穴
俺はしゃがんで街の中にぽっかり空いた穴を覗き込んだ。吸い込まれそうで恐ろしい。
「なんじゃあこりゃあ……」
「生まれたばかりのせいくつね」
「せいくつ?」
「生きている窟。生窟。ザコお兄さんもいくつか見たでしょ? シエラのいた穴とか、東の森の穴とか」
「ああ……あれと同じなのかこれ。とてつもなく大きいが」
そこで俺はやっと気づいた。人嫌いエルフのいう「セックス」は「生窟」だったのか。
「この穴はまだ出来たてで何も作られていないの。そのうち勝手に形づくられていくよ」
「なにそれ怖い」
なんかとんでもない事を聞いた気がする。
「じゃあそのうちこの穴から、とんでもないモンスターが出てきたりする可能性が……?」
「うーん。あるんじゃないかな?」
俺は辺りを見回した。今の話を耳にした人はいないだろうな? パニックが起きるぞ。
「ま。詳しい話しはアリエッタに聞いてみないと。私も聞き齧りだしー」
「なんだよ。それじゃあアリエッタに会いに行くか……。まだ居ればいいが……。そもそもパフィの店は無事か?」
逸る気持ちを抑え、店に行く前に冒険者ギルドを目指す。ギルドの建物は形を残していた。ドレイクの報告をすると、焦燥していた受付嬢が奥の部屋に案内してくれた。
「ザークさん。いま街は大変なことになっています」
「それはわかってる」
「もうご覧になりましたか? 大穴を……」
「ああ。広場がまるごと無くなってたな」
「そのうち依頼が下りると思います……。いえ、その前にザークさんも街の外の守衛をお願いしたく」
「待ってくれ。今日は休みたいのだが」
「そう、そうですよね! よろしければ今夜はこの部屋をお使いください!」
「いいのか?」
「ええ! もちろん!」
受付嬢は逃さないぞという目をしている。惨状からしてすでに街から離れた者も多いのだろう。
「少し街を見てくる」
「はいわかりました! 必ず戻ってきてくださいね!」
そして俺たちはパフィの店に向かった。
街の西側はしっかりした家の造りが多いが、それでも崩れている家は少なくなく、不安が募る。
見覚えのあるパステルカラーの店が見えて安堵した。だが大きな板ガラスの窓は割れており、被害は大きいようだ。
「パフィさん。無事でしたか」
パフィさんは家の前で掃除をしていた。花壇が崩れ、土と花が道に広がっていた。
「ザークさん。無事じゃないですよぉ」
そう言いながら、パフィさんは煤汚れた顔で笑った。店はともかく元気そうだ。
「店は無事じゃないですね……」
「そうだね。再開してもお客さんが来るような状況でもないしぃ」
「おかちぃ」
シエラがぽんと掌にクッキーを創り、パフィさんに渡した。パフィさんは笑顔で受け取り、シエラの頭を撫でようとして、汚れた自分の手を見て「ありがと」とだけ言葉にした。
「アリエッタはいるか?」
「エッタちゃんはお仕事に出かけたわー。代わりにリチャルドさんが帰ってきたわ」
パフィさんは店の中を指差した。
リチャルドが店から顔を出し、「ザークさん!」と駆け寄った。
リチャルドとディエナは、アリエッタ、シエラと入れ替わりで街に戻ってきたようだ。そこで大きな地震が起きて、ディエナの姉御が外から店を支えたらしい。建物を支えるってどうなってるんだあの人……。
「良かったぁ。ザークさんが居れば僕も安心です」
リチャルドは俺の手を握り、俺も「無事で良かった」とリチャルドの肩を抱いた。
そしてシエラとヨウコの二人を紹介した。リチャルドは「ザークさんをお願いします」とそれぞれの手に銀貨を乗せた。シエラは銀貨を齧って「まずい」と投げ捨てそうになった。
しかしリチャルドは事あるごとに銀貨を渡してくるなと思いつつ、シエラの手から銀貨を受け取った。俺はそこに彫られた歯型の付いた女神の横顔に気づく。
「なあ。リチャルドは黄金の天使教って知ってるか?」
「ええもちろん。知っていますか? この銀貨に彫られているのは黄金の天使なんです。銀貨なのに黄金の天使なんて変ですよね」
「そうだな」
上手くはぐらかされた気がするが、それは違う。リチャルドは平時からこういう感じだ。
「とはいえ、僕も知っているというだけです。どういう宗教なのかは知りません。ただ――」
「ただ?」
リチャルドは無邪気な少年のあどけなさが残る顔で笑った。
「僕も黄金の天使を探しているんです。昔に話したことがあったでしょう? 黄金の天使の歌を聞いてこの街に来たんです」
ああ、そんな事もあったなと、リチャルドと共にこの街に来たときの事を思い出す。
リチャルドと出会ったのは偶然だ。とある街の出店でカモられそうになったところを、俺が助けたのだ。それから俺に付いて回った。
まあその事がきっかけで街から追われ、今の街に付いたのだが、その時に吟遊詩人の歌の話しをしたことがあった。
俺は大英雄ガルガントに憧れて村を出て、リチャルドは英雄ルカーシュに憧れて家を出たと語った。
ガルガントの多くは英雄譚で、ルカーシュは愛をテーマにした詩が多い。とはいえ、リチャルドは愛を求めて旅に出たわけではない。好みの違いだ。そしてルカーシュの冒険には黄金の天使を探すというテーマの詩があるようだ。そうにリチャルドは語っていた。
「それ本気だったのか」
「はい。もちろん今でも諦めていませんよ。あれ、そうなると僕も黄金の天使教なのかもしれませんね!」
「なるほどなぁ。なあ、三人は黄金の天使って知ってるか?」
俺はロリ三人衆に振り返って聞いてみた。メメは首を傾げ、ヨウコはゆっくり首を横に振った。シエラは両手を上げて飛び跳ねた。
「しってりゅう!」
「なに!?」
意外な所が反応した。そういえばシエラはこの土地生まれの悪魔だ。メメが言うには、悪魔はある程度の知識とおぼろげな記憶を持って生まれるらしい。シエラが何かしら知っていてもおかしくない。
シエラが両手を掲げて、「みゅみゅみゅ」と目を閉じた。
ぽんっ。と、掌に黄金の林檎――蜂蜜の飴がけ林檎が現れた。
「おーごん!」
「黄金だね! 偉いね!」
俺はシエラの頭をなでなでして、店の中でみんなで黄金の林檎を分けて食べた。