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「おまえの名前、まだ聞いてなかったな?」
江姫が好奇心をのぞかせて舞子に聞いてきた。
引佐に乗ってひとしきり走った後、二人はなだらかな野原に並んで腰を下ろし、一休みしていた。引佐は離れた所で草を食んでおり、少し遠くにあの安土城の天主閣が見えた。
「あの…若田舞子と言います。江姫様」
「江でいいぞ」
「あ、はい…あの、やはり時の花びらの回収に協力してもらうのは難しいのでしょうか?」
江姫は少し辛そうな顔になった。
「おまえたちに言ったことが屁理屈なのは自分でもわかっている」
江姫の手が自分の胸に押し当てられた。
「でも、どうしても心が言うことを聞かないのだ。何かを取られることをいやがる思う、この心が。母上たちを亡くしたあの戦いの時からずっと」
それが賤ヶ岳の戦いを指すのだと舞子にはわかった。
「自分でもよくわからなくってな。どうしてこうも意地になってしまうのか。この城の者たちに反発することにしてもそうだ」
江姫は抱えた両膝にこつん、と頭をぶつけた。
「時々、情けなくなる。茶々姉さまたちは悲しみを越え、前を向いて進んでいるのに私はそんなふうに振る舞えない。浅井三姉妹の恥と言われて当然なのだ」
「そんな」
「仇の秀吉が治める城の生活にさっさとなじんでいった姉さまたちを薄情だと感じたこともあった。けれど、本当は姉さまたちの方が正しいんだと思う。武家の娘として。きっと茶々姉さまと初姉さまはこの先も立派にやっていくのだろうな。自分の心を思うようにできない私なんかと違って」
うつむいたせいでおかっぱ部分の髪が頬にかかり、江姫の表情は見えない。
「でも、茶々姫は…」
そこまで言いかけて舞子は口をつぐんだ。茶々姫が大坂夏の陣で命を落とすことを江姫に知られてはならない。
江姫が顔を上げる。
「茶々姉さまがどうした?」
「いえっ。何でもないです」
舞子はいたたまれない気持ちになった。
賤ヶ岳の戦い。豊臣家の滅亡。
予習の際、いつものように高校で習う範囲までチェックした日本史上の重要な出来事。これらはそれまでの舞子にとって、ただの覚えるべき記号のようなものだった。だが、その記号の裏には傷つき、辛い思いをして歴史を生きた人たちがいたのだ。今、隣にいる江姫もそうだった。しかし、それに気がついた所で江姫にどう声をかけたらいいのか、舞子はまったくわからなかった。この答えは教科書や参考書には載っていない。
「不幸な身の上話は終わったかねえ?」