廃墟群に装甲車両と補給物資を隠して作戦行動に出るのが今回の予定だが、90キロの不整地を永遠と荷物に押しつぶされながら走らなければならないので面倒である。
「皆さんは今までどんな職業をされていたのですか?」
足元にあるキューブ型の鉄の塊が機械音声で問いかける。どうやらダーウィンは輸送時には体を折りたたんで立方体に変形することが出来るようだ。
「……」
ダーウィンの言葉に答える者はいない。
「申し訳ございません。質問内容がよろしくなかったでしょうか?」
ダーウィンが少し考え込むような間を作る。
「本日の天気は快晴の気温37℃湿度15%人の適正な気候を考えたら少々居心地が良くないと考えられます。体調管理は万全でしょうか?」
「………」
次々に話題を振っては無視されるのを繰り返すダーウィン。
「黙れ!救われる魂を持たぬ者が我々救済を求める魂を持つ者と同等に接するなど神への冒涜に値する!!お前の声は我が魂を汚すのだ!!」
声をかけ続けるダーウィンにダンテは激昂する。
「魂?とはどんな物なのでしょう?私のデータベースでは人間のソフトウエアに値する思考の概念を司る物の総称と認識していますが、ソフトウエアが救済されることがあるのでしょうか?」
機械音声が淡々と聞き返す。
「うるさいぞ!!お前はこの世の断りを外れた存在なのだ!!黙っておけ!!」
発狂に近いレベルで激昂するダンテに苛立ったのかマリアが口を開く。
「そう思うなら相手にしなさんな。話したがりな機械みたいだから私が話をしてやろうか?」
マリアがダーウィンに声をかける。
「はい。それは嬉しいです、コミュニケーションは人間の職務環境においてとても重要な事項であると記録されておりますのでアプローチを試みましたが上手くいかず焦っているところでした。」
マリアがハハハと笑った。
「ロボットも焦ることがあるのかい!!お前本当に面白いね!!私は気に入ったよ!」
ダーウィンのボディーからピピピピっと機械音が鳴る気のせいなのか少し嬉しそうなリズムである。
「私も貴方のことが好きになりました。マリアさんとお呼びしてもよろしいですか?」
マリアは興味半分と楽しさ半分の表情で頷いた。
「好きに呼びなよ!ちなみに部隊のみんなのことも一応紹介してやるよ。何よりアンタは記憶してるだろうけどさ。」
箱型だったダーウィンが頭であるメインカメラだけを出してマリアの指を追った。
「この運転手が隊長のサンダースだ。」
サンダースがハンドルを握る手を片方離して軽く手を上げる。
「サンダースさん…記憶いたします。」
次に屋根を突き抜けた機銃座を指差して言う。
「そこで機銃席に座ってるのがブレジネフこの部隊では一応軍医だよ」
ダーウィンがメインカメラで機銃座の方向を見る。
「ブレジネフさん…記憶しました。」
マリアが俺の方向を指差す
「でこのイカれ日本人がユウだ。」
「彼はイカれているのですか?」
マリアはにっこり笑った。
「国家に反逆するくらいにはイカたシスコンだよ」
悪意に満ちたマリアの紹介に口を挟む
「おい。」
ダーウィンのカメラが真っ直ぐ俺を写す
「ユウさん。シスコンという補足情報を追記します。」
「おいい!!」
マリアがワハハハと腹を抱える。
「マリア…間違ってないけど言い方ってもんがあるだろ!!」
俺はマリアに言い返す。
「間違ってないなら悪い方で解釈してもらった方が失う者がないじゃない!」
この女はいつか必ず何かの恥ずかしめを受けさせてやると心に誓う。
「そんなこんなでそこで聖書読んでるのかダンテ。アンタのことにちょっと抵抗あるみたいだからしばらくほっといてやりなさいな。」
ダンテが軽くダーウィンを睨む。
「了解いたしました。彼と私の関係を深めるには深刻な問題があると記録いたします。」
ダンテの小さな舌打ちが聞こえた。
バイクを飛ばすこと5時間。少しずつ標高が上がり、先程の暑さが和らぎ次第に寒さに変わりつつある。ここまで標高が上がると気候が変わり周辺には黒い岩肌と交互に木々が群生している。バイクを止めて地図を開きコンパスを当てる。
