龍
凍りついたドラゴンの首は強固な龍鱗をも脆くしたようだ。拘束されたドラゴンが顔を起こした瞬間、頭上から落下してきたディエナによる剣の一振りで首は落とされた。
ドラゴンの頭が床の金貨を鳴らして跳ねて転がり、俺の目の前で止まった。目を見開いた頭がじっと俺を見る。
「終わった……?」
ドラゴン討伐は作戦通りに行き、呆気なく終わった。ドラゴンの身体は寝たままぴくりとも動かない。
ドラゴンとはいえ、案外こんなものなのか。みんながいて全てがハマったからこその奇襲、そして寝込みの暗殺だ。いや、簡単に終わるに越したことはないが、これではバチバチに戦いを求めていたメメが不満になるのではないかと思った。しかしそんなことはなく、囮のために控えていたメメも飛び降りて、ドラゴンの死体の前で笑顔を見せていた。
誰もが口を開かぬ沈黙の中、最初に叫んだのはディエナの姉御だった。
「うおおぉおお! 斬ったぞおぉおおお!!」
感情の昂りが、ただ成した事を叫ばせたのだろう。だがそれは確かに勝鬨であり、俺たちの緊張を解いた。
そして一様に叫び喜びを表し、俺は近くにいたアリエッタと抱きしめあった。別にそういう気分だったわけじゃない。ただ震える身体を止めるためにそうしたかっただけだ。
シエラとリルゥも聖女様から離れ、ドラゴンの首の前でぴょんこらぴょんこら跳ねた。
そしてリルゥの上半身が消え、残った下半身は胴から血を噴き出し、倒れた。
「は?」
死んだはずのドラゴンの身体から八つの首が生えていた。そしてその一つがリルゥを食らっていた。
「うっ、うあ……」
その光景に俺は言葉も出ず、足もすくんで動けなかった。
アリエッタは振り返り、叫んだ。
その瞬間、二つ目のドラゴンの首がシエラを食った。
「ッ! てめえ! この野郎!」
最初に動いたのはディエナの姉御だった。首を斬ろうと大剣を構えた。
その前にドラゴンの頭は大爆発を起こした。シエラが魔法を使ったのだ。ドラゴンの首は一つ吹き飛び、黒焦げのシエラだった物の頭と身体がどさりと落ちた。
それを見たヨウコがぺたりと座り込む。
「わ、わちのせいじゃ……」
ドラゴンに駆け出そうとする聖女様を、リチャルドは手を掴んで止めた。
「助けないと……!」
「無理です! その前に君が死んでしまいます!」
幼女二人が死んだ。遅れて俺はその事実を認識した。頭は白くまっさらで、パニックに陥り叫ぶアリエッタが目の前にいるせいか、妙に冷静でいた。まずはアリエッタを黙らせないと。俺は俺のするべきことを。俺はアリエッタを隠蔽し、叫び声で残り七つになった八つ首のドラゴンを刺激しないようにした。
「アリエッタ。落ち着け」
「ぐっ! くぅ! どうするのあんなの! なんなのあれ! 知らないわあんなドラゴン!」
「ヨウコの国のドラゴンなんだろう。今まで出てきたモンスターはそうだった」
「どうする……どうする!?」
ドラゴンの身体は蔓で縛られたままだが、今にも解けそうだ。
動けるディエナが首を斬るために奮戦し、リチャルドとメメが駆け回り気を散らしている。
シリスは拘束を維持するために、聖女様の側で魔法に集中している。
ヨウコは座り込んだままだ。
「もう一度、氷魔法を……!」
「いや、あの中には近づけない」
隠れて近づいても三人の戦いに巻き込まれるだけだ。
「アリエッタは援護に回ってくれ」
「あんたは!?」
「ヨウコを助けに行く」
十人もいればなんとかなると思っていた。怪我をしても聖女様の奇跡でなんとかなると思っていた。
だが二人を失った今、全員が協力をしないと早々に全滅をしてしまう。ヨウコをなんとかしないと。
「わかったわ」
アリエッタは俺の隠蔽から離れ、ドラゴンの首を目掛けてボンボンと爆発の魔法を鳴らした。とにかく、まずはこちらが消耗しきる前に首を減らすことだ。今の隙にディエナの姉御が二つ目の首を寸断した。
