無理張り手
都内のレコードショップを駆け回り、最後の望みである場所へ辿りついた。
化粧の取れかかったSAYAKAが見つけたCDは、数秒の差でトシヤの手に収まった。
放心している間に、八枚重ね持っていたCDの会計が済んだ。
人込みに溶け込もうとした時、SAYAKAは背中に“待って”と声をかけた。
「知り合い、だっけ?」
調った濃い眉が上向いたトシヤは、惚けたふりして記憶を呼び戻していた。
「違うの、あたしにはあなたの持っているものが必要なの」
放たれる息が荒い。今にもCDの収まった手提げ袋に飛び付きそうだった。
「わけがわからないんだけど……」
「歩きながら聞いて」
解けた靴紐を結ぶぐらいの間、立ち止まっただけで歩道に渋滞が出来た。
肩を並べて歩くわけには行かず、トシヤはカニに近い姿勢で歩く羽目になった。
「で、話って?」
「今日、あなたが買ったゴンヤのCDを持っていなくちゃいけないの。お願だから譲って」
修道女のように手を組み、目を細めてまで懇願してきたSAYAKAに対し、唸るだけだった。
「他にも買っているみたいだし、ゴンヤは次の機会に聞くってわけにはいかない?」
トシヤはスクランブル交差点で立ち止まり、首を回した。
「このCDは貴重なんだよ。レコード盤が壊れちゃって、やっと手に入れたんだから」
俺のフェイバリットソングが何曲も入っているんだと得意気に言っているのを軽く無視したSAYAKAは、
「どうしても無理なの?」
と念を押した。信号が青になり、横断歩道を渡るのではなく、脇道に進んだ。人込みが嘘のように緩和された。
声のボリューム調整まで気が回らなかった。執拗な態度は女泣かせの男として映った。
「条件が二つある、それをクリアすれば、譲ってあげるよ」
「本当に?」
SAYAKAの目に輝きが蘇った。
「本当だ。一つは、部屋でCDを聞かせてくれ。もう一つはなんでひっしこいてゴンヤが聞きたいのか。君みたいな女の子が好んで聴く音楽ではないと思うんだけど」
プラスティックケースにひっついている帯びにはワールド音楽の最高峰と記載されているが、少なくとも都内界隈ではマイナーだった。
「わかった。どっちもOKだから。何で必要なのかなんだけど」
そう言うと、携帯電話を開いた。着信はない。
「今日は彼氏の誕生日でね。彼氏がお勧めで買ってきてくれたCDで、イベントがあると必ず聞いているの。でも、朝になかったから探してて、布団の下にもぐりこんでいて、踏んじゃったの」
ハンドバックを手繰り寄せ、半月板となったCDを見せた。
「ないと怒られるってことか」
「割れたなんて絶対に言えない……」
レーザー感知する裏面に反射した太陽光がトシヤの頬を掠める。
「じゃあ、一時間だけここで待っていてくれ。急いでCDやいてくるから」
「待てないよ。あたしも行くから」
「話聞いたら彼氏泣くぞ」
「ちゃんと説明すればわかってくれるんだから」
「でも、説明は出来ないんだろ?」
「イジワル、早く案内して!」
気迫になすがままとなったトシヤは、明治通りを進み、原宿の路地に入った。個人経営をしているアパレル店の連なりを通り過ぎ、スプレーでポップアートを表現した壁画を持つ建物の近く。
立地条件が良かっただけで、トシヤの暮らすワンルームのアパートは老朽化していた。錆びた階段で二階へ上がり、表札の文字がすべて消えた場所が玄関、ドアを開け、むさい空気が凝縮された状態で外に逃げて来た。家具全体に埃がかっていてくすんで見える。灰皿には、炭酸の抜けた発泡酒に吸殻が浮いている。台所の食器は洗浄されず放置されたままだ。
「これでよく臭わないな」
SAYAKAは小さな声で呟いた。チャダン香が染みついている。
「ん? 何か言った?」
CDを包装しているビニールを破くのに苦戦しながら問うてきた。
「何でもないから、早くして」
やっとの思いでセッティングしたトシヤは、並んで座った。
携帯から着うたが鳴り響いた。
「あっ、彼氏だ」
着信表示されている名前をチラッと見たトシヤは思わず仰け反った。その姿でびっくりしたSAYAKAは切りボタンを押してしまった。
「あっ! もう、脅かすから」
掛け直そうとしたSAYAKAは、目が左右に泳いでいるトシヤを見て手を止めた。
「チョウソカブナオトって……君の彼氏??」
「そうだけど、またきた」
ちゃんと出たSAYAKAは、本当にごめんねで挨拶し、これでもかというぐらい謝った。
「何それ!」
髪の毛を掻きあげ、そのままキープした。
「今日は、会えないってこと?」
声がどんどん小さくなっていく。電話を切る頃には涙声だった。
「おい、大丈夫?」
「もう、ドタキャンされた」
携帯電話を雑に放った先にはレコードプレーヤーがあった。トシヤは間一髪で右手に触れ、軌道がずれた携帯電話との衝突は免れた。
「ふぅ〜」
「最悪なんだけど」
虚ろな目、半開きの唇をしたSAYAKAは、ベットに身を投げた。埃が舞うと共に、スカートが捲れ、真っ白なふとももの半分までが露わになった。
トシヤは気がつかれないように唾を飲み込み、視線を逸らした。
「あのさ」
上半身だけを起こし、頬を膨らました。
「な〜に〜」
気だるいオーラを振りまいた。
「君の彼氏って、俺が専門学校時代に仲良かった奴だよ」
「んっ、本当に? でも彼氏は大卒なんだけど」
「否、しばらく会ってはいなかったけど、間違いないよ。チョウソカブナオトなんて名前滅多に居ないしさ」
そう言って、年齢から特徴まで説明し、二人の情報に不整合な部分はなかった。
「信じらんない……学歴、嘘付いていたの」
トシヤは腕を組んだ。
「ドタキャンしたのも急な仕事じゃないのかも……」
「わからなけどさ、実はゴンヤを進めたのは俺なんだ」
「ウソ! だって自分が発掘したアーティストだって言っていたし」
「うーん、別に俺はかまわないけど、本当の話だよ」
SAYAKAは何度も彼氏の番号を表示させ、電話するのをためらっていた。
「今日は諦めなよ」
男はしつこいと逃げるんだと優しく声をかけ、プレーヤーを見やった。録音完了にはまだ時間がかかった。両手を顔に当て、黙ったままのSAYAKAを凝視していた。
「なんなら、泊まっていけば良いよ」
SAYAKAの体は微動した。トシヤは薄ら笑いを浮かべていた。
「よかったら、俺達内緒で付き合っちゃうか?」
「無理! 無理! 無理」
言葉のリズムに合わせて張り手を食らったトシヤは、いつの間にか玄関の外まで押し出されていた。
部屋の中ではゴンヤの演奏する大地の鳴き声に似た音楽が流れていた。