「ここでいいか。」
最低限の荷物を回収してバイクを寝かせた後に、ナイフを出して木の枝を何本か切り落としてバイクにかぶせて偽装する。砂色の迷彩コートを脱ぐと簡易的でラフな格好が現れる。
「よし。」
アルカネットは歩き出してした。
ランツは畑仕事を淡々こなしていた。毎日の土と植物を睨む生活には飽き飽きしてしまいそうだが、これで飯が食えるのだから悪くはない。
「はあ・・・」
他の低地の民族は放牧をしながら砂漠をさまよって生活しているのだから自分は恵まれた方である。毎日芋のツルを眺めて土をいじるだけで毎月の楽しみである欧州産の美味いビールが飲めるのだから文句は無い。
「すみません・・・」
本当にこの生活には不満も満足もない生活だ。
「すみません?」
考えごとに没頭してしまって話かけられている事に気づけなかった。
「ん?なんだい」
顔を上げて驚いた。流暢な現地語だったため村の誰かだと思っていたが、全く知らない色白の女だった。長い髪を揺らしながら俺に声をかけてきた。
「ああ・・・お邪魔でしたか?」
女が俺の反応を伺う。
「いいや・・・あんたは誰だ?」
俺は女の小奇麗な身なりと高級そうなカメラを一瞥した。
「私はイギリスから来ましたジャーナリストをしているものです。この辺の高山地帯で農村を営む民族が生活していると聞きまして取材に参りました。」
女は上品なしぐさで話しかける。
「そうかい。俺からはなんも言うことはないぞ。」
面倒な外国人の世話を焼く気なんてなかったのでさっさとあしらってしまおうと思ったが女が後ろに背負っていたバックパックを下して何やらゴソゴソとあさりこちらに差し出す。
「まあ。そういわずにどうですか?」
女の細い指の中には欧州産の高級タバコが握られている。
「・・・そういうなら。」
久しぶりの上物に少し心が踊った。
「ええ。ありがとうございます。」
女がニコっと笑った。
「火あるか?」
俺の言葉とほぼ同時に俺の前にライターが現れて女の細い指先がフリントホイールを回した。
「おう。」
タバコを加えてそのまま火をつける。タバコの着香と女の香水と何か甘い匂いが漂い俺は少し高揚した。
「で何の取材なんだ?」
俺の様子をニコニコと見守る女が答えた。
「ええ。皆さんの暮らしぶりとこの村の詳しい概要を知れたらいいと思いますね。」
俺は海外製タバコの濃厚な香りを味わいながら女に教えた。
「俺たちの暮らしは基本農家だよ。今は芋を作って近くの村や町に売りに出して何となく退屈な暮らしをしているだけだ。」
女は手帳にメモを取る素振りを見せるがあまり俺の言葉を書き込んでないように見えた。
「へぇ…なるほどね?」
少しわざとらしい女の相槌。
「下調べ済みってところかな?」
俺は煙を吐き女に聞く。
「まあ…ごめんなさいね。じゃあこの村はかなり昔から?」
俺はタバコの煙が流れて行く様子を見て少し皮肉をこぼす。
「アンタらの軍が昔作らせた集落さ…炭鉱を掘るための人手として周辺の住人を雇ったとかで集まって、石炭の需要が無くなったから細々と農業してる。」
女は少し微妙な顔をしたがすぐに答える。
「あなた私の国が嫌い?」
タバコの灰がポトリと足元に落ちる。
「さあ…アンタらの軍は昔結構俺たちの先祖を虐げたみたいだけど、俺にはよくわからない。ただ今の俺達の暮らしがあるのはこの上の湖から水路を引いて建物を立てた奴らのおかげなのはどんなに拒否しても事実なんだ。感情と現実では評価は大きく二分されるんだよ。」
俺は地面に落ちて燻るタバコの火を見つめて答えた。
「あなたは中々教養があるのね。家族が強いのかしら?」
女は意地悪い質問を投げかける。
「ああ…一応この村の村長は俺の親父だ。だからこんなクソ広い畑を毎日見なきゃいけないし、村の奴らの世話は見なければならない…本当にいい暮らしだよ…呆れるくらいに。」
女は俺の皮肉に微笑んだ。
「あなたは意外と大きな街で暮らしてた方が幸せなのかもね。例えばロンドンとか」
