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第六話「辺境」

 北国の大地はゆっくりと春が訪れる。野辺(のべ)に残る僅かな雪を避ける様に小さな野の花が咲き出した頃、ルーナは病の床を上げた。


 ソレイユ辺境伯邸で暮らし始めてからのルーナは、それまでのブロッド侯爵邸での暮らしとは何もかもが違っていて、同じ貴族でもこうも違うのかと驚いたものだ。

 メイドや家令、料理人や雑役夫までもが皆親しげに挨拶をし話し掛けてもくれる。今まで自分の笑顔の行き場さえ失っていた生活が、笑顔を交わし合う生活へと変わった。


 もちろんルーナの心の病は直ぐに癒されるものではない。何でもない時に急に緊張感に襲われたり、記憶に息を塞がれたりもする。不安は常に付き纏いベッドから抜け出せない日が続く事もあった。

 それでも時間は最高の良薬と言うのは本当で、ゆっくりとだがルーナの病は快復へと向かっていった。


 ところでルーナ自身も気がつかなかった事だが、ブロッド侯爵邸での虐待の他に病の原因となっていたものがある。

 それは父親の死であった。ソレイユが戦友であったルーナの父との話を始めると、決まって体調を崩してしまうのだ。つまりルーナは未だに父親の死を、受け入れられないままでいたと言う事なのだろう。


 その事が発覚して以来はソレイユもオリガも、ルーナの父に関する話題は避ける様にしていたのだが──


「オジサマ、お父さんが魔人と戦った時の話を聞かせてくれませんか?」


 その日初めてルーナから父親の、それも勇者であった時の話を聞きたいとねだられたのだ。

 ソレイユは正直当惑してしまった。だから思わず「大丈夫なのか?」と訊き返してしまう。しかしルーナは瞳を揺らしながらも真っ直ぐに「はい」と答えた。


 ルーナはルーナなりに前へ進もうと一生懸命だったのだ。若い生命は時に過酷な試練を自らに与える。きっと乗り越えられるはずだと、その自分を信じて──



 そして今、春が訪れた。


「わあオジサマ、すごいご馳走ですね」


「今日はルーナの床払いの祝いだからね」


 豪華な食事に驚いて見せるルーナも、体調の良い日にはソレイユやオリガと共に食卓を囲む事もあった様である。

 言うまでもないが、ブロッド侯爵邸での味の分からぬ様な緊張したものではない。気安い楽しい食卓だ。だが今日みたいな晩餐会は、ルーナにとっては初体験であった。


「ちゃんとマナー通りに出きるかな」


 少し不安な顔をしたルーナに、ソレイユは心配ないと微笑む。


「美味しく食べるのが一番のマナーだよ。それに晩餐会とは言っても出席者は全員身内だから、気楽に楽しもう」


 今日はソレイユの直臣(じきしん)の騎士や、近隣領の親しい軍閥貴族たちも招待してある。ルーナにとっても面識のある人たちであったので、素直にソレイユの言葉に頷く事が出来た。


「ところでルーナ、そのドレスはとても良く似合っているね」


 それはオリガが見立ててくれた薄桃色のドレスで、裾に花柄の刺繍が散りばめられている可憐なものだ。


「ほんとですかオジサマ? 私には少し大人っぽい気がしてたんですけど」


 この年頃の娘は蝶が羽化する様に、突如として美しくなる事があると聞く。健康的に体重も増え、農夫の娘だった頃の日焼けした肌が本来の白さを取戻し輝いている。

 その素朴で愛らしい様は、平凡と言う言葉だけではもはや名状し難い。


「もちろん本当だとも! ご覧よ、若い紳士諸君が君を見て、あんなに胸を高鳴らせているじゃないか」


 しかしルーナはその称賛に顔を曇らせてしまう。ソレイユとしては率直に褒めたつもりであったのだが、「若い男の人は……怖いです」と口籠ったルーナの心情を察し、すぐに後悔を覚えた。


(ダミアンか──)