優勢というわけではない。ディエナもリチャルドもメメも、致命傷を避け、傷は聖女様の奇跡で癒やし続けて維持できているだけだ。
「ヨウコ! 立て! 全員が協力しないと死ぬぞ! あれはなんなんだ!?」
「わちが……わちが龍と聞いてちらりと思い浮かべてしまったのが悪いのじゃ……」
「いいからあれはなんだ! 何か弱点とかないのか!」
「八岐大蛇じゃ……ドラゴンの神じゃよ……。勝てるわけがなかろう……」
「それでも勝つんだ!」
俺はヨウコの尻尾をぎゅむっと握った。ヨウコはびくんと跳ね上がる。
「死にたきゃ今すぐ食われてこい! その隙に俺たちがあいつを殺してやる!」
「んぐ。なんてこと言うのじゃ……。しかしそうじゃな……」
ヨウコが扇を振るう。こっちに向かってきた首の一つをそれで叩き落とした。
そして俺を抱えてぴょんと後ろへ大きく跳ぶ。
「わちもみすみす生贄にはされとうない。酒を持て」
「何故?」
「いいからはよう!」
ヨウコは戦いに参戦した。
俺は一人離れ、階段を昇る。酒。酒。酒樽にはまだ残っていたはずだ。ディエナの姉御が酒樽を持ち込んでいた。それは糧食と共に上の階に置かれている。
俺は駆け上り、樽の前で息を付いた。マナの消耗が激しい。くらくらする。俺は酒樽を倒し、転がし階下へ運ぶ。
ヤマタノオロチの首は残り五本になっていた。
全員ぴんぴんしているが、聖女様は今にも倒れそうだ。人嫌いエルフのシリスがそれを支えている。
「ヨウコ! 酒だ!」
「好し! 皆のもの押し留めておくのじゃ!」
ディエナが「んだぁ!?」と不満そうに反応するも、攻めより守りに切り替えた。リチャルドとメメもそれに呼応し、撹乱させるように動く。
「主よ! ぶちまけろい!」
「お、おう」
俺は酒樽の蓋を開け、中身を床にぶちまけた。酒精の香りがぷんと鼻に付く。
「これでいいのか?」
「うむ!」
ヨウコが扇を振るい、風を起こす。酒精がマナの風に包み込まれた。
「大女を巻き込むが、まあ良かろう」
「いや良くねえよ」
俺はてっきり燃やすのかと思っていた。火の酒はその名の通り火が付くほど酒精が濃い蒸留酒だ。
ヨウコは風だけを起こした。酒の風をヤマタノオロチにぶつけたのだ。
「うぁあ!?」
ディエナは異変を感じ、すぐにヤマタノオロチの前から離れた。リチャルドとメメも距離を置く。
「アシの酒で何しやがった!?」
「酔わすのじゃ」
ヤマタノオロチはついに蔓の拘束を抜けた。
だが胴体をふらりと傾け、首と足と八つの尻尾をデタラメに動かし始めた。
「酒は吸わせると途端に落ちるのじゃ」
「やべえ、アシもくらくらすっぞ……」
「ら、らいろーうれすか」
「お酒くさぁい」
聖女様が慌てて酔っぱらい達を浄化した。そしてぺたりと座り込む。
「す、少し休ませていただきます……」
「んむ。終わらせるぞい」
「借りていくよっ」
メメは俺の腰の剣を取っていった。
ディエナ、リチャルド、メメは昏睡したヤマタノオロチを切り刻みに向かう。
俺は聖女様に近づき、エルフの秘薬を手渡した。
「これを飲んで。頼む、うちの子たちを救ってくれ」
「はい。いえ、もう……。いえ、わかりました」
「…………」
シリスも座り込み、エルフの秘薬を口にする聖女様をじっと見つめる。
ヨウコは、幼女の残骸をかき集めていた。
「動きさえしなきゃこんな首が多いだけのドラゴンなんて!」
アリエッタは震えながらヤマタノオロチを凍らせていく。
だがリチャルドの細剣では刃が持たなかった。
「くっ、レイピアが折れました!」
「ねぇ! ドラゴンの尻尾の中に剣があったよ!」
「本当ですか!?」
リチャルドはヤマタノオロチの中に埋まっていた剣を使い、切り刻む。
その剣はまさに聖剣と言わんばかりに、ザクザクと硬いドラゴンの龍鱗ごと切り落とし、ついに八つの首は断たれ、胴体は真っ二つとなり、八つの尻尾も細切れとなった。
だが、幼女二人は聖女様の奇跡に触れても戻ってこなかった。