女の性格は明らかに悪いのは確かだが意図的に俺の感情を逆撫でしないギリギリのところで挑発をするような口調でありまるで俺の心の全てを見透かしているような感覚に陥り俺は女の手元から半分無理やりタバコを抜き取った。
「追加料金だ。」
女はフフっと笑ってライターを差し出した。
「俺の話はいいだろ。村の話をしろよ。」
女はそっと後ろを振り向き山の麓の方を見下ろした。
「この下の人達とは仲良くやれているの?」
俺はフリントホイールを回してライターを付けて答えた。
「一応な。農作物は喜ばれるし街から物売りは結構来る。」
女は俺の方に向き直り囁くように言う。
「例えば武装組織とかとも?」
俺は一瞬答えに戸惑った。
「ここから少し離れた地域で大きな過激武装組織が米国の攻撃に晒されて壊滅状態になった事は有名な時事ニュースだわ。でも、壊滅的とはいえ猛獣の一番危険な瞬間は死を迎えるその時とも言うわよね…あなたの村は大丈夫なのかしら?」
俺は新しいダバコの香りを味わいながら少し冷静になって答えた。
「俺の親父は戦いを好まない。もしここに来たとしたら中立的な立場を取れるように交渉するはずだ。」
女は俺に笑いかけた。
「素晴らしいお父様ね!貴方が教養が深いのもとても納得できるわ…少しこの村が好きになった気がするわ」
女は素直に感心したような態度を表した。
「そうかい。」
俺はなんなく相槌を打った。
「ところで貴方のことも知りたいわ。農業以外には何かやる事はあるの?」
女は手帳になにやら書き込んでから聞いてきた。
「他にやる事と言うと…音楽は好きだな。」
俺はいつもの趣味を答える。
「ふーん。聞く方?」
俺は少し間を置いて答えた。
「いや…弾く方だな。」
女は手帳を仕舞って俺の方を見つめた。
「なんの楽器?」
「ギターだよ。」
女は意外そうにこちらを見た。
「この辺じゃ珍しいだろ?なかなか手に入らなかったんだけどな…ここに来たアメリカ人から引き取ったのさ。」
煙を肺まで吸い込むと深く吐き出した。
「何故ギターを始めたの?」
女は俺の心の動きに敏感だ。
「まあ…俺にギターをくれた奴の影響さ。そいつの演奏が好きになってしまったから始めただけの話だよ。」
女は微笑んだ。
「憧れってやつね…あなたが羨ましいわ。私は何かに憧れる事も望む事も無く流れるようにここにいる。貴方みたいに目指す場所があればきっと私も私自身を生きて行くことが出来たのでしょうね。」
この女は初めて自分の本心的な部分で話をしているような気がして、俺は少し笑顔を見せた。
「なら…俺たちの家族と夕食を食べないか?村長と話ができるしお前にもいい話だろ!俺の演奏…上手くできるか知らないけど聞かせてやるよ!」
俺は少しだけ心が躍った。
「ええ…ぜひ」
アルカネットは細い水路沿いをひたすら歩いた。背中に食い込む背嚢の中には点火装置と大量の爆薬。村の人間には気づかれていないだろうが、できる限り隠密に動かなければならなかった。
「…」
ただ無言の内にひたすら歩いた。目指すのはこの村に水路を敷いている水門のある場所である。地形と地質的な問題で水が枯渇しやすいこの地域では山の上にある湖から水を引いて来なければならない。つまり村の心臓とは即ち水門のことである。水門の一部を破壊して水の流れを変える事で、昔の炭鉱施設で水車の動力としていた水路に大量に水を送り込む事で、村の生活用水は一括に停止させることができる。
残酷な作戦をアルカネットは淡々と進行させていた。感情を殺してただ前に歩くのみである。
女は空が赤くなり始めたときに我が家に到着した。
「歓迎するよ。わざわざ遠方から来てくれたのだ。ゆっくりして行きなさい」
俺の親父は女を快く出迎えていた。
「ありがとうございます。とても良い村で私も気に入ってしまいましたよ。」
俺の親父は嬉しそうに笑う、
「そうでしたか。夕食も出来てますから沢山食べて行ってください。」
女は父親に案内されながら家に上がっていった。
「はいどうぞ」
夕食の準備を済ませていた母親が女に器を渡した、