 心の中でそう舌打ちをしたソレイユは、この時はじめて自分の感情が怒りだけではなく、強い憎しみをもダミアンに抱いている事に気がついた。



 宴が盛上るにつれ、人々の話題は昨年の魔人災害一色となっていったようだ。

 ここ北方地方は王国内で最も被害が大きかった土地である。一番の関心事に話題が集まっていくのは当然と言えよう。


 ルーナはちらほらと届いてくる勇者を称えた会話を耳にしながらも、それが自分の父親の話だという実感が持てずにいる。

 それより魔人災害について、自分が何も知らなかった事を強く恥じていた。聞けば聞くほどその悲惨さへの驚愕が止まらない。


 膨大な死傷者の数、住む家を失くした人々の苦難、農地の八割が魔人の瘴気により不毛と化した絶望。

 そんな残酷な現実の中でもこの地方の人たちが、貴族と平民一丸となって復興に取り組む熱意に胸が熱くなる。


(私、何にも知らなかったんだな)


 確かに知らされていなかったのも事実だ。ブロッド侯爵邸で隔離される様に生活していたルーナなのである。

 しかもブロッド侯爵領では魔人の被害が殆ど無く、文字通り他人事の雑談として話題に(のぼ)るのが関の山であった。


(だけど、知ろうと思えば知る事はできたはずだわ……私はいつの間にか災害を、また他人事にしてしまっていたんだ)


 不意にルーナは思い出す。幾度となく夢でみた、父親が勇者として旅立ってしまったあの日の光景を。


『駄目だぞルーナ、災害を他人事の様に言っては駄目だ──』


 その時お父さんは確かにそう言っていたと、ルーナは眉を寄せ唇を噛んだ。


「どうしたルーナ? 具合でも悪くなってしまったかい?」


 少し苦し気に喘いでいるルーナを心配したのだろう、ソレイユは杯を傾ける手を止めてその体調を案じたようだ。

 するとルーナは首を横に振り大丈夫ですと答えたが、険しい顔はそのままだった。


「大丈夫そうには見えないな、部屋で休んだ方がいいよ?」


 尚もそう心配してくれるソレイユに、ルーナの心は痛んだ。今は優しくされるのさえ心苦しい。


──だって私はオジサマの家でずっと生活していたと言うのに、魔人災害について一度も本気で心配した事が無かったんだもの。


 それが恥ずかしくもあり、申し訳なくもあった。だからこそ……


「オジサマにお願いがあります」


 思いがけず真剣なルーナの視線とぶつかったソレイユは、一体何事であろうかと息を呑んだ。


「私をオジサマと一緒に被災地へ連れて行って欲しいんです。復興のお手伝いを私にもさせて下さい」


「ルーナ……」


 それはある意味では至極当たり前の感情なのだろう。困っている人を前にして見てみぬふりをすると言うのは、意外と難しいものだから。

 しかもここは紛れもなく被災地で、その当事者たちの言葉一つ一つが否応なしに心に突き刺さってもくる。


 ルーナの心情を理解したソレイユはしばらく黙考した後に、「うん、いいよ」と答えた。


「ありがとうございます!」


 頬を紅潮させ喜ぶルーナに、今度はソレイユが真剣な眼差しを向ける番だった。


「だけど、難しい仕事になることは覚悟しておくんだよ」


 ルーナは素直に「はい!」と頷いた。しかしその覚悟の意味を自分は全然分かっていなかったのだと、(のち)に痛感する事となるのであった。



 晩餐会のあった日から二日後、ソレイユとオリガ、それにルーナの三人は領内被災地の視察へと向かって馬車を走らせていた。

 ルーナは初めて見るその雄大な景色に、我を忘れて興奮している。


「すごいです! どこまでも農地が広がっていて、こんなの私見たことありません」


 それもそのはずで、ルーナは山間部の小さな農地を耕して暮らす農民であった。ゆえに王国有数の穀倉地帯であるこの土地の景色が、まるで別世界のように映ったとしても不思議ではない。


「そんなに興奮してはいけませんよルーナ様。まだ病み上がりだという事をお忘れなく」


「そうでした、ごめんなさい」


 横に座るオリガに(たしな)められたルーナは、車窓から乗り出した身体を慌てて元に戻す。


(そう言えば前にオジサマが仰っていたけれど、御領地には一面の麦畑が広がっていると聞いたことがあったわ)


 麦畑なら昨年の秋には種を蒔き、今頃は青々とした穂が揺れているはずだ。しかしこの土地は黒い土がいまだ剥き出しのままになっている。

 ならこの農地では何を育てるのかしらと、ルーナはソレイユに訊いてみた。


「いや、ここがその麦畑だよ」


 一瞬からかわれているのかと思ったルーナはお返しにと軽く睨むのだけれど、ソレイユは至って真面目な様子で話しを続けるのであった。


「魔人の瘴気でね、この土地は死んでしまったんだ」

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