「せっかくなのでここで作った芋を使ってますのでゆっくり食べてくださいね?。」
芋と羊の肉のスープにパンといういつも通り無難で質素な食事だ。
「どうだい?美味いか?」
少しずつスープとパンを食べる女に聞く。
「そうね。最近はあまりいい食事ができなかったから美味しいわね。」
女は微笑んだ。その後も俺たちの家族と女は様々な話を交わした。女の故郷の国の事から、俺たちの日常と苦楽を赤裸々に語ったり欧州の政治・文化に記者の苦労まで新鮮な話も多く俺たち家族は各々楽しみ宴は終わった。
ひと段落した家の中から女がそっと外に出て行ったのを見て何となく俺も外に出てみた。
「やっぱりこの地域は星が綺麗ね。」
首を大きく上に向けた女が言う。
「そうか?俺はこの星しか見たことが無い。」
俺は視線を少し上に向けて見た。
「私の国はもっと空が狭いのよ。次回は高層ビルが遮り、星々は街灯のにじんだ光が消してしまう。」
俺は今更になって疑問も不満も抱くのとの無い空をいつの間にか見上げていた。
「星は好きなのか?」
女は空を見上げる横顔を少し緩ませて答えた。
「もうすぐ私もあちら側になる…からよ」
女は俺にだけ聞こえるくらいの呟きを漏らした。
「どういう意味だ?」
俺はあまり理解ができなかった。
「何でもいいわ。ギター…聞かせてちょうだい」
女は俺に向き直り微笑んだ。
「おう。」
家に戻り俺はギターを取りに行った。急いで戻ると女はまだ星を見上げていたその背中はとても一端の記者には思えなかった。
「よし。いいぞ」
俺はボロボロのギターを構えた。
「期待してるわよ」
俺は頭の中にある数少ない曲のうち一つを選んだ。このギターの持ち主が一番よく弾いていた曲だ。
ピックに指を添えて演奏を始めた。ギターの音色が星々に反響するように俺は夢中で曲を弾き彼女は聞き入っていた。
「let it beじゃない。私の国の曲に合わせてくれたのかしら?」
演奏が終わった俺に女は拍手をしなが聞いてきた。
「そうか…この曲はそんな名前だったのか。俺にギターを教えてくれた人が好きだった曲だ。」
女は少し笑った。
「フフ…知らずに弾いてたのね。でも素晴らしかったわ。Let it be…ありのままとかなるがままにと言う意味なのよ」
俺は手のひらのピックを見つめた。
「そうか…知らなかったな。」
女はそっと闇の先の麓を見て言った。
「あなたの演奏は素晴らしかったわ。ギターが本当に好きなのね…いつか故郷のイギリスに来て見てほしいわ。貴方にとって素晴らしい経験ができるはずよ」
俺はピックを握りしめていた。
「このギターをくれた奴はもうここには居ない。旅の末にこの村で力尽きた男だったよ彼の演奏は心から好きだったし憧れた。ただかっこよかったんだよ、言葉以上に演奏で語れる彼の姿が強烈に焼き付いて離れないんだ…俺はアイツがどこに居ても聞こえるように演奏したいだけなんだ…」
女は少し息を吐いた。
「星に願いを…」
「あなたは危険性を理解されていますか?」
女の声。
「いえ…ですから彼らとは時折交流があるので交渉の余地はあるんですよ。」
村長の声
「ええ…でも今は状況が違いますよ。ジャーナリストとして血肉たる貴重な情報をあなた方にリークしているのですよ?」
女の声
「わかっている。貴方がこの地方に理解が深くて情報収集の精度が高い事は理解していますが我々は彼らとは中立的な関係にあると判断している。」
村長の声
「この村の自活可能な水源・食糧・簡易要塞にできる炭鉱施設の跡が、米国による掃討作戦の残存勢力にとってどれだけ貴重なものが理解しいますか?」
女の声
「ええだから、彼らとは村の資源を天秤に平等に交渉するつもりで…」
村長の声
「それでは米国を敵にしかねませんよ…それにあの組織は残存兵とはいえこの村の戦力では交渉するより略奪した方が合理的である事は分かりきっています…」
女の声。
「ええ。だから彼の出身民族とは昔から交流があるから話ができるはずですよ。」
村長の声。
「…そうですか…この地域の情報を総括して判断した結果の話ですのでこれ以上の口出しは控えておきます…でも皆さん…本当にお気をつけてください…一旅人の私は傍観する事しかできないので後悔の無いようこれだけは言いわせて頂きます。おやすみなさい」
ドア越しに聞こえた緊迫した女の声に俺はどこか冷たく不気味な雰囲気を感じていた。女は2日ほど滞在した後にこの村のを後にした。どうやら砂漠地帯の遊牧民族に取材に行くと言っていた。それから二週間の時が経ち突如水門が爆破された。村にいた元民兵の老人によると即席で作成された爆薬を使った破壊工作であるらしく、大きな軍事組織の犯行ではなく確実に小規模な民間・民族クラスの組織の仕業である事は明白らしい。俺たちは恐怖と生活を大きく脅かされる事への怒りに苛まれたが武器を持たない俺たちにはどうする事も出来ない事実に村中は静まり返っていた。
本当に嫌な気分である。彼らの息の根を止めるように水門を爆破した私は村の最寄りの山林に身を潜めていた。
「…」
ここに私が居る事でまた誰かが死に、誰かが笑うのだ。
「アーノルド大佐…これで私の生きる意味は成就するのでしょうか?」
何もない空に声をかけたが返事はない。
「ここで私は罪なき人を戦わせただ生きることに今はあるのでしょうか?」
何もない森はただ沈黙を返すばかりで私を救う言葉をかける事などない。
私はあの男の野望を叶えるためのコマでしか無いのにコマでいる事でしか自分の存在を証明できないのだ。
「let it be…なすがまま…あるがまま…」
耳に新しいギターの音色が私を霞ませた。
「はあ…」
少し息を吐くと遠くの方からエンジンの音が聞こえてきた。
「私も星にならなければ………let it be…放っておいて。」
呟き歩き出した。
「皆さんの出身地を教えてください。」
暇になるとすぐに何でも聞いてくる饒舌な金属は今日も絶好調に俺たちを質問攻めにしていた。
「俺たちにいまさら関係ない話だ。」
サンダースがキッパリと言い切る。
「本当に…祖国なんて私たちの口から言えるほど軽くはないわ!」
マリアが自嘲した。
「それよりもお前ロボなんだから武装とか無いのかよ?」
俺が何となく聞いてみた。
「武装と言いますと、支給された5.56mm×45NATO弾のライフルがございます。HK416のACOGサイト装備の物と認識しております。正直私の場合カメラで位置を補足できるのでACOGサイトは必要ないと感じています。」
俺は少し苦笑いした。
「それは俺たちも持ってる。なんか体の中に無いのかよ、腕にガトリングとかメインカメラからレーザービームとか背中に追尾型ミサイルみたいな…背中にジェットとかでも良いかも…」
ダーウィンは少し首を傾げるようなドアさをした後に答える。
「いいえ私の中に直接搭載された装備は特にございません。ガトリングを仕込むにしても弾薬を格納するスペースが取れませんし、レーザービームも私のバッテリーがダウンするので不可能でしょうしミサイルの装備品類は新設計で賄う必要があるので費用対効果の面で装備はされないと思います。」
俺は少しガッカリした気持ちで答えた。
「そうか…まあわかった。なんかロボット物のアニメなんかじゃ至る所に武装が仕込まれててそこからバリバリ敵を倒してく…みたいなのやってたのにな。」
マリアがハハと笑いながら話に割り込む。
「本当に日本人はロボットが好きね。でも私の立場からも戦術的な武装は欲しかったところね、じゃあ身体能力みたいなところで私たちよりも動けるとか無いの?」
ダーウィンが再び何かを考えるように首を傾げる動作をした後に答える。
「私の身体能力はあくまで人間ベースですから大きく変化はありません。走る速度は最高で15キロ程度でありますが、物を持ち上げる能力は300kg程度までは持ち上がる設計になってます。体重が役150キロなのでパワーはあってもそう俊敏には動けません。」
マリアは不思議そうな顔をした。
「なんだか少し変よね。戦闘に出れるロボットを開発しているなら人間よりも身体能力が高い方が有利なのにそれをやって無いように思えるわね。」